人気投票が教える女子の人気
修正しました。
右下の正の字と比較しても→総票数を表す右下の正の字と比較しても
それから数日、俺は毎夜の如く綾辻たちに付き合わされた。考えてみたら国のお仕事に無償で拘束されてるってどうなんだろうと綾辻に聞いてみたところ、給料としてではなく、拘束する時間に対して補填金が支給されるそうな。しかも危険手当込みで。
そりゃ木偶だって一般人からしたら十分怪物だ。猛獣を瞬殺出来る輩と毎晩顔突き合わせていると言えば、その危険度が分かるだろうか。改めて客観視すると、アフリカの動物園もビックリな労働環境だな、金では騙されんぞ‥‥っ! 勿論、貰える物は貰うが。
というわけで、今日も今日とて眠気眼と重くて痛い身体を引きずって学校である。残業続きのサラリーマンかな? 労基に駆け込んでもどうにもならない辺りがマジブラック。
担任の大河原先生が数式そっちのけで仕事の愚痴を言い始めた所から記憶が飛んで、気付いたら休み時間になっていた。正直昼休みまで起きていられる自信がないので、自販機でコーヒーでも買って飲むか。幸い次の授業は移動教室じゃないし。
そんなことを考えながら席を立とうとした時、優しげな王子様スマイルでこちらに歩いて来る男が視界に入った。どうでもいいけど、普段から維持してて疲れないのか、その表情。
「おはよう七瀬。随分よく寝てたみたいだね」
「ああ、最近寝不足気味でな。で、何の用だよ」
問いかけると、伊吹は「相変わらず怖い顔だなあ」と笑う。確かに最近寝不足が祟って輪をかけて人相が悪いのは知っている。だが、それを貴様に言われるのは無性に腹が立つんですけど。
いい加減用件を言えと無言で圧力をかけてやる。見ろ、これが陰で邪知暴虐と言われた男の視線だ。お前はキャラ的にセリヌンティウスか? メロスはどこだ、うちの咲良さんはBLもイケる口だぞ。部誌に載せてやる。
「そんな睨むなよ。ちょっと面白いことしてるから七瀬も乗らないかなって」
「面白いこと?」
「そうそう、ちょっとこれ見てよ。あ、周りに見えないようにね」
そう言って伊吹が差し出して来たのは、どうやらノートを破ったものらしい。折りたたまれたそれを言われた通り周りに見えないよう席で開く。
「‥‥なんだこれ」
そこには多数の女性徒らしき名前が左端に羅列されており、その右横に正の字が書かれていた。右下に書いてある正の字はこのノートに記入した人数だろうか。
これってもしかして、
「新聞部主催、一年女子の推しメン投票。そろそろ皆可愛い子が決まり始めた頃だしね」
伊吹が俺の疑惑を肯定するように小声で言った。セリヌンティウス、お前女の子に興味あったんだな‥‥。勝手な設定だけど。
「というかそんなことして大丈夫なのか? 新聞部主催ってことは公表するんだろ?」
場合によっては女子生徒から反発が出そうなもんだが。ミスコンみたいに参加方式ならともかく。
しかし、伊吹は涼しい顔で言う。
「それは問題ないよ。女子は女子で男子ランキングの投票してるはずだし、公表されるのは上位十名までだから。不細工な人を決めるんじゃなくて、可愛い子を選ぶだけなら荒れることはないだろ? 票数は公開されるけどね」
「‥‥まあ、確かに」
伊吹の言う通り、それは理に適っている。ランキングに入った人は嬉しいし、そうじゃない人も別段ダメージを受けるわけでもない。単純に男女比同一で考えても、学年で女子は八十名近くいるはずなので、選ばれた人間が特別なんだと納得できる。
「というわけで、一人につき二票まで入れられるから」
「それって同じ人に投票もありなのか?」
「原則別にしてほしいって感じかな。凄い思い入れがあるとか、他に入れられそうな人がいない場合は一応OKにはなってるけど」
なるほど、ある程度票が分散するようになっているわけか。そうしないと、特定の人に票が集まりすぎるのだろう。
実際、ノートの一番上に書かれている綾辻日々乃の名前の横には、正の字がこれでもかと書き込まれている。総票数を表す右下の正の字と比較しても、ほとんどの男子が綾辻に入れてるみたいだし。
あいつ、いくらなんでも人気あり過ぎじゃないですかね。一人だけ掲示板サイトが介入したランキング投票みたいになってるんですけど。綾辻がセンターのポスターでも貰えるのかしら。
さらに視線を下にスライドさせていくと、もう一人見知った名前を見つけた。ほー、三神も相当に容姿が良い方だと思うが、投票数は片手の指で数えられる程度なのか。あの影の薄さのせいで認知度が低いせいか。
とりあえず俺が投票するのは決まっているようなものなので、一応書かれている名前の中に居るか探してみると、
「うぇ?」
思わず、変な声が出た。
俺の探していた名前、咲良綴はノートのちょうど中程に書かれており、その横には正の字が結構な数書かれていたのだ。三神より多いどころか、このままいけば上位十名に入りそうな勢いである。
何故だ‥‥、奴は言うなれば隠れた名店。知る人ぞ知るといった感じだ。顔だって前髪が長く、普段はほとんど本を読んでいるせいで見え辛いし。
正直この正の字に棒を足すのは癪だが、かと言って入れないという選択肢も無い。なんだこの複雑な気持ち。自分の推しメンが人気! と思えてからが本当の大人なのかもしれないな。
一票も入ってなかったらそれはそれで腹立ちそうだけども。
そんなことを思いながら咲良のところに線を書き込むと、上から覗き込んでいた伊吹が意外そうに言う。
「へー、七瀬は咲良さんに入れるんだ」
「知ってるのか? セリ、伊吹」
「セリ‥‥? 結構有名だよ、咲良さん。話してみるとめっちゃ優しいとか、よく見ると顔も凄い可愛いとか、大人しめな男子から人気なイメージかな。まさしく文学少女って感じするし」
文学少女か。ブックカバーを剥けば大体はライトノベルの似非文学少女だと思うけど。下手にそういうことを言うと別の層の男子からも一気に支持されて人気が沸騰しそうだな。
「じゃあ、もう一票入れて」
「ふむ」
ぶっちゃけ知っている女子自体少ないので、迷う余地はほぼない。
なので、三神晶葉の隣に棒を一本付け足しておく。綾辻に入れるのはなんだか大衆に迎合しているような気がして癪なので、ここは三神でいいだろう。
書き終えたノートの頁を再び畳んで伊吹に渡すと、伊吹は微妙な顔で言った。
「七瀬、有名店より自分で探した店に通うタイプだろ」
ほっとけ。
「まあいいや。皆七瀬には渡し辛いって言うから俺にまでお鉢が回ってきたんだよね。最近は特に目つきが酷いし」
「それ、わざわざ言う必要ないよな? な?」
悪い、ではなく酷いなのか。別に怖がられるようなことはなにもしてないんだけど。寝不足だからね、仕方ないね。
「じゃ、もうちょっと寝とかないと女の子からいつまでたっても逃げられるよ」
「こういうのは時間が解決するものなんだよ」
俺の人畜無害さが広がれば、たぶん、きっと。さて、もうコーヒー買いに行く時間はないし、次の授業の用意でもするか。
教科書の類は全て後ろのロッカーに置いていあるので、それを取りに立ち上ろうとするが、何故かそこには伊吹が呆然と突っ立っていた。お前もう行ったんじゃなかったのかよ。
「おい伊吹、そこ邪‥‥魔‥‥」
伊吹を退けようとしたところで俺はある違和感に気付き、言葉が中途半端に途切れる。
あ気のせいでなければクラスの中でざわついていた空気が静まっている。どこかよそよそしいような、話し声が全体的に小さくなり、皆なにかを気に掛けているようだった。
そして、その答えは棒立ちする伊吹の視線の先に居た。
教室の前方の扉から、アッシュブロンドの髪を揺らした女性徒が堂々と入ってきている。ここ数日で見慣れたそいつは、こちらを視認すると足早に向かってきた。
綾辻日々乃が、そこにいた。
「‥‥なにしにきたんだよ」
思わず声が漏れる。他クラスとは思えない程に風を切って歩いて来る綾辻とはだが、昼間の学校ではお互いにまったく干渉しない。なにか取り決めがあったわけではなく、なんとなくそういう暗黙の了解があった。
まさかここまで来て別の人に用件があるということはないだろう。
そうなれば俺は衆人環視の中綾辻と話すことになる。学年のマドンナと知り合いとか、面倒事の未来視か見えない。えー、ほんとに何で来たんだ。まさかこんなところでコードに関する話はしないだろうし。
綾辻はそんな俺の懸念を裏付けるように一直線に座ったままの俺に向かってくる。
そして、机を挟んで仁王立ちしすると、そのまま腰を曲げて俺へと顔を近づけてきた。
ふぁ!? 近い近い! なんかふんわりと良い匂いがするし、今まで生きてきて見たこともない艶やかな髪が目の前で揺れる。
そのまま綾辻は俺の耳元で囁いた。
「昼休み、三階の空き教室に来なさい」
小さな声でそれだけを言うと、彼女は来た時と同じように颯爽とした足取りで教室を出て行く。後に残されたのは、呆然とする俺と、金の残滓に柑橘系の香り、そしてにわかにざわめきを取り戻したクラスメイト。
伊吹が油を差し忘れたブリキ人形のような挙動でこちらを振り返った。
「七瀬‥‥誰に投票したっけ?」
「‥‥少なくとも綾辻ではねーよ」