重牙が教えるコード・アームの力
綾辻は身体を捻り、腕を身体に巻き付けるようにして目下の木偶を睨みつける。
木偶は獲物を見失ったことに気付いた瞬間、綾辻の落下地点から離れるようにして散開する者、下で待ち受けようとする者に別れた。
空では身動きが取れない以上、複数の木偶に下から迎え撃たれれば攻撃を避けるのは難しい。
「おい‥‥っ!」
悠長に傍から見ている場合じゃなかった。俺でも横合いから不意を打って突撃すれば、体勢くらいは崩せるかもしれない。
「‥‥」
だが、動き出そうとした俺の腕を三神が掴んでいた。見れば、まるで余計なことはしなくていいという様に、無言で首を横に振っている。
そこにあるのは確かな信頼。綾辻ならば心配ないという確信が三神の目にはあった。
暗闇に浮ぶ綾辻の身体は、重力に従って落ちていく。まるで咢を開くようにして振り上げられる槍や剣に、しかし綾辻は少しの恐怖する様子も見せなかった。
洞の顔から発せられる声が響き渡り、綾辻の身体が花開くようにして腕を伸ばす。
捻り上げられた身体が溜めた力を解放するようにして彼女はそのまま宙で回った。
そして、直後。
ゴッ!! という鈍い音が重なるようにして轟き、下で待ち構えていた木偶だけでなく、周囲に散っていた全ての木偶の頭が爆ぜた。
それは黒の軌跡だ。
綾辻を中心に、夜よりも尚濃い漆黒の蛇が標的を食い散らかして疾走する。風が裂け、弾け飛んだ朽ち木が周囲に飛び散った。
綾辻は崩れ落ちる木偶たちを絨毯に音もなく着地する。一拍遅れるようにして、解けるようにコードの破片が夜へと溶けていった。
「うおぉ‥‥」
金属の擦れ合う音が闇の中で這い回り、従僕を破壊した蛇は満足したとでも言いたげに、綾辻の手元に帰っていく。
月のか細い光に照らされて姿を現したそれの正体は、鎖に繋がる短剣だった。
吸い込まれるような艶の無い黒の鎖は、同色の短剣の柄尻と繋がっている。短剣の形状は両刃で肉厚。刃の部分だけが牙のように鈍い銀色をしており、余計な装飾の一切ない、無骨な武装だ。
隣で同じ光景を見ていた三神が、感じ入るような口調で言った。
「あれが、日々乃のコード・アーム、『重牙』」
「コード・アーム?」
聞き慣れない単語にオウム返しにしてしまう。というか後半のそれはなんだ、中二病なのかな。めっちゃかっこいいじゃん『重牙』。
「フォルダーの所有できるコードは大きく分けて二つ存在する。生まれながらに持つエクストラコードと、後天的に獲得出来るプラスコード。コード・アームっていうのはそのエクストラコードと武装を意味するコードを組み込んで作る、自身の象徴となる武器」
「――つまり、私の〝重力〟と〝操作〟のエクストラコードに〝短剣〟と〝鎖〟なんかのプラスコードを組み込んで作ったのがこれってわけね」
いつの間にか敵を殲滅した綾辻がこちらに近づいてそう言った。その両手首からは暴虐を振るった短剣が打って変わって静かに揺れている。今更ながら、それが初対面の俺を縛り付けていた鎖であることに気付く。
コード・アームと同様の物は俺の知識にもあった。概念武装と呼ばれるそれは、秘言を扱う人間にとって自らの力そのものの具現化と言っても過言ではない。純粋な攻撃方法だけでなく、能力を発動するための媒介としても必須のものだ。
〝重力〟と〝操作〟ということは、短剣と鎖そのものの重量を操作しているのではなく、武装を媒介にして力場を作成しているといったところだろう。短剣はショートソードというよりもダガーと言った方が良い刀身の長さだが、その威力は先ほど見た通り。あたりは大口径ライフルでも乱射したかのような惨状だ。
‥‥これ、木は無機物じゃないから〝修復〟のコード効かないはずなんだけど、どうすんだろ。
「とりあえず、もういないとは思うけど一回りして今日は終わりかしら」
確かに綾辻の言う通り、アウター特有の嫌な空気はほとんど感じなくなっている。先ほど殲滅したので全部だったみたいだな。
「戦闘痕は私が消しておくから、七瀬は日々乃に付いて行って」
三神に言われた言葉に、つい反応してしまう。
「樹も治せるのか。本当に多彩だな」
すると、三神がおかしなものを見るような顔で振り向いた。おい、そんな顔で人を見るなんて失礼だぞ。しかし三神の口から出たのは思いもよらない言葉だった。
「‥‥なんで君はそんなにコードについて詳しいの? もしかして修復持ち?」
「え、ああ、いや」
やっばい、失礼とか考えている場合じゃなかった。つい素で返してしまったが、〝修復〟のコードでは無機物しか直せないことなど素人が知っているはずがない。え、どうしよう。
いつにもまして訝し気な目線でこちらを伺う三神からのプレッシャーがすごい。
頑張れ俺の灰色の脳細胞! 頭よ、回レ回レ回レ回レ!
「ほら‥‥あれだ。少し考えれば分かる話だろ? アスファルトを直すのと生物を治すのは文字からして違うし」
「そう‥‥まあ、そうかも」
「おお」
アブねー。なんとか誤魔化せたのか? いや、あれは完全に信用した目じゃない。
ぶっちゃけ前世の記憶があるかもしれないなんて言ったところで信じて貰えなさそうだが、まだ国によるフォルダーへの扱いが明確ではない現状では、下手に情報を与えない方が無難だ。人体実験とか本当に怖い。
とりあえず三神の視線が痛いので、綾辻の方に顔を向けると、彼女は呆れたような目で言った。
「まあ、何でもいいわ。これからは私の後からついてきて。不意打ちされるようなことはないと思うけど、一応気をつけて」
「ああ、俺も死にたくないからな」
「ところで、大分前から気になっていたのだけど、なんでそんな変な歩き方しているのかしら?」
綾辻が、動き始めようとした俺の脚を見て言う。そこまで変な歩き方をしてるつもりはなかったけど、バレるもんだな。
「いや、単純に筋肉痛だ。昨日久々にコードを使ったら痛めてな」
正確には今生はじめてだが、流石に不自然なのでそういうことにしておこう。あながち久々ってのも嘘ではないよな、十五年振りだ。むしろ筋肉痛で済んで良かったと思うべきか。
それより、なんでそんな呆れたような目で俺を見るんですかね。
「私が到着した時間から考えても、戦った時間は大して長くないでしょう。それで筋肉痛って‥‥」
貧弱過ぎないかしら? と綾辻の目が如実に物語っている。いや、確かに俺も驚いたけどさ。まさか〝強化〟を数十秒使ったところでここまで身体にガタが来るとは思わなかった。
「‥‥なんだよ」
「あなたのコード、身体強化系? 暫く訓練用のメニューを組み立ててあげましょうか、使えるに越したことはないでしょう?」
あ、さりげなく〝強化〟のコード使ったのがバレてる。そりゃそうか、コードを使って筋肉痛になるなんてほとんどが身体強化系だもんな。
確かに使えるに越したことはないだろうけど、
「いや、別にいいわ。この先コード使う予定なんてないし、確実にその訓練厳しいだろ」
「あら、私たち守り人が受ける基礎的なものだから、効果は折り紙付きだけど」
「それ、キツイって点に関しては何一つ否定が入ってないんですけど‥‥」
「当然。辛くない訓練なんてやったところでなんの意味もないでしょ」
「ごもっともなことで」
ヒビノーズブートキャンプとか、きっと蛆虫どころか実験動物に淡々と負荷をかけるようにして生き残れるやつだけを選抜するのだろう。そんなん受けたら確実に死ぬわ。
俺にやる気がないことを見て取ったのか、綾辻は肩を竦めて歩き始めた。
三神も戦場跡を治すために離れていくので、俺も無言で綾辻の後を追う。
夜の帳は尚濃く、山道はまるで非現実な空間の中で、月だけがいつもと変わらずこちらを見下ろしていた。
今日からは一日一部の投稿になる予定です。