『三毛猫ホームズの推理』プレビュー
「永城さんっ! 猫はお好きですねっ?」
営業中だった谷藤屋に入った僕に突然、店主の谷藤風さんがにじり寄ってきた。細いフレームの向こうで大きな目を爛々と輝かせながら。呆気にとられた僕が口を開く前に、谷藤さんは、
「ええ、お好きですよね。それは分かっています」
口元に笑みを浮かべた。その胸元には一冊の文庫本が抱えられている。
「た、谷藤さん、もしかして、それが今日の……?」
「ふふ、そうです。本日、私が永城さんにおすすめするミステリは、ずばり、これ! 赤川次郎 著『三毛猫ホームズの推理』です!」
谷藤さんは、僕の目の前に抱えていた文庫本をかざした。
~あらすじ~
羽衣女子大学の学生が惨殺されるという事件が起きる。調べによると殺された学生は、売春まがいなことを行っており、その最中に殺害されたと見られている。捜査一課の刑事、片山は、その女子大に潜入捜査を命じられる。とはいっても殺人事件ではなく、学内で行われていると見られる組織的売春の調査だった。女子大の文学部長森崎が一課長の三田村と大学時代の動機で、その縁から頼まれた仕事だった。片山は、血を見るたびに貧血を起こすという、捜査一課刑事らしからぬ体質を持っており、彼にはうってつけの任務だったのだ。羽衣女子大を訪れた片山は、そこで依頼者の森崎と、彼が飼う〈ホームズ〉という名の三毛猫と出会う。ホームズに妙に懐かれた片山は、調査を進めるうち、密室殺人事件に遭遇してしまい……。
「まさかの『猫もの』二連発? ど、どうして、今回のおすすめがこの本なんですか?」
「ふふふ、永城さん、この前、三毛猫ホームズを知っているとおっしゃいましたが、実作を読んだことはありませんね! びしっ!」
谷藤さんは文庫本を持った反対の腕も伸ばし、僕の鼻先に人差し指を突きつけてきた。
「ど、どうしてそれを?」
「まあ、私くらいになると、だいたい分かっちゃうんです」
文庫本を僕に押しつけると谷藤さんは、腕を組んで「ふふん」と得意げに鼻を鳴らした。
「で、いい機会なので、ぜひ読んでいただこうと」
「読んでいないついでにお訊きしますけれど、どういう話なんですか? 正太郎(柴田よしき作の『猫探偵正太郎シリーズ』の主人公猫)みたいに猫が喋るんですか? あ、いや、あれは喋ってるんじゃなくて、視点が猫なだけか」
「全然違いますよ! ホームズは喋りません。化け猫じゃないんですから」
「す、すみません!」
何でか謝ってしまった。化け猫って。僕は手渡された(押しつけられた)文庫本を見て、「うーん」と唸った。
「あ、永城さん。今回はちょっと訝しがってますね」
「い、いえ、そういうわけでは……」
言いつつも動揺した。心を読まれた? 谷藤さん、ずい、と一歩僕に近づいてきて、
「永城さん、赤川次郎をナメてますね。大丈夫なの? この人、本格書けんの? って思ってますね?」
「い、いえ! 決してそんなことは……」
やはり心を読まれたらしい。谷藤さん、再び僕の鼻先に「びしっ」の声とともに人差し指を突き出す。先ほどよりも一歩前に出ているために、指先が鼻に触れそうだ。
「私は、世間のそういった誤解を解きたい! 赤川次郎は本格ミステリ作家です! この『三毛猫ホームズの推理』も、大胆なトリックが使われた紛れもない本格ど真ん中なミステリですよっ!」
「す、すみません!」
また謝ってしまった。谷藤さん、さらに、
「赤川次郎の功績はですね、それまで良くも悪くもマニアックで、おどろおどろしいミステリ――当時は〈推理小説〉と呼びましたが――に、ユーモアと現代性という新風を吹き込んだことです。今はやりのライトミステリの走りなんです。ですが、ライトなのは見た目、というか、読み心地だけ。中身は重厚な本格です。本格ミステリを若者に受け入れられやすいライトな文体というオブラートで包んだですね――」
「わ、分かりました! 買って家で読んでみます!」
「毎度ありがとうございます」
谷藤さん、吊り上げていた眉を下げて僕の手から本を受け取ると、笑顔でレジにスキップしていった。あのまま谷藤さんに捲し立てられていてもよかったかな……って、変態か。