『模倣の殺意』プレビュー
休日の昼下がり、商店街に散歩に出た僕は、何とはなしに例の書店のある方向に足を向けた。週に何度か意識して通ることはあるが、その書店にはいつもシャッターが下りている。平日、休日お構いなしに。僕はその都度、こんな状態で商売をやっていけるのかという、呆れと心配が混在した気持ちと、そこの店主の顔を今日も見られなかったという落胆を胸に同居させていた。
果たしてその日、谷藤屋のシャッターは開いていた。〈営業中〉の札も出入り口ドアに掛かっている。僕は足早になって近づくとドアの前に立つ。谷籐屋のドアは磨りガラスのため、中を窺い知ることは出来ないし、中からこちらの様子も知られることはないだろう。一度深呼吸をしてから、僕はゆっくりとドアを押した。
「いらっしゃいませ」
随分と久しぶりに聞いたような気がする。彼女の声が入店した僕を迎えてくれた。谷藤屋店主、谷藤風さんは、僕の顔を見ると、
「あら、永城さん」
と微笑みかけてくれた。名前を憶えていてくれたことが妙に嬉しい。
「また、ミステリが読みたくなったんですか?」
「ええ、まあ」
谷藤さんの顔が見たかったから、などとは言えない。その谷藤さんは、
「永城さんは、ミステリはあまりお詳しくはないんですよね」
「ええ、前にも言いましたけれど、テレビや映画でミステリものを観ることはありますけれど」
「そういった方に、ぜひ読んでいただきたい作品があります」
言うや谷藤さんは、右側の書棚の前に立つと、棚から一冊の本を取り出して、
「中町信 著『模倣の殺意』これです」
~あらすじ~
七月七日の午後七時、作家坂井正夫が死んだ。青酸カリを嚥下しての服毒死だった。
坂井と面識のあった雑誌編集者の中田秋子は、坂井の部屋で偶然居合わせた女性が坂井の死に関係があるのではないかと思い、独自に調査を開始する。
作家の津久見伸助は、同人仲間であった坂井の死を調査して記事にする仕事を雑誌社から依頼される。津久見の調査により、坂井が生前に発表した小説が、ある有名作家の盗作だったのではないかという疑惑が持ち上がって……。
「坂井正夫」を調査する二人がそれぞれに行き着いた結末とは?
「中町信、ですか。聞いたことのない作家さんですね」
「そうでしょう。中町信は、ミステリ好きであっても御存じの方はそう多くはない、マイナーな作家さんだと言ってもいいでしょうね」
「でも、この『模倣の殺意』は谷藤さんのお勧め作品だ、と」
僕の言葉に、谷藤さんは大きく頷いて、
「この作品はですね、書かれたのが一九七二年、元号で言うと昭和四十七年なんです。永城さんは生まれてませんよね?」
「当たり前じゃないですか。ていうか、谷藤さんもでしょ」
「それを踏まえて読んでいただきたいんです。特に、永城さんのように、あまりミステリ小説を読んだことのない方にこそ。それも出来るだけ早く」
「どういうことですか?」
「読んでいただきたいんです」
谷藤さんは、にこにこと笑みを浮かべているだけだった。
「じゃ、じゃあ、それを下さい」
「毎度ありがとうございます」
谷藤さんは本を手にレジに向かうと、てきぱきと流れるような手捌きでカバーを掛けていく。おお。またこれを見られるとは。
「お読みになられたら、また感想を聞かせて下さいね」
「え、ええ、それはもちろん」
次に谷藤さんに会えるのは、やはりこの本を読み終えてからになりそうだ。そう思いながら、僕は〈谷藤屋〉をあとにしたのだった。