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ミステリ専門書店〈谷藤屋〉不定期営業中  作者: 庵字
世界よ、これが本格ミステリだ『リラ荘殺人事件(りら荘事件)』鮎川哲也 著
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『リラ荘殺人事件(りら荘事件)』プレビュー

 僕が谷藤屋(たにとうや)を訪れる理由には、面白いミステリ小説を勧めてもらうためというのはもちろんだが、店主の谷藤さんに会いたいということも、決して少なくない割合で目的に含まれているということは否定出来ざるを得ない。いいじゃないか。無味乾燥な大学生活を送っているこんな僕にだって、一服の癒やしを求める権利はあるはずだ。だが、しかし、谷藤さんの側からしたら、いや、僕の件に限らず、店員目的で店に来る客がいるというのは、店舗側、店員側にしてみればどういうふうに思われているのだろうか。

 えっ? 何? あの人また来てる。あ、こっち見てる。ちょっと怪しいんだけど。

 みたいに思われているのではないだろうか? ストーカーと勘違いされていたりして……。いや、断じて僕はストーカーなどではない。谷藤さんと会うのだって店の中だけだ。店の外まで谷藤さんを追いかけるなど……。

 と、ここまで考えて気がついた。そうだ、僕は谷藤さんを店以外の場所で見かけたことは一度もない。〈谷藤屋〉の店舗建物は確か、二階が居住スペースになっているはずだが(谷藤屋になる前の書店の頃、店主の爺さんが住んでいた)、店が閉まっているときに見てみても、人が暮らしている気配は一切ない。あそこは店舗のみとして利用していて、谷藤さんは通いなのだろうか……。

 などと考えながら歩いているうちに、いつの間にか谷藤屋の前まで来てしまった。今日は……〈開店中〉の札が出ている。どれ、谷藤さんに会いに――じゃなかった、おもしろいミステリを勧めてもらいに行くとしよう。

 結果、ドアを押し開けて入店した僕を迎えてくれたのは、果たして谷藤さんではなかった。いや、厳密に言えば「彼」も「谷藤さん」と呼称されるに何の問題もないのだが……。


「やあ、いらっしゃい」


 レジの向こう、椅子に腰を掛け、読んでいた本から顔を上げて声を掛けてきたのは、谷藤さんの兄、いつか顔を合わせたことのある、名前は確か……。


鋭一(えいいち)だよ」


 僕の心を見透かしたかのように、鋭一さんは先に名乗ってきた。


「鋭一さん、こんにちは」


 僕は、名前を忘れていたということと、谷藤さん(当然、妹の(ふう)さんのことだ)がいなくて残念がっていることを悟られないよう努めて挨拶を返した。


「ごめんね、風は今、買い出しに出ていてね。俺が店番を頼まれたんだ」


 事情は分かったが、どうして謝られる必要がある? 僕の魂胆など、とっくにお見通しということなのか?


「そうだったんですか」


 僕は答えた直後に、じゃあ帰ります。という言葉とともに(きびす)を返しかけ、慌てて踏みとどまった。このまま帰ったら、本当に谷藤さん目当てだけが目的で、ここに通っていることになってしまうところだった。そんな僕のことを、にこにこと笑みを浮かべながら見ていた鋭一さんは、


永城(えいじょう)くん。相変わらず、風が勧めたミステリを読んでくれているんだってね」

「あ、はい。そういえばこの前、下の妹さんにもお会いしましたよ」

「ああ、穂愛(ほあい)だね。変なやつでびっくりしたでしょ」

「はい――い、いえ! とてもかわいらしい妹さんでした!」

「無理しなくてもいいよ」


 思わず本音が出てしまったが、鋭一さんは、あははと笑うと、


「で、僕が来てから、風が永城くんにお勧めした作品をざっと聞いたんだけど、短編集が多いみたいだね」


 言われて思い返してみれば、確かにそうかもしれない。すると鋭一さんは、


「そこで、今日は俺から、この一作をお勧めしたい」


 レジの下から両手に一冊ずつ、二冊の文庫本を取り出した。え?「一作」と言ったのに、二冊? 表紙を見てみると……どちらも同じようなタイトルが書かれているぞ。


「これぞ、現代に確固たる地位を築いた、いわゆる『新本格』直系のご先祖に当たる傑作ミステリ『リラ荘殺人事件(そうさつじんじけん)』あるいは『りら荘事件(そうじけん)』だよ」



~あらすじ~

 埼玉県と長野県の県境の山中に建つ「リラ荘」そこに、日本芸術大学の学生七名が夏期休暇で訪れた。その翌日、リラ荘近くの川べりで近所に住む炭焼きの男の転落死体が発見される。その死体の傍らには、リラ荘に宿泊しているひとりの学生が所有していたはずのレインコートと、「スペードのエース」のトランプカードが置かれていた。折しもその朝、リラ荘では学生のひとりが持って来ていたトランプから、スペードの札十三枚全てが抜き取られていることが判明していた。そして、その翌日、ついにリラ荘において学生の中から被害者が出る。さらに、荘のポストから「スペードの2」のカードが発見されて……。



「同じ作品なのにタイトルが二種類あるんですか?」

「そう。なにぶん古い作品だからね。『リラ荘殺人事件』が初出時のタイトルで、一度変更があったんだ。現在はどちらのタイトル版も入手出来るよ。まあ、中身は当然同じなんだけど」

「そういうことだったんですか。それと、新本格の直系って、どういう意味ですか?」

「それはね。確かに、この――呼び方は統一するね――『リラ荘殺人事件』以前や同世代にも、『本格』と称される、そう呼ばれてしかるべき名作は多く書かれてきた。でもね、それらと、この『リラ荘殺人事件』が決定的に違っているのは、事件全体を取り巻く雰囲気なんだよ。事件の舞台となるのは山奥に建つ山荘。そこに集まるのは全員大学生。死体とともに発見される共通のアイテム。というシンプルな構造。ビジュアル的インパクトのある『見立て』とか、人知を越えた怪異の存在のほのめかしや、怪しげな怪人といった、装飾的な演出は一切ない。そこに描かれるのは、極めて純度の高い『本格』だけが持つ論理と合理性だけなんだ」

「なるほど。完全中身で勝負、ということですね」

「それだけじゃないんだ。この『リラ荘殺人事件』には、事件の構造に社会的な背景というものがほぼ存在しない。それまでの本格ミステリといえば、事件の背後やきっかけに何かしらの社会的な背景、情勢が絡んでくるというのが当たり前だったんだ。何たって事件は人間が起こすもので、人間は社会との関わりなしには生きていけないからね。でも、これにはそれがない」

「具体的に、どういうことです?」

「例えば、以前読んでもらった横溝正史(よこみぞせいし)の『獄門島(ごくもんとう)』を思い出してもらえば分かりやすい。あれは傑作と呼んで差し支えない本格ミステリだけど、事件の動機や発端に対して、現在の感覚では共感しえない、あるいは、その時代でしか通用しないものもあったでしょ」

「ええ、あれは戦後間もない時期に起きた事件でしたからね。確かにそれは感じました」

「それは『獄門島』が事件の起きた時代も作品の一部として取り込んでいるからだよ。その時代に生きた人間の心情、心境、常識とかもね。それらは事件を動かすうえで大きな原動力にもなるけれど、時代が下るにつれて共感度合いは薄れていくよね。人間の考え方や常識なんて、時代とともに移り変わっていって当然だからね」

「この『リラ荘殺人事件』あるいは『りら荘事件』には、それがないと?」

「そうそう。まあ、登場人物たちの言葉遣いや、会話に出てくる話題なんかは時代を感じさせはするけれど、それらは事件と直接の関係はない枝葉末節のことだからね」

「それはつまり、読む上で時代的な背景を頭に入れなくてもよく、その分純粋に事件や謎解きに集中できるということですか?」

「まさにそのとおり。永城くんもだいぶ分かってきたね。風に聞いていたとおりだね」

「そ、そうですか?」

「うん。永城くんとミステリについて詳しい話が出来るようになったって、とても喜んでいたよ」

「ほ、本当ですか?」


 よし。もっとミステリを読み込むぞ。……待て、こんな不純な動機でミステリを読んでいいのか? それこそ谷藤さんに嫌われてしまうんじゃないのか? いや、僕がミステリを読むのは、ただ純粋に楽しみのためでもあって……。


「鋭一さん、買います。『リラ荘殺人事件』……『りら荘事件』……?」僕は鋭一さんが持つ二冊を交互に眺めて、「あの、どっちがお勧めですか?」

「うーん……そうだねぇ。当然内容は同じだよ。国産ミステリだから、翻訳者による文章的な差違もないし。本編唯一の違いと言えば、タイトルどおり舞台となる別荘の表記が片仮名か平仮名かになっているだけだね。本編以外だと、創元推理文庫版の『りら荘事件』は、冒頭とカバー折り返しに登場人物一覧が載っていて、巻末には作者の鮎川哲也(あゆかわてつや)自身による、この作品の思い出を綴った『創作ノート』がおまけで収録されているね。この二つは角川文庫版の『りら荘殺人事件』にはないものだね。解説はどちらにも付いてくるけれど、当然筆者は違うよ。創元推理文庫版の解説を書いているのはミステリ評論家の佳多山大地(かたやまだいち)。角川文庫版の解説を書いているのはミステリ作家の芦辺拓(あしべたく)だね」

「おまけのある分、『りら荘事件』のほうがお得ということですか?」

「余程のマニアでもなければ、無理に読む必要のあるものじゃないと俺は思うけどね。対して、角川文庫版のほうには、創元推理文庫版にはない、とても優れた点があるんだよ」

「何ですか?」

「物語の途中で、関係者数名の犯行における動機とアリバイを記した表が挿入されるんだけど、創元推理文庫版では、この表がページにまたがって掲載されてしまっているんだよね。しかも、奇数ページと偶数ページにまたがっているから、表を見るときはいちいちページをめくらないといけない。これは結構なストレスだよ。その点、角川文庫版は一ページに表が収まるようになっている」

「なるほど」

「それと、角川文庫版のほうが字が大きくて読みやすいね。あと、これは最も大きな違いなんだけど……」

「何ですか?」

「角川文庫版『リラ荘殺人事件』のほうが安い」

「そっちを下さい」


 思わず即答した。大学生の身分に金銭的アドバンテージは大きい。


「毎度ありがとうございます」


 言いながら鋭一さんは、本にカバーを掛け始めるが、その手つきは全くおぼつかなく、谷藤さんの足下にも及ばない。


「俺も練習したんだよ……風みたいに手早くはいかないけれど……ちょっと待ってね」

「そのままでいいですよ」


 僕がそう言うと、カバー掛けに悪戦苦闘していた鋭一さんは安堵に似た表情を浮かべながら、黙って本を僕に手渡したのだった。

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