『幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート』プレビュー
「永城さん、今日は、今までとは毛色の違ったミステリをご紹介しようと思うのですが」
「今までと違う? いったいどんなものですか?」
今日も谷藤屋を訪れた僕は、谷藤風さんから、そう話し掛けられた。
「それはですね……今までご紹介してきたものは、ほとんどが殺人事件を扱った作品ばかりでしたよね」
「そうですね。ミステリっていえば、やっぱり殺人事件ですものね」
「ここらで、ひと息ついて、いわゆる〈日常の謎〉ものを体験してみませんか?」
「日常の謎?」
「はい。そこで、お勧めするのがこちら、倉知淳 著『幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート』です。本作は短編集なので、表題作にもなっている『幻獣遁走曲』のあらすじをご紹介しますね」
~あらすじ~
幻の獣、アカマダラタガマモドキを発見、捕獲するために結成されたアルバイト部隊。その中のひとりである鼬沢は、早くもこのアルバイトに参加したことを後悔し始めていた。発起人である男、通称〈鬼軍曹〉の、アジテーションよろしい軍隊風の演説に辟易したあとは、梅雨時の蒸し暑さの中、大人の背丈ほどもある草刈りをさせられている。おまけにコンビを組んだ猫丸なる小男は、鼬沢が刈り取った草をほうきで集めるだけで、ろくに働こうとしない。そんな中、鬼軍曹が持参していた、アカマダラタガマモドキの存在を証明するという書簡が、刈り取った草と一緒に燃やされるという事件が発生する。怒り心頭に発した軍曹は、犯人捜しを始めるのだが……。
「といった、殺人などの凶悪犯罪ではなく、日常で起きた些細な謎を推理で解き明かす、というのが、日常の謎ものなわけです。この日常の謎は、今やミステリの一ジャンルを構築するまでの人気になりましたね」
「なるほど、毎回、毎回、恐ろしい殺人事件ばかりじゃあ、胃もたれしてしまいかねませんものね。こういう箸休めもいいかもしれませんね」
「ええ、ですが、日常の謎ものは、単に箸休め的に生み出されたジャンルではないんです。数々のメリットがあるんですよ」
「メリット? それは、どういう?」
「まず一番に上げられるのは、警察の捜査介入を阻止できる、という点ですね。指紋鑑定やDNA鑑定、組織だった聞き込み捜査なんかをやられたら、一発で解決してしまいかねない事件でも、日常の謎であれば、刑事事件にまで発展していないのですから、警察が入ってこなくても自然です。科学捜査に制限が掛かる分、作者が構築する謎や手掛かりに幅が広がるというわけです」
「なるほど」
「次には、最初の項目と連動することなのですが、民間探偵や素人探偵が堂々と事件の捜査をできる、ということですね」
「そうか。殺人事件が相手だと、民間人が勝手に捜査、とはいきませんものね。リアリティを重視する昨今の風潮では、なおさら」
「ええ。そして最後、事件そのものが殺人などの凶悪なものではないため、登場キャラクターの心理的行動範囲が広がることですね」
「どういうことですか?」
「事件の最中に、キャラクターがおかしなことを言ったり、ギャグをかましたり、そういったことをやっても違和感がないということです。これが殺人事件だと、『人が死んでんねんで!』と不謹慎の誹りを受けてしまうこともありえます」
「そういうことですか」
「ええ、それに連動して、作品の空気が重くなることも阻止できます。仲良しの少年少女キャラクターたちが和気藹々と学園生活を送っている。そういったライトな作風にもミステリ的要素を持ち込めますから。ようは、後腐れがないんです」
「今どきの若者らしいですね」
「そうは言いますけれど、永城さん、こういった〈日常の謎〉的な事件は、古くは、シャーロック・ホームズの短編にまで遡るんですよ。『夫の様子が変だ』『実入りのよいアルバイトをしているのだが、条件がよすぎて不安だ』なんていう、生活の中に潜む謎を抱えた依頼人が、名探偵ホームズの事務所の門を叩く。そういう事件は多いんです」
「そうなんですか?」
「はい。陰惨な殺人事件だけがミステリではないんです。日常の謎だって、由緒ある本格ミステリの系譜なのです」
「なるほど」
「ですが、当然デメリットと言える部分もあります」
「それは何ですか?」
「メリットとデメリットは常に表裏一体。事件が気軽だということは、その分緊張感が薄れる、ということです。日常の謎は、ちょっとバランスを崩したら即座に〈どうでもいい謎〉と化してしまうということです。『こんなことにマジになっちゃって、どうするの?』となってしまいかねません」
「それはありえますね」
「そこで、日常の謎ものに大切なのは、キャラクターなんです。特に探偵役です。探偵役の魅力如何で、日常の謎ものが成功するか否かは決まってしまう、と言っても過言ではないでしょう。さあ、そこに来て、本作の探偵、猫丸先輩ですよ」
「猫丸? もしかして、動物の猫なんですか?」
「違います! 猫丸先輩は、れっきとした人間です。あらすじでも、猫丸先輩が草をほうきで集めている、とあったじゃないですか。猫がそんなことできますか?」
「そ、そうでした」
「この猫丸先輩がですね、実にいいキャラクターをしているんですよ。ぜひ永城さんも、この本を読んで猫丸先輩を知って下さい」
「わかりました」
ということで僕は、いつものようにカバーを掛けてもらった本を手に、谷藤屋をあとにしたのだった。