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雨と足湯と元カレの。

過去に過ぎ去ったものは『今』にはなりえない。

久しぶりにあった元カレは、やっぱ元カレなのだ。

それでも元カレの中に、二人で過ごした輝いていた日々を感じてしまうのは、

本当に幻なのだろうか。


「ねえ、じゃあ、町を散策」

わたしが彼に提案した。

「散策? 雨降っちゃってるけど」

「コンビニで傘買えばいいじゃん」

半ば強引に傘を買わせて、二人で町の中を歩きだした。

谷間の町は坂も多く、濡れた小道をくぐりながら、坂道を上ったり下ったりした。

「この先に、旧街道の面影が残る通りがあるんだ」

そう言ってわたしの半歩前を歩いていく彼。

橋を渡りながら見た川沿いにせり出した家々の姿は、表通りの街並みからは感じられなかった生活感があった。

「この川から見えるこの姿は変わらないんだよなぁ」

コンクリートでできたアーチ状の橋。

その途中で彼は立ち止り、上流の方を見つめながら呟くように言った。


わたしも今二人で見つめているこの景色が、いつまでも変わらなければいいな、と少し思った。


冷たい雨の中を歩き、しばらく行った先の別の橋を渡った。

先ほどのアーチ状の橋が遠くに見えた。

遠くに見える橋を見つめて、ほんの十数分前にはあの橋の上に彼とわたしは立っていたんだと思った。


今いるこの時間が、どんどん過去になっていく。


そんな当たり前のことがなぜか切ない感情を呼び起こしていた。

わたしは、今こうして彼と一緒に歩いている時間が、惜しくて惜しくて堪らなくなっているのだろうか?


いやいや! そんなわけない。

何を考えているんだわたしは。


川沿いに最近出来たような足湯があった。

屋根もついているし、長い距離を歩いたので雨で冷えた足を暖めたい衝動に駆られたわたしは、

彼に足湯に入って休憩していく事を提案した。


二人で足湯に浸かった。


彼の方から改めて

「最近どう?」

なんて話を始めても、わたしのそっけない返しで大して話は膨らまず、

なんとなく二人で雨に濡れた景色をぼんやりと眺めている時間が流れた。


気がつくと彼が一人で話していた。

最近の話と今後どうしようかなぁという話だった。

適当に相槌を打っていたせいか、思い出せないくらいに聞き流していた。

でも、聞く気がなかったんじゃない。

あの時のわたしは、

彼と一緒に湯に浸かりながら、ぼんやりとした時間を過ごすだけで十分心が満たされた時を過ごせていたから、それ以外の要素が入り込む余地がなかっただけだったのだ。


彼の話は続き、次第に話の内容が海外勤務の時の話になって行った。

今までイケイケで仕事をこなし、念願の海外勤務だったが、思うような結果が出せずに帰ってきた事を気にしていたようだった。


話を聞きながらわたしが思っていた事は、

根が真面目な男は面倒くさいということだけだった。

わたしは、男と女じゃ同じ仕事をしていても評価が違う事を身を持って理解していた。

こっちは同じにやっても同じに評価されないし、

真面目に仕事はするけど、その先にある出世なんて事は期待できないだけに、

頑張っても先が見えないんだから、一つや二つの仕事での挫折くらいではいつまでも落ち込まない。

それに失敗や挫折があったから心が強くなったと思っている。

恋愛に関しても、同じだけど。


「正直、二進も三進も行かなくて、急激にホームシックにかかった。それでも頑張ったけど、なんか俺ここにいる意味が見出せなくなってやめちまった」

ほぼ一方的に話していた彼に対して、

わたしはこれといってフォローするような言葉は思い浮かばず、

たいした返事もしていなかったが、

次第に頭の中に「違う、そんなんじゃない」という言葉が浮かんできて、

それは彼が一言話すたびに数が増していった。

そして頭の中にその言葉が充満し、臨界点を突破した時、突然わたしの中に浮上してきた欲求は

『彼の話を全否定する』

ということだった。


「ふーん、まぁ、取るに足らないことだよ」


適当な相槌だけだったわたしから、

突然発せられたこの短い一言は、彼の苦難に満ちた今までの訴えを足元に叩きつけるような言葉だっただろう。

この一言から、わたしのことを『自分の苦労を何も理解していない女』だと思ったのだろうが、彼は大人だから言葉を荒げることもなく、言葉を選びながら自分の意見を再び話し続けようとした。


「いや、いや、実際俺より先に行った連中は結果出していたわけだし……」

その言葉を聞いた瞬間、

足湯の淵においていたわたしの手に、ぐっと力が入った。

「そんなことぐらいで、あなたという人間の価値は下がらない!」

わたしは強い口調で彼の言葉を切った。

「人間、運不運ってあるんだよ。必ずしも環境が恵まれるわけじゃない。苛酷な環境で頑張ったあなたを誰も責める事はできないし、もしそんな人がいたら、わたしが絶対許さない!」

力が入りすぎて、少し体が震えた。

なにバカなこと言っちゃってるんだわたし。

しかも感情的になっちゃって、少し眼が潤んできていた。

わたしみたいな単調な毎日に甘んじてきた人間に、こんなこと言われたって誰も喜びやしないっていうのに。


でも、

いつも自信を持って前向きだったあなたの、弱気な言葉なんて聞きたくなかった。

あなたはいつも生意気で、一番前向きで、一番の自信家だったじゃん。

一回の躓きごときであなたという人間は損なわれない。

わたしの好きだったあなたは、こんなことじゃ変わんないんだよ!


わたしは髪を掻き揚げる振りをして、涙がこぼれそうになるのを堪えた。

息を整えて、心を落ち着けてから、そっと彼を横目で見た。

……なんか、アイツの方が目を潤ませてるんですけど。

バカかコイツ……わたしが我慢しているのに!

あんたが泣いたら、わたし、きっと止まらなくなっちゃうよ!


「ん、まぁ、また頑張るわ」

しばらくして、彼がボソッと呟いた。

「いいよ、もう頑張らなくて。普通にしよう。それでいいよ」

あなたそれでいいよ、わたしの好きな……好きだったあなたは、

それでいいんだよ。


その後、しばらく会話もなく、二人で対岸を見ながら足湯にぼんやりと入っていた。

わたしはそっと足を絡めたくなる誘惑を打ち払って、降り続く雨がもたらした冷たく湿った空気を吸い込んでいた。


「なんや、電気もつけんとこんな暗いとこで」

薄暗い灯りがついて、そこには小太り同居人男が立っていた。

わたしは帰ってきてからずっとダイニングに座ってぼんやりとしていた。

暗くなったことも気づかずにいたようだ。

ずっと考えていた。

なんだろうか。この胸にぽっかり穴が開いてしまったような感じは。

まるで失恋してしまった時のような、長く付き合っていた人と別れてきてしまった時のようなこの感じは?

いや、そんなにひどくないか。

でも、じゃあ、この喪失感と満足感が入り混じった、

この不思議な感じはなんだろう?

「もうすぐ二次発表やな? 気持ち、落ち着かんのやろ?」

いやー、全然わかってないわこの男。

って言うかコイツに期待したってしょうがないしなぁ。


でも、

待ってたんだろうな、わたし。

いつものように、彼が降りてきて、

こうやってたわいもない話を始めてくれることを。

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