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スクランブルが鳴り響く。
それは外の敵に対してのものではなく、内からの敵。
そう、シェスティンとライヒアルト、そしてヴェンツェルの機体が、出撃命令も出ていないのに飛び出したのだ。
もっとあからさまに言うと、脱走したのだ。
隔壁を破り、コロニーに多大な損害を与えて。
明らかな軍規違反だ。
そして現在、この第二カタパルトデッキではそれを追う為、パイロット達が次々に雪崩れ込んでいる。たかが三人に、だ。
そして更に、通常ではあり得ない人物もまた、パイロットスーツを着込み、メカニックと管制を相手に大喧嘩をしていた。
「レイン大佐っ! 何考えてんですか!!」
テラノーツのアーロン・ジャッジが、往年の愛機、モルゲンロートへと今にも乗り込もうとしている彼にそう怒鳴る。往年と言っても、アーロンが手塩に掛けて面倒を診ていた為、その機体は十分に動く筈だ。本来なら艦に乗せたままのそれだが、十分な整備設備があるコロニーにいるからと言って、ちょうど降ろしていたのだった。ちなみに通常搭乗している機体は、現在メンテ中である。
「あれは、オレんとこの坊主共だっ。あいつらのしでかしたことに、責任をとるのはオレの役目だろうがっ!」
対するフェリックスは、軍規違反をした部下に気をかけている上官と言った風に、真剣にそう怒鳴り返している。
ヴェンツェルあたりが見ていれば、『なんとも食えない大佐殿だ』と皮肉な笑みを浮かべるだろう。
「責任って取るってなぁ、そう言う取り方だけじゃないでしょうがっ!!」
連れ戻すことや撃ち落とすことだけが、責任の取り方とは到底言えない。
だが、フェリックスには、行かなければならない理由があった。だから少々強引な理屈でも、気迫で言い包めてしまわなければならない。
「でもな、オレが行かなきゃ、誰が第七艦隊……いや、銀河連邦軍のエースを相手するんだよっ! 現役エース二人も敵に廻して、その上あのヴェンツェルも敵に回して、そこいらのパイロットで歯が立つと思うのか?! それとも、あいつらが今までの味方だからって、手加減してくれるなんざ、甘いこと考えてんじゃねぇだろうな? あいつら、伊達に赤は着てねぇんだよっ!!」
傲慢な言い草とも取れるその言葉だが、確かにその通りだ。軍のエースの一人、シェスティンには、味方殺しとまで言われる渾名がついている。その彼女が敵と認識した者に、1ミリグラムの情けも持つ筈がない。だからこそエースにまで上り詰める事が出来たのだ。腕が良いだけで、第七艦隊のエースと言うだけでなく、銀河連邦軍のエースと呼ばれるまでには至らない。甘い人間など、どれ程腕が良かろうが、人より抜きん出ることはないのだ。
そしてフェリックス自身にも、伊達ではない渾名がついている。
フェリックスは自分の経歴、そして人に与える印象がどんなものかを良く知っている。そして必要であれば自分の本意ではなくとも、それを利用して人を従わせることを躊躇わなかった。
またこの言い分は、上層部へ通るともフェリックスは考えている。
そう、彼自身が言った様に、今現在三人と同等に張り合えるのは、恐らく彼しかいないだろう。もしも今納得していなくとも、帰投する時には必ず頷かせて見せるだけの自信があった。このコロニーの守備隊があるにも関わらず、彼が出撃することが、指揮系統を完全に無視していることに間違いがないが、それ以前の問題で出撃した部隊が全滅しては話にならない。本来は、コロニーに向かってくる敵を撃退する為に存在する守備隊なのだ。
今このコロニーに戻っているのは、第七艦隊と、そして第三艦隊、第八艦隊の一部だった。出撃するのは、元からコロニーに配備されている守備隊の者だが、実質上、軍のトップを誇る第七艦隊のエース達である彼らに敵う筈もない。
「離せっ! 早くこっから出て行けっ。他のパイロット達も、出れねぇだろうが!! 管制! 構うこたぁない。とっとと隔壁あけろっ!」
捕まれていた腕を振り払い、モルゲンロートへと乗り込むフェリックスを見て、アーロンは苦虫をかみつぶした顔をしつつも引き下がり、慌ててバックヤードに避難した。
それを見計らって再度管制へと、三人が潰した隔壁の手前に降りた非常用のそれを開ける様に指示をした。
最後に管制の方へ、フェリックスの出撃のGOサインが上層部から送られる。
それを確認した彼は、まるで悪戯っ子の様な笑みを浮かべた後、表情を一変させる。
そして──。
「フェリックス・レイン、出るっ!!」
通常アカデミー内で着衣している衣服から、動きやすいものへと着替えたアレーシャは、現在ステーションへと向かう途中で、ちょうど自身の研究室とステーションの中間とも呼べるショッピングモール内のカフェにいた。
あのアカデミーに居続ければ、間違いなく行く気のない場所へと放り込まれてしまうからだ。
だが。
「速い……」
当たり前だが、規定の手段で星間列車のパスが取れるとは思っていなかった。
だがそれを目の当たりにすると、少々ショックだ。数日の間があるから、少なくとも調べるくらいは可能だとおもっていたのが、全くダメだ。
「僕は犯罪者じゃないんだけど……」
そうぼやいてみるが、しかしそれならそれで、やりようもある。
気を取り直したアレーシャは、自身で作り上げたインターフェースを用いて、この銀河全てに張り巡らされているギャラクシー・コム・ネットワークへとアクセスした。
現在使用しているアドレスは、当然日頃使用しているものではない。
少なくとも、過去に使った覚えはないのだ。何かあったときの為と、彼の恩師から与えられたもので、その時は使う等とは思ってもみなかったのだ。
恩師もまさか、こんなことを予想している訳ではなかっただろう
正攻法ではないやり方で接続しているのだから、これ以降は犯罪者だと言われても仕方ないかなと考えるが、当然恩師がそんな羽目になるようなものを渡す筈もないかと思い直す。
悪戯っぽく、特別製なのだからと笑った彼女からは、悪意など到底感じられなかった。
数瞬で接続確認が出来て、――絶句した。
「ナニコレ……」
目が点になるとはまさにこのことだろう。
現れた他人には不可視な画面が、満面の恩師の笑顔なのだから。
『あーちゃんめーっけ!』
嬉しそうな声が、耳元のカフスを通じて聞こえてきた。
「あの、これは……」
こちらの話など、他人は聞いていまいが、用心の為に小声でそれに応える。
『流石のあたくしも、今あーちゃんがいる場所とか解らないからねぇ。普通なら、ちゃぁーんとネットに接続出来るんだけど、今みたいな非常時には、あたくしのところに繋がる様になってるのよぉ』
半ばぐったりとしたアレーシャは、『うん、解った。それは……』とばかりに投げやりに返事をする。
あの緊張感を返してくれとは言わないが、強く強く心で思ってしまった彼を誰も責めないだろう。むしろ激しく同意してくれると思われる。
「申し訳ありませんが、ドクトル・クレール」
『いやぁーん、もう、あーちゃんてば、前から言ってるでしょ。その呼び方嫌ぁい』
取り敢えず年齢不詳だが、どう見ても妙齢と思われる女性が上目遣いで完全に拗ねた調子で返してくる。この心労をどうしてくれよう。少なくともこれがアレーシャにしか見えないのが、唯一の救いと言えるかもしれない。
取り敢えず呼び方に関してはスルーを決め込むと、引き攣った笑顔で続きを話す。
「私がどう言った状況にあるのか、貴女はご存じなのですか?」
きょとんとした顔は、そこいらの男にならダメージを与える程、反則級に可愛らしかった。が、しかし、それを向けられたアレーシャは違う。
どうでも良い話、彼の判断基準は、外見ではなく頭脳一択だった。勿論、彼女はその頭脳も素晴らしかったのだが、あくまで彼女は恩師で、且つずっと思い続けている人がおり、なおかつその相手と言うのが、アレーシャが神とも崇め奉ろうと言うべき人なので、最初からそう言った対象から除外になっている。
『あったりまえじゃなぁーい』
ころころ笑うと一変、ふわりと、艶然とした笑みを浮かべた彼女は、これ以上なく魅惑的に囁いた。
『だから貴方を迎えに来たのよ。アレーシャ』
『良いか、機体は小惑星群の方へと向けろ。出来るだけ、人の住んでいないところにだ。入り込んだらオートパイロットにして、機体を目的地点と反対方向へと飛ばせ。そしてお前達は、ヴェンツェルの言う迎えとやらが来るまで、そこにいるんだ。後はこっちで何とかする』
端的な指示。あまりに単純なそれだが、実際に何をすれば良いのか彼らには解る。
小惑星群へと入るまでに、彼らが実際に操縦しているかの様なプログラムをナビへと組み込む。そしてフェリックスが彼らの機体を打ち落とした際、誘爆して跡形も残らない様にする為、自爆させる。この最後が一番重要なことだ。
彼らはここで、死亡するのだから。
彼らが生存している可能性があると考えられれば、追求の手が伸びるだろう。一生追われるのは、可成り勘弁願いたい。元々二人だけで逃げるつもりでいた時も、最終的には自分達が死亡したと解る小細工をするつもりだった。
このコロニーの、軍の人間の眼前で、彼らは死んだのだと印象づけられるのが一番後腐れがない。
三人が三人とも、それが為だけに、今まで慣れ親しんできた機体を破壊するのだ。
色々と命を助けられ、そして思い出も詰まったそれ。
一種、自分の分身の様な機体をその手で壊す手伝いをするのは、なんとも言えない気分がする。
ライヒアルトの機体はパールブラックをベースに右翼に赤で隊のエンブレム、シェスティンのそれには白銀をベースに蒼のエンブレム、ヴェンツェルのものにはオレンジベースにモスグリーンのエンブレムと言うデザインだ。
ライヒアルトは手に馴染んだサイドスティックを、ぐっと握り締める。
背後に見えるのは、メタリックな輝きを持ったコロニーだ。
もう数分もしない内、追っ手が掛かるだろう。
その数分の内、サブコンにデータを入力し、小惑星群へと機首を向けた。
小惑星群に入ってしまえば、大小様々なそれが盾の変わりになる為、そうそう的にはならない。
慣れ親しんだコックピットへ感じる愛おしさ、そしてこんな時だと言うのに襲ってくる高揚感。
周囲は漆黒の宇宙が迫ってくる中、ライヒアルトはデータの組み込みと操縦と言う動作を、同時に行っていた。当然、他の二機もまた、同じようにしているのだろう。
キーボードの上を片手を滑らせてデータを入力していると、不意にアラートが鳴り響き、前面にあるHUDが、右手側にあるレーダーセンサーモニターに映っている追っ手の情報を切り替えて映す。
「思ったより、早いっ」
ライヒアルトがそう呟くと、その追っ手の機体に被さる様に、ヴェンツェルとシェスティンの顔が映った。
『来たぞっ、油断するな』
『誰にものを言っているっ!!』
バイザーの影に隠れて少し見え辛くはなっているが、そう言うシェスティンの顔は不敵に笑っているのだろう。
「オーケーィ。任せろっ!!」
そう答えると、一つの矢の様に突き進んでいた三機の機体は、それぞれ花が開く様に見事に機首を背後に向けて展開した。
背後から狙い澄ました火線が彼らを襲う。
サイドスティックを引き反転。そしてそのまますれ違いざまに、一発。
何気ない動作で、気負いもなく、ライヒアルトの指が滑る度、暗い宇宙に舞い踊る白い軌跡。モニター越しに、現在の仲間を確認すると、彼らもまたライヒアルトと同じく、一度のミスもなく撃墜していた。
背後に感じる機影。
「──っ!!」
同時に直ぐ側を一閃。
「生意気なっ!!」
そう一声吼えると、彼はまたもや一撃を以前の仲間であった彼らに放つ。
今しがたまで仲間であったとしても、今はもう自分達の行く手を遮る敵だ。迷えば自分達に未来はない。情けは無用とばかりに、ライヒアルトはスコープに集中した。
『ライヒアルト、ヴェンツェル! 狼が来た』
回線越しにシェスティンの声。
狼が来たなど、まるで何処かの童話の様だが、それは全く違う。
前方に、ホロでしか見たことのない赤いモルゲンロートの勇姿が見える。
モニター越し、一気にこちら側へと突き進んでいる赤い姿は、その迫力から、一瞬騙されたのかと思ってしまう程に鬼気迫っていた。
四機搭載された有線式ドンナーが、その機体から放たれ、まるで茎を伸ばした捕食植物の様に蠢く。容赦ない一閃が脇を掠めた時、ライヒアルトの背筋に冷たい汗が流れた。
本気の勝負だ。
元エースと、現エースの。
それぞれが三機を別々に狙う。放たれるそれは、必殺の一撃だ。気を抜いたらやられる。
「ったく、何でノーマル如きにあれが出来んだよ」
本来あれは、リヴァーシアンの思考で稼働する様設計されている。だがしかし、それを彼専用に改良し、従来の機装セレクトパネルへと組み込んで使用しているのだ。
あんな動き、本来リヴァーシアンでも難しい。素早く四点ではなく、同時に四点と言うことは、脳内で四つのタスク処理が平行して行われていると言うことだ。
通常ならば複数の処理を実行する際、それぞれの処理の為に、脳の使用領域を切り替える必要が出てくるのだろうが、現在のこの動きは、それをせず、まるで同時に四つの使用領域を転開している状態に見えるのだ。
縦横無尽に責め立てるドンナーは、まるで一つ一つが意思を持っている様だった。なめらかなその動き。それは今までの同輩とは、到底比べものになりはしない。
すでに今まで追って来ていたアーベントは、この四機の中に入り込めずにいる。下手に撃てば、モルゲンロートの邪魔をすることは明白だ。
フェリックスは自分の能力と価値を良く知っていた。
自分が彼らに突っ込んで行くことで味方の損害を防ぎ、なおかつライヒアルト達三人が次の行動へと移りやすい様に誘導している。勿論、その間の戦闘行為にも抜かりはない。
オールレンジ攻撃が出来るドンナーを搭載したモルゲンロートは、今まで戦った中でも屈指の難敵だった。
『ライヒアルト、シェスティン、こっちも本気で行くぞ。さもなけりゃ、違うとこからのお迎えが来ちまう』
『言われずともっ!』
「トーゼン! オレ達、まだ死にたくないんだよねー」
シェスティンの声は、苛ついている。当然だろう。噂は聞いていても、自分達の連隊長殿の腕が、まさかこれほどとは思ってもみなかったのだ。ヴェンツェルもそうだろう。そしてライヒアルトもまた、言葉とは裏腹に苛立ちを感じると同時、言い様もない高揚を感じている。
本当は真っ先に突っ込みたいだろうに、何時もはそれをしていなかった。彼は何時も全体を見渡せる位置へと陣取り、己の部下が一人でも多く生き延びることが出来る様指示を出す。
彼にしてみれば、今までの戦闘行為は準備運動にもならない程に楽なものだったのだと、今この時に初めて理解する。
適当な茶番でやり過ごすことも出来るのに、フェリックスは今それをしていない。
つまり、現役エース達に敬意を払っているのだ。
そしてまた、本気の勝負を仕掛ければ、彼らも本気に為らざるを得ない。そしてもう一つの理由は、真に迫れば迫るほど、『本気の茶番』の全貌が見えなくなるからだ。
「くそっ」
モニターには、先ほどから執拗にロックオンしようとしているドンナーの動きが映っている。機首を急角度に上げ、凄まじいスピードで一気に上へと引き離す。速度もそのまま、綺麗に小さな円を描くと、ドンナーの背後につけた。
「もらったぁっ!!」
ロックオンした……、と思った。
が、一瞬の内に期待は破られる。
「何ぃっ──?!」
目の前に迫るのは、別のドンナー。あり得ない動きで、突如として目の前へと滑り出て来たそれを、ライヒアルトは反射的にスラスターを一時切り、次の瞬間バーニア最大に吹かすと同時にコンソールパネルへ指を滑らせ、サイドスティックを引いて右急旋回で躱した。この無謀な一連の操作は、ライヒアルトでなければそのまま制御を失ってしまうだろう。
「マジかよ…」
冷や汗をかいた彼は、そう呟いた。
ノーマルのクセに、この男は何故こんなに強いのだろうか。
ライヒアルトは、伝説でしかなかったフェリックスの、エースであった過去の姿を見た。
そして同じ事を肌で感じているのだろう。先ほどの苛立ちなど忘れ果てた様に、シェスティンの機体は、とても嬉しげにその相手をしている。
絡み合い、宙を舞い、そしてすれ違いざまにウインクを寄越しているかの様に、モルゲンロートが揺れる。
まるでアクロバットじみたその動きは、けれど正確で油断が出来なかった。
『遊ぶなよ、アルトっ! ノーマル如き、あしらえなくてどうするっ!!』
「悪かったなっ」
高揚しているのが解るシェスティンの声。
同時に目の前を優雅でありつつも、恐ろしいまでのスピードで飛び去っていく白銀の機体。二人でなければ、間違いなく激突して三途の川を渡りきっている。
すれ違いざま、更にシェスティンの余裕が見えた。
四機ある内の一機のドンナーが、ライヒアルトの目の前で爆発する。シェスティンが事も無げにそれを撃墜したのだ。
ライヒアルトはそれを視認し、軽く口笛を吹くと笑みを浮かべる。
「流石だねぇ……、シェス」
少しばかりの羨望が混じる声。しかしその声は、あまりに小さく回線には乗らなかった。