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星の扉  作者: 斎木 涼
第二章 Labyrinth――迷路
5/16

 自身の雇い主、そして雇い主の旧友より託された彼は、ひっそりとその星を出た。

 元々影の様に身を潜ませることが得意な彼が、この役目を担ったのは当然の成り行きとも言える。

 問題は、託された対象が大人しくしているとは到底思えない為、探し出すのに苦労しそうだと言うことだった。

 監視の目をかいくぐることくらい、彼には簡単なことだ。

 自身の存在感を自在に操る彼は、本来なら悪目立ちしそうなくらいの容貌であるも、そこかしこに張り付いている監視の目を拍子抜けなくらいにあっさりとくぐり抜けた。

 光すら弾く烏の濡れ場色の髪、闇の底よりも昏い瞳、痩身に漆黒のインバネスコートをきっちりと着込む彼は、まるで死神を連想させる。その手に持っている荷物すらなく、まるで何処かへ散歩に行くと言った程度の様相で星の海を渡る汽車へと乗車を済ませた。

 この上もなく不自然な乗客なのだが、誰もそれに気付いた風でないのが不可解だ。

 「さて、どうして探しましょうかねぇ……」

 言葉とは正反対に途方にくれた風もなく、他人事の様に呟く。

 取り敢えず彼の目的の者達は、予想通りなら間違いなく無一文に近い状態になる筈だ。もっとも本人達がそれを自覚しているかどうかが、少々怪しいが。

 手持ちのカードやこれまで通りの稼ぎ方等が使えないのは解っているだろうが、それが金銭的不自由を起こすと言うことを、間違いなく自覚していないだろうと彼は思っている。しっかりしている様で、そう言った当たり前で常識的なことがするっと抜けまくっているのが、やはり裕福層出身者なのだろう。

 雇い主とは別に、実質彼の主でもある者のことを思い浮かべ、微かに笑みを浮かべた。別に見下しているとか酷薄な思いを浮かべてのそれではないが、元の面立ちからどう見ても馬鹿にしている様にしか見えない笑みでもある。

 取り敢えず乗車した星系間列車の経路は、明らかに観光目的な者達が乗るもので、終着点はオールドテラが目前の星になっていた。

 「観光がてら巡り歩くのも悪くはないですが、まあ、早めに合流した方が良いでしょうね」

 雇い主がその場にいたら、当たり前だと青筋立てて突っ込むだろうが、そんなことを気にとめるタマではない。

 「あの方が、少しでも私のことを思い出してくれることを祈りましょうかね」

 はっきり言って、その可能性が低い……と言うより優先順位の問題で、可成り厳しいと言うことは、彼自身も理解している。

 それでも彼は、何処か楽しむ様な瞳で、発車前のシートから窓の外を行き交う人々を見つめるのだった。




 『行動は、拘束予定時間より二時間前。良いな?』

 ライヒアルトに向かって、ヴェンツェルはそう伝えた。

 ライヒアルトは最大の難関とも言うべき『シェスティンの説得』を終え、次の段階に進める為、シェスティンを抱きしめたままその手順を頭で反復する、

 「で、どうやって逃げるつもりなんだ?」

 シェスティンのその言葉は、当然勝算はあるのだろうなと言う意味だ。

 抱きついたままのライヒアルトを、シェスティンは何の未練も感傷もなく、邪魔だとばかりに引き剥がす。あれ程気弱になっていたのにも関わらず、決断した途端さっくり頭を切り替えたことに、流石はシェスティンだと嬉しくなった。

 ただそれとは別に、良い香りのする彼女を抱きしめていられないのには不服ではあったが。

 「ある…。って言うか、今回ヴェンツェルの名前も挙がってる。OK?」

 シェスティンは怪訝な面持ちを浮かべるが、何を言う訳でも飲み込み頷いた。

 「この計画はさ、そのヴェンツェルから出たんだよ」

 「ヴェンツェルが?」

 眉を顰めるシェスティンに、ライヒアルトがそうだとばかりに頷いた。シェスティンはヴェンツェルのことを嫌っていないから、そうそう拒否反応は出ないだろうと踏んではいる。そしてそれは正解だった。彼女は続きを話せとばかりに顎をしゃくった。

 「まず行動開始は、お迎えが来る二時間前……」

 ライヒアルトはヴェンツェルと打ち合わせた通りのことを、シェスティンへと話し出す。

 真剣な面持ちで聞くシェスティンは、その間、計画に破綻がないかを考えている様だった。真剣にもなるだろう。一歩間違えれば、状況は更に酷くなるだけなのだから。

 手順を一つ一つ説明し、漸く宇宙へと出るところまでを伝え終えた時、初めてシェスティンが口を開いた。

 「宇宙へ出るのは良い。そのままコロニーにいても、追い詰められるだけだからな。だが、コロニーから出て、そしてどうやって星を渡る? 目の前が小惑星群だからと言って、まさかそこにいる人間が、私達をすんなり行かせるとは思っていまい?」

 当然出る疑問だ。

 そしてこれが二番目の難関。

 これをシェスティンに納得させるのは、難しいだろうと正直なところ思う。

 何せ、ライヒアルト自身もヴェンツェルからは『(ふね)はある』としか聞いていないのだから。その(ふね)が、一体何処の所属であるのか、どこから来るのかを聞いてはいない。ヴェンツェルは、どう突こうとも、そこははぐらかしてしまったのだ。

 『乗れば解る』

 それしか言わない。

 薄々の予感はあるものの、それが本当に予想通りであるのかどうか、ライヒアルトには断言できない。

 シェスティンは、きっと呆れるだろう。そんないい加減なことを良くもまあ信用したものだと。いや、眦吊り上げて切れるかもしれない。

 実際、ライヒアルト自身もそう思うのだから仕方ない。

 ただそれは、ヴェンツェルが言ったあの言葉があったからこそだったのだが。

 同僚であるとは言っても、ライヒアルトからしてみれば、彼はシェスティンとは違い自身の枠外の人間だ。はっきりと区別している。自分たちと彼との関係は違うのだと。

 最初『計画に乗らないか?』と誘うヴェンツェルを当然ながら鼻であしらった。だがそれに対し、彼はにやりと笑って言ったのだ。

 『オレが七艦に異動になった理由を知りたくはないか?』

 咄嗟に、ライヒアルトは返事に詰まった。

 けれど。

 理屈ではなく、ライヒアルトはそれを聞いた瞬間悟ったのだ。

 『五年前のことと今回のことには、何かつながりがあるのだ』と。

 そもそもヴェンツェルが、今回に関係のないことを口にする筈もなく、更に加えて言えば、逃げられる術があるなら何も二人に声をかける必要がないだろうと。

 勿論、二人を加えることによって、自分一人だけ上手く逃げおおせることを考えているのかもしれない。

 考え出せばキリがない。

 だから自身の勘にかける。シェスティンにもそれに乗せることには少々躊躇いはあったのだが、今までこの手の勘が外れたことはないと、多分これは転機であると言う、理屈も理論も吹っ飛ばした直感で振り切った。こんな大事なことを、直感で決めて良いのかと瞬間悩んだが、何をどうしても手詰まりになるなら、直感上等だと開き直った。

 シェスティンが怒って意見を変えるかも知れないが、一旦言質を取ったのだ。それを出せば、無駄に高いプライドで結論を覆すことは出来なくなる。

 「宇宙まで出た後、ある艦と合流することになってる」

 「ある艦?」

 一体何処の所属の艦なのだと言う顔をする。

 「ごめん、それはオレは聞いてないんだ」

 「お前っ!!」

 腰が浮いた上に柳眉が吊り上り、嘗めているのかと言わんばかりの顔。だがライヒアルトは畳み掛ける様にして続けた。

 「シェス、今回のことは、恐らく五年前のことが絡んでる筈だ。あんた聞いたことない?」

 彼女の母なら、彼の父と同じことを知り得ていても可笑しくはない。

 罵倒したい気持ちはあったのだろうが『五年前のこと』と言う言葉に、シェスティンは反応した。こめかみを引き攣らせつつも、上げた腰を一旦下ろす。

 「お前の言う五年前とは、ユースティティアの件か?」

 怪訝な面持ちを浮かべた彼女は、じっとライヒアルトを見つめた。

 ある意味、ユースティティアのことは軍内部に入り込めば誰でも知っていることだ。

 当時起こった他の事件が霞んでしまう程には。

 だが彼女の表情を見る限り、それ以上は知らないのだろう。

 「五年半前、特務の旗艦が行方不明になったってのは、まあ知っている人間もいないではないよな。でもさ、更にもう一つ。──情報部の戦艦も同時期に消えたってのは、恐らく知る人間はそうそういない」

 「情報部に戦艦だとっ?! あり得ない!」

 ああそうだなと、ライヒアルトは頷いた。それは彼が最初に聞いた時の反応と同じだからだ。

 「でもな、存在したんだ。そしてその情報部の戦艦には、当時の部長が乗っていた」

 「ちょっと待て、少将は本部のテロで……」

 言いかけるシェスティンを、少し待ってとばかりに手で押さえる。

 「そして行方不明になって半年後、旗艦ユースティティアは発見されたが、情報部の戦艦は未だ行方不明のまま。勿論、いくら軍内部であっても、そんなことを表に出す訳にはいかない。『情報部に戦艦は存在しない』筈なんだからな」

 情報の要であるそこに、力まで与える必要はないと言うのが、情報部に戦艦を建造させない理由だ。

 「ユースティティアと共に行方が解らなくなった情報部部長については、お前が言いかけた通り、同時期に起こった銀河連邦軍本部のコロニー内部のテロ騒動で行方不明と言う公式発表がなされた。本部のあるコロニーに、部長がいるのはある意味当たり前のことだからな。戦艦に乗って行方不明なんてことより、よっぽど信憑性がある。ま、あんな時に都合良く、しかも本部内でテロ騒ぎがあって、なおかつコロニーの一部損傷と情報部の一部の人間が生死不明って被害だけで鎮圧出来たってことも可笑しな話だし、何よりあの人がテロ如きで生死不明どころか行方不明にすらなるかって言う疑問は残るけどさ」

 情報部部長は優秀であり、且つ有能でもあった。テロ如きが彼にダメージを与えるなどとは、誰もが考えてもいなかったのだ。そしてライヒアルトが敢えて言わなかった、『そんな彼が、何故前もってそのテロ情報を知らなかったのか』と言うことも、当時騒がれた不可思議の一つだ。

 「まあ、あの頃はちょうど戦局も一番激しかったしね。あのテロが、その敵側が起こしたものだと発表されたら、別方向から一々穿り返したりする人間も出ない。逆に戦意は向上した。そしてまずは勝つこと、それが最優先だったみたいだからな」

 五年半前では、ライヒアルトもシェスティンもまだ士官学校にもいなかった。ちょうど入学しようかと言う頃だ。あの当時、誰もが理不尽な戦争を終わらせようと、(こぞ)って軍への道を選んでいた。

 六大氏族ともなれば、軍上層部との人脈もそこそこに出来る。所謂社交界と呼ばれる世界で催されるパーティ等で。二人とも当然の様に幾度となく招待され、そこで様々な人へと紹介された。その中の一人に情報部部長もいたのだ。その際、シェスティンが憧れの視線で見ていたことを、ライヒアルトは忘れていない。大層不愉快な記憶であったからだ。

 とまれ。

 シェスティンの眉間に皺が刻まれ始める。これは彼女が胡散臭さを感じている時のクセだ。

 「特務と情報部は元々密接な関係があると言われている。更にそれぞれが別の経路で技術部とも密接であるとも。そしてその特務と情報部、それぞれに所属する艦が同時に行方不明になっただと? しかも情報部は本来、戦艦等所持していない筈なんだぞ。一体どう言うことだ?」

 「ヴェンツェルが元々特務の人間だったってことは、知ってるよな?」

 情報が流れてきたと言うことではなく、これは二人揃って直接本人から聞いている。

 唐突に話題を変えるライヒアルトに不審そうな瞳を向けるが、ああと頷いて口を開いた。

 「あいつ、事故にあって特務からこっちに回されたと言っていたな」

 「そうだ。それがあの事故のことだって解ってるよな?」

 当然だとばかりにシェスティンはその言葉に頷くが、納得が行っていないことを口に出した。

 「だがその事故と今回のことが、どう絡んでいると言うんだ?」

 「ヴェンツェルはさ、この計画を持ちかけた時、オレにこう言ったんだよ。『オレが七艦に異動になった理由を知りたくはないか?』ってな」

 A72-Zに召集された自分達。それから逃げようとした自分達と手を組もうとし、更にこの期に及んで、昔の話である第九艦隊から第七艦隊への異動の話を持ち出したヴェンツェル。その言葉には、五年前に発見されたユースティティアについてを示唆するものがあった。そして今ライヒアルトからもたらされた、存在しない筈の情報部所属戦艦の話。

 これらが瞬間的に形になり、結論がシェスティンの脳裏に絵を結ぶ。

 論理の飛躍だ。けれど何故かそれは、真実の色が見え隠れした。

 「ヴェンツェルはそのあり得ない事故の、唯一の生存者。その事故にあった後、第七艦隊へと異動した。そしてそれを、わざわざこの時に口にした。……いや、それをちらつかせて、自分の計画に私達を乗せ様とした。言い換えれば、ヴェンツェルには私達をその(ふね)に乗せる必要があった訳だ。私達が興味を持つだろうエサをぶら下げてまでに、な」

 異動の理由がエサではない。それを口にすることに依って、裏があると思わせることがエサだ。昔の事故と今回の件が、同一に端を発していると。それをシェスティンは言っている。

 「そしてお前は、ヴェンツェルの匂わせたエサが、あの事件で表沙汰にならなかった部分に関係すると考えている。つまりヴェンツェルは特務と繋がっているのではなく、情報部と……いや、もしかすると行方不明になっている少将……前情報部部長と繋がっているのかもしれないと言いたいんだな?」

 はっきり言ってしまえば、ただ単に以前知らされなかった事件の真相など、今出す様な話ではない。知りたくとも、現時点の優先順位からはかけ離れている。手を組む検討材料にすら、なりはしないのだ。あのヴェンツェルが、この期に及んでそんな無駄な話をする筈がない。

 「流石シェス。話が早い」

 にやりと笑う。

 「と言うことは、その『ヴェンツェルが乗せたい戦艦』と言うのは、行方不明になった情報部所属のもの。もしくはそれと関連した(ふね)だと言う可能性がある……。そう言いたい訳だ」

 ライヒアルトだって、その考えが突飛もないことだとは思っている。

 だがヴェンツェルが情報部と繋がっているのであれば、『何故、特務がヴェンツェルを手放したのだろうか』と言う疑問が解消されるのだ。

 結果を納得させる為に原因を作り出すと言うのは、あまりに馬鹿げていると言うことも理解はしている。もしかすると、それ以外に理由があるのかもしれないが、今のところ彼には思いつかなかった。

 ヴェンツェルがあの時本当に特務の人間であれば、何があっても未だ特務に所属のままであろう。何故なら、秘密を持った人間を、特務が離す筈がないから。

 特務と密接に関わり合いのあった情報部。特務の遂行する任務の内容は、情報部から来るそれが他の艦隊の比ではなく大きい為、互いに深いところでも機密情報のやり取りは当然ある。

 そして時には、人のやり取りでさえあると言われていた。

 だから、情報部の意向が働いたとすれば、ヴェンツェルの異動は頷ける。ただ、その意向がどんなものであったのか、それが未だに解らない上、何故ヴェンツェルまでもが今になってA72-Zへと召集されたのかが解らない。秘密を握る彼が目障りであるなら、第七艦隊への異動が決まった時に、特務が情報部を出し抜く形で早々に消されているか、もしくはA72-Zが発動した時点で召集が掛かっている筈だ。

 もっとも、自分達二人が考えていることが、事実であるかどうかは解らないのだが。

 「胡散臭い話だ」

 シェスティンは、自分が前情報部部長に憧れにも似た尊敬の感情を持っていることは自覚している。

 だがただ単にその名がチラついただけで、全てに納得するほど単純でもない。

 しかしそれでも乗るしかないと、シェスティンの瞳は言っていた。

 選択肢は多くないのだ。

 逃げたは良いが宇宙で野垂れ死ぬか、そして最後の選択としてヴェンツェルに乗るか。

 選んだ一つが、絶対に明るい未来への道へと進ませてくれるのなら、あのリヴァーシアンの内でも一番たちの悪い者達が信仰していると言う新興宗教ルイーズ・ステラに入ってやっても良いとまで思う。

 「しかし情報部は、連邦軍から離反するつもりか?」

 シェスティンがぽつりと呟いた。全てをヴェンツェルが前情報部部長と繋がっていると仮定した場合、彼らが考えていることは、つまりその可能性がなきにしもあらずと言うことだ。ヴェンツェルが現在も情報部に所属であるのなら、その間に繋がりが存在する可能性は高い。勿論ながら、繋がっていない可能性もあるし、そもそもの前提が間違っていることも否定できない。

 全ては迎えの艦内で解ること。

 賭だった。

 「そうなったらなったで、ある意味都合良いんだけどな」

 あり得ないとは思うが、万が一そうなったとすれば、銀河連邦軍の網は目の粗いものになる。ヴェンツェルや前情報部長が如何ほどの力があるとしても、二人だけではどうしようもない。だから見える。第三勢力の存在が。

 だがこれは全て仮定の話だ。それを二人とも認識している。

 「ごめんな。調子扱いて言ったけどさ、こんなことしか言えないんだ」

 ここに残ったら、間違いなく死ぬより酷い人生が待っている。それより、一%でもある可能性に賭けたい。ライヒアルトはそう思った。

 「だが、お前がそれで良いと思ったんだろ? それに……。もしかするとその幻の戦艦が、見れるかもしれない」

 何時もの様な、高慢な笑み。

 鮮やかなそれは、ライヒアルトの目を奪った。

 心底、ライヒアルトは思う。

 「お前がうんって言ってくれて良かったよ」

 もしもここでシェスティンが、イヤだと言ったらどうしようかと思った。

 逃げる方法を聞いて、『こんな馬鹿馬鹿しい話に着いて行けるか』と言われたらどうしようかとも思った。

 勿論、どんな手段を使っても連れて行くつもりではあったが、同意であるのとないのとでは全然違う。

 少なくとも、こんな笑顔を見ることは二度と出来ないのだ。

 ライヒアルトにとって、シェスティンの答えだけが気がかりだった。そしてその気がかりは、自分と共に行くと言うシェスティンの言葉を聞いて溶けてなくなってしまう。

 実際はこれからの方が大変な筈なのに、そんな感覚はまるでない。共に行けると解った途端、僅かばかりの緊張感と高揚感、そしてそれとは真逆な安堵感が沸いて来る。

 『我ながら単純だ』と、ライヒアルトは思った。

 そんな思いを抱いているライヒアルトを、シェスティンが顎だけをくいと上げ、視線を斜め四十五度下にした角度で見ている。

 「お前の余裕のない顔、面白かったぞ」

 シェスティンがそれを強がって言っているのくらい、ライヒアルトにも解っていた。

 余裕がなかったのはお互い様。

 むしろシェスティンの方がなかっただろう、そう感じる。

 なのにそんな風に言うなんて……。

 「やっぱ、あんたってサイコーだよねー」

 笑いが込み上げてくるライヒアルトは、腰に手を伸ばし、そのまま身体を引き寄せ耳元でそう囁いた。

 「最後の手段として、寝技にもってって言質とろうかと思ってたわ」

 最後の最後で台無しの台詞を言った代償は、渾身の力を込めた拳を頬に食らうことだった。


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