陰と陽
私はひとりで生きてきた。
親は殺された。戦国の世で、名のある武家と言われながら、最後は汚名を着せられ火をつけられた。
「逃げろ!」背後で父上の声がした。私はがむしゃらに逃げ道を探した。
火の中から這い出てきた私を待ちうけていたのは、汚物を見るような目。目。目。
「殺り損ねたか」そんな声が耳に届く。
そこからは記憶がない。気が付いた時には、私のまわりは屍で満ちていた。
世界が赤く染まっていた。
「これは私がやったのか」
ずきずき痛む頭を押さえると、指の隙間から血が溢れて、眼球に流れ込んでくるのがわかった。
握った刀は誰のものか。我にかえってその重さに気付く。
私は6歳で、人殺しを覚えた。
人との関わりを断とうと思った。
自分は人を簡単に殺すことが出来てしまう。
あまりに危険な存在だと思った。
ひとりで生きていこう。どこにも家を構えず、ただただ放浪していよう。
それでも人は、血の臭いを嗅ぎつけてやってくる。
私が避けようとすればするほど、奴らはハイエナのように追いかけてくる。
そして私は舌打ちをしながら、刀を振るう。
「ほう、これはこれは、いい面構えをしたお人がおるな」
ある日、小さなお寺で野良猫と戯れていると、和尚に声をかけられた。
「誰だ」
「通りすがりの、ただのひねくれジジイじゃ」
「ではそのまま通り過ぎて行け。私に話しかけるな」
風のない穏やかな日だ。こんな時間は滅多に得ることが出来ない。好奇心などで気紛れに付き合いたくはなかった。
しかし和尚は目を細めながら、去る気配もなく淡々と話し始めた。
「どんな生き方をしてきたかはわからんが、まるで荊のようなお人じゃな」
「………なんだと」
「お前さんを見ていると、根のない荊で自分を閉じ込めているように見える。まるで蚕じゃ」
和尚が近づいてくる。武器を持っているようには見えないが、私を油断させるための偽装でない確証はない。
懐の小刀を確認する。
「おっと。そんな顔をするでない。刀など抜いたら猫たちが驚くじゃろ」
そういうと、和尚は両手を広げひらひらと振ってみせた。
「わしは武器など持っておらん。これ以上近づきもせんよ。あと一歩近づいたら、お主はわしに斬りかかろうて」
目を細めながら微笑む和尚は、ふと頭上の木々を見上げて呟いた。風鈴のように吊られている果実が、風にゆらゆらと揺れている。
「ここは滅多に人も来ん廃寺じゃ。お前さんのような人が落ち着くにはちょうどいいかもしれん」
しかし、と言葉を続けながら、和尚は真顔でこちらを向いた。
「お前さんは落ち着く場所を求めているのではないな。どこへ向かっていこうとしている」
「何をベラベラと」
「燻るような赤いその目。切った人間の血か、それともお主が傷ついた数か」
寒気が走った。この和尚は只者ではない。危険だ。見透かされる。
傍らに置いた刀を手に取った。万が一向こうにその気がなくても、これ以上話を聞くべきではない。
この間合いなら、和尚が刀を取り出しても避けることが出来る。一発で仕留めることが出来る。ギリギリのところまで近づいて、一瞬で終わらせれば済むことだ。
狙いを定める。右足に重心を置く。膝をバネのように緩め、一気に跳ねる。刀を振り下ろす。
和尚の顔がぶれた。切り落とす手応えを感じる。
「ざまぁみろ」
反撃してこなかったところを見ると、本当にただの和尚だったのだろう。私から斬りかかることは滅多にないが、今更人一人殺したところで痛む心は持ち合わせていない。
刀についた液体を振り落とし、鞘に収める。
ドサっと音がして、和尚の体が地面に崩れ落ちた。
「ふう、びっくりしたわい」
「なに!」
目を見開いて振り向いた私の視界に飛び込んできたのは、紛れもなく首の繋がった和尚の姿だった。
尻餅をついた姿勢でこちらを見上げながら、和尚は苦笑している。
「危なかったわい。物騒なことをしなさる」
「嘘だ…確かに切ったはず」
「お主が切ったのはこれじゃよ」
和尚が手に持ってみせたのは、見事に切れた大きな果実と木の枝だった。
「これが頭を叩きおっての、転んでしまったわい」
お尻をさすりながら立ち上がる和尚を、私は呆然と見つめてしまった。
そんな偶然があるものだろうか。
「お主は今まで、ずっとこうして自分を守ってきたのじゃな。しかし同時に、その絡まった荊で傷ついてきた。他人と同じ量の血を流して、それを糧にしてきた」
切れた枝をこちらに放り投げて、和尚はまた微笑んだ。
「もう一度聞こう。お主はどこへ行こうとしている」
「知ったことではない。いずれ切られて死ぬだけだ」
「例えどんなに荊がうねった洞窟でも、必ず隙間はあるもんじゃ。陽が登れば光がさすこともあるやもしれん」
いつの間にか和尚の足元に擦り寄ってきた猫が、呑気な声をあげる。
「わしと一緒に来てはくれんかの」
「は?」
突然の誘い言葉に、思わず素っ頓狂な声が出た。
「会って欲しい人がおるんじゃ」
「私には会いたい人など」
「会うだけでいい。腹も空いておるようだしの」
さっきから鳴っていたお腹に気付いていたのか。恥ずかしくなって赤くなった顔を隠すように、私は下を向く。
「生きていれば当たり前のことじゃ。人斬り小僧も、怪しげな和尚もな」
大口を開けて笑いながら歩き出す和尚に、毒気を抜かれてしまった私の足は、なんとなくその後をついて地面を蹴った。
「会ってやる。その代わり、握り飯をよこせ」
着いたところは、小さな道場だった。
「ここは?」
「わしの道場じゃ。昔ちと竹刀を握った時期がある」
「あんたが教えてるのか?」
「まあ、教えるというほどのこともないが、お望みなら伝授してやってもよいが」
吹き出しそうになるのをこらえる。
こんな枯木和尚が私に剣の振り方を教えるなど、どの面さげて言っているのか。
「中へ入りなさい」
履物を脱いで奥へ進む。日当たりが悪いせいか、あまりよくは見えないが、一人で竹刀を振る姿が見えた。
「あいつは?」
「3年程前にここの庭でぶっ倒れておった。お主とよく似ておるよ」
「私と」
「自分以外の存在は認めん。お主よりも血の気は多かったぞ。なにせわしが話し出す前に斬りかかってきたからの」
改めてその姿に目をやる。暗いせいで表情はわからない。やや高い身長と細い影、真っ直ぐに伸びた背筋と、無造作に結かれた後髪。腹から吐き出す息と竹刀が振り下ろされる振動が、まったく乱れることなく繰り返される。
「どう思う?」
「どうって…」
似ているとは思えない。少なくとも私にはあのような、綺麗な太刀筋を描くことは出来ない。
もしあれが竹刀ではなく、真剣だったならば、向かい合った時の重圧はどのくらいであろう。考えるだけでゾッとする。
「勝てると思うか?」
「やるからには勝つ。でも今はやる気もないな」
「ほう、それは負けるという意味でよいのじゃな?」
「ふざけんな。帰る」
馬鹿馬鹿しい。こんな茶番に付き合っていられるか。
圧倒された自分にも腹が立つ。足音が荒くなっていることにも。
「これ、待たぬか」
「待たねーよ。こんなことして、悪ガキから銭せびってる悪徳和尚に付き合ってなんか…」
直後、背後に殺気を感じた。頭で考えるよりも速く体が反応して避ける。
竹刀の先が耳元で止まっている。首筋に冷や汗が流れる。何も音はしなかった。あの青年が気配を消してここまで出来るものか。
「違う。わしじゃ」
頭のすぐ後ろから声がして、驚いて前のめりになる。油断していた私が馬鹿だった。やっぱりこの和尚は曲者だったのだ。
一気に緊張が走った。すぐに次の剣が来る。その前にこちらから攻撃をしかけなければいけない。一度守りの姿勢に入れば、そのまま圧されてしまうかもしれない。
それ程までに、この圧力は凄まじかった。出会ってからつい今しがたまでの和尚とは、まるで別人のようだ。
体を捻らせ、和尚の気配を探る。目で姿を追い、剣先を向ける。
しかしその剣は、呆気なく振り払われてしまった。
「動揺が隠せないなど、未熟も甚だしいの。そんなゆっくりした動きで、よく今まで生きてこられたものじゃ」
表情を消した和尚の顔は、鬼の形相よりも怖かった。
竹刀の先端が、私の心臓を真っ直ぐ捉えている。
「これでお主は二度死んだことになる。命拾いしたの」
狙いを定めたまま、和尚はニヤリと笑った。
「悪徳和尚でも守りたいものはある。斬ることに罪悪感を持って自分に傷をつけるのなら、斬らずして自分を守る技を身につければよい。さすれば棘も幾分減ることじゃろ。ついでに薔薇でも咲かせてやればいい」
右手で持った竹刀をゆらゆらと揺らし、私の心臓を突く。
「無理にとは言わん。気が向いた時に来ればいい。粗末だが飯くらいは出してやろう。それにお主のその肝っ玉、このままではもったいない」
和尚の言葉は、ひとつだけ嘘だ。
もし真剣勝負だったとしたら、私は三度殺されていたことだろう。
あの廃寺で、和尚と勘違いして切った木の枝。自分でも納得できる程に綺麗な切れ味だった。もしその枝で和尚が下から刺してくれば、油断していた私は確実に貫かれていた。
「荊の道、か…」
和尚の言葉が脳裏をよぎる。それが何を示すものなのか、私にはわからない。
長い年月、この剣と共に戦ってきた。これを手放すことは、今の自分には無理であることくらいわかっている。
だがもし和尚の言う通り、斬らないことで先が見えるのだとしたら。
「強くなりたい」
あの青年のような、迷いのない剣を使えるようになりたい。
生きることの意味を考えたことなどなかった。
生きることにしがみついたこともなかった。
体の求める限りを貪り、一秒が過ぎればそれを「生」という言葉で飾るだけだ。
気を抜いてはいけない。油断すれば棘は容赦なく私を襲う。
痛みを感じろ。血を流せ。真っ黒に光るこの道は私だけを許容するものであっていい。
荊の道は、真っ直ぐ進んでいるのだろうか。
それとも弧を描いて、永遠に廻るものなのだろうか。
一度刺さった棘は、抜けることなく血を滴らせる。これは自分が犯してきた罪の数。
水に映る赤い瞳が、暗闇に消えていく。
最後まで読んでくださってありがとうございました。




