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陰と陽

作者: 鷹公
掲載日:2014/05/16

私はひとりで生きてきた。

親は殺された。戦国の世で、名のある武家と言われながら、最後は汚名を着せられ火をつけられた。

「逃げろ!」背後で父上の声がした。私はがむしゃらに逃げ道を探した。


火の中から這い出てきた私を待ちうけていたのは、汚物を見るような目。目。目。

「殺り損ねたか」そんな声が耳に届く。


そこからは記憶がない。気が付いた時には、私のまわりは屍で満ちていた。

世界が赤く染まっていた。

「これは私がやったのか」

ずきずき痛む頭を押さえると、指の隙間から血が溢れて、眼球に流れ込んでくるのがわかった。


握った刀は誰のものか。我にかえってその重さに気付く。


私は6歳で、人殺しを覚えた。


人との関わりを断とうと思った。

自分は人を簡単に殺すことが出来てしまう。

あまりに危険な存在だと思った。

ひとりで生きていこう。どこにも家を構えず、ただただ放浪していよう。


それでも人は、血の臭いを嗅ぎつけてやってくる。

私が避けようとすればするほど、奴らはハイエナのように追いかけてくる。

そして私は舌打ちをしながら、刀を振るう。



「ほう、これはこれは、いい面構えをしたお人がおるな」

ある日、小さなお寺で野良猫と戯れていると、和尚に声をかけられた。

「誰だ」

「通りすがりの、ただのひねくれジジイじゃ」

「ではそのまま通り過ぎて行け。私に話しかけるな」

風のない穏やかな日だ。こんな時間は滅多に得ることが出来ない。好奇心などで気紛れに付き合いたくはなかった。

しかし和尚は目を細めながら、去る気配もなく淡々と話し始めた。

「どんな生き方をしてきたかはわからんが、まるで荊のようなお人じゃな」

「………なんだと」

「お前さんを見ていると、根のない荊で自分を閉じ込めているように見える。まるで蚕じゃ」

和尚が近づいてくる。武器を持っているようには見えないが、私を油断させるための偽装でない確証はない。

懐の小刀を確認する。

「おっと。そんな顔をするでない。刀など抜いたら猫たちが驚くじゃろ」

そういうと、和尚は両手を広げひらひらと振ってみせた。

「わしは武器など持っておらん。これ以上近づきもせんよ。あと一歩近づいたら、お主はわしに斬りかかろうて」

目を細めながら微笑む和尚は、ふと頭上の木々を見上げて呟いた。風鈴のように吊られている果実が、風にゆらゆらと揺れている。

「ここは滅多に人も来ん廃寺じゃ。お前さんのような人が落ち着くにはちょうどいいかもしれん」

しかし、と言葉を続けながら、和尚は真顔でこちらを向いた。

「お前さんは落ち着く場所を求めているのではないな。どこへ向かっていこうとしている」

「何をベラベラと」

「燻るような赤いその目。切った人間の血か、それともお主が傷ついた数か」

寒気が走った。この和尚は只者ではない。危険だ。見透かされる。

傍らに置いた刀を手に取った。万が一向こうにその気がなくても、これ以上話を聞くべきではない。

この間合いなら、和尚が刀を取り出しても避けることが出来る。一発で仕留めることが出来る。ギリギリのところまで近づいて、一瞬で終わらせれば済むことだ。

狙いを定める。右足に重心を置く。膝をバネのように緩め、一気に跳ねる。刀を振り下ろす。

和尚の顔がぶれた。切り落とす手応えを感じる。

「ざまぁみろ」

反撃してこなかったところを見ると、本当にただの和尚だったのだろう。私から斬りかかることは滅多にないが、今更人一人殺したところで痛む心は持ち合わせていない。

刀についた液体を振り落とし、鞘に収める。

ドサっと音がして、和尚の体が地面に崩れ落ちた。

「ふう、びっくりしたわい」

「なに!」

目を見開いて振り向いた私の視界に飛び込んできたのは、紛れもなく首の繋がった和尚の姿だった。

尻餅をついた姿勢でこちらを見上げながら、和尚は苦笑している。

「危なかったわい。物騒なことをしなさる」

「嘘だ…確かに切ったはず」

「お主が切ったのはこれじゃよ」

和尚が手に持ってみせたのは、見事に切れた大きな果実と木の枝だった。

「これが頭を叩きおっての、転んでしまったわい」

お尻をさすりながら立ち上がる和尚を、私は呆然と見つめてしまった。

そんな偶然があるものだろうか。

「お主は今まで、ずっとこうして自分を守ってきたのじゃな。しかし同時に、その絡まった荊で傷ついてきた。他人と同じ量の血を流して、それを糧にしてきた」

切れた枝をこちらに放り投げて、和尚はまた微笑んだ。

「もう一度聞こう。お主はどこへ行こうとしている」

「知ったことではない。いずれ切られて死ぬだけだ」

「例えどんなに荊がうねった洞窟でも、必ず隙間はあるもんじゃ。陽が登れば光がさすこともあるやもしれん」

いつの間にか和尚の足元に擦り寄ってきた猫が、呑気な声をあげる。

「わしと一緒に来てはくれんかの」

「は?」

突然の誘い言葉に、思わず素っ頓狂な声が出た。

「会って欲しい人がおるんじゃ」

「私には会いたい人など」

「会うだけでいい。腹も空いておるようだしの」

さっきから鳴っていたお腹に気付いていたのか。恥ずかしくなって赤くなった顔を隠すように、私は下を向く。

「生きていれば当たり前のことじゃ。人斬り小僧も、怪しげな和尚もな」

大口を開けて笑いながら歩き出す和尚に、毒気を抜かれてしまった私の足は、なんとなくその後をついて地面を蹴った。

「会ってやる。その代わり、握り飯をよこせ」


着いたところは、小さな道場だった。

「ここは?」

「わしの道場じゃ。昔ちと竹刀を握った時期がある」

「あんたが教えてるのか?」

「まあ、教えるというほどのこともないが、お望みなら伝授してやってもよいが」

吹き出しそうになるのをこらえる。

こんな枯木和尚が私に剣の振り方を教えるなど、どの面さげて言っているのか。

「中へ入りなさい」

履物を脱いで奥へ進む。日当たりが悪いせいか、あまりよくは見えないが、一人で竹刀を振る姿が見えた。

「あいつは?」

「3年程前にここの庭でぶっ倒れておった。お主とよく似ておるよ」

「私と」

「自分以外の存在は認めん。お主よりも血の気は多かったぞ。なにせわしが話し出す前に斬りかかってきたからの」

改めてその姿に目をやる。暗いせいで表情はわからない。やや高い身長と細い影、真っ直ぐに伸びた背筋と、無造作に結かれた後髪。腹から吐き出す息と竹刀が振り下ろされる振動が、まったく乱れることなく繰り返される。

「どう思う?」

「どうって…」

似ているとは思えない。少なくとも私にはあのような、綺麗な太刀筋を描くことは出来ない。

もしあれが竹刀ではなく、真剣だったならば、向かい合った時の重圧はどのくらいであろう。考えるだけでゾッとする。

「勝てると思うか?」

「やるからには勝つ。でも今はやる気もないな」

「ほう、それは負けるという意味でよいのじゃな?」

「ふざけんな。帰る」

馬鹿馬鹿しい。こんな茶番に付き合っていられるか。

圧倒された自分にも腹が立つ。足音が荒くなっていることにも。

「これ、待たぬか」

「待たねーよ。こんなことして、悪ガキから銭せびってる悪徳和尚に付き合ってなんか…」

直後、背後に殺気を感じた。頭で考えるよりも速く体が反応して避ける。

竹刀の先が耳元で止まっている。首筋に冷や汗が流れる。何も音はしなかった。あの青年が気配を消してここまで出来るものか。

「違う。わしじゃ」

頭のすぐ後ろから声がして、驚いて前のめりになる。油断していた私が馬鹿だった。やっぱりこの和尚は曲者だったのだ。

一気に緊張が走った。すぐに次の剣が来る。その前にこちらから攻撃をしかけなければいけない。一度守りの姿勢に入れば、そのまま圧されてしまうかもしれない。

それ程までに、この圧力は凄まじかった。出会ってからつい今しがたまでの和尚とは、まるで別人のようだ。

体を捻らせ、和尚の気配を探る。目で姿を追い、剣先を向ける。

しかしその剣は、呆気なく振り払われてしまった。

「動揺が隠せないなど、未熟も甚だしいの。そんなゆっくりした動きで、よく今まで生きてこられたものじゃ」

表情を消した和尚の顔は、鬼の形相よりも怖かった。

竹刀の先端が、私の心臓を真っ直ぐ捉えている。

「これでお主は二度死んだことになる。命拾いしたの」

狙いを定めたまま、和尚はニヤリと笑った。

「悪徳和尚でも守りたいものはある。斬ることに罪悪感を持って自分に傷をつけるのなら、斬らずして自分を守る技を身につければよい。さすれば棘も幾分減ることじゃろ。ついでに薔薇でも咲かせてやればいい」

右手で持った竹刀をゆらゆらと揺らし、私の心臓を突く。

「無理にとは言わん。気が向いた時に来ればいい。粗末だが飯くらいは出してやろう。それにお主のその肝っ玉、このままではもったいない」


和尚の言葉は、ひとつだけ嘘だ。

もし真剣勝負だったとしたら、私は三度殺されていたことだろう。

あの廃寺で、和尚と勘違いして切った木の枝。自分でも納得できる程に綺麗な切れ味だった。もしその枝で和尚が下から刺してくれば、油断していた私は確実に貫かれていた。


「荊の道、か…」

和尚の言葉が脳裏をよぎる。それが何を示すものなのか、私にはわからない。

長い年月、この剣と共に戦ってきた。これを手放すことは、今の自分には無理であることくらいわかっている。

だがもし和尚の言う通り、斬らないことで先が見えるのだとしたら。

「強くなりたい」

あの青年のような、迷いのない剣を使えるようになりたい。


生きることの意味を考えたことなどなかった。

生きることにしがみついたこともなかった。

体の求める限りを貪り、一秒が過ぎればそれを「生」という言葉で飾るだけだ。

気を抜いてはいけない。油断すれば棘は容赦なく私を襲う。

痛みを感じろ。血を流せ。真っ黒に光るこの道は私だけを許容するものであっていい。


荊の道は、真っ直ぐ進んでいるのだろうか。

それとも弧を描いて、永遠に廻るものなのだろうか。

一度刺さった棘は、抜けることなく血を滴らせる。これは自分が犯してきた罪の数。


水に映る赤い瞳が、暗闇に消えていく。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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