邂逅の序章(1)
熱帯気候のスタールイ・ノーヴイ大陸の中では比較的に乾燥している―――といっても他の大陸に比べれば高めの湿度ではあるが―――ヴィレンス村から北に2キロメルティン程の崩れた廃墟に、少年は立っていた。
年の頃は14,5だろうか、ラントゥル(現地の人たちのスタールイ・ノーヴィ大陸の呼び方)でも珍しい、この少年は完全な黒髪―――黒っぽい茶髪は多いが、完全な黒は珍しい―――を肩に掛ける程の長さに伸ばしている。今はだらんと曲げて判りにくいが、背丈は175センチメルティン程で、まぁ同年代の中での平均を超えているとは言えるだろう。
少年は、頭上を見上げた。おそらく昔はそこに、立派な石造りの屋根が有ったのであろう、今は崩れて跡形も無く、ただ割れ目が出来ている。
覗いた空は、雲一つ無い目が痛く成るほどの快晴だった。
立っていた少年は、声を上げた。
「ふぅ……取り敢えず、やるか」
伽藍とした廃墟に、早めの成長期が終わったと推測できる、低めの声が響く。枯葉が落ちる音さえも聞く事が出来るかの静寂は、少年以外の誰にも破られる事は無かった。
静寂に包まれた少年は、猫背ぎみに曲がっていた背を伸ばし、目を瞑る。
意識を体内へ向け―――さらに、その奥へ。意識の手が、あらゆる生物が体内に持つ、肉体と魂の繋ぎ目である、魔素放出源、通称【霊門】に触れる。意識の端に血とは違った温もりを感じ取ると、少年は心の中に燃え盛る"白銀の剣"のイメージを浮かべる。
意識内で行われた、"幻想"の想起による自己肯定が意識を活性化。それに伴い、【霊門】から魔素が放出。また、活性化した【霊門】が少年の周囲に《自己領域》―――《幻想領域》を展開。起点である少年から約4センチメルティンの範囲が、少年の掌握下に収まる。その範囲において、非常に魔素が活性化しやすくなった。
それを確認したと同時に、"幻想"を保ったまま、意識内で"術式"を紡ぐ。
紡がれた術式はクランタ式魔術の無系統術式の一つ、第十三等級魔術《アニマ・グラディウス》。
放出された魔素を剣状に収束させる術式で、生成された剣は一切の物理干渉力を持たない。十三ある魔術階級の内で最下級の一つである。
特徴として、魔素を過剰に収束させる事により、通常は不可視の魔素が光輝く粒子として視認可能となる。見かけだけ、強そうな術式だ。使いようによっては、非常に強力な術式となるが、まぁ置いておこう。
【霊門】の発動からここまで約1秒。
その速度に満足したのか、少年は満足げに頷く。
紡いだ術式は、しかし展開される事は無かった。
少年が完成した術式を演算することなく、意識内で"展開"するに留めたからだ。
意識内に、"幻想"と"展開された術式"の二つがあり、通常の者ならば気を抜いた途端、領域か術式を崩してしまい―――結果、術式不発動となる、そんな状態で、少年は更に術式を紡ごうとした。
一般に言う、二重展開である。この状態から二つの魔術を同時に組み合わせて発動する事を二重複合起動といい、高等技術に分類させるそれを、いくら最下級術式との同時発動とはいえ、14,5の少年が行おうとしている。
展開した術式は、クランタ式魔術の兵装型付与術式が一、第三等級魔術《ヴィクトール・アルマ》。
物質に対して付与効果を与える術式の中で、最上級の"概念型術式"である。概念型付与術式は、付与した物質の形状、性質により、それに最適化された術式を付与する。
この術式はその中でも"兵装型"付与術式に分類されていて、付与する対象の物質が、武器としての概念内に無ければ発動しない。
しかし、"最上級"の名は伊達ではない。一度発動されれば、対象の武器を、例えば剣ならば(組成物質の結合の)超硬質化、刃の超鋭質化、攻撃範囲並びに使い手の身体能力の超上昇などの効果を得る事が出来る。
非常に強力な術式ではあるが、非常に習得の難しい術式である。
また、反動も洒落にならない為、使い時が選ばれるモノだ。
何故、そんな術式をこの少年が使えるかは傍に置いておくとして、当人は術式完了までの時間が気に入らなかったのだろう、不満げに顔を顰めた。術式の二重展開によってスムーズに展開できなかったのだ。
しかし無事に展開された《ヴィクトール・アルマ》を意識内で《アニマ・グラウディウス》に"纏わせる"。
これが本当に"二重複合起動"として実行された場合、《アニマ・グラディウス》を構成する魔素の結合は《プリムス・メルム》の補助により"超硬質化"する―――擬似的物質へと変質する―――ように術式が変化し、通常は物理干渉力を持たないだけの刃が物理干渉力を持つ事となる。
実体化した魔素の刃は、非常に高い魔導率―――鉄の魔導率が1.3%程度、この刃は98%―――を誇り、物質でありながら魔術干渉力を持つ刃と成る。
補助による身体能力、切れ味の超上昇により、業物を遥かに超える剣として《アニマ・グラディウス》は変質し、起動される。
これが《アニマ・グラウディウス》の"非常に強力な"使い方だ。
余談に入ろう。
古の魔術師が多く魔法使いが少なかった時代、魔術師―――それに準ずる者の中には、意識内展開した術式が、その術式通りに現実で展開された時に現れる姿や形を、イメージにより"知覚"出来る者もいた。
二重複合起動を可能とする者の殆どが、この"知覚"を所持しており、逆に、これを持っていない者の殆どが、二重起動を"行えない"。―――行えなかった。
この"知覚"は魔術を使い続ける事によって、後天的に得る事が出来る―――かも知れないというレベルの、先天的な才能に大きく依存するモノだ。
これを持った者が二重展開を行った場合、二つの意識内展開術式をどちらも"視る"事が出来る。その状態において、主軸術式と補助術式―――例えば、武器型術式を主軸とし付与術式を補助とする―――といった術式に分けた後、主軸術式に補助術式を"組み合わせ"発動する。
これが二重複合起動の流れである。
しかし実際は、術式を"知覚"できても"組み合わせ"が出来ない、という者も多い。―――多かった。
この使用できる術者の絶対数の少なさが、二重複合起動が高等技術とされた所以だ。
もっとも、この時代魔術師の数は激減し、多い少ないでは言えない程の数になっているが。
またこれに準ずる術式技術として、並列起動、と呼ばれる術式がある。例に出せば、身体強化系術式と《アニマ・グラディウス》を同時に発動させる、といったものがある。
ここで重要な事は、並列術式では"補助術式は主軸術式に対して術式的な意味で影響を及ぼさない"という事だ。
二重複合術式は"補助術式が主軸術式に対して、術式的な意味で影響を及ぼし、変異させる"技術である。
つまりここでの差異は、互いが干渉しあうか否か、だ。
閑話休題
主軸術式である《アニマ・グラディウス》に補助術式である《ヴィクトール・アルマ》が溶け込んでいく。"形ある"術式に"現象の"術式が、意識内で合わさる。"知覚"されていた術式が二つから一つに減った。
その瞬間を見極めて少年は《自己領域》内で魔素を活性化させる。"見かけ上"一つに減った術式に意識を集中させ―――"幻想"を維持する事も忘れない―――、演算を開始する。
二つの術式と"幻想"の維持、演算による脳内領域の圧迫か、少年の顔が歪む。
「ぐっ……!」
複雑難解な術式の演算が終わったのだろう。そんな少年の手元に、魔素が収束する。
やがてそれは剣の形を作り、そして――――――――――――――
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「今日も、失敗か……」
廃墟に、落胆した低い声が響く。
世界を照らしていた陽光は、東の地平線に沈みつつある。天井の割れ目から覗く空は、差し込む光は、茜色に染まっている。降り注ぐ夕日の光が、少年の髪を、服を、染め上げる。艶のある黒髪が、美しく、けれどどこか暗く輝く。石灰質の石で造られた廃墟の中で、その光と少年と染まった床は、どこか幻想的にも思える。
―――床に広がる、赤い血溜りが無ければ、だが。
先ほど、術式を展開していた時は立っていた少年は、半身のみを起こしている。
それは彼の横、その状態から半身を下げたならば右腕があったであろう場所に、広がっていた。
それも、かなりの量だ。
一見すると、貧血になるのでは、という量の血を流している少年の顔は、しかし何の変哲も無い。
「くっそ、やっぱり付与術式であっても第三階級って使うと反動がきついな。
……まぁ、治癒術式―――身体能力向上系治癒促進術式の練習が出来たし良しとするか。……一回だけだけど」
少年は、ひとつ、深々とため息をついた。
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地面に出来た血溜りに、収束系術式を使い空気中の水分を集めて加えた後、クランタ式魔術第十二等級流体制御系術式《ウォーゲン・ヴァッサー》を使用し、先端を尖らしただけの単純な槍を作り出す―――帰り道で有事に対し、即座に対応する為だ。形状だけを見ればそれだけで武器であるが、第十二等級程度の流体制御術式による形状変化だけでは、ちょっとした衝撃で形が崩れてしまう。
故にこれを完全な武器とする為には、もう一つの術式を掛ける必要がある。
槍が完成した事を見届けると、少年は《ウォーゲン・ヴァッサー》を発動する傍ら、意識内で紡いでいたクランタ式魔術の硬化型付与術式が一、第六等級《ツヴァング・ヴフト》を"意識内で展開"する。
術式により、槍に変わった血水を、体に近づける。―――展開されている《自己領域》内に持って行く為だ。胸の前に持って行き、切っ先を天に向ける。干渉度が下がらない様に、少しだけ広げた領域範囲内に入った事を見届け―――《ウォーゲン・ヴァッサー》の発動を切る―――と、同時に意識内で展開していた《ツヴァング・ヴフト》を、対象を血槍とし発動!
領域内で魔素が活性化していたおかげもあり、形状がまったく崩れる事も無いまま―――それ程にタイムラグが無く発動したのだ、硬化術式が掛かる。
形状や状態の変化を防ぐ、という概念に基づいて作られた硬化術式が、血と水の塊に掛かる事で、形が槍状に固定された。
完成した槍の長さは70センチメルティン程、太さ1.5センチメルティン程だ。一見すると枝のようだが、少年の得意とする硬化術式―――逆に流体制御術式は苦手だ―――の第六等級術式により、通常の槍と同等以上の丈夫さを持つ武器と変わる。
取り敢えず、出来た槍を地面に振り下ろす。
―――ガツン、という音と共に、石の欠片が散る。
その結果に満足したのか、少年は深く頷いた。
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日は傾きはじめ、肩身を狭くしていた影たちが思い思いに体を伸ばす。吹き始めた風が、どこか不気味な音を伴い這いずり回る。
―――慣れてもやっぱり、不気味なのは不気味だな
静寂に包まれた森の前に立って、少年はそう思った。一見見れば、麻布を纏った、ただの村の子供であるが、しかしその手には赤い槍が握られている。獣ならいざ知らず、傍に少し鼻が良い者が居れば、その体から血の香りが仄かに漂ってくる事を、感じられるだろう。
―――今日はちょっと、出血が多すぎたな……早く帰らないと、帰り道に獣……最悪、魔獣に襲われるからな
心の中でそう独白し―――少年は足を踏み出した。右足を一歩前に出し、体を前に傾け、足に力を籠めた。走る体制を整え、少年は姿勢を維持したまま、深呼吸を一つ。行くか、と小声で―――静寂の中でも響かない程の小声だ―――呟いた。
《フギオー・アウラ》、クランタ式魔術無等級の肉体強化系術式を発動させる。
体に力がみなぎる感覚を得た―――かどうかは定かではないが、少年は満足げに頷いた。もしかしたら、うまく術式が働いた事に満足したのかもしれない。
しかし、満足げな余韻に浸る事無く、少年は走りだした。肉体強化系術式の常時魔力を消費し続けるという特性上、使用する時間が長ければ長いほど、魔力、すなわち意思の力の使用は多い。
少しでも魔力の使用を減らすため―――何より家に帰り、うまい飯を食い、師匠と話すため―――不純な動機が大半を占める中、その身に人ならざる速度を纏う。
―――もっと、速く、もっと、風に近く
少年は、過ぎゆく景色と風を感じ、そう思った。
色々、至らない点もありますが、見捨てず宜しくです