プロローグ
朝6時半に起きてシャワーを浴び、ご飯とお味噌汁を一杯。
髪を整え、スーツを着てドアを開ける。
自転車に跨って駅まで疾走し、駐輪場に自転車を止めて改札をくぐる前に喫煙所で一服。電車でニュースをチェックして少し微睡み始めた頃に乗換の駅に着き、走って次の電車に乗ったと思ったら会社の目の前にいる。
そうして一日仕事をこなし、疲労と眠気に襲われながら最寄り駅に帰り、自転車に乗って自宅へと帰宅する。
そんなどこにでもあり、月並みの繰り返しの毎日。よく小説やビジネス本とかにあるような、ルーティンな毎日にほんの少しの刺激を探そうとしたこともあったが、そんなもの探すくらいならさっさと帰って家で怠ける方を優先する。
受け身?そうだね。刺激とか変化とかって自分で行動しなきゃ得られるものじゃないっていう奴もいるだろう。
正論。
でもそういう正論信者はリアルな人の心や性質の違いをわかっていないと俺は思う。
正論ってのは誰もが知ってること。
知ることとできることは全く別物だ。
知ることは誰にでもできる。
でもできるのはほんの一握りだ。
やろうとしてないだけ?負け犬?成功者への僻み?
上等。
そんな俺がこの冬は数奇な体験をした。この出来事を俺は忘れないだろう。
待ってたってルーティンは変えられないけど、この世界にはたくさんの人がいて、生き物がいて、その数の分だけ物語とキッカケがある。
大事なのは自分から動くのもそうだけど、落ちてるキッカケを見つけられる柔らかい視野と、それに手を伸ばしてみる好奇心じゃないかな?
そしてその気持ちを持つことは割と簡単だと思うよ。
だって自分がルーティンって感じてる時点で、日常に少なからず不満があり、そこにいつもと違うものがあればほんの少し手を伸ばしてみる好奇心はそれまでよりも増すものでしょ?