その3
ウィーンの休暇から帰った二日後、ヨーハンは五日間も留守にしていた実験室の被験植物の世話に追われていた。最若手の研究部員としては、たとえ「家事都合」だったとしても、栽培室の担当を休むなど以ってのほかだが、研究室指導教授のヘルムート氏からも依頼されて、ウィーン大学の教授陣と打ち合わせをしてきたのだ。シュタッテン大学は、今、ウィーン大学の生命科学部と連携してあるプロジェクトを実施している。だが、時期的に「薔薇祭」と並行して、バイオ栽培によるバラなどを提供している関係で、この時期は主要メンバーが研究室を空けることはできない。ちょうど折りよくヨーハンが弟妹を引率せざるを得なくなったことは、むしろ、ヘルムート教授らには好都合だったのだ。
「タク、今日は皆で食堂でランチにするかい ? 」
先生からのお誘いではさすがに「残って仕事します」とは言えず、ヨーハンとエーリッヒは他の研究員とともに、大学の研究室棟からの長い通路を、プロジェクトの進行状況などを話しながら歩いていた。エーリッヒ・ボルフは、公家の警護官としてと同時に、ヨーハンと共に現役の大学生で同じ学部に所属している。採用当初は、まだギムナジウムの生徒だった公子付きの職員だったが、本人の志望を聞いた公爵の奨めで「アビトウーア」を受けて、一緒に大学も受験し、公国では初めての学生SPが誕生したのだ。年齢はいくつか上になるが、ヨーハンにとっては自分を守ってくれるだけでなく、同学年の友人であり兄のように信頼できる存在でもあった。
大学生活が始まって数ヶ月経った頃、ふだんあまり身嗜みなどにこだわらなかったヨーハンが変わってきたことがあり、梨紗妃がこっそりエーリッヒに尋ねた時、彼は苦笑しながら、
「母上としてご心配なのはよくわかりますが、僕は警護官に過ぎず、ヨーハンとの友情からも彼のスパイをするわけにはいきません。」
と、悪戯っぽく答えた。傍で見ていたリヒャルト公も、
「それに関しては、エーリッヒが正しいね。息子の私生活に、親といえども干渉してはいけないよ。ヨーハンだって年頃の男なんだから、これから好きな女の子が現れたり、こっそりデートすることだってあるよ。ママは気になるだろうけど、こればかりは信頼してそっぽ向いてやるのが親の勤めだよ。」
と微笑み、そして付け加えた。
「僕だって、学生時代に警護が張り付いていなかったから、恋人とゆっくりデートもできたけどね。」
梨紗妃はそれからエーリッヒに息子のことを聞かなくなった。そのかわり、彼らの方からよく大学や友人達の話をしてくれるので、ある程度は理解しているのだ。
学生食堂に続く廊下の角を曲がった時、ふと窓外に目を向けたヨーハンは、中庭のプロムナードを歩いているちょっと目立つ二人を見た。一瞬視線を流して、無意識に気になったのかもう一度見直して「うっ‥」と声にならない声を上げ、慌てて周囲を見た。幸い他の同行者はその様子に気付かず、少し前を歩いていたエーリッヒも、バイオ栽培で自分が担当しているレタスの話に夢中だったので、誰もヨーハンの狼狽に気付かない。食堂の入り口で、彼はそっと警備兼同輩を止めて、急用があって数分構内へ出てくるから、他の人にうまくごまかしておいてくれるように頼んだ。ランチは戻ってからオーダーするので大丈夫‥と言い置いて、そのまま走って行ってしまった。エーリッヒは何のことか分からず、狐につままれたような気分だったが、大学内ではよく別行動をするので、特に不審にも思わず言われたとおりに伝えたのだ。
研究室のメンバーから離れたヨーハンは、一番近い階段から階下へ急いで下り、その前のガラス扉から中庭へ走り出た。さっき見かけた二人連れを捜そうと左右を見たが、もうその辺にはいない。だいたいの当たりをつけて、向かったと思われる方向へ走った。何人かの友人に声をかけられたが、足も止めずに捜した。学生部のエリアから、医学部の方へとつながる広い庭の向こうにその人影を見つけ、反対側から回って二人の前に飛び出した。
「ゲオルク、サラサ!君達、何やってるの?」
弟と妹(‥と思しき)二人はびっくりして止まる。別に逃げも騒ぎもせずにじっと兄を見ていた。今までも大学見学などで中等学校からの訪問はあった。彼も、公家の子供達への取材に合わせて、ギムナジウムの行事に駆り出され、テレビや新聞写真の絵面として、兄弟で並んでいるところを撮られたこともある。だから、学内でゲオルクや更紗を見かけたのに驚いたのではない。問題は二人が二人して中途半端な変装をしていたことだった。
スタンブルクの基礎学校とギムナジウムには、ヨーロッパの公立学校としては珍しく制服が制定されている。最近では増えてきたが、梨紗妃が提案したいくつかの「学校改革」の中で、生徒らしい安価で丈夫な制服は好評だった。制服と言えば軍服のイメージが強い国で、動きやすいブレザースーツに、そこのシンボルとしてのエンブレムやネクタイ・鞄などは、決して子供達を没個性的に束縛するのではなく、経済的で統一感があって教育的な効果を上げていた。まだ、私服が多かった時代、バンドブームなどが少年層を風靡するたびに、通学スタイルがあまりにも突飛すぎると教育文化省で論議されたことがあり、その時に規律正しく流行にあまり左右されない日本の制度が参照されたのだ。だからヨーハンもつい2年ほど前までは、ゲオルクと同じ上級学校の制服姿だったし、まだきれいな彼のお下がりは、現在弟の通学服になっている。しかし、眼前の弟は時代遅れのミュージシャンのような服装にサングラスをかけ、妹は変に大人っぽい(それは、イルゼの私服として見たことがあった‥)大学生に見せようとしているのがありありと分かる格好に、なんともわざとらしい金髪の鬘を付けていた。
「えーっと、ヨーハンには僕達だって判っちゃったの?」
呆れ顔の兄に、いつもはどちらかというと体裁をととのえる癖があるゲオルクは、バツが悪そうに尋ねた。三人で物陰に寄りながら、ヨーハンはきっぱりと言った。
「当たり前だろ。それはいつかゲオルクがバンドの演奏で着てたし、ここの大学でそんな格好をしている学生はいないよ。サラサにいたっては、どう見ても中等学校生が化粧している変な子だし、そのイルゼの洋服はブカブカだから、二人とも無理があるよ。だいたい、今は授業だろ?それにハンスがいないってことは、また警護を巻いたんだね。」
長兄に睨まれて、ウィーンで彼にお説教されて言い返したばかりの更紗は決まり悪そうに黙っていた。確かにその通りで、登校後、学校内では警護官から離れられるのをいいことに、次兄と申し合わせて抜け出し、途中で着替えて学内に入った。入校時はヨーハンとエーリッヒの学生番号を申告したが、男女までは確認せずに通過できたのだ。
「呆れたね。下手すると大学の保安部に捕まるよ。それが公家の公子と公女だって判ったら、パパとママに大恥をかかせることじゃないか。」
実は、更紗から相談された時、ゲオルクにも一抹の心配はあった。たとえ計画通りにいったとしても、必ず後から報告が行くだろう。その時の言い訳などは何も考えていないのが実情だ。とにかく一昨日の夜遅く、カールが寝入ってから自室に来た妹から、とても重大な打ち明け話を聞かされ、以前に「何かの時」には必ず相談することを約束していたので、話の内容と依頼を拒否できなかったのだ。長兄はその件はまったく関与しておらず、まさか一番に兄に見つかってすぐにバレてしまう‥などとは想像もしていなかった。さらなる小言と詰問を予想して、更紗が懇願した。
「兄様、お願い。私がゲオルク兄様に頼んだの。ただ、パパ達に内緒でクルトおじ様にお会いしたいだけなの。あるとても大切な話なんだけど、それは誰にも秘密のことで、ヨーハン兄様にもまだ言えなくて、公邸の中やパパ達と一緒では聞けないことなの。お願い、クルト先生のところに連れていって!」
妹の視線は必死だった。その横でゲオルクもいつになく真剣に頷く。理由を聞き糾そうと意気込んでいた兄は、二人の様子に気勢を削がれて黙り込んだ。しばらくして、
「僕もあまり関係ないことに首を突っ込みたくないけど、君達がそれほどまでにこだわるのは余程重要なことだとは思う。ただ、それはどうしても僕には言えないこと?」
と、意を決して尋ねる兄に、二人は同時に強力に頷いた。ヨーハンは確かめるようにもう一度二人を代わる代わる見、さらに重ねて質問する。
「それって犯罪とかに関係ない?誰かのプライバシーを侵害しない?後でパパやママが困ることにならない?」
プライバシー‥には微妙に反応したが、それでも弟妹は力強く首を振った。またしばらく考えていたヨーハンは、ため息をつきながら、
「分かったよ。クリストフ先生の研究室までは連れて行くよ。でも、先生にも迷惑をかけることじゃないね?」
重ねて頷く妹に「いつものおてんば虫?」といい、横の弟には何も言わなかった。たぶん、ゲオルクが理解して協力するということで、彼にはその重要性が伝わったのだろう。数分歩いて、目的の扉の前に来て、ノックをしようと彼らを見て言った。
「少なくとも、サングラスと鬘は外しなさい。そのままクリストフ先生にお会いしたら、ただの悪ふざけとしか思われないよ。」
そして、兄は応対に出た医学部の院生に二人を預けて、また急いでもと来た道を引き返していった。
研究室へ案内されて、父の友人であり実の親戚のように接してきた Arzt クリストフに会った。彼は今日は講義がない日で、夕方からの社会人向けの講演の準備をしていた。ちょうどデリバリーのランチが届いたところで、
「院の諸君には申し訳ないが、二人お客さんが来ちゃったから、学食に食事に行ってもらってもいいかな。」
と、余人がいなくなった部屋のテーブルに座らせた。その扮装に「学祭は終わったはずだけどね‥」と笑ったが、すぐ真顔に戻って二人に食事を薦めた。しばらく公邸の様子や薔薇祭の盛況ぶりを話したりしていたが、そののちコーヒーカップを置いて静かに切り出した。
「君達がそんなにしてまで僕に会いに来るのは余程のことだね。」
少年達に真っ直ぐ視線を向けた。顔を見合わす二人は何も答えなかったが、彼はその視線を本が積まれた部屋の隅から、緑が濃くなってきた庭園を見通せる窓に移動させ、また二人に戻す。その時に、更紗は医師の瞳の奥に悲しみの色を見たような気がした。
「ウィーンのロラント先生から久しぶりにWebメールが来たよ。サラサが大きいレディになってて感動したそうだ。ヨーハンも立派になって研究者を目指していて、今回は会えなかったけど、ゲオルクやカールもそれぞれに将来が楽しみだとのことだ。君達のご両親の子育てに感心しておられたよ。」
そして、しばしの間があって、少女に向き直り聞いた。
「君はその時にレベカのことを聞いたんだね。」
慌てて弁明しようとする様子の更紗を、右手で優しく制した。
「気に病まなくていいんだよ。僕は敢えて皆に言わなかっただけで、別に隠してた訳じゃない。スタンブルクでは知る人もいない昔の話だし、君達のご両親が入学してくる前のことだから、ウィーンでも知っている人はほとんどいないくらいだからね。サラサが偶然それを耳にしたとしても、もう誰のことも傷つけたり悲しむ人はいない。」
低い声でゆっくり語る医師の言葉は、小さい公女やその兄だけでなく、自分自身をも癒そうとしているように聞こえた。
「おじ様、私、もしかしてとても残酷なことを聞きに来てしまったのでしょうか。そしたら‥」
そこで Arzt クリストフ は初めて微笑んだ。
「いや、僕にも青春時代に甘やかな恋の思い出があったってこと、君達が知ってくれるのはかまわないよ。」
冗談めかして言うが、どこか無理をしている様子は否めない。更紗はこんなに痛々しい医師の姿は初めてだった。そして、そうさせているのが自分だと思うと、後悔が身を苛んだ。
医師は長い話を始める。
「僕とレベカが出会ったのは僕がウィーン大学に留学して2年後だった。故国と実家の名誉を負って、僕自身も遊学の志に燃えていたから、当初は脇目も振らずに勉学に勤しんだよ。まったく女性のことなど念頭になかったくらいだ。実家が少しは名門だったこともあり、近づいてくる女の子はむしろ警戒してたくらいで、デートの誘いを断る理由は、僕が『未成年』(スタンブルクでは、他のヨーロッパ諸国より成人とされる年齢が遅く、法律で21歳と制定されている。)だということだった。今から思えばなんと世界が狭く、ある意味『貧しい』考えで勉強してたことか‥。レベカは僕より一歳年上で、そんな僕の考えを否定することはなく、ただ少しずつ世界を広げていってくれた。たまたまウィーン分離派の研究者が友人の一人で、初めはグループで、クリムトの美術展や分離派会館に出かけた。彼女は僕をなるべく音楽会や美術展に連れ出そうとしてくれて、そのうち二人で街並みに出て行くようになったんだ。あの頃の僕には、エゴン・シーレの裸体画なんかは特に衝撃だったよ。」
クルト氏は、その時は遠い思い出を手繰って、どこか楽しそうにも見えた。
「彼女は高等学校生時代から留学してたから、どこが安くて美味しいシュニッツェルの店か‥とか、どうしたらただでザッハトルテの切れ端を手に入れられるか‥とか、学問以外にもいろんなことをよく知っていた。初めはそんなはしたないことと、気後れしていた僕も、段々と彼女のペースに引き込まれていったよ。大学でもいろんな議論をしたが、市街の名所歩きやホイリゲ(酒場)での語り合いは心躍るほど楽しかった。冬などわざと寒い公園で、ホットワインを片手にいろんな話をしたんだ。レベカはホンコンやベトナムからの留学生と親しかった関係で、グローバルな人種観を持っている女性だった。当時のヨーロピアンの排他性や、人種への強いこだわりに疑問を持っていて、その考えを何度も説いていたよ。
『クルト、世界を動かしているのは一部の貴族やお金持ちではないわ。むしろ、名もない市民達の力の結集だと思うの。あなたの国にも多くの外国人労働者やアジアンマネーやジューダン(ユダヤ)マネーが流入しているでしょう。それらをすべて排除して経済が成り立つとは思わないでしょ。』
彼女の国の旧東ドイツでも、東西の経済格差改善や資本主義の導入を巡って混乱していた時期で、ひどいのは、仕事にあぶれた若者達が『ネオナチ』を結成して、肌の色や出身で外国人を襲撃している頃だったから、レベカはとても心を傷めていた。僕は彼女を通じて、人間としての真の『学び』に目覚めていったんだ。それは僕にとって魂の目覚めでもあった。そして、僕達は恋に落ちた。」
話し続けてやや疲れたように、また冷めたコーヒーを一口飲んだ。更紗もゲオルクも何も言葉を挟まない。
「それから、僕達は卒業後もウィーンに残って、結婚しようと約束した。僕は実家の両親に決意を伝えたんだ。彼らの反対攻勢は凄かったよ。家門と国の期待の一人息子の恋人が、あろうことか、外国人で年上の、しかも‥」
そこで彼は苦しそうに言葉を切った。しばらくして、ゲオルクが繋ぐ。
「ユダヤ系だったから‥」
医師は辛そうに頷いた。
「そう、僕には次元が違うことで、人種や家柄や育ちやいろんなことを言われた。大学から実家に連れ戻されそうになったり、レベカの後見人だったロラント先生にもずいぶん迷惑をかけた。そうこうしているうちに、とうとう母が倒れそのまま寝込んでしまったんだ。」
また、しばらく沈黙が続く。更紗が「おじ様、もう‥」と言おうとした直前に医師はまた話し始めた。
「レベカはもともと大らかでいたわり深い女性だったが、きっと僕自身も気付かなかった小さな迷いに気付いたのかもしれない。ある時、とても優しく別れを切り出した。
『心が寄り添っていることが一番大切よ。クルト、私たちが互いにそういられたなら、最高の伴侶だということだわ。でも、そのために誰かが苦しむのなら、別れましょう。だけど、それは愛を無くすことではないわ。誰が知らなくても、結ばれなくても、ずっと愛し合っていくことができる。そうよね。』
そう、笑って言った。そして僕達は会わなくなった。その後に君達のご両親となるリヒャルトとリサが入学してきたから、彼らは今でもきっと、レベカは僕の友人の一人だと思っているだろう。そして、リヒャルト達は学部を、僕は院を卒業してスタンブルクへ帰国した。それからまもなく、レベカが自動車事故で死んだという知らせを受けたんだ。しかし、それも母に泣いて縋られて、僕は一生の恋人に最期の別れもしなかった。」
医師の頬に涙がつたう。更紗は耐えられず、彼の肩に腕を回して
「おじ様ごめんなさい。もういいの、もうおっしゃらないで‥」
と泣きながら訴えた。クルト氏は、その少女の温かさを感じながら、
「僕にもっと勇気と熱意があったら‥、あの時僕がもっと周囲に粘り強く働きかけていたら‥。今頃、僕は妻としての彼女と人生を過ごし、君達のような子供を得ていたかもしれない。君達のご両親のように、諦めないで努力していれば彼女を失わなかった。僕がもっと強かったら‥」
と、絞り出すように言った。あとは言葉にならなかった。三人は黙って泣いていた。
学校への戻りは、クリストフ医師が車で送ってくれた。かろうじて午後の最後の授業に間に合う時間だったが、途中で制服に着替える間もずっと更紗はしゃくり上げていて、
「僕自身が長い間、自分の本心を言えないでいたから、逆に今日はよかった。あれから、両親は亡くなり、実家は結局は姉の子が継いで、僕は一人になってしまった。どこかで気持ちの整理をつけないと、これからの人生をやっていけなくなっていたんだ。」
と慰めても嗚咽は止まらない。医師は、
「いつか僕が天国に召される時に、堂々とレベカに会わなくてはね。生まれ変わったら、たとえ何者だろうと、また出会って今度こそ結婚するんだよ。」
と優しく笑った。その言葉に、更紗よりもゲオルクが感動した。本当の恋の意味はまだ分からない二人だったが、両親やそれよりも年上のクルト氏の若々しさや情熱が羨ましいくらいだったのだ。学校の前で下車する時、
「ギムナジウムの校長とリヒャルトには、僕の方から、話したくて呼び出したことにして謝っておく。その方がいろいろ面倒くさくないだろう。それでも何やかや聞かれると思うが、レベカのことは僕から聞いた通りにパパとママには話してもいいよ。彼等ならきっと分かってくれるだろうから。」
と言いながら降ろしてくれたが、もう一つ付け加えて尋ねた。
「君達が僕に聞きたかったことは、もっとあるんだろう?」
顔を見合わせて複雑な表情の二人に、更に続けて言う。
「レベカがジョエル氏の娘かどうかは僕にも分からない。彼女からご家族のことは聞いたことがなかったし、出身はあくまで旧東ドイツだということだったから‥。でも、最近、薔薇祭の関連行事でジョエル氏に会うようになってから、僕も気になっていたので尋ねたことはある。」
それには、更紗もゲオルクも緊張して次の言葉を待った。
「同じ年頃の娘さんはいたらしいが、彼は自分はストラスブールの生まれだと言っていた。土地柄フランス語もドイツ語も使うが、自分はフランス人だと‥。」
それから半月近くたった頃、書斎でミュンヘンの会社からの書類に目を通していたリヒャルト公の所へ、夜遅くゲオルクが「入ってもいい?」と言って訪ねた。薔薇祭は終盤を迎え一段落していたが、相変わらず忙しそうな父に遠慮してか、後ろでモソモソ動いている息子に、公は、「用は何か?」と促した。ゲオルクは自分を奮い立たせるように、
「パパ、僕、ここのところ凄く勉強にやる気が出てて、自分でも頑張ってると思う。」
と念を押すように言い出す。公も笑みを禁じ得ず、息子を振り向いて言った。
「そうらしいね。ウィーンに行けなかったことで拗ねてるかと思っていたら、別人のように頑張りだした‥って、ママがびっくりして褒めてたよ。」
意外に肯定的な反応に、ちょっとひるんだようだったが、また気を取り直して明るく続けた。
「そう‥、それでね、夏休みはサラサやカールに邪魔されないように、ベルリンの大きい伯母様のところで滞在させてもらってもいいでしょう?」
話の途中から背中を向けた公に、次男坊のくせで甘えるように言ったが、父は何も答えなかった。困ったように、もう一度小さい声で繰り返す。公は、しばしの沈黙の後、
「それで、しばらくしたらサラサが君を訪ねて行くって計画かい?」
と、向こうを向いたままで答えた。図星を刺されて、ゲオルクは固まったまま、弁解もごまかしもできずにいる。父はそこで振り返って、
「コウ、パパを甘く見ちゃいけないよ。このところ、君とサラサが何か熱心に相談したり調べたりしていることは知ってる。この間、クルトを訪ねたのだって、自分が連れ出したと言ってたけど、彼は授業をサボらせるような人じゃないよ。きっと君達の名誉を守ってくれたのだろう?」
と、問い詰められてゲオルクはしかたなく頷いた。
「それがどんなに大切で秘密のことでも、これ以上は見逃せない時点があって、もう放ってはおけないと思っている。それはジョエル氏に関することで、もしかしたら、この間聞いたレベカにも関係があるようだね。」
じっと目を見つめる父に、その前でゲオルクは居心地悪く、何かに睨まれた動物のように黙り込んだ。公は溜め息混じりに、
「私達が国際的に動くには大変な手間と準備がいる。ちょっと親戚へ行って、ついでに関連施設を訪ねたり調べたりできないんだよ。警備体制だけでなく、両国の外務省同士がスケジュールや人員の調整をしているのを、君の年なら理解できるはずだ。サラサに協力してやりたいのだろうが、お忍びにしてもベルリン行きは許可できない。」
ときっぱり拒否した。それでも、しばらくモジモジと居続ける息子に、公はさらに言った。
「何を考えているのか、パパに分かるように説明しないといけない‥。部屋に戻って、サラサにそう言いなさい。」
そして、また背中を向ける。ゲオルクは何も弁明せず、黙ったまま書斎から出て行き、閉まるドアの音を、父は考え込みながら聞いた。
次の日は土曜日の薔薇祭のフィナーレだったので、両親は一日中シュタッテン市内の主要会場や目抜き通りを忙しく回っていた。公家の子供達も取材対象だったので、更紗の考えやゲオルクが父に叱られたことを、家族でゆっくり話す時間はなかったのだ。夕方のイベントが終わって、遅い食事のあとに兄妹は父の書斎に呼ばれた。そこには母である梨紗妃もソファに掛けて待っていた。夫から話を聞いていたので、何も言わずに次男と娘の言葉を待っている。
「パパ、サラサを連れてきたよ。」
大人しく来た二人を見て、父はこの一ヶ月のことを優しく聞いた。更紗は観念したように、まず隠し事をしていたことを謝り、ジョエル氏の最期の言葉を聞いたところから話す。そのことを黙っていたことについては「もし犯罪と関係があったりしたなら、それは大変なこと。」と諭したが、そんなに重要だとも思わず、どうしていいか分からなかった少女の気持ちも分かるので、その後の経過に話を促した。偶然父の書斎で「J・J‥」という紙切れの符牒を聞いた時に、どうしても看過できない思いにとらわれ、心配をかけまいと一人で調べようとしたことも話した。母はそこで眉をひそめ、「危険なことに巻き込まれでもしたら‥」と苦言を呈する。しかし、父君にも、レンツから報告を受けた時、クルト医師には一度確認したので、更紗の疑問を解明するような言葉が見つからない。それでも更に父から、
「コウだけに打ち明けて、ちゃんと大人に言わなかったのはどうして?」
と、聞かれて、少女は躊躇した後に答えた。
「それは‥、C・Cという言葉がどうしてもおじ様やカールとかぶって聞こえて、何か不吉なことになると嫌な予感がしたから‥。」
両親は顔を見合わせて、複雑な表情で頷いた。そして、ゲオルクにも慰めの言葉をかけたのだ。
「コウは、サラサの『おてんば虫』の巻き添えになったような形で、災難だったね。‥でも、それでも君の年ならちゃんと大人に話すべきだった。妹や知人を守りたかったのなら、余計にそうすべきだったんだよ。」
強い公の言葉には、父としてだけでなく、この国を預かる人間としての気構えがあった。次男はしょんぼりと頷いて、かえって心配をかけたことを謝罪した。そして、さらに二人は、「結局どうしてベルリンに行こうとしたのか‥」という問いに、決定的な言葉で答えたのだ。
「レベカさんのことを調べていて、後から、ウィーン大学の資料を確認させてもらったら(後から‥、させてもらって‥、そこでリヒャルト公と梨紗妃は思い当たった。そして『ははーん、マリア・ヨハンナ姉経由だな‥。まったく‥』と眉をひそめる。)彼女の出生地がわかったの。それは、旧東ベルリンの第11区リヒテンベルク地区、その当時は地図に載ってなかった所で、今は博物館になっているけど、ホーエンシェーンハウゼン収容所だったって。」
聞いて、父と母は絶句するしかなかった。姉のお節介を恨めしく思いながら、リヒャルト公は気持ちを落ち着けつつ、ゆっくりと子供にも分かるように丁寧に話した。
「ゲオルク、サラサ。そういうことなら余計に君達は関われないよ。子供とはいえ、一国の公子が外国の政治犯収容所だったところを簡単には訪問できない。たとえ今は博物館で観光施設になっていても、見学するにはそれなりの大義名分がいる。どうしても、何か調査が必要なら、今後はスタンブルク警察が外務省を通してしか調べられない。私としては、今後この件はレンツに預けたいと考えてるが‥。」
警察‥と聞いて少女は動揺した。
「駄目よ、パパ!これは公にはしないで!クルトおじ様とレベカさんのことが関係ない人にまで知られちゃうなんて、私が余計なことをしたばかりに、そんなことはできない。二人のことが他人に知れるのは、私が土足で踏み込んだようなものよ‥。」
更紗は泣きそうになった。あの時の医師の悲しそうな声が耳から離れない。それでも、彼は最後は、微笑んで自分達に礼を言ったのだ。どうしても、これ以上過去をさらけ出させるわけにはいかなかった。娘の訴えを聞いた公も妃も、その心情が分かるだけに、眉間にしわを寄せたまま考え込む。
「だけど、話を聞いていると、サラサは、レベカとジョエル氏が親子かどうか、また、彼の死が単なる事故なのか、それとも裏に何か謀略があるのかを知りたいからここまでこだわっているんだろう?」
少女は涙ぐみながら父を見つめて、コクンと頷いた。父は、
「なら、これはもう君達の手には負えないよ。一度『事故死』として処理された案件について、今から真実を追究して、それが覆った時には刑事事件になるんだからね。」
と、そこだけは娘に理解させる必要があるからと強く言い、母も娘を見つめて、夫に同意するように頷いた。
更紗はそれでも、なお「だけど‥」と言いよどんで、しばらく泣いていたが、その声が少しとぎれとぎれになった時、ゆっくり顔を上げて父の方を見た。何かを予感して、リヒャルト公は一瞬妻と見交わした。その二人に娘がはっきりと言ったのだ。
「では、パパなら‥?」
予想が的を射たのか、驚きながらも無言で首を振る父に、更紗は重ねて言う。
「パパならできるわ。だって、警察や軍の最高責任者だもの‥。」
「サラサ、何を言ってるのか分かってるの?一国を任されて統率すべき私が、娘にせがまれて権力を使うわけにはいかない!そんなことは絶対‥。」
公爵の語気は強かったが、更紗もひるまない。
「いいえ、パパ。これは個人的なこととは違う!このスタンブルクで、薔薇祭の記念行事で起こったことは、パパが管轄すべきことの一つでしょう?ジョエルさんは国の代表者の一人だったし、クルト先生は政府の要人でもあるわ。その方達の名誉を守るのは、君主としても友人としても、とても大切なことのはずよ!私達が考えなくて、他の誰かにできるかしら‥。」
公が「だけどね。」と言い返そうとしても、少女は話を止めなかった。
「君主として警察や軍を動かしてほしいとは言ってない。パパが考えて、内緒でベルリンに人をやったり、大騒ぎにならないように資料を取り寄せて調べたりはできる。パパが、この国の責任者として、真実を確認することはむしろ必要よ。」
自分の顔が紅潮するのを感じる反面、まだ少女の説得力ある理論に、自分自身が驚いているのがわかった。娘と夫の応酬に、冷静を保っていた妻が割って入る。
「あなた、落ち着いて考えましょう。‥一つの方法として、ベルリンのお義姉様か甥のミヒャエルさんにお願いして、せめてレベカさんのご両親のことだけでも分かったら、更紗も納得できると思うわ。」
「君まで何を‥。」と言いかけて、公は黙り込んだ。その夜は、ゲオルクと更紗を引き取らせてからも長い時間書斎の明かりは消えなかった。
子供達のそれぞれの学年が終了し、秋から一年上級になるのに合わせて、長い夏休みが始まった。その後、更紗は母から言われたピアノの練習と、今回なぜか祖母君のルィーゼ太公妃が週の半分くらい離宮からやってきて、「女の子には代々教えてきたのよ。」と言いながら、孫娘に刺繍の手ほどきを始めたので、むしろ休み前より忙しくなった毎日を過ごしていた。文句を言うわけではないが、急に祖母が一緒にいるようになったのを、
「ママ、何かパパがおばあちゃまに頼んだのかなあ‥。私が無茶なことをしたり、言いつけを守らなかったりするといけないから、おばあちゃまがお目付役をしてるのかなあ‥。」
といぶかしげに尋ねることはあった。梨紗妃は、特にそういう計算もないので、
「そんなことはないわ。更紗もティーンエイジャーとして、いろいろなことを学ぶ歳になったのよ。ママも教わったし、身近に優れた指導者がいてくれて感謝しなければ‥。」
と微笑みながら宥めた。公務が空いた時など、窓辺で三代の女性がゆったりと話しながら、午後のひと時を過ごす。更紗も手先が器用で、作品のハンカチを仕上げたらウィーンの伯母様に送るという目的があるので、祖母や母に教わりながら素直に製作していた。
そんな夏のある日、議会終了のセレモニーから帰ってきた父のリヒャルト公が、三人の側に近づいて来た。妻と母君は「お帰りなさい。」と見上げ、長女は父に製作途中の刺繍を見せたが、いつもなら「三代のレディが揃っていて、優雅でステキだね‥」などとからかうはずの公が、まじめな表情で話を切り出す。
「母上に留守をお願いすることになると思うので、一緒にお伝えしますが、スタンブルク在住の経済界の旧東欧出身グループが中心となって、来年度の『汎ヨーロッパピクニック、移住25周年』という記念行事のために、今からドイツやハンガリーと交流行事を行うそうです。父上をはじめ、私たちの国が友好的に受け入れを行ったことに対する感謝の意と、各国が民主化されてからの国交の発展を記念して‥という趣旨で、我々にもなんらかの公務が科せられることになりました。」
旧東欧、ドイツ‥と聞いて、更紗は父の話に聞き入り、ある意味いくばくかの期待感を持って次の言葉を待った。リヒャルト公はそんな娘の表情を読んで、少々牽制しながら、
「しかし、今すぐどこの国のどんな都市や施設と決まったわけではないのですが、近々、家族で相手国との友好行事に出かけなくてはならなくなると思います。母上にも、ボヘミア関係のことはご相談があるかもしれませんので、よろしくお願いします。」
と、丁寧に依頼した。そして、そのことに関連した話はしばらくなかった。
「汎ヨーロッパピクニック」とは、かつてヨーロッパで東西問題が激化した頃に起こった、国境開放の歴史的事件だ。第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは、旧ソ連が管轄・主導する社会主義体制の東ドイツと、米英仏が戦後処理を行い民主化した西ドイツに分断された。戦勝国によって占領地域が分けられ、同民族でありながら、その後の国の体制が違ってしまった分断国家の最たる例である。東ドイツは「ドイツ民主共和国」となり、西ドイツは「ドイツ連邦共和国」として東西冷戦の境界線(鉄のカーテン)を担い、その、厳しい対抗意識と監視や管理のもとに大きな犠牲をはらった歴史があったのだ。東ドイツは、表向き複数政党による議会制政治を実現していたが、実際はドイツ社会主義統一党(SED)が、国家保安省などによる国民や選挙の監視・抑圧を行いながらの政治体制であった。
当初、米英仏ソで協調処理していた頃は潜在化していた政治体制の違いが、1948年の西側の通貨改革を発端として経済と政治両面での分断化が進行し、翌年9月の「ドイツ連邦共和国」の建国と、10月の「ドイツ民主共和国」の建国につながる。同時に首都であったベルリンは東側の領内という位置から、旧ソ連による「ベルリン封鎖」を受け、後の「ベルリンの壁」建設によって東西ベルリンに分断された。1953年にソ連でスターリンが死ぬと、東ドイツ指導者達の動揺と国民への抑圧は決定的となり、東西の対立がベルリン市民の生活や思想を縛っていく。それでもまだ壁建設前の時点では、東ベルリンから職場がある西ベルリンに通勤できたり、物資が豊富な西への逃亡者が出ても、西側から賠償金(亡命者を引き取る代価)が支払われてむしろ東側はそれを受容する事実があった。しかし、青年層を中心とする多大な労働力の損失を防ぐために、1961年8月に東西ベルリンの境界線を完全封鎖し「壁」が建設されてからは、それを越えて亡命しようとした者や、引き離された家族に不法に会おうとする者は「政治犯」として、射殺・逮捕・投獄の対象となっていった。
その代表的な施設が、シュタージによって管理・運営された「ホーエンシェーンハウゼン収容所」現在の記念館なのだ。ここは拷問・えん罪・獄死などの暗黒体制の中心であり、東ベルリン市民を締め付ける圧政と強制の象徴でもあった。
そのような分断国家間の往来は当然不可能で、東側諸国へは許可を得れば旅行などもできたが、西への移動は当然できなかった。しかし、1980年代になって相次ぐ東欧諸国の民主化や社会主義政治の崩壊を受け、東ドイツから西への多数の亡命希望者がハンガリーとオーストリアの国境地帯に集合し、オーストリア側に国境を開放するように要望する政治集会が行われたのだ。その場所が、オーストリア領に食い込むように国境線が引かれたハンガリーの「ショプロン」という街で、それ以前に、すでにオーストリアは、ハンガリーのパスポートを所持した人の越境は受け入れていた。大戦終了後、自国の混乱と政治的な変遷に翻弄されていたオーストリアは、長く東側への協力を拒んで沈黙を守っていたが、オットー・フォン・ハプスブルク(最後の皇帝、カールの息子で元皇太子。当時はヨーロッパの平和的改革を志す「民主フォーラム」の後援者だった。)などの活動が大きく影響し、東ドイツ国民の間では「ショプロンにたどり着ければ、そこからオーストリアを経由して西ドイツへ亡命できる。」という噂が広まっていた。そのことから、1000人あまりの東ドイツ国民がこの政治集会に参加し、集会の途中からぞくぞくと越境し始めたのだ。この模様はマスコミで報道され、国境警備隊の隊員達が、取り締まるどころか越境を黙認し、家族で亡命する人々を補助し子供を抱き上げるという感動的な映像すら流れた。元々国境ゲートの一部が開放されていたり、警備隊には武装も阻止も禁止されていたりと計画的に実施された出来事だったのだ。
こうして、東西世界の対立を緩和するきっかけとなる「真夏の週末ピクニック」が実現した。その成功報道によりハンガリーやチェコスロバキアと西側諸国の国境にはさらに多くの難民が詰めかけ、解放を要求したことで東ドイツと東側・西側各国の関係は悪化していくが、徐々に民主化の波は高くなり、当時のホーネッカー首相は退陣に追い込まれる。そして、1989年11月9日、とうとうベルリンの壁は市民の手で崩され、すでにソ連ではゴルバチョフの「ペレストロイカ」が表明・推進されていたこともあり、東ドイツ崩壊と東西ドイツ統一につながった歴史的な事件だった。
公家としての夏休みは取れそうもない慌ただしい日が続いたので、大人も子供達もそれぞれがそれぞれの予定や役目に取り組んで、少し時間が空くと公邸のプライベートリビングが集合場所になり、情報交換としばしの団らんの空間になっていた。高原地帯の首都なので夏でも暑くはないが、庭園には少し小ぶりで色鮮やかな夏バラが咲き、窓を開放して星空やアルプス降ろしの風を鑑賞できる。珍しく父の公務が早く終わり、家族で夕食を終えた一家は、庭園に張り出した半円形の窓辺のソファや絨毯で思い思いに寛いでいた。更紗はカールとゲーム盤に向かっていた顔を上げて、
「ママ、今そよ風に乗ってバラが香ったよ。下のベランダ脇のオベリスク仕立てだと『レオナルド・ダ・ビンチ』かな‥。もう少し先のベンチのそばのアーチだと日本の『さらさ』だね。」
と楽しそうに言う。以前、日本から送られた苗木が自分と同じ名前のバラだったのを、その時基礎学校の上級生だった彼女は大変喜んだ。残念ながら他の男の子達の名前に準じた種類はないので、母が婚約した時の記念種となった「東洋の神秘」とともに、愛らしい花びらがこぼれるように咲く、フロリバンダ系のバラは少女のお気に入りだった。母も、晴れやかに笑って、
「そうね。また『さらさ』が満開になる時期が来たわね。ほんとに、あれは可愛らしいピンクのの品種で、少女が笑いさざめいているようよね。」
と、娘が喜びそうなコメントを添える。父は「可愛らしい」という部分に長女を重ね合わせたのか、満足そうに頷いた。そして、頃合いを見計らって「正式には秘書官から」と断って、家族に告げたのだ。
「夏休みなのに、みんなには申し訳ないが、以前に相談した来年の『汎ヨーロッパピクニック』関連行事の公務を受けることになったよ。」
妻の梨紗妃と子供達が顔を見合わせるのを確かめるように、
「今回は、私とサラサとカールがベルリン市内でドイツの商工団体の行事と市内見学、リサとゲオルクはブダペストでの歓迎行事と世界遺産の視察、おばあちゃまとヨーハンにもシュタッテン市内の行事に、できる限り出席してもらうことになる。」
と、毅然とした家長らしい風格で告げたが、彼の視線は更紗の“ある意味”嬉しそうな視線とぶつかった。少し気まずい雰囲気を敢えて持たせて、さらに娘と次男を窘める。
「サラサもゲオルクも、先日パパが注意したことには十分気をつけてもらうよ。これは家族旅行でもなければ、単なる個人的な用事のお出かけでもない。くれぐれも浅はかな態度で臨まないように‥、目的をはき違えて主客転倒しないように‥。」
ヨーハンはなんとなく父の小言の意図を推測できたが、末子のカールはなんのことを言ってるのか分からず、戸惑っている曖昧な表情で頷いた。母は苦笑した。
「カールは何も気にしなくていいのよ。パパとベルリンに行って、しばらくぶりに大きい伯母様のおうちに寄らせてもらって滞在できたら、少しでも夏休み気分になれるので良かったじゃない。パパとお姉ちゃんと公務を頑張ってね。」
それでも、大きい伯母様があまり得意ではない彼はそれほど嬉しそうではなかった。母はまたゲオルクの方を向いて、
「晃は今回は私とハンガリーだから、例の件にはノータッチでいてね。ママもできるだけあなたが勉強を続けられるように、環境を整えるから‥。」
それは明らかに“遊び気分で はいけない、アビトゥーアに向けての勉強は休まないよう‥”という釘を刺している言葉だと分かるので、彼が苦笑いで答える様子を父は楽しそうに見守った。そしてその視線にも、微妙に微笑んで反応している。
「さて、では明日からナンネやイルゼを煩わせることになるが、それぞれ自分のスケジュールを確認して、早めにいろいろな準備を始めてほしい。我々は今月半ばには出発が決まっているし、ヨーハンにもパパの代行をしてもらう必要が出るだろう。市内の会議場でも前公妃と公子を招く内容のイベントが決定しているそうだ。」
ヨーハンは父の目を見て、言葉は少ないながらしっかり頷いた。かつての抵抗感は少し克服しつつあるようで、最近は父が「代行」という言葉を使うのに、淡々と応じているようでいながら、その責任の重さや行動への注目度を決して嫌だとは思っていないように見えた。つい先日、梨紗妃が夫につぶやいたことがあって、
「あなた‥、あの子が私達の仕事の意義を理解してくれる日が来るといいわね。」
としみじみと言ったのに、公は
「私は、きっといつか彼が自分から申し出て、継承を了解してくれると信じている。それも必ず自然体でね‥。」
と、妻に微笑み返した。
八月半ばのベルリンは昼夜の寒暖差が大きく、夜は寒いくらいだが昼間は半袖で充分過ごせる。スタンブルクからの賓客には、今回民間団体の招きで商工会議所の議長クラスと経済省のトップ他が対応するということで、国際的な行事としてはかなり気軽な方になっていた。リヒャルト公とともに関連の会場と歴史的な施設の見学に赴いた更紗とカールだったが、夜の行事は出られないので、市内の「エリーザ・マルゴ伯母様」の屋敷で留守番を強いられた。初日に着いた時、父とともに挨拶をしたが、やはり伯母への取っつきにくい感は残り、必要以外は子供用の客室にこもって時間を過ごすことが多かった。そこはマリア・ヨハンナ伯母と違って、呼び出して話し込んだり、無理に連れ回したりしないのでむしろありがたかったのだ。しかし、持参したゲーム機などでは暇つぶしにしかならず、3~4日もたつとよその家ということもあり、退屈して身をもてあましている様子が父君にもよくわかる。リヒャルト公は、何も言わず我慢して父に従っている更紗の心情を汲んでいたので、ある時そっと娘に伝えた。
「サラサ、私は決して君に合わせるとか、君のわがままを聞くのではなく、ちゃんと君達の学習になるように考えたんだがね。」
しかし、その時点では、少女は無理にも収容所の訪問を願う気持ちにはなってなかった。スタンブルクを発つ直前に、例のレベカ・ハナ・ヨエルという女性の親のことについてはすでに報告を受け取っていて、1964年彼女が2歳の時に亡くなったエッダ・サラ・クリューガ―という女性が母親だということは分かっていたからだ。未婚だったらしく、姓は違っている。また、その人は、建設されて2年目の「壁」を越えたことで警備隊に射殺された。ただ、ヨエルという姓の由来や、母と共に壁を越えて、小さな子供がその後どうなったのかまでは掴めていなかった。そして、ヨーロッパでのユダヤ民族の家族の結束が強い中、彼女は一族の誰と生き、誰に引き取られ、またどのような生育歴の中で成長した秀才としてウィーン大学に留学していたのかも分からない。更紗は、それを調べて教えてくれた父君に感謝していたし、大好きなクルトおじ様が遠い昔愛した女性のシルエットぐらいまではイメージできたことに満足した。それで、ベルリンでもあまり父を心配させるような言動はなかったのだ。
「明日は、ホーエンシェーンハウゼン記念館を見学しようと思うが‥。」
突然の父の言葉は更紗には信じられなかった。子供が踏み込める領域ではないことは、何度も父や兄から説得されて、少女にはこれ以上レベカの実像に迫れる可能性は残っていないと諦めていた。ただ、思春期を迎えた彼女の心に、収容所内で誕生し、幼児の時に母を亡くし、その後大変な苦労と勉学を重ねてウィーンという運命の地で、永遠の恋人とも言える男性と出会いながら、悲壮な別れとその後の人生の終焉を迎えた、一人の悲しすぎる女性像がずっと重く消えないでいた。それは、自分が母に甘えたり、兄弟でふざけたり喧嘩したり、また、心置きなく家族に何でも話せる現実と重ねると、余計に悲しく感じていたのだ。
「パパ、連れてってくれるの? 私、行ってもいいの?」
うんと頷く父の首に腕を回しながら、殊勝に感謝の言葉を伝える。小さな声で、
「ありがとう‥。私、レベカさんのことが知りたい。彼女がいた所を見てみたい。」
とつぶやいた。うんうんと続けて頷く父君から、少し心配そうな注意があった。
「ただし、重い過去の政治的証明施設だから、君にはショックが大きいかもしれない。これは、ママとも相談して(昨日長い電話をしていたのは、更紗もカールも知っていた。)地下の重要展示は避けて、観光客に公開されている歴史上の流れが分かる一部分だけにするのと、ちゃんと説明者が付き添って、中等学校生に理解できるようにしてなら‥ということになった。だから、ジョエルさんやレベカのことを調べに行くんじゃないよ。歴史の宿題をしに行くんだよ。」
「はい。」と更紗は素直に父に約束し、自室に引き取った。母君は夫にこんなことも言っていた。
「あの子はきっと自分でも気付かないで、クルトのことが好きなんでしょうね。人の苦しみや悲しみをやり過ごせない性格もあるけれど、無意識に、最愛の人を亡くして孤独に人生を過ごしてきた彼への想いと、小さい時からかわいがってくれた身近な男性に対する自分の思いが重なるのかもしれない‥。きっと、本人なりにクルトへの償いができると思えるのは、レベカさんのことがすべて分かってそれを昇華できた時じゃないかしら‥。」
父は自分より年上の友人に対して複雑な気持ちを隠せなかったが、妻は笑いながら、
「嫉妬しても仕方がないわ。これは本人も気付いてない心理よ。みんなこういう恋愛の練習段階を通ってしか成長できないし、大きくなって本当の恋ができる心を育てるのよ。それを見守るのもやはり『親の勤め』でしょ?」
と、以前の夫の言葉でやり返した。少々悔しかったのか、公は「本当の恋なんかしなくていいよ。」と負け惜しみを言って電話を切ったのだ。
次の日は奇しくも8月19日だったが、それはあの「汎ヨーロッパピクニック」が実施されて24年目にあたる日だった。さすがにカールは年齢的にも収容所はやめておこう‥ということで、彼は一日休日として従兄弟のミヒャエルが自然史博物館に連れて行った。一人で、あまり親しくはしてこなかった親戚とでは窮屈かも‥と、リヒャルト公の気遣いをよそに、恐竜や原始時代のジオラマが見られるのに大はしゃぎで朝早くから出かけて、父も姉も拍子抜けした。更紗達もやはり混乱を避けるために、一般公開の前に2~3時間取らなくてはならないので、収容所の見学に早くから出かけることになったが、更紗は張り切っていた。せっかく、父君が、大いに不本意ではあったはずの施設に連れていく決心をしたことを、また、なんらかの両親の意図が働かなければ実現しないはずなのだということは、ちゃんと了解していたからだ。案内者の手前、彼女は父に従って、行儀良く熱心に見て歩く。
「この収容所は、もと旧ソ連の統治下で、ナチス関係者や共産主義に批判的な者達を取り調べていた施設でした。その頃の収監者は2万人以上と言われています。旧東ドイツは、その監獄をそのまま1951年から引き継ぎ、国家保安省が政治犯や『壁』建設後の亡命未遂犯などを逮捕・拘留し、過酷な取り調べを行った場所なのです。さらに、このリヒテンベルク地区のシュタージ施設が点在する中で、地図に載せていなかった、規模も内容も一切極秘とされていた場所でした。」
案内人のドメニク氏は、自己紹介では彼も収監された一人‥とのことで、その説明の内容や施設内を案内することに、暗い記憶を隠せない様子だった。
ホーエンシェーンハウゼンの留置場は、今でこそ照明が明るく記念館として見られるように保全されたが、かつてはナチスドイツの潜水艦になぞらえて「Uボート」と呼ばれた。それは、窓が一つもなく狭い空間に大勢を押し込めて、昼夜を通して取り調べたり拷問を行ったことで、まるで潜水艦の中で死を待つような印象を言ったものだった。または、実際に狭く隙間のない地下室で、水牢として水攻めに使用されていたとも言われている。独房の外側から、ただ両手を毛布の上に乗せていないというだけで電灯のスイッチを入れられ、夜中でもたたき起こされて廊下に整列させられる。焦げ茶色のペンキが剥げかかった薄暗い廊下には、奇妙な白線が描かれており、それは完全に支配・強制する側と非人道的に抑圧される側との境界線を示したものであった。このように身体的・精神的に痛めつけられ追い詰められて、多くの人は自白や署名を余儀なくされたのだ。前半は思想や政治的な反対者が多かったが、後にはただ「壁」を越えて肉親に会おうとした者や、亡命を企てた(何分の一かはえん罪も含まれた)という体制に従わない者を対象に、まさに東西ドイツが再統一されるまで長く強硬な暴圧が続けられた場所だ。
更紗がまだ10代前半の少女だということもあり、ドメニク氏の説明はかなりフィルタリングされており、聞き苦しく残酷なところはカットされているようだったが、父のリヒャルト公は、まだ新婚当初、梨紗妃を伴って、近郊国に紹介がてら訪問していた時期に訪れたことがあった。その時の地下監獄の見学と周囲の光景や、ガイドの詳しい説明などは彼には一種の衝撃だった。スタンブルクが、近代になっては戦争も紛争もなく、国内的にも対外にも穏健で民主的な国家でやってきたゆえ余計にショックが大きかったのだ。同胞が同胞を猜疑し傷付ける心情の哀しさを、国家が負う責任として深く感じた最初の出来事だったかもしれない。
「パパ、人間が他の人に対して、こんなに残酷なことができるなんて、私、信じられない。」
更紗はそっと父の横で感想を言った。公も、初めは娘が受けるショックを心配していたが、案外冷静にしかも歴史の事実として学ぼう‥という様子に安心した。また、彼女が将来、国の何らかの責任を負う立場になることを考えると、少しずつ様々な学習を積んでいくことも必要と考えた。できるだけ客観的に、しかし不正や不適切な社会をきちんと判断する知識と、人を思いやる心情と理性は不可欠な要素だったからだ。
後半の行程で、広い展示室に入り壁面の様々な資料写真を見て、さらに説明を聞く。更紗は利発な少女なので、そこまでの見学内容から過去の写真や施設図についての的確な質問も多かった。案内者は、慎重に言葉を選びながらも、隣国の小さなプリンツェッスィンの反応に満足げだった。一つ一つ答えるたびに、その父の方に向いて確かめるように見るので分かる。リヒャルト公も、娘の望んだことで自分が歩み寄ったが、単なる興味本意の訪問にならないことを内心嬉しく感じた。
最後に、収容所の開放時、特に大判の多数の元収監者が写った資料の前に来た。公と更紗は、壁の崩壊とともに、かつての亡命犯罪者とされた人達が、魂の自由を得た様子でここの大門からゲンズラー通りに向かって走り出ていく時のことを、自身もその一人であったドメニク氏から説明を受けていた。長年待ち続けた家族や恋人が迎える人がいれば、長く東西に隔てられたった一人で遠くまで去った者達も多くいたとの説明で、想像もつかない何千人という人の一人一人の心情に思いを馳せていた、その時、彼は奇妙な娘の言葉を聞いた。
「パパ、‥私、この人知ってるわ。」
えっ‥と驚いて彼は更紗の方を見、その指さした先の写真を見た。一応初期のカラー写真だが、処理が悪く色褪せて人物の判定も難しそうな画像だった。リヒャルト公は、もう一度娘の表情を見て、確かめるように聞いた。
「知ってるって‥? この収容されていた人のことかい?」
更紗も父に向き直り、確実な表情と確実な言葉で言う。
「ええ‥、ここに写っているのは若い時だけど、今はもっとお爺さんになっててスタンブルクで何度も会った人よ。」
言われて公は「信じられない」という表情で写真を見つめた。そこには大勢の人の群れの中で、埋没しそうなくらいやせ細った小柄な男性がいた。悲しそうな表情と意志の強い唇と、胸に抱きしめた小さな荷物だけが見て取れた。
「私にもバラの品種と名前や世話をよく教えてくれた。『花の魔術師』のお爺さん‥。」
‥ Fortsetzunng