その2
クルト医師は、公邸の居間でソファに身体を埋めた更紗を気遣った。隣で母が抱きしめているカール公子は、先ほどまで眠って少し食事ができてやっと落ち着いたようだ。その二人を守るように、父のリヒャルト公と兄のヨーハンとゲオルクが両側に立って、神妙な面持ちで二人と医師を交互に見守っている。
「おじさま、アナフィラキシー・ショックって、そんなに簡単に起こるの?」
更紗には、蜂にさされてショック症状になったことは理解できても、「アレルギー」という通常の知識からは想像もできない出来事だった。
あの時、倒れたジョエル氏を支えたまま、人工呼吸を続けながら、更紗と警護のレンツはほんの数分を数時間のように感じていた。誰かを呼べば大騒ぎになることは分かっていたので、ひたすら救急車の到着を待つしかなかった。一方、カールを連れたハンスは、急いで公邸の庭園に戻った。会議の人の動きが多い中で、まずクルト医師を見つけ簡単に経緯を話して、公爵夫妻にどう伝えるかの指示を仰いだ。Arzt クリストフは、倒れたという患者の名前を聞いて、協会の理事だと理解し驚いたが、
「私はとにかくすぐサラサ達の所へ行くよ。イルマッハ君はリヒャルト公を捜して、人がいない所で話すように。くれぐれも騒ぎにならないように気をつけてくれたまえ。」
と生け垣から隣地へ飛び出して行った。そして、ハンスはカールの手を引いたまま公を見つけ、廷内に入って事の詳細を伝えた上で、彼からベルレン州の関係者を捜して連れて来るようにと下命された。リヒャルト公は、戻ってきて父親に会えたとたんに、気が緩んで嗚咽をあげる息子に優しく話しかけた。
「カール、ショックだっただろうによく頑張って責任を果たしたね。まだ、ママは会場の仕事で手が離せないだろうから、ナンネと一緒に奥で休んでても平気かい。パパはサラサの所に行ってあげなきゃ、ね。」
やっと10歳になったばかりの少年は、心細そうな表情を浮かべたが、姉の名を聞いたとたん唇をギュッと結んで健気に頷いた。そして、それからの公は、わずか15分ほどの間に、ベルレンの関係者に急ぎ搬送先へ向かう人を選んで、情報が入り次第対応してもらえるように手配し、会場のセンターで仕切っている妻には何も伝えない方がいいと判断し、代わりに母のルィーゼ妃と家政執務官リンドホーフ夫人を呼んだ。来客の一人に急病人が出て既に対応はすんでいるので、このまま最後まで日程を続けられるように梨紗妃をサポートしてほしいと頼み、また、その近くに更紗がいるようなので、自分が密かにここを抜けて向かうが、心配しないでほしいことを伝えた。このような時、母后は、性格的に慌てたり勝手に判断しない人なので、落ち着いて公の言ったとおりに動いてくれるのがありがたかった。そして、彼は、目立たないように屋敷の横の出口から史料館に回り、閉館している出入り口から矢のように公園内に走り出した。公よりもずっと若いハンスが、護衛のために追いかけたが、追いつけないくらいのスピードで。
更紗の所へは、まずクリストフ医師が来て、前後して到着したRettungswagen (救急車)にジョエル氏を乗せ、搬送先が確定すると打ち合わせどおり廷内の警護部長に連絡をしてから、同乗して去った。彼女はそのあともペーターと一緒に、やや茫然とその場に残っていた。10数分の時間差で父が駆けつけて会った時にも、疲れた表情ではあったが泣かなかった。
「パパ‥。」
ホッとしたように、父のことを呼んでその腕に倒れ込んだ。公は少女のか細い身体をしっかりと受け止め、初めて表情を緩めることができた。息を切らしたハンスが追いついた時には、親子は芝生に座って、父が子守唄のように娘を宥めていたのだ。
「サラサ、大丈夫か。さすがはママの娘だな。パパだったらきっと動転してただろうけど、よく冷静に判断して処置できたね。心細かっただろう。もう大丈夫だよ。パーティーは間もなく終わるだろうから、ママの所へ行こうな。」
少女の髪を撫でて、おでこにキスして、父はおまじないのように言葉を繰り返した。幼児の頃によく抱っこして散歩したり、肩車や「ブランコゆらり」という遊びで、両手を持って揺すりながら遊んだり、その成長の重みには慣れている。しかし、気持ちからか、今日は更紗の体重をとても重く感じた。
「‥ジョエルさんは助からないかもしれない。パパ、あの時、私の判断で間違いなかったのかな‥。」
自分の驚愕よりも患者を心配して、気落ちしたように報告する娘に、彼はただ頷きながら背中を撫でるしかなかった。
そして、梨紗妃の方は、行事の途中から、はっきりとは分からなかったが、周囲の空気感が変わったことを感じていた。子供達が庭園から市民公園に出て行き、なかなか戻らないことを心配していたのと、微かだが遠くの方でサイレンのような音が聞こえたのが気になった。それが、ジョエル氏の急変とは思いもよらなかったが、同時に夫の姿も見えなくなったので、子供達が関係しているのでは‥と落ち着かない気持ちのままパーティーの進行をつつがなく終えたのだ。傍にはずっと義母とリンドホーフ夫人が付いていて、痒いところに手が届くように補佐してくれ、それも少し妙には感じた。夕刻までに、既に三々五々帰った客もいれば、途中から主要招待者のグループに加わるため追っつけて参加した十数人もいたので、結局、庭園にはずっと多数の人がいて、入れ代わり立ち代わり挨拶や会話が続き、誰かに様子を問うこともできないでいた。やっと最後の見送りがすんで、片付けに取りかかったスタッフに後を任せて廷内に入ったのは、もう周囲が薄暮に包まれる頃だったのだ。
何があったのか分からないまま、客間にいる更紗とリヒャルト公の姿を見た時、真っ先に出たのは、
「あなた、更紗、‥カールはどこ?」
という言葉だった。末子はだいぶ前に帰宅していて、その時は奥のプライベートリビングで眠り込んでいた時だった。夫から説明を受けて、すぐカールのいる所へ行くと、乳母に付き添われた末息子はソファのクッションに埋もれてぐっすり寝ていた。ナンネが起こさないように‥と目で合図して、
「ずっと気が高ぶっていて、何も食べないし泣き止んだ後もあまりお話もなさらないので、ちょっと前にあったかいミルクとビスケットを差し上げました。そしたら、先ほどやっと‥。」
と、小さい声で報告した。母后は黙って頷き、唇の形で Danke SchÖn と伝えてそっと部屋を出た。来客用の居間に戻ると、父親に庇われるように並んで座っている娘に近づいた。
「更紗、ジョエルさんのことありがとう。ママの代わりにとっても頑張ってくれたってパパから聞いたわ。」
長女は父に繋がれていた手をほどき、反対側に座った母の首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。それでも彼女は泣かなかった。疲れ切って、おそらくは何も言えない状態の娘を梨紗妃は静かに抱きしめる。その時にはクリストフ医師からの連絡を得ていて、病院での必死の蘇生術もむなしく、患者の死亡が確認され、ベルレン州の関係者も院内で急遽今後を検討している時間だった。父は、妻にともなく、娘にともなく、
「サラサは気丈で判断力に優れた子だよ。落ち着いて、カールとハンスに的確な指示を出し、クルトやパパに最短時間で知らせたんだ。救急車も早かったし、人工呼吸の間はずっとレンツの補助をしたそうだ。まだ7年生(中学1年)で、初めてのことでこんなにきちんと責任が果たせるなんて、本当にママにそっくりだね。」
と低い声で話しかけた。それは、先ほどの公園で言っていた、更紗の懸念をなんとか晴らしてやりたいとする親心だったのだろう。聞いている妻は、娘の髪を撫でながら、ホッとしたせいもあり涙ぐんでいた。突然の少女の驚きと恐怖を思いやって、母として忍びないものがあったのだ。娘の傷ついた心を考えると、しっかりしているからこそ、避けさせてやれなかった悔いもある。
「更紗、もう気持ちを緩めていいのよ。パパとママには何でも言って‥。」
娘は母に両頬を手のひらで挟まれ、その黒よりも薄く、父のハシバミ色よりも濃い中間色の瞳を覗き込まれて、少し照れ臭そうだった。
「今朝、ママが着せてくれたドレスが汚れちゃった。」
母は「ドレスなんて‥。」と言いかけて、リヒャルト公を見た。夫はゆっくり首を振って見返す。さっき、公園から帰宅する時、ハンスとペーターに付き添われて父親と歩き始め、更紗は初めてドレスが泥だらけになっているのに気づいた。突然倒れた老人を抱え、でも原因が分からない急病人を揺すったり動かしてはいけないという救急の知識は学校で得ていたので、地面に座り込んだまま、ジョエル氏の頭を支えた。そして、ペーターが人工呼吸を始めると、
「サラサ様、患者の首をまっすぐにして気道を確保してください。」
と言われ、激しく動くジョエル氏の上半身を必死で支え続けた。その時の汚れだったのだが、庭園が近づいて来て、偶然、梨紗妃の立ち働く姿が遠目に見え、ハッと気づいた。
「パパ、こんな恰好で戻ったら、ママが心配するね。」
そう言って、二人は史料館側の裏口から廷内に戻った。更紗はまたこんなことも言った。
「ママ、いつも忙しいけど、テキパキ動いて笑顔でいて、カッコいい。」
「そうだね。だから、パパはママのことが大好きなんだよ。そのママが、サラサにドレスを着せて、今日はママの分まで頑張って欲しいという気持ちを込めたんだから、この泥汚れはその期待に応えた証なんだ。それは、君が公家の一員として責務を果たした勲章だよ。」
しかし、客間でお客様の出入りを担当していたスタッフのイルゼが、その姿を見て声をあげそうなほど驚いた。リヒャルト公は手で彼女を制し、更紗をソファに掛けさせて飲み物を頼んだ。普段はあまり好まないが、温かいココアを少しずつ飲めた頃にやっと息が穏やかになったのを感じて、イルゼも安心したようだった。
「公爵様、もうここにはどなたも出入りをなさらないでしょうから、サラサ様をゆっくり休ませて差し上げてくださいね。」
彼女は大きな窓の全てをカーテンで覆い、静かに礼をして廊下に出て行った。
5月になったとはいえ、朝夕はまだ寒い日もある公国の春宵である。天井が高く広い居間は暖炉から離れると、けっこう寒さを感じた。紅茶やコーヒーのポットと並んで、ナンネとイルゼが準備してくれた軽食の大皿が置かれたテーブルを、公爵一家とクルト医師が囲んでいる。皿の料理の中に、いくつかオニギリが混ざっているのがこの家族の特徴だ。米も塩も海苔も、他の調味料なども「鎌倉のおばさま」が定期的に送ってくれる。梨紗妃にとっては、何日かに一回は和食を作ることができる材料になっていた。
「普通のアレルギーと、人が亡くなるほどの強いアレルギーの違いがあるの?」
13歳の少女の予備知識では、アレルギーで思い浮かぶのは鼻炎や発疹や皮膚過敏症ぐらいしか考えられなかったのだ。
「そうだね。普通、アレルギーを起こすというと、その人にとって体質的に害になるものによって、花粉だとくしゃみや鼻水、小麦粉や卵だと咳やかゆみが出ることと考えるよね。最近では、環境的な要因も増えてきていて、症状の分類もずいぶん多くなってきている。」
その頃には、今日一日大活躍だったルィーゼ妃はとうに離宮に帰り、大学から戻ったヨーハンと、友人達を見送ったゲオルクも居間に合流して、昼間のいきさつを聞いていた。クリストフ医師は、子供達にも分かりやすく「抗原抗体反応」の話をしてくれた。
生体には、免疫機能という自分の身体を守るシステム(ディフェンス・メカニズム)があって、体外から細菌や異物が入ってくると、それを「非自己」と認識して攻撃する働きがある。専門用語では「抗原」の侵入に対して、免疫グロブリンというタンパク質が形成され、次に同じ抗原が入るとそれに対して作られた「抗体」が攻撃し、生体はその抗原に対する抵抗力を付ける。この作用のおかげで、普通は、異物が多い空気を吸ってもそれがそのまま体内で病気に発展することは少なく、病人の傍にいてその病原菌が入っても簡単には罹らない。また、風邪の症状のように、病原菌に対して抵抗することで発熱や咳などの軽い症状で治るようになっている。そして、このシステムを利用して開発されたものに予防接種がある。
しかし、その反応が過剰に起こることが多々あり、その人にとっての特定の抗原が最初進入した時には傍目には何も起こらないが、その時体内では抗体が作られ、次の進入からは血液中や体表上に生体には不利な反応を起こす。これがアレルギーでありその症状は様々で、軽い咳やかゆみや浮腫・赤み程度から、呼吸困難を起こす発熱と気道狭窄などの生死に関わる劇症の状態まである。この即時型過敏反応の症状をアナフィラキシーというのだ。原因としては近代になってからの環境の激変と遺伝的体質のからみと言われている。アナフィラキシーを起こすとき、数分から十数分の早さで咽頭浮腫や血管虚脱が起こると、呼吸困難に陥り短時間で命を落とすことが多い。それをアナフィラキシー・ショックといい、ペニシリン・ショックや蜂毒アレルギー、最近ではラテックス・アレルギーなどの報告がされている。
一同は、学校の理科で習った基礎知識の上に、クルト医師の説明を合わせて理解する。そこで、リヒャルト公が質問した。
「クルト、それはつまり、ジョエル氏には蜂毒に対して既に抗体が作られていた‥ということだね。以前に刺されたことがあり、昼間、市民公園で二度目に刺されたからアナフィラキシー・ショックを起こしたんだね。」
「そう、彼の首などに複数の刺された跡があった。それは、毒の成分からヨーロッパクロスズメバチだろうと診断されたよ。」
理論的には十分理解できた。梨紗妃は、さらにジョエル氏の年齢と公国に貢献してきた経歴を考えると胸が痛んだ。
「ベルレン州の行事は予定通りに行われても、彼の実績への感謝やご家族への哀悼はどのようにしても表せないくらいだわ。」
このようにして、「公国 Rose Fest 2013」の企画会議と、発足記念行事の日程は、ベルレン州代表理事の突然の事故死‥という不運な出来事を包括して終えたのだ。公爵一家にとっても、大騒ぎにならなかっただけで、長年の友人を失う事故に子供達が遭遇‥という重さを抱えて、長い一日を終えることになった。
次の日曜日は、シュタッテン中央教会でのミサに全員で出かけ、通常の日曜ミサではなくジョエル氏に対する追悼のミサが、スタンブルク大司教であるフリーデン司教によって執り行われた。
葬儀は、改めて薔薇祭終了後の日程で、ベルレン自然保護協会葬として行われることになり、この日はジョエル氏の人柄や経歴が簡単に紹介され、参列者全員が彼の業績に感謝と追悼の祈りを捧げた。
また、薔薇祭の実施については、ベルレンの副理事であるホフマン氏のもとに計画通り運営されることになっている。教育文化省などへの注目度とは違って、協会は実施団体の一つで地味な存在なので、マスコミも過剰には騒がなかった。現場に偶然居合わせた公邸のSPが介助して協力した‥とだけ報道され、未成年である更紗やカールの名前は出なかったのだ。ただ、リヒャルト公も不思議な印象を覚えたが、ミサにはジョエル家の家政婦が来たのみで、家族らしい人物の参列はなかった。
「そういえば、薔薇祭終了後に定例で行うパーティーは夫人同伴が原則だったが、ジョエル氏の奥方という人にはお会いしてなかったな。」
そのことについては梨紗妃も関知してないらしく、
「何かの折に、更紗のことが話題になった時、昔に亡くされた娘さんのお話を伺ったことがあるだけで、他のご家族のことは聞いたことがないわ。」
と、いぶかしげに答えた。プライベートなことで協会まで問い合わせたりはしないので、その話はそれきりになった。
その週の土曜日から Rose Fest が開催され、各州都中心に華やかなイベントが続いた。陽気や人出に恵まれ、スタンブルクは全域がバラの香りと賑やかな祭りに包まれ始めたのだ。そうなると更紗の「おてんば虫」(父君曰く「ママ以外には退治できない虫‥」という、公邸スタッフの緊張を伴う案件)が騒ぎ始めるのが例年だが、今年はさすがにショッキングな出来事から間もないので、逆にナンネ達は、お嬢様が気落ちしたりふさぎ込んでいないか注意を怠らなかった。当の更紗は最初の何日か、学校でも家庭でも心なしか大人しいように見えた。ギムナジウムの下級生は授業が半日で終わるので、午後は自分たちでサークル活動や家庭学習に勤しむのが通常だ。ゲオルク達上級生は、まもなく受験する大学入学資格試験「アビトゥーア」のためにかなり勉強時間が必要とされるが、(もっとも今のところゲオルクがそれほど真剣に勉強している様子はないが‥)更紗達の学年は、どちらかというと、ボランティアや社会体験の時間に充てられることが多い。去年、進級したばかりの頃、母のアドバイスで行なった老人ホームと小児科病院での介護や看護の体験学習は、テレビニュースとして取り上げられた。その更紗は、薔薇祭がスタートしてもしばらくは学校からまっすぐ帰ってきて、忙しい母后が合間を縫って見てくれるピアノのレッスンに明け暮れているのだ。帰宅してその様子を見た父は、
「母親と大きくなった娘が、並んでピアノの前にいる光景も、また素敵だね。」
と感激した。公爵は写真に撮影したかったのだが、更紗が嫌がったので眺めるだけにした。
「サラサも少しずつ大人の女性に近づいていっているようだ。」
先日のことで心を傷めてないかを心配しながら、どこかで、親としての嬉しさも感じていた。
しかし、少女は毎日エチュードを弾きながら、心の中で段々と膨らんでくる「ある疑念」と闘っていたのだ。最初は、何が自分の気持ちを落ち着かなくさせているのか、はっきりとは分からなかった。ジョエル氏の死は偶然遭遇した不幸な出来事で、不可抗力であり、誰に責任があるわけでもない。簡単に忘れることはできなくても、いつまでも悲しみやショックに捕らわれていることはよくないだろう。むしろ、深く悼む想いを昇華させて、彼が残したこの行事を成功させることが何よりの思いやりと思えた。子供なりに割り切ろうとするその傍から、例の疑念がフツフツとしてくる。そう、あの言葉‥
「‥C・Cって、いったい何のことだったんだろう。」
更紗が基礎学校の情報科目でコンピューターを扱うようになった時、代々「質実剛健」を家風としてきた公爵家だったので、子供のうちからあまり高い物は持たせない‥という考えと、リヒャルト公が成長してきた娘と一緒にできる何かを喜んだこともあり、必要があれば「パパの部屋でお古のパソコンを使っていい。」となっていた。それは、その後のカールも同様に、回数が多いときは父と子供二人が書斎に並んで、父親にいろいろ聞きながら、それぞれの課題をやったこともある。そこは兄たちと違っていて、なかなか自分のパソコンを買ってもらえなくて、課題は学校で‥とされてきたヨーハンとゲオルクの文句の元にもなった。父上は半分楽しそうに、半分「仕事が進まない」とぼやきながら、週末などの子供達とのふれあいを維持してきた。
薔薇祭も当初を過ぎた頃、学校から遅くに帰ったゲオルク公子は、自分とカールの部屋の中でPCで一心に調べ物をしている更紗を見て、
「あれ、サラサはパパの部屋でインターネット使うんじゃなかったの?」
と、声をかけた。男の子と女の子で部屋を分けてはあるが、特に鍵はかけないし出入りも自由になっている。だから、更紗はほぼ毎日、
「お兄ちゃーん、さっさと起きなさーい!」
と、お構いなしに部屋に乱入して、半裸の兄の布団を引っぺがしたりしている。母君は、きっとそういう日常も彼女の躾には良くないのかと、そろそろ気をつけ始めていた。更紗やカールは、長兄のヨーハンの部屋へもかまわず出入りするが、そこは几帳面な性格の兄のこと、いつもきちんと片付いていて、自室でも植物を育てたり実験栽培をしているので、子供達にはあまり長い時間を過ごせる場所ではなかった。自然、勉強はそれぞれの部屋でも、遊ぶ時はカールの部屋が多く、「おちびさん達」にかまけられて迷惑を被りがちなのは次兄ということになっていた。
「うん、ちょっとパパには心配かけたくないことで‥。勝手に使ってごめんなさい。」
確かに、パソコンには使用履歴が残るので、父親に知られたくないことでは使えないのだろう。そこに兄は引っかかった。そのまま、妹が操作を終えたので、二人で夕食の時間に階下へ下りたが、更紗が父にも知られたくないことで何を調べたのか気になったのだ。別に悪気もなく履歴を見てみた。すると、それは官公庁や民間団体の略号のページだった。彼女が調べていたのは「C・C」という名称の団体で、該当しそうなものはなかったらしい。
「ふーん‥。」
次兄はその時はそれだけで、その後は忘れていた。更紗は、例の言葉が団体名でない場合、考えるとあまりいい気分ではないが、
「これは、もしかしたら人の名前の頭文字‥?」
という方向へ思考が進んでいくのを止められなかった。
「だって、C・Cだとカールもクリストフ先生もそうだわ。」
公爵夫妻は、かつて、子供が生まれる前どんな名前を付けるか相談した時、公国のイメージで考えた。カトリックは洗礼時に代親がいて、両親の希望に添って、いくつかのミドルネームを付けるが、全部いちいち書いたり読んだりはしない。ファースト・ネームと後に愛称に使うミドルネームが重要なのだ。二人はもちろんドイツ語として書く名で、母の国の日本の美しさも入れたいと漢字で書ける名前を付けた。ヨーハンは代々の公爵の名前と、特に先代のヨーハン・ハラルト公の跡を継ぐ意味でいただき、タク(拓)とは国土を拓いていく人に‥という意味で名付けた。また、ゲオルクは大叔父の公の名からいただいたのと、コウ(晃)はその大地をおおらかに照らす太陽の光を意味して、男の子二人の名は父君の考えで名付けた。 梨紗妃は、次のおなかの子が女の子と分かった時、夫から「母親が考えてやって。」と言われて、地表に流れる水が大地を潤すようにと、「マリア・水紗」を考えていた。だが、孫娘を心待ちにしていた「おじいちゃま」の期待はむなしく、その子は七ヶ月の早産で死亡したのだ。そして二年後、元気な二人目の女の子が誕生し、人の営みを支えて生産する意味を込めて、布が織り継がれるように生き生きと成長してほしいと「更紗」と名付けられた。実際、更紗模様とかバティックは東南アジアやインド大陸のイメージが強いが、発祥はインド更紗から、シルクロードを伝播して世界各地で織られたり染められたりしている。ヨーロッパでもその技法が伝わると、それぞれの国で改良が加えられ、海運国だったオランダではオランダ更紗、イギリスでは「チンツ」と呼ばれる花柄模様が大流行になり、フランスでも「ジューイ更紗」が作られたが、ナポレオン後に消滅、ドイツでは近代捺染技術が発達したこともあり華やかな更紗模様が受け継がれてドイツ更紗として現存する。そしてもちろん日本でも、「海のシルクロード」によって和更紗が伝えられ、現在の様々な文様や織りの技術の元になっているのだ。梨紗妃は夫に名前の由来を説明し、いなくなった子の分まで更紗をしっかり育てようと決意した。
そして、末子のカールは、歴史上名高い「フランク王国の大帝シャルルマーニュ」のドイツ語読みからきていて、Karl ではなく、Carl と綴る。シン(森)も緑豊かに国土を覆う木々の恵みをイメージした。四人の子達(いれば五人だったが‥)のすべてのイメージが重なっての、国と公家の未来だとも言えた。
「C・Cが Carl・Cin を意味していたらどうなのだろうか。」
更紗は考えたくなかったが、あの時、ジョエル氏が最後に見た光景の中には、間違いなく弟がいたことを否定はできない。ただ、だから、カールがジョエル氏にとってどういう意味があったのかは分からない。また、
「Curt・Christof 先生も C・Cだけど、おじさまは後から駆けつけたから、ジョエルさんの意識の中にはなかったはず‥。」
と、この言葉だけではまるで真っ暗な洞窟の中をさまよっているような、胸を覆うもやもやはいつまでも晴れないのだった。
そんなある日、警備のレンツがリヒャルト公を訪ねて公邸にやってきた。彼らは本来はスタンブルク警察庁の職員で、公家の人達の警護に当たるSPとして勤務している。彼は主任なので、今は、薔薇祭のシュタッテン内重点警備の方を任されていて、公邸には滅多に顔を出せなかった。
「やあ、レンツ君、この頃は忙しいだろう。こちらは何とかなってるが、薔薇祭が終了するまでよろしくお願いするよ。」
いつもなら、更紗やカールのお守りで振り回されるのと、毎日予想外の発見や展開があって飽きないが、観光客の安全を守り諸々(もろもろ)の苦情の処理に当たるのは大変だった。それでも、彼らは愛する母国の発展と行事の無事成功のためには、職務というだけでなく最大の努力を惜しまない気持ちなのだ。応接間で会った後、「内々に‥」という彼の要望を受けて、公と書斎に移動する時、廊下でハンスとすれ違い久しぶりの挨拶を交わした。
「この頃は、なぜかサラサの『おてんば虫』がおさまっていて、イルマッハ君も少し落ち着いて仕事できてるようだよ。」
リヒャルト公が笑いながら書斎のドアを開けた。しかし、それには例の市民公園での件が関係あるのだろうということは推察できるので、二人とも心は晴れない。
「あの時は、本当によくやってくれた。サラサとカールの父として心から感謝しているよ。」
恐縮するレンツと堅い握手を交わした。しばらく、首都内の盛り上がりや警備の様子を話した後、彼は丁寧に言葉を選びながら切り出した。
「実は、先日、市民公園の管理事務所の責任者から個人的に話がありまして‥。この人物は、仕事の上だけでなく、常々いろいろと近辺のことなどを報告してくれる懇意の者ですが‥。彼もどうしたものか、だいぶ悩んだあげく相談に来たらしいのです。」
レンツが遠慮がちに話すので、前置きが長くなったのも、今日は公務がないのでリヒャルト公は気にしなかった。
「ペーターもハンスも、そうやって我々の周辺に友人をたくさん作ってくれて、いつも情報を入れてもらえるから子供達も安全なんだね。ありがとう。」
レンツにとっては上司とも言える公から紅茶のカップを受け取って、彼は苦笑した。
「いえいえ、公爵。近隣の市民と親しく交遊して、周囲に多くの友人をお持ちなのは、私ではなくてサラサ様やカール様なのですよ。散歩や買い物に付き添うたびに、自由にいろんな所へ行っていろんな人と友達になられます。平均して、毎日十数人以上の市民と親交を深めていらっしゃると思いますよ。」
聞いて、父君は改めて部下の大変さを思いやった。ところで‥と彼は続ける。
「所長は、薔薇祭開始直後の公園の清掃員から『妙な紙があった』と報告を受けたそうです。」
彼は、昨日受け取ったばかりの「紙ゴミ」を入れたビニール袋をポケットから取り出した。
「公に警察に届いたなら、何らかの検証をするべきなのでしょうが、まず公にご相談してからと思いまして‥。」
リヒャルト公はいぶかしげに受け取って紙面を見た。その時、書斎の奥の、本棚に遮られたあたりで小さな物音がしたが、二人とも気づかなかった。
更紗は、今日の授業で終わり切らなかったドイツ文学の課題を明日までに仕上げようと、いつものように父の書斎の奥でPCに向かっていた。特に誰にも断らなかったので、公も彼女がいたのに気づかなかったのだ。ちょうど二人が入ってきた時は、少女はひとしきりレポートを打ってうたた寝をしていた。人の話す声で目が覚めて、来客がペーターだと分かって声をかけようと思った時に、父が何かを読んだのだ。
「これは誰かに当てたメモのようだね。『J・Jへ‥。今日、3時に‥‥‥東屋へ来て‥‥‥』って書いてある。‥しかも半分切れている。」
公は、はっと気がつき、意味深にレンツを見た。
「公爵、所長もずいぶん悩んだのですが、もしかしたらこの『J・J』とは‥。」
二人は眉をひそめて顔を見合わせたが、それ以上は何も言わなかった。リヒャルト公もレンツも同じ考えで迷っていた。たとえこれが誰かがジョエル氏を呼び出した紙片にしろ、彼は事故による病死だ。それは警察もクルト医師が同行した先の病院も証明している。いまさらこの「ゴミ」が見つかったからといって、その事実が変わるものだろうか。もし何か事件性があったとして、それがどういった状況にあたるのか全く想像できなかった。
「報告ありがとう、レンツ君。私もこれがどういう意味を持つのか分からないが、とりあえず一日も早くクリストフ先生に相談してみるよ。何か調査する必要が出たら、まず君に依頼したいと思うが、もう少し心に秘めておいてくれるかね。」
二人は納得して書斎を出た。しかし、書棚の陰では、更紗が息をつくこともできずに身を固くして残った。頭の中で、父が読んだ言葉がある符牒として響いていたのだ。
「J・Jを呼び出したのは、C・C‥。‥そうなんだろうか。」
彼女の脳裏に、あの時、苦悩に顔を歪めたジョエル氏の姿がよみがえる。息ができない苦しみの中で、かろうじて残した最後の言葉‥「C・C」という嗄れた声まで耳に聞こえるようだった。更紗は、事件後、誰にも言えなかったそのことを、もう一度ゆっくり考えた。
「でも、分からない‥。州代表として参加している記念行事から、呼び出されたからといって抜け出したりするだろうか。あれが散歩中の不幸な事故でなくて、73歳の老人を襲うどんな凶行になるのか‥。C・Cというのは手紙の主とは限らない。単に、いまわの言葉で、たとえば最愛の誰かに伝えたかっただけの言葉かも知れない。あの時、私を見たジョエル氏は、恐怖や恨みの表情ではなくて、とても悲しそうに見えた。やはり、ただの事故‥。」
初夏で日が長くはなったが、窓から忍び込んで来る宵闇が、彫刻のように動かない少女を静かに包んでいった。
「お兄ちゃん、早く芝生に行かないと、先に行ってお弁当みんな食べちゃうよ。」
日曜ミサから帰って、更紗はナンネにわがままを言ってお弁当のランチにしてもらった。カールは「僕はパパとのレッスンだから行かない。」と言ったので、ハンスと市民公園に行くことにしたのだが、なぜか兄が一緒に行くと言って付いてきた。イルゼ達が、
「ゲオルク様が小さい子達に合わせるなんて、珍しいわね。いつもなら、お友達と出かけてしまうか、またお部屋で気ままに過ごすのに‥。」
と目を丸くした。気ままにとは、勉強なのか昼寝なのかは定かではないが、とにかく、基礎学校生や下級生と行動を一緒になど、上級生としてのプライドが許さないように言っていた公子だ。出かける場面を見た乳母や両親がびっくりしたのも無理はない。母君は、
「晃もたまにはサービス精神を発揮するのね。いつもうるさく言われて、てっきり更紗のことを嫌がってると思ったのに‥。」
と言いながら、嬉しそうに見送った。ただ、ゲオルクは、目的がピクニックに行きたかったのではないらしく、歩き方はたらたらと遅い。更紗は、だから来なくても‥と言わんばかりに兄を急き立てた。
「もうー、せっかくこんなにお天気が良くて、ナンネの美味しいお弁当があって、お供がハンスしかいなくて身軽なのに、なんでそんなに面倒臭そうに歩くの。来るんなら楽しそうにしてくれないと、テンションが下がっちゃうよ。」
Ja‐(ハイハイ)‥と仕方なさそうに歩みを早め、妹に追いついた。しばしのランチとお喋りを楽しみ、ハンスからのお説教もなく、更紗のいつもの悪戯心も出てこずピクニックは続いた。一見、ゲオルクの関心を奪うようなものは何もないように見えたが、彼は実は、更紗が事件現場の近くでランチすることと、妹が市民の興味を引きがちなことを内心心配していたのだ。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。ヨーロッパクロスズメバチはこないだみんな追っ払ったし、今はもうあの事件のことも話題にならないし‥。あちこちで薔薇祭がとっても賑やかだから、きっといい方へ雰囲気が変わってるんじゃない。私は別に気にしてないよ。」
楽しそうに兄に語りかける生意気な口振りにも、特に心配な様子はなかった。そして、しばらくして更紗が花壇や植え込みの辺りを散歩していた時、ゲオルクが傍に近づいた。ハンスは全体を見渡せる場所で離れて二人を見ている。兄は小声で、
「ねえ、サラサ。君、何を探しているの?」
探偵さん‥と続けて、妹の表情をうかがった。更紗は心なしか慌てているように見えた。
「なんのこと? 別に何も探してないよ。」
だが、ゲオルク公子は先日、自室のコンピューターで妹が何かを調べているのが気になって、一時は忘れていたのだが、また別の日に、PCの画面に彼女の検索の跡を見つけた。「ベルレン州自然保護協会、代々の理事について」の履歴だった。そこには、およそ半世紀にわたる歴代の人名や経歴が並び、もちろんジョエル氏の詳細も検索できたのだ。
「サラサ、何を考えて秘密に調べているのか分からないけど、もしあの事件のことだったら、あれはもう解決していることだよね。君とカールが遭遇してつらい思いをしたことを、パパやママが今でもどんなに心配しているか、知ってるだろう。君はまだ子供だ。もし何か気にかかることがあるなら、ちゃんと大人に相談すべきだし、そのためにハンスや警備が傍にいるんだよ。もし危険なことでもあったら大変だ。周囲のみんなに迷惑をかけることになる。ただのおてんばじゃ済まないよ。」
兄は、さすがに17歳らしくきちんと妹を諭した。更紗は神妙に聞いていて、それでも、
「心配してくれてありがとう、兄様。もう少しみんなには黙っててくれますか?気になることがある程度分かったら、その時は一番にゲオルク兄様に話すから‥。」
と、真剣な顔をして丁寧な言葉で答えたのだ。
「わかった。じゃあ、何か行動する前には必ず僕に言ってからだよ。僕が一緒にいられない時は、ヨーハンかワルター達か、必ず誰かが一緒にいるようにするからね。」
妹は、やや複雑な表情で、そして「うん。」と納得した。
それから約一週間後のウィーンでは、夏の音楽祭に向けて市内中が活気付き始めている。更紗達の試験休みに合わせて、「真ん中のマリア・ヨハンナ伯母様」は、母国から甥と姪の三人を迎えるために、ホテルの従業員に準備を依頼した。準備と言っても、彼らはまだ未成年なので、隣国の君主一家としての大げさな扱いはなく、小さい頃からよくお忍びで何度も遊びに来ていた。駅や空港との行き来や市中でのお出かけなどにはホテルの警備が付くが、スタンブルク国内のようにSPが張り付いて動くことはなく気楽だ。それで、彼らは昔からよくここを訪ねて来たのだ。空港から乗り継いだCAT(リムジン路線、シティ・エアポート・トレイン)でウィーン中央駅(昨年まではウィーン・ミッテ駅に着いたが、2012年の終わりに一部完成した新駅)に着き、大好きな「真ん中の伯母様」と再会した。
「マリア・ヨハンナ伯母様、またお世話になります。」
礼儀正しく挨拶する更紗と、照れるカールを力一杯抱きしめて、
「二人とも大きくなったわね。今回はコンサート?美味しいお店巡り?」
と、畳みかける伯母は楽しそうだった。昨年のクリスマスも今年のイースターもホテル業務が忙しくて帰れなかったせいもあり、前々から姪と約束して子供達が訪ねてくるのを心待ちにしていたのだった。振り返って、今度は背が高いヨーハンを抱きしめ、
「ヨーハンはウィーン大学を見学したかったのよね。ちゃんと予約してあるし、私の知り合いにも案内を頼んであるから、しっかり見ていらっしゃい!」
と、すでに気圧されている甥に知人の名前まで告げていた。ゲオルクは「アビトゥーア」に向けて勉強を開始‥との両親からの半命令で、今回はヨーハンが二人を連れて来た。彼は弟から、理由はよく分からないが、更紗を一人歩きさせないように依頼されていたのだ。
更紗は、その後も、試験勉強と平行してジョエル氏の経歴を調べ、いくつかの観点に行き当たった。それには父上の協力もあったが、一つは、ジョエル氏がフランスからスタンブルクに移住してきた17年前には、すでに一人娘を亡くし家族が同行してなかったこと。また、ベルレンの協会に奉職してからメキメキと頭角を現し、短期間に州の代表者として表舞台に出るようになったこと。そして、フランスのストラスブール(かつてアルザス・ロレーヌ地方と呼ばれ、何度も仏独で領有が変わった地域の県都)在住時代の前の経歴は何も記録が残ってないこと。‥など、少しずつ分かってきた。ただ、わざとフランス系の名前で通しフランス語訛りを使っていたが、容姿や雰囲気の中にはドイツ系の要素も感じられたことが気になった。
更紗は家族の誰にもジョエル氏から最後の言葉を聞き取ったことを言ってなかったが、彼女が母や協会関係者にいろいろ質問することを、父のリヒャルト公は怪しむよりも心配した。不幸な老人の最期に立ち会った思春期の娘が、いつまでも割り切れなくて彼の生涯に捕らわれているのでは‥と、その心情が不憫に思えたのだ。そして、また一方で、例の紙片に書かれた「J・J」へのメッセージが解明されないまま、クルト医師には、
「アナフィラキシー・ショックで亡くなったのは間違いない事実なので、おかしな偶然ではないか‥。」
と明言され、なんとなく後味が悪い思いが残った。そのせいもあって、更紗が聞いてくる内容を、公も寸暇を惜しんで調査してきたのだ。それは警察を使うほどのことではないと思えたので、薔薇祭の関係の折々に、ジョエル氏と親しかった人に当たるなど、突き詰めるとけっこう詳細が分かってきた。だが、彼は娘との約束で、
「サラサが疑問に思うことはパパも協力するが、いつまでも亡くなった人に捕らわれずに、早く本来の学習やお稽古に戻ること。」
と言って、ちゃんといろいろなことを教えてくれた。そんな中でのウィーン行きは、当の子供達だけでなく父君にとっての気分転換でもあっただろう。暗い思い出を一時期でも忘れてほしいと、晴れ晴れと子供達を姉に託したのだ。
ホテルの出迎えの車で市内を走ると、たいていどこからでもシュテファン大聖堂が見える。ウィーン市民から「シュテッフル」という愛称で呼ばれる大教会だ。800年の歴史を持ち、14世紀にゴシック様式の壮大な建築で完成された。下から見上げると分からないが、特徴的なモザイク模様の屋根と繊細な彫刻を施した堂々たる塔を備えたウィーンのランドマークとして親しまれている。市の中心部はリンクシュトラーセという環状の大通りに囲まれていて、その通り沿いが一番の人気スポットであり、重要な建物が並立している。かつて、古代ローマ時代からの東北の要衝として、東方民族の襲来に備えての城壁と堀で囲まれていたのを、19世紀後半の皇帝フランツ・ヨーゼフによって城壁は取り壊され堀を埋めて、現在の大通りと多くの文化施設が建造された。リンクの外側に沿って国立歌劇場や美術史博物館、有名な音楽家の像がある市立公園や市庁舎などがあり、旧市街は世界文化遺産として登録されている。また内側には「旧王宮」であるホーフブルクがあり、帝国時代の展示を見るために多くの観光客が訪れている。そこは、世紀末に生きた帝室の人々を実感することができる場所だ。フランツ・ヨーゼフ帝の居室や、今でも人気が高い皇妃エリーザべート(シシィ)の遺品など、「古き良きウィーンの香り」とも言える品々の博物館となっている。一番の繁華街はオペラ座脇からシュテファン広場へと続くケルントナー通りで、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハーやホテル・オイローパ、クリスタルのスワロフスキーや陶磁器のロプマイヤーなど世界的な店舗が並ぶ。また有名なシェーンブルン宮殿やモーツァルトの像がある中央墓地(埋葬されているのはマルクス墓地だが‥)などは少し郊外に位置し、トラム(路面電車)やUバーン(地下鉄)で2~30分で移動できるのだ。
ヨーハンは何度も来た場所だが、更紗とカールは小さい時の記憶しかなく、今回大変楽しみにしていた。マリア・ヨハンナ伯母様が経営するホテル「ヴィエンヌ・スタン」はリンクの外側から少し離れた所にあり、周辺は静かだ。広大な敷地にアールヌーボー風の仕様で建てられているが、中は現代的な高級ホテルである。母国から賓客を迎える時は、最上級のスイートルームを複数使うので、更紗達はいったんホテルに入ってしまえば、他の客との接点はほとんど持たずに寛げた。食事もスイートのダイニングが使えるので、甥や姪が来ると伯母様も一緒に実家の味を楽しめる。伯母の弁によると、オーストリア料理は多彩で文化的に発達しているが、山に囲まれた雪国の特徴で、濃い味付けの煮込み系料理が多く、ドイツからの海産物やドナウ川産の川魚料理もある母国の食事が懐かしいらしい。
夕食時、いろいろな話をしながら、
「明日はカールはシェーンブルンへ行くのね。やはり、ジャパン(漆)の装飾やシノワズリ(中国の陶器や装飾)の部屋が見たいの?更紗も行くのかしら?」
などと三人に代わるがわる話しかけた。食後のコーヒーを楽しみながら、伯母は子供達の希望をいろいろ聞く。日本で言うウィンナコーヒーなるものは存在せず、それに近い飲み物はメランジェという泡立てたミルクを乗せたカプチーノのような深煎りコーヒーがある。その豊かな香りに包まれて、しばらくぶりにゆっくりとした時間を互いに過ごした。
オーストリアはドイツ語で「エスターライヒ」と発音し、中欧の文化の中心となっている首都「ヴィーン」を抱える歴史ある国である。ハプスブルク帝国時代のことがよく知られているが、起源は古代ローマ時代にウィンドボナと呼ばれたところで、ドナウ川に沿って東西に横切る道と北のバルト海から南北にイタリアまで続く「琥珀街道」が交わる所にできた、昔からの要衝だ。中世にはオーストリアを治めていたバーベンベルク家が首都とし、同家が断絶した後に、スイスにあった「ハビヒツブルク(鷹の城)」城主のハプスブルク家が移封してきて発展したと伝えられる。それで、その離宮から大宮殿になったシェーンブルンの屋上には、同家の紋章「双頭の鷲」の彫刻がある。14世紀の皇帝ルドルフ4世や16世紀のカール5世の時代に多くの建築物が完成し、ウィーンは大都市へと発展した。東西ヨーロッパの要となっていたため、1529年と1683年のオスマントルコによる、第一次ウィーン包囲・第二次ウィーン包囲を受け、市街の多くの建物を破壊された時、シェーブルンもいったんは破壊の憂き目を見たのだ。しかし17世紀の終わりから造営や改築を重ね、18世紀半ばの女帝マリア・テレジアの時に完成。敷地内には最古の動物園やガラスの大温室を有する、テレジアン・イエローに輝く美しいバロック様式の宮殿である。ロココ装飾の宮殿内には千数百の部屋があり、フランスのベルサイユ宮殿を模したとも言われている。現代の所有者は連邦政府で、観光財源の多くを占める建造物であり、その3・4階は文化財管理公社が公営アパートとして貸し出しているユニークな宮殿なのだ。主要な部屋が公開されていて、たとえば、夫のフランツ・シュテファンが亡くなった後、彼の趣味を偲んでマリア・テレジアが居室とした「漆の間」や、ナポレオン一世の遺児ライヒシュタット公(ナポレオン二世)が21歳で亡くなるまで幽閉同様の生活を送った「ナポレオンの部屋」や、後に皇帝一家のダイニングとして使われた「マリア・アント二ア(マリー・アントワネット)の部屋」や、1918年11月11日、最後の皇帝カールが統治権放棄の書類にサインを迫られた「青い中国のサロン」などが見学コースになっている。だが、なんといっても圧巻なのは「大ギャラリー」で、1814年から一年近くも行われたウィーン会議の舞台として毎夜舞踏会が催され、「会議は踊る。されど進まず。」と揶揄された所であり、ケネディ・フルシチョフ会談が行われた場所でもある。小さい頃、更紗とカールが公爵夫妻に連れられて公式に訪問した時、あまりの美しさと広さに、政府高官や報道陣の前でつい子供らしく長いギャラリーを走ったというエピソードがあった。また、「赤いサロン」に飾られている数々の大肖像画の中で、マリア・テレジアの三男の息子で三代後の皇帝フランツ二世の絵の前をゆっくり通り過ぎると、その描かれた肖像画の目が通行者を追いかけて見ているように見えるのをとても怖がったことも語りぐさになった。更紗達は伯母様とそんな昔話をしながら、楽しみにしていた宮殿見物をした。
以前はクリスマス・マーケットが開催中の冬だったので、屋外はとても寒く雪が降っていたが、たくさんの出店やツリー用のオーナメントを見てはしゃいでいた二人だ。今回は、非公式のお出かけで、異装と言うほどではないが一般人に見えるような服装にした。初夏なので、パーカーやTシャツとジーパンに帽子を被っている。ヨーハンとゲオルクは父の容姿を濃く受け継いだようで、ドイツ民族らしい風貌なのだが、下の二人は髪や瞳は母の梨紗妃に近く、どこでも目立ってしまう。それで、お忍びだとどうしても髪は隠すようになった。伯母様のヨハンナも二人に合わせて、普通の中年の母親ファッションにした。伯母はウィーンでは知られた人なので、さらにサングラスを掛けて、警護と家族のように振る舞っている。それでもところどころ日本語の単語が混ざるので、宮殿内では小声で話した。庭園に出てからは少し気を抜いて話せる。ヨーハンも本当なら一人で大学見学に行きたかったのだろうが、ゲオルクにくれぐれも更紗から離れないように‥と申しつかった手前「僕は行きません。」とは言えず、しかたなく何度も見たシェーブルンに付き合っていたのだ。庭園を、グロリエッテ(戦勝記念の建造物)に向かってゆっくりお喋りしながら、皆でのんびりと散歩した。ネプチューンの噴水脇から丘に上がって建物の辺りに立つと、宮殿越しにウィーン市街がパノラマで望める。お天気がよく、気持ちのよい5月の午後だった。
次の日は、カールはやはりシェーンブルンの「日本庭園跡」と動物園にガードマンと行き、大きい子達は伯母様の知人でウィーン大学職員のヴェンツェル氏に案内されて、見学に出かけた。ヨハンナ伯母様はさすがに仕事を続けては休めず、二日目と三日目は子供達だけで活動するように言われていた。もちろん警護は付くが、スタンブルク公邸がプライベートに雇っている警護官なので、カールは小さい時から馴染んでいて、気を遣うこともない。彼は喜んで、一人での「お出かけ」を実行した。兄達にとっても本来の目的に合わせた日である。ウィーン市庁舎と並んで、由緒ある大学の本校の建物が構えている。ここは、14世紀の半ばに当時の皇帝ルドルフ4世によって造られた、ドイツ語圏では最古で最大の大学だ。ノーベル賞受賞者を12人輩出しており、構内の長い廊下の壁に沿って彼らの彫像が並んでいる。作家のイェリネクや、化学者のフィッシャー、動物の刷り込み(プリンティング)で有名なコンラート・ローレンツのも飾られていた。更紗にはみんな同じお爺さんにしか見えない像だが、ヨーハンは見る人ごとに学校でならった業績を思い浮かべられる。教科書で見た、ローレンツがハイイロガンの雛たちを引き連れて庭を歩いている写真などを思い出すと、それも老人がペットとじゃれているように見えるのに、ノーベル賞の権威を考えるのが面白かった。また、代々の教授陣の中にも有名な人物が多く、作曲家のブルックナー・精神分析のフロイト・物理学数学天文学者のドップラーと枚挙にいとまがないほどだ。ここで学んだ秀才の面々も後に各界で活躍した人々が多く、遺伝学の祖と言われるメンデルや汎ヨーロッパ思想を唱えて、今のEUの元を作ったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、日本から留学して医学を修めた斎藤茂吉も知られている。
兄妹は案内を受けて歩き、天井が高く窓や壁の伝統的装飾に圧倒されながら、もう一つの同じ思いを抱いていた。それは、かつてここで両親が出会い、恋に落ちたということを聞いていたことへの感慨からだ。母の話では、ウィーン音楽大学から数人で交流の演奏会に来た中の、リサ・カミムラに恋をした留学生の父は、他の人達が楽器を片付けている時に、ピアノの傍に寄って遠慮がちに話しかけたのだそうだ。
「日本の方は、とても正確なタッチで演奏するのですね。」
母の印象は「背が高いシャイな男子学生」だったそうで、まだたどたどしいドイツ語でいろんな話をしたそうである。その後も時々会っていたが、彼女はかなり長い間、その青年が隣国の公世子だとは知らなかったらしい。お互いに他国から来ている学生として、いつしか恋心を抱き始め、将来の話が出るようになってから、梨紗は外国人というだけでなく立場の違いに苦しんだという。大学の課程を修了すれば帰国することは双方同じであったが、一時の恋の思い出にできなくなったのだ。しかし、たとえ彼女がヨーロッパに残ったとしても、相手は未来の君主となるべき男性‥結婚を考えることは不可能と思われた。1年後、思いを振り切るように帰国を決心した彼女に、リヒャルト・アロイスは一緒にスタンブルクへ来てくれるように懇願した。そこのあたりは、パパから子供達にはっきりとは言わないが、きっとどんな困難も反対も乗り越える覚悟だったのだろう。ヨーハンと更紗は、父上からはあまり話してもらえない両親の絆を想像できた。その二人の決意と長い努力の結果、現在の自分の家族が存在するのだ‥と、よく理解していたからだ。ママが結婚前の話をする時はいつも笑って楽しい思い出を語るが、きっとその数百倍もの苦難や悲しみがあっただろうと思われた。その母の様子を、照れながら、また微笑ましく見ている父の姿も子供ながら愛おしかった。二人は、子供の彼らから見ても、とても似合いの夫婦に思える。ウィーンという街の、ここが、その二人の愛が始まった場所なのだ‥と強く思った。
昨年のObst Fest の最中に、公邸での夕食後の会話の中で、珍しく父から思い出話を聞いたことがあった。その時はちょうどカールが4年生になっての初めてのテストで、本人としては中学年の自覚を持って、かなり頑張っていい点を取れたらしかった。大きい兄たちは退室した後で、姉に少し自慢したい気持ちと母への甘えがあったのだろう。ママからご褒美のキスをしてもらっているのを見た公は、食事のワインで良い気分だったのか、
「ママは今はこんなにしっかりしていて強いけど、まだパパとつきあい始めた頃は、とても恥ずかしがり屋さんだったよ。」
と、話し始めた。へーっ‥と更紗や末子が見ると、梨紗妃は優しく夫をにらんで「余計なことを言わないで‥」という表情をした。子供達はちょうどその手の話に興味を持つ年齢なので、
「それで‥、それで‥。」
と父を促した。妻の視線を外しながら、公は子供達が初めて聞くことを話してくれた。
「パパが最初キスしようとしたら、“ぷい”と顔を背けて、ほっぺにしかできなかったんだよ。その時、僕はてっきり嫌われていると思って、一ヶ月くらい落ち込んだ。」
思春期に差し掛かり、目を輝かせて両親を見る子供達の手前、母は強く父に言う。
「あなた!」
日本語の“ぷい”はドイツ語でも“Pui ”なので、いかにもがっかりしたような父の言い方は子供達を笑わせた。しかし、その後交際が深まっていったのだろうことは想像できるので、
「じゃあ、その時パパが諦めてたらママは結婚しなかったね。」
と、カールが楽しそうに両親をからかったエピソードだ。母は父に反論するように、
「嫌いだったわけじゃないけど、日本とヨーロッパの習慣の違いはあったわ。いきなりキスするようなことは、その頃の東洋ではありえないのよ。」
と語気を強めたが、夫も子供達もそこにではなく「嫌いじゃなかった」‥というところが興味の焦点なので、梨紗妃の言い訳が微笑ましい。はっと気がついて、妃は、言い切った。
「この話はここでおしまい。パパも、許可無く昔話なんかしないでくださいね。」
でも、年頃の更紗には、両親の恋の話を聞く‥というハートウオーミングな出来事だった。
しばらく主な施設を案内してもらった後、ヨーハンは念願だった生命科学部のバイオ関係の研究室を見学に行くことになった。いつもなら更紗も大いに興味を持ってついて行くのだろうが、今回は少し疲れたようで、「休憩室に残りたい」と言ってそのままソファに座っている。警護官は大学でもヨーハンに付いている若い エーリッヒなので、更紗と残ることよりも、ヨーハンの警備に同行することになった。兄はゲオルクの依頼が頭に引っ掛かっていたが、大学の構内で少しぐらい休んでいても大丈夫だろうと判断したのだ。
「サラサ、30分くらいだから、ここから勝手に出歩いては駄目だよ。君が言い付けを守ってくれないと、大学側に迷惑をかるし、後で僕がゲオルクに謝らなくてはいけなくなる。なんでだか分からないけれど、彼はすごく心配していたからね。」
妹は素直に頷いて、
「大丈夫よ、兄様。足が痛いからどこにも行けないわ。ここで、お茶をいただいているから‥。」
と、部屋の端で甘いミルクティーを準備してくれている女性職員を気遣いながら、答えた。だが、少々次兄の干渉が気に入らないらしく、続けて言った。
「ゲオルク兄様は心配性ね。そんなに私が無鉄砲なおてんば娘だと決めつけているなんて‥。自分が一緒に来れなかったから、余計にうるさく言ってるのかも‥。」
長兄は、心の中で「充分無鉄砲だけど‥。」と思いながらウ゛ェンツェル氏と警護官と一緒に、部屋を出て行った。その後しばらくして、ミルクティーを飲むために俯いた更紗の視界の端に、誰かが静かに入室してきた気配がして顔を上げた。ドアの近くで佇む白衣の老紳士は、ここの教授と見受けられ、小さな来客を見つめてとても嬉しそうに微笑んだ。
「やあ、お邪魔してもかまいませんかな ? 先程、内密に、懐かしいお客人がいらしていると聞いたもので‥。あなたがまだヨチヨチ歩きの頃、ご家族で来られたのをお迎えしたことがあったが、もちろん覚えてはおられまい。」
更紗は紅茶のカップを静かに置き、その場で立ち上がる。大学で、自分が小さい時に父母に連れて来られて会った人なら、両親が在学していた頃の恩師か知人だろうと咄嗟に判断した。彼は法学部名誉教授のテオドール・ロラントと名乗り、更紗は正式名称を用いて自己紹介をした。
握手しながら、にこやかに小腰を屈める少女を見て、老教授はますます相好を崩すと、
「いやいや‥、あの時はまだほんの赤ん坊だったお嬢さんが、十年ぐらいの間にこんなレディになったなんて。私が老い込むのも無理がないはずだ。」
と言いながらも、愉しそうに笑う。
「そうだった。確か、日本語で布に関係するお名前が付けられていた。20年前、あなたのご両親が、到底叶わぬとも思える結婚を成し遂げ、想像もつかない多大なる努力を重ねて家庭を築いたことは、こうして素晴らしい姫や公子達を誕生させたことで結実したのですね 。」
更紗は、自分の幼い時ばかりか、両親の結婚に到る過程を知ってくれている人に会えたことに感動した。
「先生、先生は父と母が恋人同士だった頃、その結婚を否定的には思われなかったのですか。」
いつか何かのパーティーの折、梨紗妃がそばにいない時に、小さい伯母様が親族に言っていたのを、更紗は偶然聞いたことがあった。
「こんなことなら、リヒャルトを外国に留学なんかさせなければ良かったのよ。未来の君主として、国内で同じ階級の子女がいる大学なら問題なかったのに。お父様もお母様も昔から彼には甘いんだから。」
子供ではあったが、自分の家族に向けられた中傷を感じ、その後も何処か誰かが母や自分達を批判的に見ているような意識を禁じ得ないで育ってきた。単なる興味本意や無責任な感想でなく、父や母への友情を含むコメントには敏感な少女だった。
「そうですね。その頃の大学関係者の大半は、否定的と言うよりも困難で不可能と見ていたでしょう。私は、Fräulein カミムラのことをよく知っていたので、父君が愛して伴侶としたいと思った気持ちは理解できます。それでも大変なご苦労は予想できたし、はたして本当に実現するのかは半信半疑でしたね。リサさんが別離を決心したり、当時は公世子であられたが‥、公爵が継承を放棄して日本へ行く決断をされた時などは、心ある友人達は胸を痛めたものです。」
更紗は改めて両親の絆の強さと、またそれを支えていた周囲の人々の思いやりを感じた。偶然とはいえ、ここで自分の長い想いを癒される対象を得て、ほのぼのと心が温かくなるのを幸せに思った。老人はさらに続ける。
「以前ここを訪問された時などは、まだ公位を継がれて間もない初々しいご夫妻が、三人のお子さんを伴って旧知の者達と親交を温めましたが、私達は、堂々とした君主として、また一家や国を支えるファーストレディとしての姿に感動しました。このお二人は結ばれるべくして結ばれ、あなた方は生まれるべくしてお生まれになったと正直に思いました。それはお父様の心根ももちろんですが、お母様が万難を乗り越えてスタンブルクへ嫁いだことによるのです。」
しっかりと確信を持った言葉は、娘である更紗の母への想いを更に強くしてくれる。
「ありがとうございます。そう言っていただくと何よりも母が喜ぶと思います。」
応接室の何の飾りもないテーブルに置かれたシンプルなティーカップも、更紗にはとても好ましい風景の一つだった。教授のことをよく知る女性職員が、新たに入れてくれたハーブティーの香りに包まれている時、彼はついでに昔話を続けた。
「そういえば、リヒャルト公の親友で医師のクリストフ君はお元気かな。彼も卒業して四半世紀にもなるが、今頃は本国の医学界で活躍していると聞いている。もう大きなお子さんもいるのだろうね。」
ニコニコと遠い記憶を手繰りながら、思い出話をする老紳士は幸せそうだった。更紗は少し表情を固くして、
「クルトおじ様は、今でも父の親友で仲良くさせていただいています。お忙しい中で、何かにつけて訪問してくださり、私達のことも本当の子供のように可愛がってくださってます。」
と、報告した。父より年長で、小さい時から実の伯父のように慕ってきたので、その近況をできるだけ好意的に伝えなくては‥と心掛けたが、いつの頃からか彼女には小さな疑問が芽生えていた。それは、あんなに優しくて子供好きなクルト医師がなぜ独身のままで過ごしてきたのか‥。仕事に追われてだけではない理由がありそうだった。
「ただ、おじ様は独り身でいらっしゃるので、ご自分のお子さんはいません。」
少女の言葉は思いがけず老人の表情を曇らせた。
「‥そうか。では、やはりレベカのことを忘れられなかったのか‥。」
え、と更紗は教授を見つめ直した。それは、今まで周囲の誰からも聞いたことがない名前だったからだ。
「レベカ‥さん、とは‥。」
深い記憶の底に沈み、憂愁に包まれて想いを漂わせていた老人は、再度問われてハッとした。
「先生、レベカさんとは、もしかしてクルトおじ様の昔の恋人だった方ですか。」
さすがに、十代の子供に過去の失恋話もあるまいと思ったのか、無理に笑顔を作って答えているようだった。
「いや、あなたの父上や母上が入学してこられる前の古い話ですよ。クリストフ君に『寝ぼけていたのか』と笑われそうなくらい、大昔のね‥。」
しかし、更紗には大好きなクルト医師の過去に迫る絶好の手がかりかもしれない話だ。さりげなく、にこやかに質問を続けた。
「そういえば、おじ様から学生時代のお話を伺った折に、聞いたことがあったような‥。その方のお名前は何とおっしゃったか‥。」
老教授は、遠い遠い地平線を見通すような視線で、更紗の方は見ずに答えた。
「レベカ・ハナ・ヨエル‥。美しく聡明な、ここの学生でした。生きていれば、彼と結ばれてきっとあなたのご両親にも相当する素晴らしい家庭を持っていただろうに‥。」
そこで、彼は初めて更紗に言い聞かせるように言った。
「あなたの年なら、クルト君の生き様を理解して、深い思いやりで包み込むことはできるでしょう。これからも彼のよい友人として、家族ぐるみで温かく接していってください。」
しかし、老人が去ったがらんとした部屋で、更紗は茫然と考えていた。
「ドイツ系の名前だが、フランス語読みすればレベッカ・アンナ・ジョエル‥。」
‥ジョエル氏、更紗は半月前の衝撃をまざまざと回顧した。 ‥ F ortsetzung