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妖精の森に、僕はいなかった  作者: 江藤ぴりか


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第六話:月の双子が重なる夜

 セルゲイたちは幻想的な森の奥を進んでいく。白い王宮はもう見えない。木漏れ日と鳥のさえずりが、足音の空白を埋めていた。

「そーいえば、ここを訪れた人間はぼくらの向かう場所をいたく気に入っていたなぁ」

 メムナがベリーを食べながら、そう呟く。

「……食べるかい? 美味しいんだよ、これ」

 ニヤリと笑う記憶妖精がセルゲイを試す。

「よしておきます。ここの食べ物を食べると、『隣人の国』に永遠に閉じ込められてしまいます」

「アハハ、よくご存知で。でもホントに美味しいのに。甘くて、口の中で酸味が弾けて、幸せな気持ちになるんだって。サテュロスになったラルフくんがね、感動してたよ?」

 サテュロス、半山羊人になってしまうパターンもあるのか……。人間はすべてハイエルフになるのかと思っていたが、思ったより多種多様なのかもしれない。



 森が開けてくると、澄んだ泉が佇んでいた。中央に水で出来た女性の姿も見える。セルゲイたちに気づくと、微笑みかけた。

「あれは、ウンディーネちゃん。たまに人間界の清泉に姿を現すんだって。最近は水が濁っているところも多いから、見れたらラッキーかもね」

 美しい女性は泉に沈み、姿を消していた。

(あれは精霊だな。人間界と隣人の国を行き来できる存在だ。ごく稀に人間にも手を貸すと言われているが、女神信仰もあるから今は滅多にないだろう)

「妖精の仲間なのかい?」

「違うよー。〝そうあれ〟と妖精女王が願った存在だから、別なんだよ」

 相変わらず、妖精の言葉はよく分からない。


――『星降る泉』。ここは古い妖精伝承の場所で、ゾーイの蔵書にも記載があった。

「ここはね、夜が綺麗なんだ。ぼくたちはここで歌ったり、踊ったり、楽しい場所でね。そこの切り株で、吟遊詩人の子もリュートを奏でて、とっても愉快だった」

 思い出を語るメムナの小さな横顔は愛おしそうに見えた。

「その人間をみんなが気に入っちゃったんだけど、結局こっちに残ってくれなかったんだぁ。でもね、ぼくらはいつでも待っているんだよ」

 悲しげな瞳と無邪気な言葉が反比例している。きっと彼らも吟遊詩人の訪れは来ないこと知っているんだろう。

「彼が奏でた旋律はいまも泉に残っているんだよ、って誰かが言ってた。どう? 聞こえる?」

 耳を澄ますと、弦楽器の旋律が鳴っている気がした。


「双子月の夜に、この泉に映る影は〝真実〟を写すんだ。きみは誰なんだろうね? 楽しみだね」

 セルゲイに不安はあった。魂と身体。自分はどこにあるのか。

(夜まで時間はある。それまであるじは考えをまとめると良い)

 フェイの言葉に頷いた。かつて吟遊詩人が座った切り株に腰掛け、彼は記憶を反芻する。



 シスタークララ。彼女は赤銅色のゆるく縮れた髪を揺らし、まっすぐな翠眼で僕を見つめてくれた。甘やかな声とスズランの香りは、僕の身体の奥が疼いた。


 モーリス師匠。自分には跡取りがいないからと、飢え死にしそうな半妖の自分を救ってくれた恩人。ハーフエルフなのに差別せず、墓守という立派な仕事を教えてくれた。それは自分も差別される立場だったからなのか? きっと、違う。


 ゾーイ婆さん。いかにも悪い魔女の婆さんって感じだけど、気の良いおばあさん。僕のことを「可愛い孫」なんていって可愛がってくれる。


 風詠みの刃とリアン殿下。軽口も多いけど、楽しくて頼れる冒険者と王子だ。多種族パーティなのもあって、僕にも分け隔てなく接してくれた。


 お母さん、妹のリン。冬木悠真として過ごした日々は彼女たちの存在も大きい。離婚して父から離れたと思ったら、家に転がり込んでリンに手を出そうとした。それに怒って母さんと一緒に追い出したっけ。

 それからは進学を諦めて就職して、彼女たちのために仕送りをした。自分の奨学金の返済もあって額は少なかったけど、足しにはなっただろうか。


 僕は、なんのために生きていたんだろう。



 隣人の国の夜は、満天の星の中に二つの月が浮かんでいた。妖精とハイエルフ、サテュロスたちが集まり始めた。彼らは歌い、踊り、セルゲイも踊らないかと誘ってくる。首を横に振ると、残念そうに去っていった。

 二つの月が重なり始める。空間が歪み、歌声が遠くなる。

「悠真くん、泉を見てみて」

 月光に反射した泉が過去を映し出した。


 金髪緑眼の長耳のエルフのセルゲイが同族と話をしている。

『今日の森は少し騒がしいな。エリナス、わたしは外を見回る。君は中で待っていてくれ』

 エリナスと呼ばれた長い髪のエルフが心配そうに言う。

『セルゲイ、一人で行動するのはよくない。私も行く』

『やめてくれ、君を失いたくない。サリルの二の舞いにならないよう、気をつけるさ』

 長髪のエルフは目を伏せた。

『何かあれば合図する』

 エルフのセルゲイは村の外に出た。その瞬間、足元にキノコの輪が出来て、紫の煙を吐き出す。彼は首にかかった笛を口につけ、鳴らした。

 金色の髪は薄い茶色に、長かった耳は短く、目はハシバミ色に――今のセルゲイの姿に変わってしまった。彼はひどくうろたえ、足元も覚束ない様子。


 その幻影はセルゲイの魂の入れ替わりの瞬間だった。彼は口元を押さえ、小さく震える。

 メムナは彼の様子を知ってか知らずか、セルゲイの肩を揺らした。

「今なら魂に触れられるよ! でも、代償がいる」

 ハッと我に返り、妖精に問いかける。

「代償……?」

「そう。代償は〝忘却〟。つまり、大切な記憶を捧げるんだ。思い出を頭で浮かべながら、泉に手をかざして。すると魂の残滓に触れられる」

 セルゲイは一瞬だけ悩み、大切な思い出を頭に浮かべた。そして、泉に手をかざす。


『――は、――だ。――――』


 それはセリオルの無機質な声ではなく、先ほど聞いたエルフのセルゲイの声だ。だが、すぐに消えた。

「……まだ足りないね。悠真くんが〝真に返す〟か〝真に奪う〟か決めなければ、魂は戻らない」

 忘れたはずの記憶は都合よく補完されているのだろう。思い出そうとしても、分からない。でも、なぜだか心が痛む。



 双子の月が、ふたつの目のように彼を見下ろしていた。

 セルゲイは黙って泉の水をすくい、額に当てた。まだ、自分は〝誰〟なのか答えを持たないまま、でも確かにその奥へ進む覚悟だけは決めていた。

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