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妖精の森に、僕はいなかった  作者: 江藤ぴりか


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第一話:白百合の野をあとにして

 辺境の村ユルゲン。その村の外れに小さな墓守小屋がある。小屋の中でハーフエルフの青年が窓に頬杖をつき、白百合の野を眺めていた。

 この世界に来て数年。ハーフエルフ、墓守セルゲイの人生を歩んできた。

 ユルゲン村での生活と改革。ルーネの街でのクララとの絆。前世を忘れるには十分すぎるほど、この身体で経験を積んできた。

――しかし、本当にいいのか?


 フェアリーリングを踏んでエルフの里に足を踏み入れた時の光景を、セルゲイはふと思い出した。あの時は転生したばかりで考える間もなかったが、エルフとしての〝セルゲイ〟の魂はどこへ行った?

 妖精女王は『隣人の国』こと妖精界にあると言っていた。鉱石と古木の幻想的な森の光景は前世で読んだ幻想小説をそのまま具現化したようだった。このまま〝彼〟の身体を借りてて良いのだろうか。

 ふと、妖精であるフェイに目をやった。チャーチルドッグのフェイガードはこんな時には黙っている。大あくびをした後、揃えた前足に顎を預けている。

「自分で決めろってことか……」


 妖精の森。この世界に来て飢え死にしそうな時に妖精女王、ティターニアに妖精界に呼ばれたな。鼻をくすぐる甘い花の香り。傅く額に宝石を埋められたエルフたち。彼らはハイエルフと呼ばれていた。

「わたくしの愛しい子。そなたの魂は――」

 女王の鈴の音のような声がリフレインする。クララの甘やかな声と違い、凛としながらも女王らしい優雅さと気品を兼ね備えていた。女王の言葉が彼の心に棘となって刺さった。

 光の揺らぎと無数の魔力の残滓。あれが魔素というものなのかもしれない。目に見える色として漂っていた。


 前世の名を数日前のルーネの事件で唐突に思い出したセルゲイ。『冬木悠真ふゆきゆうま』という平凡な名前。

 母と妹と貧しいながらも慎ましく暮らしていたアパート。

 高卒で家を出て実家に仕送りしていた社会人としての記憶。

 奨学金の返済を終え、会社を辞める時、「使えないやつ」と言われ、背中を押されるがまま自室のマンションでロープに手をかけた。ベランダから見えたビルのコントラストは決して忘れないと思っていたのに……。

 思い出を振り返り、ゾッとした。母も妹も悲しんでいるんだろうな。そして悠真は奇しくも妖精女王の気まぐれで彼の魂はこの世界に連れてこられた。

「御心のままに……」

 み、こころ……? 僕は誰に言っている? 口元を押さえ、俯いているとエシルが心配そうに駆け寄ってきた。

「大丈夫。心配かけてすまないね」

 セルゲイがそう言うと、家妖精は曇り顔のまま箒を持って再び家事の続きを開始した。


 セルゲイは再び思考する。

 妖精界を正式に訪ねるにはどうすればいいのか?

 確か、風詠みの刃のエルフの弓使い、リリスが「二つの月が満月になる時、オークの古木の根本に妖精界への扉が開かれる」と言っていたな。

 この世界の伝承なら、ゾーイ婆さんなら知ってるかな。怪しい薬屋の老婆の顔を思い浮かべる。自称魔女のゾーイは錬金術を使う魔力のない普通の人間だ。

 数日後がちょうど十五年に一度、二つの月が満月になるタイミングだけど、いつなのかは分からない。


 墓守の仕事は有志の修道士たちがやってくれる。暇、と言うほどでは無いが時間の融通は効く。

「フェイ、ゾーイ婆さんのとこに行くぞ。エシル、留守を頼むよ」

 家妖精のエシルはコクリと頷き、セルゲイに笑顔を向けた。対してフェイは薬屋の臭いを思い出し憂うつなのか尻尾を後ろ足の間に丸める。

 セルゲイは亡き師匠モーリスの外套に身を包み、支度を整える。彼がこの世界で一番尊敬する墓守と人生の師匠の形見だ。外套は古い煙草の臭いと土埃の臭いがする。

 エシルはしぶしぶといったフェイの様子にクスリと笑い、セルゲイの背中を見送った。


 セルゲイの胸に、冬木悠真の名が灯る。だがその火は、妖精の森の光にゆっくりと呑み込まれていった。

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