4.初恋(ヴィクター)
本日2話目です。最終話になります。
新年の祝いの集まりは俺にとっては退屈なものだった。
大人は酒を飲んで無礼講。子供たちは男の子も女の子も、我が家の跡継ぎである兄と親しくなろうと躍起になっている。
誰も俺を気にかけない。話しかけても面倒くさそうにする。子供な分、態度を取り繕わない。拗ねたわけではないが、それなら勝手にしようと自分の部屋で本を読んで過ごしていた。天気がいいから窓を開けて風を入れた。
すると突然女の子の高い声が風に乗って聞こえてきた。
「黄色いお花さん、とってもいい香り。白いお花さんは大きくて綺麗ね!」
窓から顔を出し声のするところを確認すると、花壇の前でしゃがんでいる女の子が見えた。
目の前の花に無邪気に話しかける姿が気になり観察した。女の子は花壇に沿って横に移動しながら花に話しかけ続けている。よほど花が好きなのだろう。俺はいいことを思いついた。
「そうだ。母上のとっておきのスイレンを見せたらもっと喜ばせてあげられる!」
俺は部屋を出て花壇に向かった。声をかけると女の子が振り向いた。その勢いで金色の髪が揺れた。菫色の瞳を真ん丸にして俺を見る顔が可愛い。思わず顔が綻んだ。
俺は母上の花を見せてあげた。
「わあ! 可愛い。ピンクのお花さん、こんにちは。お水の中は寒くない?」
花壇の花と同じように話しかける姿が楽しそうで、幸せな気持ちになりくすりと笑った。
「スイレンだよ。水の中で暮らしている花なんだ」
「へえ~。スイレンっていうの? すごいね」
うんうんと観察しながらスイレンの前に陣取って眺めている。
「君の名前は? 俺はヴィクター」
「私はキャサリン。お父様とお母様はキティって呼んでるよ」
「ふ~ん。家族だけの呼び名なんだ。じゃあ、俺もキティって呼んでいい?」
「うん、いいよ」
特別な愛称を呼ぶ許可をもらい、なんだか誇らしかった。
季節の行事のたびにキティと会える。その日が待ち遠しかった。
キティは兄のことなど眼中になかった。そのことは俺の心を軽くしてくれた。だけど残念ながら俺のことも意識していない。それは複雑だったが、これから意識してもらえるように頑張ればいいだけだ。
俺はキティに一目で恋をした。
キティとは縁がある。学園に入学してからも同じクラスで学べることになった。
キティはクレイ子爵家の跡継ぎだ。家を継げない男は婿入り先としてキティを狙っている。そのことを除いても明るく朗らかなキティは人気がある。
誰が立ちはだかってもキティは渡さない。そう決意した俺はキティに悪い虫を近づけないように常に側にいてキティに好意を寄せる男を威嚇した。その結果『キャサリンの保護者』という恥ずかしい呼び名がついた。まあ、それも男らへの牽制になるのなら問題ない。
しばらくして俺はクレイ子爵様に会いに行った。
「クレイ子爵様。私が学園を卒業したら、キティ、いえキャサリン様に求婚することをお許しください」
婚約者探しは学園に入学すると同時に始まっている。子爵がキティの婚約者を決めてしまう前に予約を取り付けようと先手を打った。
我が家と子爵家は仕事の取引があるので縁を深める意味で私を候補に入れるメリットはある。さらにキティは跡継ぎで私は婿入りできる。身元も確かで問題ないはずだ。あとは行動で信用を勝ち取ればいい。
「ヴィクター様はキティが好きなのか?」
「はい。好きです」
クレイ子爵様は厳しい顔をしているが、諦めるつもりはない。隣に座っている子爵夫人はにこにこしているので悪感情は持たれていないだろう。
「そうか……。キティがヴィクター様を好いているのなら反対はしない。だがあなたがキティを心から好いていることを証明してほしい」
「証明、ですか?」
「そうです。条件だと受け取ってもらってもいい。成績は常に上位で結果を出してください。あと学園でキャサリンに不埒な行動をとるものがいないか、監視し守ってください」
「はい。もちろんそのつもりです」
言われるまでもない。キティを守るのは当然だし、勉強で信頼を得られるのならいくらでも結果を出して見せる。
「一つ問題があります。あなたの父上、アルバーン伯爵様はお許しになられるのですか? 我が家にとってはいい話ですが、伯爵様にとってはそうだと限らない」
「クレイ子爵様が許してくれるのなら、父は必ず説得します」
「ヴィクター様のお気持ちはよくわかりました。そういうことなら私に否はありません。あともう一つだけ条件というか、お願いがあります」
子爵様が重々しい雰囲気を醸し出したので、俺は難題を言われるのかと用心した。
「……なんでしょう?」
「キティに想いを打ち明けるのなら学園を卒業してからにしてください。学生の本文は勉強です」
「え……告白することも駄目なのですか?」
もちろん勉強に手を抜くつもりはない。だけど誰かがキティを見初めて求婚したら困る。想いは伝えておきたい。その上で卒業と同時に求婚するつもりだった。私の不安を読み取った子爵様が苦笑いを浮かべた。
「誰かがキティに結婚を打診しても必ず断ると約束します。ですからそれまでは良き友人として過ごしてください」
「……はい。わかりました」
不満が声に出てしまったがクレイ子爵様は特に気にした様子はなかった。
帰宅して父に報告した。不服そうな顔をしていたが反対はされなかったので安堵した。父が気にかけているのは兄だけだ。俺のことには興味がないのだ。でも勝手な行動が癇に障ったのかもしれない。
「そうではないのよ。お父様はヴィクターの婿入り先を張り切って探していたのに、自分で決めてしまって出番がなくてがっかりしているの」
「父上が? まさか」
「本当よ。でも信じられないのも仕方がないわね」
母上がさみしそうに笑った。俺は父上とほとんどかかわりがない。父上は兄の跡継ぎ教育に熱心で俺には何も言わない。だから母上の言葉は信じられなかった。
ちなみに母上と兄上との関係は良好だと思っている。ただ父上とだけは心に距離がある。
子供の頃は構って欲しくて父上に纏わりついたが、忙しいと叱られた。その時に父上との関係は諦めた。その後も父上が俺に寄りそうことはなかったし、俺も歩み寄ろうとしなかった。今更この関係が変わることはないだろう。
それから三年間、俺は良き友人としてキティの側にいた。無害で信頼できる優しい友人。完璧だと自負している。
卒業も間近になった。俺はプロポーズの方法を考えていた。だがふと思った。キティは俺をどう思っているのだろうか? 嫌われていない自信はある。好きか嫌いかなら好きなはずだ。だけどたぶん友人以上までにはなっていないと思う。でも嫌われていないのなら、振り向かせればいい。そうしてみせる。
この頃、厄介事が急増した。やたらと女性に呼び出されて告白される。当然断っているが迷惑だ。もしもキティに誤解されたらと思うとイライラした。
実は俺はキティに内緒でクレイ子爵に定期的に会っている。学園でのキティの様子の報告と、いずれ婿入りした時に学ばなければならないことを、先んじて課題として受け取っているからだ。
「ヴィクター様。あと二か月で卒業ですね。もうキティに告白してもいいですよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
俺はかねてより考えていたプロポーズをすることにした。歌劇に誘いその帰りに食事に行き、そこで告白し結婚を申し込む。定番ではあるが失敗をしないためにはこれが一番いいと判断した。
歌劇のチケットを取りいざ誘おうとしたのだが――。
「ねえ、ヴィクター。知り合いから歌劇のチケットをもらったの。よかったら一緒に行かない? 来週だけど空いてる?」
「え……来週? あ、ああ。いいよ」
公演のチケットも日にちもかぶった。でもせっかくキティからの誘いを断ることはできない。俺は自分の買ったチケットを友人に売った。
そして歌劇に行く当日、待ち合わせ場所に着いたがキティがいない。ただ遅れているだけならいいが、何かトラブルに巻き込まれていたら? 俺は自分を殴りたくなった。どうして迎えに行かなかったんだ。
じっとしていられず待ち合わせの公園内を走り回りキティを探した。すると時計台のところでヘイデンと楽しそうに笑っている姿が見えた。俺はキティがいたことに安堵すると同時に腹が立った。事情を知ってもイライラは収まらない。わかっている。キティは悪くない。むしろいいことをした。そういうべきなのに、自分以外の男に向ける笑顔に嫉妬してしまった。心配していた分よけいに憤ってしまい、キティに気まずい思いをさせてしまった。
歌劇はまったく頭に入ってこない。どうやって挽回しようかと考えている間に終わってしまった。
重苦しい空気のまま劇場を出ると、以前俺に告白してきたテイラー男爵令嬢が声をかけてきた。彼女はチケットのお礼を言ったが、心当たりはない。たぶん俺がチケットを売った友人がテイラー男爵令嬢にあげたのだろう。そしてテイラー男爵令嬢はわざと誤解をされるように言ったのだ。
キティはどう思ったのだろう。同じチケットを持っていたことを不審に感じるかもしれない。本当のことを言うのは格好悪い。俺はキティの前では出来る男でいたかった。
テイラー男爵令嬢がお茶に誘ってきた。俺とキティがデート中なのは見てわかるはず。嫌がらせか。断りかけたところで、キティが身をひるがえし帰ってしまった。俺は呆然として追いかけることができなかった。
「あら、勘違いしちゃったかしら。ふふ、ごめんあそばせ」
振った嫌がらせか。俺は悪びれた様子もないテイラー男爵令嬢を一瞥すると、その場をあとにした。
今キティを追いかけて説明しても言い訳に聞こえる。一日置いて説明して、今度こそプロポーズしよう。
翌日、キティから誘われた……。どうも俺は行動が遅いみたいだ。でもチャンスだ。準備万端ではないが、とにかく想いを伝える。そのうえで後日、プロポーズをやり直せばいい。
その後もヘイデンの邪魔が入りかけたが、どうにかキティにプロポーズをして、いい返事をもらうことができた。
キティと呼んでいいのは俺だけだ。キティもそう思ってくれていたことが心から嬉しい。
両家に正式に報告して、まずは婚約を結ぶ。俺はこれからずっとキティといられる権利を手に入れた。
俺の初恋はすくすくと成長し無事に実り、心の中で愛という名になった。
お読みくださりありがとうございました。