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2.ままならない

 ヴィクターの気持ちを知りたい。

 自分の想いを自覚してから痛切に思う。だけど――。


「おい、ヴィクター。呼び出しだ」

「……わかった」


 扉の入り口には頬を染めた女性が、緊張の面持ちでヴィクターを待っている。ヴィクターは表情を変えないまま小さく溜息を吐いた。その様子からは浮かれたり喜んだりしているようには見えない。意地が悪いかもしれないが密かに安堵している。

 私は机に肘をつき手に顔を乗せて、ヴィクターが女性と教室を出ていくのをじっと眺めていた。


「愛しい人が自分以外の女性と去っていく姿に、キャサリンの心中は穏やかではなかった!」


 デイジーが揶揄うように言った。でもそれは私の心を言い当てていた。だってものすごく焦っているし、ざわざわしている。ちなみにデイジーには私がヴィクターに告白するつもりだという決意を伝えてある。応援するよと言ってくれていたが、面白がられている気がする。


「茶化さないでよ……」


 私が肩を落とすとデイジーは慰めるように、私の背中をポンポンと優しく叩いた。


「落ち込むのもわかるわ。今日だけで三人目、今週に入ってからは七人目ですものね」

「……」


 補足するなら今月に入ってから十三人目ですよ……。 

 そうなのだ。卒業を二か月後に控え、ヴィクターへの告白ラッシュが始まった。ヴィクターにはお兄様がいるので家を継ぐことはできない。だから婿探しをしている令嬢たちがこぞってヴィクターを狙っている。

 なにしろ婿養子としてはこの上なく最高な男性なのだ。裕福な伯爵家の次男であり、入学してからずっと首席の座を守るほど成績優秀で、かつ容姿端麗で運動もできる。性格もよく非の打ち所がない。

 これほど素敵な人なら誰だって好きになると思う。当然私も例外ではない。


 私はヴィクターの将来の希望を聞いたことはない。騎士になるだけの能力もあるがはイメージで文官を目指すのだろうと勝手に思っていた。アルバーン伯爵家は経済的に盤石だから、ヴィクターがどの進路を選んでもきっと後ろ盾となってくれるだろう。


(私のお婿さんになって。とは図々しくて言いにくいなあ)


 私はクレイ子爵家の一人娘で婿を取る予定だ。できればヴィクターに来てほしい。だけど伯爵子息に格下の家に来てくれとはちょっと頼みづらい。


 私は告白の決意をしながらまだ行動に移せていない。ぼやぼやしている間に周りの女性はどんどん行動に移している。早い者勝ちではないが、早くしないとヴィクターの心を掴んじゃう女性が現れてしまうかもしれない。


「このまま何もしないでいるの?」

「実は……ヴィクターを歌劇に誘おうと思っているの。それでその帰りに告白しようかなって」

「それはいいわね! チケットは?」

「昨日買ってきたわ」

「頑張ってね。キャサリン」

「ありがとう」


 デイジーに励まされ勇気が出てきた。私は振られてヴィクターに嫌われるのが怖かった。でもヴィクターに告白する女性たちを見ながら、ヴィクターは告白を断ってもその相手を馬鹿にしたり、一方的に嫌ったりしないと思った。  

 そうだ、私は何を恐れていたのだろう。ヴィクターは優しく誠実な人だ。断られてもきっといい友人でいられる。たとえ私が恋人になれなかったとしてもヴィクターに恋したことを後悔しないと確信した。


(ああ……振られる前提になっているわ。前向きに考えなくちゃ)


 私はその日の学校の帰りにヴィクターを歌劇に誘った。


「ねえ、ヴィクター。知り合いから歌劇のチケットをもらったの。よかったら一緒に行かない? 来週だけど空いてる?」

「え……来週? あ、ああ。いいよ」


 ヴィクターは一瞬困惑げな顔になったがすぐに微笑んで頷いた。


「もしかして予定がある? 無理しなくていいのよ」

「いいや、大丈夫だ。行こう。楽しみだな」


 彼の態度が引っかかったが、それよりも断られなかったことに安堵した。

 一週間後、私はおしゃれをして待ち合わせ場所に向かった。待ち合わせ場所は公園の入り口にある木の下。一時間も早く着いてしまった。落ち着かなくてそわそわと周りを見渡す。すると少し離れたところで小さな女の子が泣きべそをかいているのが見えた。


(もしかして迷子かしら?)


 私は女の子の側に行き話しかけた。


「どうしたの?」

「ひっく、おにいちゃまがね、まいごになったの」


 女の子は自分が迷子なのにお兄さんが迷子だと泣いている。思わずくすりと笑った。


「まあ、大変。それじゃあ、私と迷子のお兄さんを一緒に探しましょう」

「うん……ありがとう」

「あなたのお名前は?」

「ミリー」

「ミリーちゃんね。私はキャサリンよ」

「キャサリンおねえちゃま?」

「そう」


 私は女の子と手を繋ぎ公園の中央にある時計台のところに向かった。きっとこの子のお兄さんも探しているはず。闇雲に移動して探すよりも目立つ場所にいれば、お兄さんのほうが見つけてくれるだろう。しばらくするとミリーの名前を呼びながら男性が走って来た。彼は隣のクラスのクーガン男爵子息ヘイデン様だ。以前委員会で一緒になったことがあった。


「ミリー! ここにいたのか。探したんだぞ」

「おにいちゃま!」


 ミリーちゃんはその男性の腰にしがみつくと、安心したのか再び「わーん」と声を出して泣きだした。


「ヘイデン様。ミリーちゃんはヘイデン様の妹さん?」

「そうです。もしかしてキャサリン様がミリーを保護してくれたのですか。ありがとうございます。本当に助かりました。ミリーには待っていろっていったのに、急にいなくなるから」


 彼の手にはパンがある。買っている間にはぐれたのだろう。ヘイデン様はしがみつくミリーちゃんの背中をなだめるようにさすった。


「ミリーちゃん。迷子のお兄様が見つかってよかったわね」

「え? 私が迷子?」


 ヘイデン様が察したようでムッとする。ミリーちゃんはもごもごと「だって」と言い訳をした。私は二人の様子がおかしくてくすくすと笑った。


 その時、時計台の鐘の音が鳴り響いた。私ははっとして時間を確かめる。ミリーちゃんのことに夢中でヴィクターと待ち合わせをしていたことを忘れていた。約束の時間はとっくに過ぎていた。私は焦った。


「ヘイデン様。私は用があるのでこれで失礼しますね」

「キャサリン様。待ってください。お礼を――」

「キティ!!」

「ヴィクター」


 ヴィクターが険しい顔でこちらに走ってくる。待ち合せ場所にいなかったのだから怒っているのだろう。


「ヴィクターごめんなさい」

「キティ、なぜヘイデン様と一緒にいる?」


 ヴィクターらしくない、どこか責めるような口調に思わずびくりと肩を揺らした。


「ヴィクター様。私から説明をさせてください。妹が迷子になっていたところをキャサリン様が保護してくださったのです。ご迷惑をおかけして申し訳ない」


 ヴィクターの圧を察したヘイデン様が慌てて説明してくれたが、ヴィクターはいつものにこやかな雰囲気ではなく表情がない。


「そうか。妹さんが無事でよかった。キティ、行こう。ヘイデン様。失礼する」


 ヴィクターは私の手を掴むと早歩きで歩き出した。


「ヴィクター。本当にごめんなさい」

「怒ってない」


 嘘。怒っている。だって私の顔を見てくれない。ヴィクターの声が冷たく響いているように感じて涙が出そう。

 でもヴィクターは遅れたことを怒っているのではない。待ち合わせの場所に私がいなかったから心配してくれたのだ。それがわかっているから、これ以上言い訳もできない。


 俯いて歩いているうちに劇場に着いた。私はチケットを取り出し受付を済ませヴィクターと席に着いた。口を利かないまま歌劇は始まり、そしてまったく頭に入らないまま終わってしまった。気まずい雰囲気のまま劇場を出た。


「ヴィクター様!」


 私たちが振り返るとそこにはテイラー男爵令嬢ジェシカ様がいた。彼女は先日ヴィクターに告白していた女性の一人だ。女性の友人と一緒にいる。ジェシカ様はこっちに駆け寄ってきた。


「ヴィクター様。チケットをありがとうございました。すごく楽しい歌劇でしたね。どうせならヴィクター様と見たかったなあ」


 ジェシカ様は甘えるようにヴィクターの腕を掴もうとしたが、ヴィクターはそれをスッと躱した。

 それよりも……今ジェシカ様はチケットのお礼を言った。なぜ? 私がヴィクターを見上げると、気まずそうに目を逸らされた。もしかして私がヴィクターを誘わなければ、ジェシカ様と見に来るつもりでいたの? だから誘った時に躊躇したの? まさか二人は付き合い始めていた?

 そこまで考えたら頭の中が真っ白に染まった。


「ねえ、ヴィクター様。これから予定、ありますか? よかったら一緒にお茶に行きましょうよ」

「悪いけど私は――」

「ヴィクター。私先に帰るね」

「え? キティ、待って――」


 ここにはいたくない。二人を見ていたくない。どうしようもないほど胸が苦しくなった。


 私はヴィクターの言葉を振り切るように、その場から走り逃げ出した。






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