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第7話 水底の怨念歌(前編)

 何故戻って来た。


自室としてあてがわれた部屋で芹沢達人は自問していた。


この家の人達の事を考えるなら脱出した後どこかへ去っているべきだったのだ。


(バカな。望んでいるのか?求めていた家族の形に触れてその中に加わりたいと)


もはや何度目になるか判らない、自分の右手を見ながら達人は自分の状況を冷静に分析する。


(この体がいつ怪物になるか分からないんだぞ。それもただの怪物じゃない。人を襲う怪物にだ)


この恐怖と周囲に及ぼすであろう危険の為生き別れの母親を探すという行動もとりづらい。


一度あの鎧を着てあてどもなく街のビルの屋上を転々としながらそこから道行く人々を観察していた事もあった。

しかしいかに身体能力強化の魔法があるとはいえ人口40万人ものf市の住民の中から遠景で目当ての人間一人を探す事は困難を極める。


(そもそもこの街にいるという保障すらないしな)


父親から逃げ出した当時どの県のどの町に住んでいたかなど彼自身も知らない。


よって闇雲に探し回る結果となったのだが、もはやそれも限界に近い。


同時に八重島家の為に何かしたいという気持ちもある。


(彼らに協力を申し出るか?だがその場合こちらに出来る対価は殆どない)


あの家族なら1にも2にもなく引き受けてくれるだろう。


だがその場合こちらに出来る見返りは考えても何もなさそうだった。


(戦う事以外に俺は何も出来ない)


達人にとってそれは心苦しい事だった。



翌朝9時


殆ど眠れなかった達人は八重島家のリビングに降りていった。


そこには八重島梓がテーブルを拭いているだけで家主の修一郎も紗良もいなかった。


「おはようございます。八重島さんいや、修一郎さんは?」


「おはよう、達人君。あの人は大学へ行ったわ。けど珍しいわね。食事以外でここに来るなんて。いえごめんなさいね、これが普通なんだからこっちとしては歓迎する事よね」


「歓迎?何を?」


訝しがる達人に


「少しは私達に気を許してくれたって事。違うかしら?」


そう言って優しい言葉を掛けてくれる梓に達人は圧倒されていた。


(たかがこんな言葉を言うのに何故勇気を振り絞る必要があるんだ?)


「・・・・実は俺に何かできる事はないかと・・・・居候の身なので」


母親探しの件は遂に口から出て来なかった。


「そうねえ。そうだ!達人君の学力チェックをしようかしら。実は私平日はここを使って私塾を開いているのよ。最も大手みたいな進学塾ではなくて学校の宿題や予習・復習を見るだけなんだけど。それを手伝ってくれると嬉しいわ」


「分かりました」



「それであいつお母さんの手伝いをしてるって訳?」


珍しく部活の助っ人の誘いもなく家に帰って来た紗良はこんな時間に珍しい人間がいる事に驚きと少しだけ感心もしていた。


「そうよ。彼、紗良より頭良いわよ。以前あなたがウンウン唸っていた問題をスラスラ解いていたんだから」


この点については梓も内心驚いていた。


本人は学校に通った事が無いと言いながらも少なくとも義務教育レベルの学力は身に着けていた。


それはある意味では当たり前の事ではあるのだが同時に彼が育ってきたという子供達を攫ったり『買ったり』しながら彼らに社会常識を教える一方で殺人同様の訓練を施すという『施設』が最終的に何を考えていたのかという不気味さを際立たせることにもなるのだ。


といっても現在リビングの一番窓際の席で達人が小学生相手に算数を教えるのに四苦八苦している様子は梓にとっては少しだけ安堵する光景ではあった。


この席で教える事を本人は頑なに主張して譲らなかった。


最悪の事態をある程度は防げるだろうから、という達人の主張は梓にとってはやはり意味不明ではあったが何も言わずそうさせることにした。


彼女としては彼のやる気やその意志を買ったのである。


「そういえば刀馬君、今日も来ていないわね」


「新学期始まって2週間だから色々あるんじゃない?それこそ中学受験とかするなら小4くらいから始めるなんてザラみたいだしね」


「そういう事ならいいけど」


八重島母娘の会話を聞きつけたのか宿題をしていた女の子が


「高階君なら今日も学校休んでたよ」


「あら、体調でも崩したのかしら。ちょっと紗良、お見舞いに行って来てくれる?」


「はーい」


また母親のお節介が始まったと思いながら紗良は出かける準備をする。


こうなると言っても聞かないとわかっているからあえて反論はしない。


それに『今日も』と言っていたのも気にかかった。


「達人君も今日はご苦労様。まだ初日だからここで切り上げて紗良と一緒に、ね」


「ボディーガードですか」


無表情に問いかける達人に梓は


「そういうのじゃないけど。ああでももう暗くなるからそういうのも頼みたいけど、でもそうじゃなくて」


何故頼む側の梓が頭を抱えているのか。


達人は首を傾げ、紗良の方は軽いため息をつく。


「帰りに買ってくるものある?」


「今はないわ。でも後で頼むかもしれないから携帯の電源は入れておいてね」


娘の言葉で主婦としての意識に瞬時に切り替わった梓はそう言って2人を送り出した。



出かける前に準備があると言って部屋へと戻った達人を待って数分後


2人は高階刀馬の住む団地への道を歩いていた。


団地は駅近くを流れる川沿いの道を600mほど歩いた先の分かれ道となる坂の上にある。


(気まずい)


横を無言の無表情で歩く達人の横顔を見ながらそう考えているのはたぶん自分だけだろうな、と紗良は思う。


多少なりとも心の壁は取り払われたとは思うが、それでも芹沢達人という男は紗良にとっては異世界の住人といっても差し支えないほどつかみどころのない男だった。


相変わらず身なりという物を気にしないこの男はぼさぼさの髪は(彼は櫛という物を見たことが無いと言い切った)


そのまま、服装は人の家に行くからと背格好のほぼ似ている修一郎の服を着させて出てきた。


「それで塾手伝い初日の感想は?」


(多分10秒で終了するとだろうけど無言でいるよりかはましか)


そう思って紗良は思い切って聞いてみた。


「教えるというのは大変だな。こういう事を日常的にやっている梓さんも八重島さんも俺は尊敬するよ」


「へえ~てっきりこんな物簡単だとか言うと思った」


「お前俺を何だと思っているんだ」


「何か態度違わない!?あたし家主の娘なんだけど?」


「それが何だと言うんだ」


「いや。確かに変に敬語だとか変にかしこまわれてもそれはそれで困るからいいんだけどさ」


少しは会話になった事に多少驚きつつも今度は別の話題を振ってみる事にした。


「これから会いに行く高階刀馬君って大人しい子なのよね。彼のご両親とお父さんが同じ研究室で働いていて、昔から付き合いがある子なんだけど塾でもあんまり目立たないというか」


「学校でいじめを受けている、と考えているのか」


「それもあるかもしれないし、単にクラス替えの直後で馴染めてないってだけかもしれないけどね」


「優しいんだな」


「そう?関わりのある人を心配するのは普通じゃない?言われて悪い気はしないけど」


予想外の言葉に照れ隠しで河川敷の方へ眼を向けた紗良は川に今まさに入ろうとしている小さな影を見つけた。


「ねえ、あれ!?」


子供だ。夕陽の逆光で性別までは分からない。


隣の達人も紗良の視線の先を見て答えるよりも先に土手を駆け下りていく。


その後を走って付いて行く紗良の目には早くも達人が川に足を踏み入れていた。


だが数秒後彼と小学生くらいの子供と思しき人影の間の川面が盛り上がった。


「こいつUMAか!」


異世界で味わったあの嫌な感覚をまき散らしながら川から突如現れた犬だかイタチのような2m近いその生物は子供ではなく達人目掛けて襲い掛かった。


その巨大かつ頑丈な顎の噛みつきを躱しきれず達人は右足を噛まれる。


「ガッ!?」


今度は怪物が驚く番だった。


獲物の足を齧り取るつもりがその相手は異様な硬さを持っていたからだ。


思わず後ずさった相手の隙をついて達人は鎧の入った箱を自分と怪物の間に置く。


上着とズボンを脱ぐとその下には藍色に光る銅鎧と脚部装甲が出現する。


箱から取り出したフルフェイス兜と両腕のパーツを付けると左腰のスイッチを押して鎧の機能を起動させる。


怪物はこの明らかに食べるには不適当な『生物』を後ろの子供よりも優先して襲い掛かった。


(こちらを狙ってくれるのは好都合だが、どういうつもりだ?)


噛みつきやカギ爪のある腕を振り回して攻撃してくる相手を訝しみながらも達人はそれらをいなしながら逆に怪物の

頭にワンツーパンチを叩き込み、顎に左アッパーカットを撃ち込む。


更に右腕で三角形を宙に描くと


「フロギストン!」


落下する怪物目掛けて突き出した右拳から火球が放たれる。



怪物の体は火球を弾いた。


このオオカワウソ型UMAドアル・クーは魔法を弾く特殊な構造をした全身の体毛と『川の狼』と呼ばれる原種のその狂暴性を兼ね備えた怪物だった。元もこの怪物の能力はこれだけではないのだが


「しまった!」


弾かれた火球の向かった先は例の子供と子供を川から連れ出した紗良がいた。


彼らの前に立ち火球を受ける達人はよろめいて川へと片足を突っ込んだ。


(奴はッ!?)


何処だと首を回した瞬間川から飛び出してきた怪物が達人の右腕に噛み付いた。


「くッ」


その牙を抜こうと上顎を引っ張ったり腹を殴るなどするがその力は弱まる事が無くその傷口から血液の様に青いエレメンタル・エナジーの粒子が流れ出す。


両者はもつれあいながら土手まで移動していた。


達人は最後の手段と腕を振り上げ土手の護岸ブロックに怪物を叩きつけた。


流石にこれには堪えたのか怪物は大ジャンプすると川の中に飛び込んだ。


同時に兜から発せられる怪物の反応も消えた。


しかし達人は襲撃方法からまた様子を窺っているだけと判断して暫く周辺を歩き回ったが気配が現れる事は無かった。そして彼の目の端に川にいたと思しき子供が走り去るのを見た。


「ちょっと噛まれてたけど大丈夫!?」


駆け寄ってくる紗良に


「こういう時の為にあらかじめ腰から下と胴に鎧を着けておいて正解だった」


「家を出る前の準備ってそれだったのね」


紗良は安堵と呆れの入り混じったため息をついた。


「あの子は無事みたいだな」


「うん。あの子刀馬君だった。でもなんでこんな時間のこんな所にいたんだろう?」


「そいつを聞きに行くんだろう。それとこのズボンいくらするんだ?」


鎧を脱いで右足に穴の開いたズボンを履きながら達人は問う。


「普段使いだからそんなに高くないと思うけど。それよりあんた、デリカシーってのを気にしなさいよ」


慌てて後ろを向きながら紗良はそう抗議するが当の本人はどこ吹く風である。


「走っていった方向には団地があるから流石に家に帰ったと思うが・・・心配だな」


まだ何か言いたそうな紗良を置いて歩き出した達人を紗良も小走りに追う。


「そうね。でも何をしていたのかしら?」


「それは本人に聞いてみるしかないだろうな」



高階刀馬の家は集合団地の一番奥の建物の4階つまり最上階にあった。


インターホンを何度鳴らしても応答はない。


諦めて帰るかと思った時


「あら紗良ちゃん、どうしたのこんな時間に?」


「あ、蓉子さん。刀馬君最近顔を見せないからどうしたのかなって」


エレベーターから30代前半と思しき女性が紗良に声を掛ける。


夕食に使うのか両手のエコバックから大量の野菜が顔を覗かせている。


「この方は刀馬君の母親の蓉子(ようこ)さん。彼は」


「芹沢達人です。訳あって八重島さんの家に居候させてもらっています」


「ご丁寧にどうも。高階蓉子です。でもおかしいわね。刀馬は学校にまた戻った時に勉強についていけないといけないからって塾には行っているって言っていたのだけれど」


鍵を開けて2人を家の中へ案内した蓉子は息子の部屋をノックする。


だが部屋からは返事はなかった。


達人は中で何かを引く音を聞き


「蓉子さん。刀馬君の部屋の窓は彼が飛び降りる事が出来ますか?」


「えっ、それって」


他の2人が何か答える前に失礼、と達人は部屋のドアを強引に押し開ける。


3人が見たのは自室の窓から飛び降りようとしている刀馬の姿だった。


「刀馬!!」


母親の静止も虚しく、刀馬は窓外へ身を躍らせる。


蓉子と紗良の悲鳴と共に猛スピードで達人が窓の外に飛び出し、刀馬を抱えて団地の壁を蹴る事で落下スピードを殺しながら彼を庇うように下敷きとなり植え込みに落下した。


「どうしてまた僕の邪魔をするの?僕が居なくなればあいつらはっ・・・!」


「それは違う」


達人は刀馬を立たせると目線を合わせて


「何でそう言えるんだよっ」


「知っているからさ。君はまず生きろ。君の嫌いな奴らは君がこうするように仕向けているんだぞ。最後まで奴らの思う通りになっていいのか?」


「それは・・・・」


「だからな刀馬君、君は生きるんだよ。それが奴らへの最大の復讐だ。それに君の味方はすぐ近くにいるじゃないか」


階段を駆け下りてきた蓉子と紗良が涙目で駆け寄ってくる。


「本当になんといっていいか。本当にありがとうございました」


「いえ。俺にとって普通の範囲ですから」


「どんな普通よ」という紗良を無視して達人が答えた。



「体本当に何でも無いなんてね。どんな体してるのよ、あんた」


「俺は頑丈なんだよ。それに銅鎧も仕込んでいたからな」


念の為にと達人を病院の検査を受けさせた帰り道、紗良は居候の男はやはり分からない奴だ、と思った。


「それに、ああいう励まし方ってないんじゃない?もっとストレートにさ」


「聞いていたのか。ああでも言わないときっと別の方法で遠からず自殺すると思ったんでな」


「考えてはいたんだ。ヘンだけど」


「よく言われる」


紗良はその無表情が少し動いたと思った。


「ヘンだけど、あたしは嫌いじゃない」


「そうか」


(カッコだけじゃなくちゃんとヒーローしてんだ)


そう考えるとなぜか嬉しくなる紗良だった。


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