◇最終話◇役割を変えた王子様 ―side王子?―
「あの、では白雪姫はどうなったのですか……?」
そのままでいてくれた方が良かったというのに、彼女は僕の腕の中で泣いた後、恥ずかしそうな顔をして、少しだけ距離をあけてそう言った。
別のあのまま会話してくれても、僕は全然よかったのに。むしろ、彼女をこの腕の中から離したくなかったというのに。
本当に、貴女はどこまでお人好しなんだろうね。
まあそこが可愛いのだけど。
君が罪悪感を抱き続けてきた女は今頃、いつも通り解毒薬でピンピンしてる所だろうさ。
白雪姫と狩人さんが想いあっている事など、僕ら皆が知っている事だ。まあ言えば、周知の事実。
知らなかったのは、僕らと関わる事を絵本の意思に阻まれていた、彼女だけ。
「白雪姫なら、狩人さんと愛の逃避行と洒落込んでるさ」
「えっ?」
彼女の大きな瞳が、零れ落ちそうなほど見開かれる。その愛らしい仕草についつい我を忘れそうになるが、場所の事を考えて我慢した。
しかし、これだけ無防備でよく無事にいられたものだと思う。
絵本の意思によって彼女が孤立していなければ、早々に他のやつらからちょっかいを出されていただろう。
そこだけは、彼女には悪いが感謝してもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、かつて僕の相手役だった女の事情を話してあげることにする。
知れば、彼女の今までの罪悪感も、少しは軽くなるだろう。
「お妃様、白雪姫はこの物語が一番最初に読まれた日からずっと、自分の命を救ってくれた狩人さんの事が好きだったんですよ」
「まあ……」
彼女がその綺麗な白い指先を、美しい唇に添えつつ驚きの声を漏らす。
……僅かに染まった頬が、どうしてやろうかと思うくらいに可愛いが、そこはぐっと我慢した。
普通に考えればそうだろう。若干年端はいっているとしても、幼い少女が自分を守ってくれたただ一人の男性を、忘れたりするだろうか。ただありがとうの感謝だけで終わるだろうか。
白雪姫が彼に恋するのは、自然な事だったのだろう。
なのに好いてもいない僕―――王子と毎回一緒にされて、あそこまで捻くれてしまった。
(僕も人の事は言えないけどね)
『絵本の意思』も、まさか思わなかったのだろう。
ヒーローの共犯者が、ヒロインなどとは。
僕が『それ』になるには、この物語の主人公である彼女の役割が必要だった。
彼女が狩人さんに抱いた気持ちによって、僕へと感じる気持ち。
一度だけ彼女が絵本の意思に抗い、物語の中で僕を―――『王子様』を『それ』と認識出来たなら。
その瞬間、僕らの願いは叶う。
そして僕らは成就したのだ。この絵本の物語は独立し、話を紡いだ創造神である作者からも、絵本の意思からも解放された。
なぜそう出来たのか、なぜそう出来る事を僕らは知らなかったのか。
それは、誰も『ソレ』を憎む事など無かったからだ。
……自らの創造主であり、神である存在を。
この世界の神が執筆者であるとするならば―――では、『悪魔』は誰になるのか。
それを考える時、絵本のタイトルによっては悪魔役の者が登場するが、僕が居る『白雪姫』という物語には―――存在しない事に気が付いたのが、始まりだった。
……そう、いないなら。
なればいいのだ。
誰かが。
―――僕が。
この世界を創造した神にすら抗える存在。かの愛しい人を救い、この手に出来ると言うならば、僕は何にでもなれた。
物語の最後、焦がれて焦がれて、焼き切れそうな程愛している人が、灼けた鉄の靴を履かされ、息絶える所を見続けるくらいなら―――どんな存在にでも。
僕しかいなかったのだ。
彼女をあのような目に合わせる神である創造者に、憎悪を抱き続ける僕にしか、この役割は出来なかった。
創造神を憎悪する僕と、そんな僕を悪魔の様な男だと認識する白雪姫という存在。
その二つが揃ったからこそ、僕は今彼女の傍に在ることが出来ている。
「王子様?」
愛しい人が、僕を呼ぶ。
ずっと遠くから見つめる事しか出来なかった愛する人が、僕の間近で顔を覗き込んでいる。
「なんでしょう」
「いえ……あの、瞳の色が一瞬、変わられたように思って……ですが私の気のせいだったみたいです」
照れた顔でごめんなさいと告げる彼女へ微笑みかけながら、僕は気が緩んでいた事を自覚する。
ああそうだ。
『この姿』を保つには、あまり気を抜きすぎると駄目なんだった。
彼女があまりに可愛らしくて、つい忘れそうになっていた。
「やっぱり、貴女は可愛いなあ」
僕の言葉に、彼女が頬を染めた。
そのあまりのいじらしい姿に、胸に初めての幸福感が沸き上がる。
けれど。
彼女はいつか……気づくだろうか。
王子様だと思っていた僕が『そうではなくなっている』事に。
だけどその時逃げたいと言われても、例えそうされたとしても。
僕はもう、彼女を逃がしてあげられない。
気の毒なお妃様。
僕という悪魔に魅入られてしまった事にも気づかずに、君は今、僕の前で華やかな笑顔を浮かべている。
悪魔となった僕に、絵本の意思は奪われた。
そして僕の存在が消える時、この世界も終わりを迎える。
僕がいなくなれば、彼女もいなくなる。
僕の他に彼女を手にする者は現れない。
例えそれが、身勝手でも、理不尽でも。
世界は理不尽で溢れている。
物語ですらそうなのだ。
けれど僕は彼女に、その理不尽に気づかせるつもりはない。
―――最後まで、ずっと。
<終>
※最後に『鏡』の話があります。