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急展開です。

いつの間にだったのだろう。


恋、とは落ちた瞬間に分かるものだと思っていた。


だが、そうではなかったようだ。


話し始めてたった4日。されど4日。

この4日の間に、めまぐるしいまでのたくさんのことがあった。初めての経験ばかりで、日常とかけ離れていた。

その間に、自分は恋をしたのだ。

初めて、物語のなかでしかなかった恋をした。


信じられないけれど、いつも意地悪な笑みをたたえる青年に。


「・・・嘘みたい」


ぱたん、と荷物入れの蓋を閉じて、リィレネは立ち上がった。

最後の晩餐会には、出席しないつもりだった。

ハルドは忙しいと言って朝から顔を出してない。最終日にしてようやく日中一人になる時間を持ち、リィレネはいましかないと思った。


(だって無理だから)


花嫁に選ばれる、そんなハルドの思惑通りにいかないとは思うけれど、もしそのとおりになったとしたら、それはそれで彼を傷つけてしまう。


だって、リィレネは伯爵を愛せないから。ハルドがそばにいたら彼ばかりをみてしまう。

伯爵に安らぎを与えてくれ、と願ったハルドの思いをかなえてあげられないから。

それでは伯爵も不幸にしてしまう。


だから、リィレネはもう逃げることにした。


(たぶん、舞踏会がはじまってさえしまえば一応奥方様選びはひと段落つくはずなんだし、そうなれば今更レムリアを召し上げたりしないでしょう)


もしそうなったとしても、どんな手を使ってもやめさせる。たとえ、この身をいかに犠牲にしても。レムリアを連れて逃げよう。


伯爵家に決定的に逆らう、その覚悟が、いつの間にか固まっていた。


だが、ドアのノブに手をかけたところで、リィレネはその動きを止めた。


今、ここを出て行けば二度とハルドには会えない。


そんな未練がましい思いをリィレネは断ち切ろうと首を振った。


(駄目だ、こんな半端な覚悟じゃ駄目だ)


すう・・・っと大きく息を吸って、吐いて、今度こそリィレネは一歩を踏み出した。

しかし、扉を出たところで、またしても足が止まる。


「・・・さよ・・・なら・・・」

そっと4泊した部屋に別れを告げる声は、震えていた。

扉の模様を指でたどり、短い思い出を振り返る。

涙がこぼれそうだった。


「あら。こんなところで何をしているのかしら?」

「・・・っ?!」


別れを惜しむ瞬間に割り込んできたのは、甲高い声ときつい香水の香りだった。


「まあ、その荷物は?やっとお帰りになられる心づもりかしら?」

「いまさらお帰りになるご予定?そんな大荷物で、まるでこそ泥のようね?何か収穫でも手に入れて?」


舞踏会までの時間、入念にお化粧をしているだろう他の令嬢たちがいつの間にやらリィレネをぐるりと囲っていた。



「・・・失礼な。ここ数日すばらしい暮らしをさせていただきましたけれど、やはり最後まであなたたちのお気持ちは理解できませんでした。人を傷つけ騙しあってまで、手に入れたい座だとは思いません。ですから、辞退させていただく次第です」

「ま・・・!何たる暴言を・・・!」


彼女たちは憤怒に顔を醜く歪めたが、リィレネは鼻で笑った。

もう、何もかもがどうでもいいリィレネにとっては、この令嬢らは単なる妹の心を痛めつけた敵でしかない。

恨み言を言い捨てていこうと決意していた。


「真実でしょう。我が家に心無い贈り物を下さったのは誰ですか?石を投げ込むよう指示をなさったのは?そのようなあさましいことをしている限り、あなた方が心から満たされることはないのでしょうね。何かを手に入れたらその次・・・と。心を許すことをできる人間もいず、飢餓感にさいなまれて生きていくのでしょう。ご同情さしあげます。私は決して、あなた方のようになりたくはありません。どれほどご実家が裕福でも、心が貧しくては・・・幸せになれませんから」

「この、貧乏貴族が・・・!」

「どうぞ。ご勝手に罵ればよろしいでしょう。けれど私はそんなことで傷ついたりは決してしません。あなたたちに何を言われたところで、何一つ失うものはありませんから」


凛としたリィレネの言に、わなわなと震える彼女たちは言葉がないようだった。


「もう、よろしいですか?では、ごきげんよう。二度とお会いしないことを願っています」


リィレネは艶然と微笑み、彼女らの傍を通り過ぎようとした。

だが。


「お待ちなさい!」

「きゃ・・・!」


どん、と突き飛ばされて、リィレネは扉を背にぶつけた。

思わぬ強さに、肩がずきんと痛む。


「この・・・よくもわたくしたちを侮辱して・・・っ!」

「よろしいのですか?誰かが駆けつけてくるかもしれませんよ?」


“屋敷内では静かにすること”


その条件を今一度リィレネが口にすると、彼女らは忌々しげに唇を噛み、その上で従者に顎をしゃくるとリィレネを他の部屋に連れ込んだ。


「何するの!?」


思わぬ暴挙に驚くリィレネだったが、飛んできた平手打ちに黙らざるを得なくなった。


長く、綺麗な爪がリィレネの頬を傷つけたようで、ぴり・・・とした痛みが叩かれた右頬に残っていた。


「そうやって黙っていらっしゃればよろしいのに。生意気な口を叩くから」

「まったくですわ。ちょろちょろと目障りな・・・」


ぱしん、とまた別の令嬢が扇でリィレネの頬をぶった。金具がこめかみの辺りにあたって、痛かったがリィレネは一度瞳を歪めただけで、彼女らをねめつけた。


「あなたたち・・・いくらなんでもこんなことが許されると思ってるの?!」

「ぴいぴいとうるさいですこと。少し、黙らせて差し上げて」

「な・・・!」


またしても彼女らの従者の手が伸びてきた。

それから逃れるためにリィレネは暴れたが、結局はつかまってしまう。

そのまま手足を縛られ、猿轡を噛まされて、屈辱的な思いを味わった。

巻き髪の彼女が、扇でリィレネの顎をくい、とあげさせ、満足そうに高笑いした。


「どう?すこしは反省する気になったかしら?」


リィレネはそれを首で振り払い、つん、と横を向く。

するとまた、頬骨のあたりに鈍い感覚が走った。


「う・・・っ」

「雑草根性はたいしたものね。礼儀はしらないみたいだけれど」

「まったく、これだから貧乏人は嫌ですわ」

「ほんとうですわね。レヴィヌ様、お仕置きが必要なのではございませんこと?」

「もちろんよ」


巻き毛のレヴィヌが、くすくすっと本当に楽しそうに笑った。

ぞっとしない笑みに、リィレネはかすかに身をよじるけれど、逃げれはしなかった。


「あの執事殿が張り付いていて、礼儀を教えるのが遅くなってしまいましたものね」


(・・・ハルド?)


もしかして、部屋を出るときには必ず彼がそばにいたのは、リィレネを守ってくれていたのだろうか。監視されているとばかり思っていたが、こんな詮無いいじめから守る意図があったのだと。


状況も一瞬忘れ、リィレネは胸が温かくなるのを感じた。


「一体どうやってあのお堅い執事に取り入ったのかしら?わたくしの誘いは跳ね除けておいて・・・」

「まあ、レヴィヌさまも?私もまったく聞く耳もたずに・・・」

「ま!お二人とも抜け駆けですの?」

「じゃああなたは何もなされなかったとでも?」

「・・・ま、そ、それは・・・」

「こほん。今はそういうお話はいいでしょ」


(・・・誘い??)


何のことだろうと頭をひねって、そういえば伯爵はハルドを信頼していることを公言していたことを思い出す。

もちろん、ハルドに気に入られるのが一番の近道だと誰もが考えたのであろう。


いくらつまれたのだかしらないが、だからハルドはあんなに他の令嬢にうんざりしていたのだな、と今更悟った。


なんだかくすりと笑みがこぼれてしまう。

それは「やってられるかよ」といったハルドの表情を思い出したからで、決して馬鹿にしたものではなかったのだが。

レヴィヌはぐいっとリィレネの髪を力任せに掴んだ。


「・・・っ」

「なあに?その笑いは?」

「貧乏人のくせにどんな手を使ったのかはしらないけれど、調子に乗っていらっしゃるようですわね」


(いた・・・痛い・・・!)


無理に上げさせられている首の付け根と鬘を結わえている髪が痛くて、リィレネは何度も首を振る。

すると突然、ずる・・・っと抜け落ちる音が聞こえた。


「・・・きゃ!」

「んん・・・!」


暴れたせいで鬘がとれたのだ。ぱらりと落ちる黒髪に、令嬢たちはしばらく絶句していた。


「なあに、この汚い髪の色・・・」


こぞって明るい金髪の彼女たちは、あざけるようにしてリィレネの本当の髪を引っ張った。

容赦のない力にリィレネの瞳に生理的な涙がじわりと浮かぶ。

嘲笑が部屋の中に広がっていった。


「やだ、ここまでして伯爵家に取り入りたかったの?」

「やはり貧乏人は恥というものを知りませんわね」

「これでよく、私たちを愚弄する気になったものですこと」


リィレネは悔しさに、ぎゅっとかまされている布をかみ締めた。


言いたいことも弁解も山ほどあったが、リィレネはただ黙っているしかなかったし、それを彼女らに言う気もなかった。


「このこと、あの執事は知っているのかしらね?」


嘲笑の最中、ふとそんな話題が持ち上がった。


「もしや何か悪巧みの片棒をかついでいるのではなくて?わたくしたちの提案にも乗らないなんて・・・伯爵様にご報告申し上げなくてはならないのでは?」

「んんんっ!」


ずっと黙って嘲りの視線を耐えていたリィレネだったが、その言葉だけには反応した。

違うのだ。ハルドは彼なりに主人のことを考えていただけで。

それが正しいのかはリィレネにも分からなかったけれど・・・それでも、ハルドの寂しそうな表情から彼が伯爵の孤独を癒してあげたいと本当に考えていただろうことだけは確かだった。


「そうね。私が選ばれたら、真っ先にあいつを首にしてやりますわ。私に恥をかかせるなんて」

「あら、どんなつれない振られ方をしたのかしら?」

「そ・・・そんなこと関係ないでしょう!とにかく、生意気な執事は必要ありませんわ。あとは伯爵様に気に入られれば、どのようなことも思いのまま」

「まあ、その権利はわたくしのものでしてよ?」

「それはどうかしら?貧相なお胸ですものねぇ」

「ただ胸を出せばいいというものではありませんわ。そんなお下品なドレスではね・・・当家にふさわしい貞淑さが求められましてよ」

「レヴィヌ様、本当のことをおっしゃってはいけませんわ」

「なんですって?!」


結局ぎゃあぎゃあと仲たがいを始める令嬢たちだったが、最後には3人そろってこちらを振り返った。


「誰が選ばれても、この娘だけは許しませんわ。皆さんいいですこと?」

「もちろん。私たちを侮辱したことについて、それなりの報復は受けていただかなくては」

「では、そういうことで。お前はそのときまで大人しくしておいで」


レヴィヌは、部屋の花瓶から花を抜き取ると、中の水をリィレネにばしゃりとひっかけた。

ぬれた前髪から、リィレネはねめつけるものの、動けない状態ではどうしようもできない。


ついでのように花をばさりと投げつけ、彼女たちは笑いながら部屋を出て行った。


「伯爵様には身分を辞してお帰りになったとお伝えいたしますわ。では、ごきげんよう。ミス・ジェルミオン。次にお会いするときは伯爵夫人とお呼びいただきたいわ」


家名で呼んだのは、子爵家を小馬鹿にするためだったろう。だが、そんなことよりもリィレネの心を占めたのはハルドが辞めさせられるかもしれないということだった。


(駄目だよ・・・だって、ハルドはちゃんとご主人のこと考えて・・・泥かぶっても、気にならないくらい伯爵家を、守ろうとしてて・・・)


あんな奴らにこの家を渡したくない。

そう言っていたハルドを思い出す。

自分が当主夫人にならなくてもいいから、あんな自分勝手な人たちにこの家を乗っ取られたくなんてなかった。

ハルドが大切に管理している家なのに。


(馬鹿だ・・・私が逃げだそうとしなければ、せめて、伯爵に御注進さしあげることができたかもしれないのに。・・・もしかしてハルドは・・・それを期待していた・・・?)


今更何もせずにただ逃げようとした自分の愚かしさを知る。

リィレネはぼろぼろと涙が頬を伝うのに任せた。


母親が死んでからずっとこんな風に泣いてなかったのに。泣いたら負けだと思って、いつも妹を、父を守るために歯をくいしばってきたのに。


悔しくて、情けなくて、悲しくて、涙が止まらない。


口に噛まされている布がぐっしょり濡れて気持ち悪いのに、リィレネは嗚咽をこぼし続けた。


(馬鹿、私の馬鹿・・・自分のことばっかりで、・・・なんて最低のこと・・・)


“あーあ、何でそんなに何にもできないんだよ。しょうがない奴だな”


ハルドの怒ったような呆れたような声を思い出す。

たくさんのことを教えてくれた。

そうして、褒めてもらえる嬉しさを思い出させてくれた。


にぃっと、どこか幼さを感じさせる彼の意地悪な笑い方にどきどきした。

時折見せる寂しそうな瞳をやめてほしかった。

思い出がたくさん脳裏をよぎっていく。

たくさんもらったものを、リィレネは何一つ返せていない。その上、却ってリィレネに肩入れしていた彼を追い詰めてしまうかもしれないのだ。


それからどれくらい泣いていたのだろうか。


何かしなくては・・・とようやくリィレネの闘志が生まれてきた。


とりあえず、この手足をどうしかしようとあたりを探っていると、先ほどレヴィヌが中身をリィレネに水をかけた花瓶がテーブルの上に在るのを知った。


ガラス細工のきっと高いものだろうけど、リィレネは一大決心でそのテーブルを思い切り縛られたままの足で蹴る。


がたん、がたん、と何回も繰り返すうちに、花瓶がぐらぐら揺れ、床に転がり落ちた。

かしゃーん!と甲高い音が響く。

その破片をどうにか拾おうとするものの、後手ではどうあがいてもむずかしく、指を切る結果となった。


(くっそぅ・・・あきらめるもんか!)


どうにかここから抜け出してやる、と傷がつくのもかまわずにリィレネが再び破片をつかもうとしたときだった。

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