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朝色々あって更新できませんでした。
少し長めで投稿しています。
あのときは、くすくすと笑っているハルドの意図がまったくつかめなかったけれど。
どうやら、つい他人の懐まで気にしてしまうリィレネの経済観念(貧乏根性)が、ハルドにはツボらしい。
あれからも、些細な会話でよく笑われていた。
それでもハルドが馬鹿にしているわけではないことは良く分かっているので、リィレネは拗ねてふくれたふりをするだけだ。
そうしていないと、ハルドの包み込むような、嬉しそうな瞳が気恥ずかしくていられないから。
(・・・って。だから、なんで私がこんなにどきどきしないといけないんだって!)
ハルドには脅されてここにいるだけなのに。
(そりゃ、かばってくれたことは、感謝してるけど・・・さ)
思い出してしまうのは広い背中だ。誰からも守られた記憶のないリィレネは、あのとき感じた頼もしさを忘れられない。ずっと気を張って生きてきたリィレネが初めて感じた強い安心感。
(・・・だから、違うって!ハルドは卑怯で嫌なやつじゃないか!)
またどきん・・・と心臓が鳴って、リィレネは首を振った。そして懸命にハルドから受けた仕打ちを思い出そうとする。
(そうだ。ハルドは私が一生懸命作り直した服を馬鹿にしたりとか・・・)
ここで暮らし始めた初日の暴言を忘れてはいない。・・・だが。
“これ、本当にお前が作ったのか?だって、こんな細いレースをどうやってつけるんだよ?”
思い出したのは、本当に感心したように覗き込んできたハルドの興味津々な瞳だった。
まるで子供のように無邪気な顔をしていた。
“へえ、すごいな。魔法の指みたいだ”
ほつれていたハルドの服を直してやると、そう言ってリィレネの指をつかんで、しげしげと眺めてきた。
気恥ずかしくて、生きていくために仕方なくできるようになっただけだ、というと、きょとんとした顔をして。
“なんでそんな言い方するんだよ?自分の力で生きていけるってすごいことだろう?親の金を食いつぶして生きているその辺のご令嬢よりもよっぽど素敵だと思うけどな”
不機嫌そうにそう呟いたハルドの思わぬ真剣な瞳に、またどきどきしてしまった。
(違う!だから、ハルドを褒めるんじゃなくて!嫌なところ・・・)
「・・・って、聞いてるのか?」
「へっ?」
突然割り込んできた声に、リィレネは慌てて顔を上げた。
その表情を見て悟ったのだろう。はあ・・・と思い切りハルドがため息をついた。
「聞いていなかったんだな」
「・・・う。ごめんなさい」
「じゃあ、もう一回言うぞ。明後日の晩、広間で晩餐会と舞踏会が開かれる。勿論、出席者は今この屋敷にいる者だけなんだが、そこでの立ち振る舞いがチェックされる。まあ、俺の言うとおりにしていれば大丈夫だが、それでも他のご令嬢たちの手前、この伯爵家にふさわしい技量を・・・」
呆れたように説明を繰り返すハルドの赤い唇を、リィレネはいつの間にやらぼんやりと見ていた。
(ああそうか・・・。この生活も後2日で終わりなんだ・・・)
まだたった3日しか経っていないのに、ずいぶんここで過ごした気がする。
その時間のほぼすべてにハルドの存在があった。
(強引で、意地悪ばっかりする奴だったけど、それなりに楽しかったな・・・)
「だーかーらー、聞いてるのか!」
「ふえ?あ、う、うん!もちろん!」
またしてもぼうっとしていたことを咎められ、リィレネは慌てて首を縦に振った。それに疑わしそうな表情を向けながら、ハルドは「まあいい」と呟く。
「ダンスの曲目は、カドリーヌ、ワルツ、ギャロップ、ポルカ。それで?リィレネが得意なのは?」
「・・・は?」
「“は?”じゃない。いくらなんでもまったく踊ったことがないわけがないだろう?主流のワルツくらいは・・・」
「え・・・えっと・・・。小さい頃習ったけど・・・、忘れちゃった・・・かも?」
「はあ?!」
「だ、だって、もうずっと舞踏会なんて行ってないから仕方ないでしょ!?」
ハルドが信じられないと目を見開いたので、リィレネは一瞬びくっとし、その後口を尖らせて反論した。
「そりゃ・・・そうかもしれないが。くそっ、マジかよ?」
計画が、と呟きながら珍しくスラッグを口にするハルドに、ふうっと息をつく。
「だからー、やっぱりこの計画に無理があったんだって。ハルドが一生懸命なのはわかるし、私にいろいろ教えてくれたのも・・・嬉しかったけどさ。でも、やっぱり人間には器ってものが・・・」
「いや、あきらめるのは早い」
「え?」
何故か突然くくくっと笑ったハルドに、リィレネはぎくっと身をすくめた。
嫌な予感がぴしぴしと肌をさす。
そして得てしてそういう予想は外れないものだ。
ハルドはにやっと自信満々に目の前で笑った。
「こうなったら特訓だ。寝る時間を惜しんで教えてやる」
「は?!だってあと2日しかないのにっ?」
「俺に不可能はない」
「いやいやいや、やるのは私だから」
「リィレネだってあのムカつく令嬢たちの前で恥をかきたくないだろう?」
確かにここ数日とにかくひたすら嫌味を言われたし、部屋の前には今度は大量の虫がいたし、伯爵に話しかけるなと呪いの手紙も来たし。
腹も立つ一方だが、ハルドが守ってくれているのか部屋が荒らされるとかそういう実害まではなかった。
「だからっ、その前に帰してくれれば・・・・。私は本当に妻になる気なんかないって」
「まあまあ。覚えて損はない」
「いや、うちも舞踏会とか開かないし、もう行かないから」
「いつかあんたが踊りたくなった時のためだよ」
にっこりと笑って、ハルドはお辞儀をして優雅に手を差し出した。
「一曲お相手願えますか。マイレディ?」
その仕草はあまりにも決まっていて、リィレネが一瞬見惚れてしまうほどだった。
「う、ううう・・・っ」
しかし、すぐさまその手をとったことを後悔することになった。
「てめ、ふざけんなよ!この俺が直々に教えてやってこのざまか?!」
「だ、だって、ヒールの高い靴なんてひさしぶりで、歩くのがやっとなのに。くるくる回るのなんて・・・」
「口答えする暇あったら慣れろ!ほら背筋!」
「いたっ!」
ばしっと背中を叩かれて、リィレネはきっと後ろのハルドをにらみつけた。
「そもそも、なんで私がこんな苦労を・・・!」
「今更それを言うか?一度覚悟したんなら最後までやり通してみせろ」
「ぐ・・・」
「ほら、早くセットしろ。夜が明けちまうだろうが」
「・・・・」
「へえ、そうか。リィレネにそこまで根性がないとは思わなかった。俺の見込み違いか。所詮お嬢様に毛が生えた程度ってことだ?拗ねるか泣けば許されると思ってるわけか」
先ほどからの横柄な口調に反感を持っていたリィレネも、その言葉にはかちん、ときた。
「そんなわけないでしょ!?馬鹿にしないでよ!」
「ほら、やるぞ」
再び差し出された手に、リィレネはぴしゃりと叩くように自らの手を置いた。
痛かったと思うのに(自分が痛かったので)、ハルドは何故かくっと楽しそうに笑みをこぼす。
「じゃあ、まずは左足から・・・」
しっかりホールドされた背をぐっと寄せられて、流れるようにステップを踏み出す。
こうなれば上手くなって見返してやる、とむきになるリィレネは単純な性質だった。
翌日も特訓と称され、昔を思い出しながら、どうにか形になってきたダンスに少しだけ気分が浮上する。
ほんの小さい頃、クルクルと回り。父母に褒められた遠い記憶が重なった。
「うまくなってきたじゃないか」
だから、ばそりと囁かれた響きにぱっと顔を輝かせ、やたら偉そうな教師を見上げた。
「・・・・っ?」
だが、そこでハルドの美しい顔がすぐそばにあることに気がついてぎょっとする。
まず高い鼻梁からその下にある唇が弧を描いているのに驚き、それから、長いまつげが影を落とす伏し目がちな黒い瞳にのみこまれてしまいそうな感覚に陥った。
「・・・痛っ!」
そこで悲鳴があがる。
ついぼんやりとしてしまっていたせいで、またしても高いヒールでハルドの足を踏んでしまったようだった。
「お、ま、え、は・・・!昨日から何回人の足を踏めば気が済むんだ!」
「ご、ごめんなさいぃ~!」
ぴくぴくとこめかみをひくつかせて怒鳴るハルドに、リィレネは慌てて耳をふさぐ。
だが、いつものハルドの表情にほっとしてしまったのも事実だった。
(そうか・・・すぐ怒るから忘れてたけど、この人、やっぱりすごく・・・綺麗・・・なんだ)
リィレネがそっと伺い見ている先で、彼は銀の懐中時計をぱちんと開いて、それから一つ大きなため息をついた。
「はあ・・・仕方ない。一回休憩いれるか。飲み物持ってきてやる」
「あ・・・ありがとう」
よく考えれば執事なのだからそういったことに礼を言う必要はないのかもしれないが、人に何かをやってもらうとしっかり感謝するリィレネだった。
恥も外聞もなく床に座り込んだまま、氷をたっぷり入れた冷たいジュースを飲んでいると、突然ハルドが足元にかがんできた。
「うわ・・・何?!」
「何、ってマッサージ。慣れないことすると痛めるからな。本番は明日なんだし、豆でもつぶしたら大変だろう」
ほら、足を貸せ。
そう言って、ハルドはリィレネの左足に冷えたタオルを押し付ける。
少しぴりっとした痛みがあって眉を寄せると、そっと温かな手で撫でられた。
絶妙な強さで気持ちの良いポイントを押されて、リィレネはほぅっと気持ちよさそうに息を吐いた。
「・・・あのさ」
「うん?」
「何でこんなこと上手いの?・・・ご主人様にやってあげてるとか?」
「・・・ああ。まあな。昔はよく・・・」
「ふうん。執事っていろいろできなきゃいけなくて大変だね」
「そうだな。お前には絶対無理だろうな。細かいところにまで神経を使う仕事だし」
「それ、また馬鹿にしてるでしょう?」
「いいじゃないか。お前には奥方様のほうがあってるって」
「そっちの方が似合わないと思うけど」
いつもの台詞に肩をすくめると、ハルドがまたむっとしたような顔つきになった。
「今更がたがた・・・」
「言うな、でしょ?分かってるわよ。明日もちゃんとハルドに教わったとおりにやります」
「・・・妙にしおらしいな。どうしたんだ?」」
「あんたねー、人が素直にしていたらそんな風に・・・もう!」
「リィレネは跳ね返ってるのが、一番らしいからな」
「全然褒めてないでしょ。私はただ、妹を守りたいだけよ。言うこと聞かないとあんた、何するがわからないから。それに・・・何日かいてここの暮らしもそんなに悪くないかもって少し見直したっていうか、だから絶対言いなりになりたくないって気持ちが薄れたっていうか・・・」
つい本音を吐露してしまって、リィレネははっと口を押さえた。
「ま!だからってどうせ、選ばれないって思ってるから、安心してるんだけど!」
「へえ?そりゃあどういう風のふきまわしだ?」
すぐにごまかしたけれど、当然ハルドが自分に都合のいい情報を聞き逃すわけがない。
楽しそうなきらきらした瞳で詰め寄ってきた。
「たった4日でそんなに心境の変化があるってどういうことだよ?」
「ど、どういうって言われても」
「見直したって何を?あんた誰とも話したりしてないよな。ずっと一緒にいたのは俺だよな?もしかして俺に惚れたとか?」
そうやってにっと笑うハルドはからかっているのだと思う。それなのにかぁっと顔が染まるのが分かった。
リィレネはぱっと横を向いて、投げやりな口調で言った。
「なんであんたに惚れるのかわからないわよ。大体あんたは私を伯爵の奥さんにしたいって言ってたのに何、馬鹿なこと・・・」
自分で言って、リィレネはその言葉にずきっと痛む胸を自覚した。
(・・・そうだ。ハルドが親切なのは伯爵のためで・・・別に私なんてどうでもいいんだった)
認識していたはずの事実に、何故か今更衝撃を受けた。
確かにリィレネがここにいることになってもいいか、と思い始めたのはハルドとの時間が楽しかったからだ。
リィレネの知らない世界をたくさん知っている彼は多くの知識を与えてくれたし、教え方はスパルタでちっとも優しくないけれどリィレネを決してあざけったり見捨てたりはしなかった。
もしも・・・もしも、本当に選ばれればハルドとまた一緒にいれると思った・・・。
だが、よく考えてみれば、伯爵の奥方が今のように使用人と親しくすることは許されないだろう。
だったらもうこんなどきどきして、わくわくする時間はなくなってしまうというわけで。
(・・・って、それじゃ、私がハルドと一緒にいたいから、ここにいたがっていたみたいじゃない!)
みたい、ではなく、そのままなのであるが、リィレネはそれを絶対に認めたくなかった。
「ま、そうなんだけどな。そしたら面白いじゃないか。禁断の恋ってやつで」
「お、面白いわけないでしょっ!?」
「何、むきになってるんだ?」
「別に!」
あくまでからかう口調を崩さないハルドに、リィレネは強い語気で言い返した。
その言い草が軽んじられているようでむかついたのだ。
「変な奴・・・。だったら、何でそんなこと言い出したんだ?」
「深い意味はないわよ。ただ、あんたのおかげで伯爵と話す機会ができて、そうしたら結構いい人だなって思って。それにすごくかっこいいし・・・少しは、憧れたかもって」
伯爵自体を見直したのは事実だった。
とにかく散々邪魔されそうになったけれど、伯爵は誰に対しても平等な態度を崩さず、また、ハルドが話題を提供してくれたおかげで、ほんの一言二言だけ言葉を交わすことができたのだ。
勿論、他のお嬢様にすぐ横取りされたが。
噂に聞くほど傲慢ではなく、どちらかといえば親しみやすい人だった。
話の内容も理知的だったし、慈善事業も好む人だと知った。
別にだからといって、率先して妻になりたいとはまったく思わないのだが。
とりあえずごまかすためだけにそう言っておくと、何故かハルドは無表情になっていた。
ほんの短い付き合いなのだが、彼が無表情になるのはたいてい怒っているときだということは知っている。
(・・・へ?だって、私が伯爵に興味持ったほうがいいんじゃないの?あ。もしかして、お金に興味ができたのか、って思われてるのかな?)
「違うよ!」
「あ?」
「別に私、財産に目がくらんでるとかじゃないからね!」
そこを誤解されるのはつらいので、リィレネはぐっとこぶしを作って力説した。
するとハルドは目を丸くし、それからくくっと笑ってリィレネの頭を撫でた。
「そんなこと分かってるさ」
その仕草に、リィレネはばくん、と心臓がおかしな音を立てるのを聞いた。
だから慌てて話題を変えようとする。
ついでにさりげなく彼の手を避けるように体を引いた。
「あ、えと、ハルドは・・・どうしてこの家にいるの?」
「何だよ急に?」
「さっきから、ていうか前から思ってたんだけど、すごく・・・その、言葉遣いが・・・」
「ああ。これか。5歳くらいまで俺を育ててくれたのが下町のちゃちな賭博好き親父だったからな。なんていうか、感情が高ぶると出るんだよ。あとは、面倒くさいときとか」
「・・・ここで育ったわけじゃない・・・んだ?」
執事は使用人たちの中でも高い位にあり、主人の腹心となることから代々その役目は引き継がれていくものである。
下町育ちの少年が、何故そのような位に若くしてついたのかリィレネは不思議だった。
「まあな。いろいろあって、この家に引き取られることになって。ずいぶん生活は変わったな」
だが、どこか遠い目をするハルドに、尋ねることはできなかった。
「そっか。だからハルドは恩返ししようと思って、一生懸命なんだね?」
「・・・あ、ああ。まぁ・・・そんなところかな」
彼はちらりとリィレネを見、それからふっとどこか寂しそうに笑う。
「あんな地位は必要なかった人だから・・・。せめて、私生活だけは心を許せる人間が欲しいと思っているんだよ」
その表情に、リィレネの胸がぎゅうっと痛んだ。
やっぱりハルドは主の幸せを一番に願っている。
そして、そのためにリィレネを必要としているのだ。
彼自身は何も望んでいない。
「・・・どうした、リィレネ?」
「ううん、あの、もう一杯もらってもいい?喉渇いちゃって」
突然黙り込んだリィレネを振り返った彼に、リィレネはグラスを差し出す。
近くで覗き込まれてしまったらきっとばれてしまうと思った。
泣きたいくらいの、この胸の痛みが・・・。
いつも見に来てくださってありがとうございます!