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実は昨日、来客があったのだ。それも招かざる客。
事業を手広く行っている伯爵家には当然敵も多い。
誰かに雇われたのか、それともライバル社のものなのか、因縁をつけて門前で怒鳴る輩がいた。
たまたまハルドと一緒に庭にいたリィレネはその巻き添えを食らいかけたのだ。
「お引き取りください。ここはあなた方のいらっしゃる場所ではありません」
最初ハルドはにこやかに対応をしていた。
「っざけんな!さっさとここの主人だしやがれ!」
「主人は誰とも会いたくはないとおっしゃられております。特にあなた方のような下賎な輩のお目どおりのかなうお方ではありませんので」
笑いながらも、言葉は辛らつだったが。
「んだとぉ・・・調子こいてんじゃねぇぞ!こら!」
「事実を申し上げたのみです。我が家の品位に関わりますゆえ、早々にお引取りを」
「品位?品位だってよ!この呪われた伯爵家に品位ってのがあるもんかねぇ」
(・・・呪われた?)
隠れていなさい、といわれたリィレネは思わぬ言葉に息をつめた。
確かに、伯爵家にはよからぬ噂があることは知っていた。
領家で身元不明の白骨死体がみつかり、その後前当主が不審な死を迎えているからだ。
伯爵の人嫌いも相まって、当時は現当主がよからぬ手段でその座を手に入れたのではないかということがまことしやかに囁かれたものだった。
けれど、リィレネが現実に知ったこの家にはそんな不幸の匂いはしない。
おかしな振る舞いがあると使用人から腐っていくものだ。しかし数は少ないながらも伯爵家の使用人は自身の責務を弁えていて、職務に勤めている。伯爵家に仕えていること自体を誇りに思っているかのような様子が磨き上げられた屋敷や食事、立ち振る舞いから常に感じられた。
ほんの数回しかあってないとしてもファイハント伯爵自身後ろ暗いところが感じられなかったし、それにハルドも犯罪の片棒を担ぐような人間では決してない。と、思う。
どうしてもハルドはつかみどころがなくて得体の知れない印象はまだ拭えなかった。
主人のためなら、という、危うさがある気もする。
ただ、意地の悪いところはあるが、こうむやみに人を貶めたりするようなことは絶対にしないと思う。
それは、何度も祖父や父が騙されているのを見てきたリィレネの勘だった。
大概、意地の悪いことをたくらむ奴は見抜けるようになっているのだ。
(うん・・・大丈夫。やっぱりハルドは違う。それにそんなハルドが心から慕っている伯爵が、悪い人のはずがないもん)
自身の思考にとらわれていたリィレネは小さく頷いて、また物陰からこそりと覗き込んだ。
だが、そこでは思わぬ展開になっていた。
「・・・っ?」
「な・・・!」
ハルドが男たちにばしゃりと水をかけられていたのである。彼らは下卑た笑いを浮かべ、門を開けろと迫っていた。
もう一杯バケツを持ち上げたのを見て、リィレネは思わず飛び出していた。
「なにすんの・・・!?」
「ば・・・、リィレネ!出てくるな!」
そんなハルドの声が飛んだが、リィレネはかまわず彼らを怒鳴りつけた。
「あんたたち!なんてことするのっ?!」
「なんだぁ、こいつ?この家に若い女がいるなんて聞いてなかったぜ?」
「伯爵様のお慰みじゃねぇの?それにしても貧乏くせえ女。天下のファイハント伯爵のご趣味は変わってるねえ。変態って話も嘘じゃないわけだ!」
ぎゃははは、と笑いが起こって、リィレネは一瞬頬を染めた。
ガーデンの手入れを見せてくれるといわれたので、自分の持ってきた服にしておいたのだ。
古い型に色あせた布地は、高貴な貴婦人のものとは思われないだろう。
だが、リィレネは唇をかみ締めた後で、またひるむことなく彼らをにらみつけた。
「あんたたち、何の用があってこんな嫌がらせするのよ!さっさと帰りなさいよ!」
「あ?女のくせに生意気な!」
「お前も泥水被りたいのかよっ?お似合いかもな、そら!」
ばしゃっ!
バケツを振り回されて、にごった水が自分に向かってくる。避けれる気がしなくてとにかく顔だけ背けていたリィレネだったが、いつまで経ってもぬれた感覚がなくてこわごわと目を開けた。
するとリィレネの前に黒い背中があった。
「・・・いい加減にしろよ・・・?」
驚くリィレネに恐ろしいほど低い声が届く。
ハルドがリィレネをかばって、また水を被っていたのだ。
「ハルド・・・っ?」
彼を助けたかったはずだったが、頭からずぶぬれになっているその様子に、リィレネは瞳を歪ませる。
だが、何より彼女の心をゆさぶったのは次のハルドの言葉だった。
「彼女は我が家の大切なお客様です。貴殿らのような腐った人間が彼女を侮辱するなど、許されざることです。まあ、下衆に彼女のよさがわからないのは、当然でしょうがね。かわいそうな人たちだ」
「・・・え・・・?」
ハルドの言葉には、とても大切に思ってくれているような響きがあった。
守るばかりで、誰かに守られた記憶がないリィレネはそのことにどくん・・・と心臓が跳ねる鼓動を聞いた。
「彼女への無礼に、我が紋への狼藉・・・。これはもう、処罰されてしかるべきだと思いませんか?」
リィレネが胸をときめかせている間にも、目の前のハルドの暗い怒りは頂点に達していたらしい。
彼はがっと門の隙間から腕をのばすと、その黒い瞳の冷たさにすくんでいた男の胸倉を掴み挙げた。
「さて・・・あなた方の飼い主はどなたでしょうか?」
「・・・そ、そんなもの・・・・」
「そうですか?言えば、ここでは見逃してさしあげますよ・・・?」
柔らかな口調だった。
だが、頭の中を冷たい手でゆっくりと撫でられるような、不快な恐怖が男たちを襲う。
真綿でじわじわと首を絞められ苦しむ様を、彼が平然と見下ろす。
そんな連想を容易にさせるハルドの黒いガラス玉のような瞳に、全員の喉からひぃ・・・っと潰れた声が出た。
実際、掴まれている男は片腕だけの拘束にも関わらず、息苦しさにひどくあえぎ始めていた。
「やめ・・・離してくれ・・・っ」
「では、飼い主のお名前を」
「・・・・・・」
「・・・ローレンス川に浮かびたいならこのまま黙っていてくださっても結構ですが?」
ハルドは、リィレネには聞こえないよう、男の耳元でそっと囁く。その手にはいつのまにか小型のナイフが握られ、男の脇腹をつついていた。
すると途端に男は顔色を変えて、苦しい息の下、雇い主の名を口にした。
「・・・ユ、ユフェールズ卿・・・、新会社に、工場の・・・シェアを奪われた・・・」
「ああ、クルッシャベイ男爵ですか。どうも、ありがとうございます」
聞きたいことを聞き出すとハルドはにこりと笑って、爪先立ちになっていた男の胸倉をようやく離してやった。
途端に男は激しく咳き込む。
掴まれていた服はしわが深く刻まれており、その力の強さが伺えた。
「それでは皆様、もう用は済みましたのでどうぞお引取りくださいませ」
「お、おい・・・!」
「そのまま、ゴミ、になりたいのなら転がっていてくださって結構ですが」
いまだへたりこんだままの男を仲間が起き上がらせ、滑稽なまでに慌てて彼らが逃げ出す。
その様子を呆然と見ていたリィレネを、ハルドが振り返った。
「濡れなかったか?」
「へ・・・あ、うん・・・」
「そうか。なら、よかった」
ハルドは安堵したように笑み、リィレネの頭を撫でようとしたものの、自分が濡れていることに気がついてその手を引っ込めた。
「とりあえず着替えないとな。驚かせて、悪い」
「ううん・・・!あの、か、かばってくれてありがとう!」
素直な感謝に、ハルドは一瞬驚いた顔をしたけれど、その後でどこか困ったような顔をしたのだ。
「ありがとうって、あんたは巻き込まれただけだろ?関係ないんだから守るのは当然だ」
「でも、体を張ってくれて助けてくれたのはハルドが初めてだったから。それに、ハルドは私のこと、大切なお客だって言ってくれた。私のよさがあるって言ってくれて嬉しかったから。だから、ありがとう」
悪口を言われたこともをさしているのだとようやく悟り、ハルドは顔つきをまた冷たいものにした。
もちろん、あの狼藉者たちに対してだ。
「あいつらの言ったことは気にしなくていい。リィレネは誰より綺麗だから」
「は・・・?や、そ、そこまでフォローしなくても。貧乏くさいってのは聞きなれてるし、大丈夫だよ?」
「違う。本当にそう思っているんだ。リィレネに会って初めて分かった。きらきらしている人間が本当にいるんだなって。貧乏くさいというのなら、金の亡者のようになっている世間の奴らのほうがよっぽどさもしくて、醜い。リィレネは綺麗だ。だから、ここにずっといて欲しいと俺は何度も言っている」
「・・・っ。そ、そんなことよりも、はやく着替えないと風邪ひいちゃう!それに泥も落とさないと、服に残っちゃうから!」
あまりにストレートな言葉に、リィレネは慌てて話題を変えた。
ぐいぐいとハルドの背を押し、屋敷に戻らせようとする。
もちろん、後ろに回ったのは熱くなった頬を見られたくなかったからだ。
「おい、あんたが汚れる・・・」
「え?そんなこといいよ。それよりも早く服着替えて。染み抜きしてあげるから」
「染み抜き?」
「そう。ちゃんとしないと、黄ばみが残っちゃうでしょう?いくらお金があるからっていっても、汚れたから捨てるじゃ、不経済でしょうが。余分なお金は使わないのは台所を預かる身としては鉄則。お詫びに綺麗にしてあげるから、ほら早く」
「・・・やっぱりあんた、おもしろいな」
「なんで?どこが?」
「そういうところ」
「はあ?」
リィレネはずっと頼りない父親の代わりに頑張ってきたので自分が庇われる側になったことがありません。
色々な理不尽も我慢し続けてきたのですが、直情的に立場を考えずに逆らってしまう正義感も持っています。でも控えめな女性が好まれる世界では生きにくいのです。
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