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今日一つ目の投稿です。夜にもう一つ投下予定です
そして次の朝。
「ん・・・」
まぶしい光に目を細めて、リィレネはシーツを手繰り寄せた。
寝るのが随分と遅くなったせいで、まだ眠い。
今日はまだ締め切りに猶予があるはずだ。
もう少し朝寝坊しても・・・。
「ミス・ジェルミオン。お目覚めの時間ですが」
「・・・ほあ?」
だが、聞きなれぬ若い男性の声に、リィレネはぱちっと目を覚ました。
「は・・・え・・・?あ、あんたっ!何でここに!?」
言葉遣いが悪いのは仕方がない。
これが地なのだから。寝起きで頭が満足に働いていないのだ。
「何て言葉遣いだ。淑女とはとても思えないな」
朝からかっちりと光沢のある黒い燕尾服を着た闇色の青年は、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「誰が淑女よ。そんな大層なものだったら、生きていけないわ。・・・じゃなくて、なんでここにあなたがいるの?仮にも女性の寝室に・・・」
「執事だから」
怒り狂うリィレネに、ハルドはじゃらっと鍵の束を見せた。合鍵がある、と言いたいのだろう。
だが、そうではなくて、リィレネが聞きたいのは、なんで人の部屋に無断で入ってくるかということだ。
「朝食の給仕に」
「え?」
怒って聞いたはずが、しれっと返ってきた答えにリィレネは一気に毒気を抜かれた。
にっこりと笑うハルドはよどみなく彼女に質問をした。
「本日の朝食はポーチドエッグとサーモンサラダをご用意しました。付け合せはスコーン、カンパ―ニュ、トースト、どれになさいます?」
「トースト・・・?」
「かしこまりました。モーニングティーはロイヤル・ウェストのアールグレイを。ミルク、レモンはいかがなさいますか?」
「えっと、じゃあ・・・ミルク」
「承りました。それでは、お手を」
ごく自然なことのように次々と問いかけられ、リィレネはすっかりハルドのペースにのまれる。
だから言われるままについ、自分の手を差し出された彼の白い手袋の手に載せてしまった。
「へ・・・きゃあっ?」
だが、ぐいっと引き寄せられる段階になって、リィレネはようやく我に返った。
「な、な、なにすんのっ!?」
腕の中に抱きかかえられる状況に、リィレネは激しく抵抗する。
物心付いてから家族以外には遠巻きにされていたせいで、男性とこんなに密着するのは初めてだった。
自然と頬が熱くなる。
「って。暴れるな。ほんと、とんだじゃじゃ馬だな」
「離してよ!・・・あ」
「でも、純情だ。顔が赤い」
くい、とリィレネの顎を掴み取ってハルドが意地の悪い笑みを浮かべた。
「今まで恋人はいなかったのか?」
「う、うるさい!うちは貧乏なのよ!」
「ああ。貴族内では相手にされず、かといって平民と付き合うわけにもいかないというわけか。かわいそうに」
「あんたに関係ないでしょうがっ!」
まごうことなき事実を言い当てられてリィレネは、きっと瞳をきつくする。
だが、その先にあったのは意外にもどこか嬉しそうにも見える無邪気な笑顔だった。
「いいじゃないか。誰の手垢もついていない、綺麗なままなら、きっと喜ばれる」
それに一瞬見とれてしまったリィレネは,だが、「仕込みがいもある」というハルドの言葉にはっとなった。
「ししし仕込みって何よ?!」
「まあ、それはおいおい」
「ちょっと!」
楽しそうなハルドの表情に、リィレネは嫌な予感しか思い浮かばない。
だが、それは昨日感じた恐怖とは違い、もっと危機感の薄いものだった。
いうなれば、たぶん自分が性格的に嫌なことだろうなぁ・・・と思うくらいの。
(・・・なんか、雰囲気が違う)
ハルドに対しては昨夜は怒りと恐怖しか感じていなかったのに。
こんな無邪気な笑顔を見せられると・・・不思議な感情が生まれる。
どきどきと嫌な感じではなく胸が高鳴ってしまうのだ。
だからリィレネは余計必死に暴れてしまうのかもしれない。
「とにかく離して!」
ぱしん、と手を振り払うと、大げさに肩をすくめられた。
それから彼は、部屋に備え付けのクローゼットのほうへ向かう。
扉を開くと、ずらりとリィレネがみたこともないような豪華なドレスが並んでいた。
「うわぁ・・・っ」
仕立て屋まがいの仕事をしているリィレネは、ここにきて初めて目を輝かせた。
宝石や調度品には興味がないが、服だけは別だ。
時折街で見かける綺麗なドレスにどれほどあこがれてきたことか。
するとその反応に気をよくしたのか、ハルドはにっこりと笑ってリィレネを手招いた。
「これ、触ってもいい・・・?」
「どうぞ」
「うわ、綺麗な光沢!絹のドレスだ・・・。それにこっちはビーズがいっぱい。あ、この形は隣国から入ってきた最新の流行で・・・ふわふわ、これ、うまく真似できないかなぁ?うぅんと・・・」
「リィレネ」
「あ!ご、ごめん!!つい夢中になっちゃって・・・」
べたべた触りすぎたと慌てて手を引っ込めるリィレネだったが、ハルドは首を振る。
「いいや、それはみんなリィレネのだから。好きにしていい」
「・・・へ?」
「今朝一番に仕立て屋から仕入れたんだ。スタンダードサイズで申し訳ないが、リィレネは昨日の服の他に持っていないみたいだしな」
まあ見事奥方の座を射止めればいくらでもオーダーメイドでつくればいい、というハルドに、リィレネは目を見開いた。
「なな何言って・・・!これ、高いでしょっ?!ドレスの高価さをなめてんじゃないわよ!」
憤りだしたリィレネに、漆黒の青年は一瞬きょとんとしたあとで、ため息をついた。
「なんでそこで怒るかな・・・別にリィレネの金じゃないだろ。どうせ金なんて腐るほど余ってるんだ。これくらいなんてこと・・・」
「余ってるなら無駄遣いしていいってわけじゃないでしょ!」
「・・・。無駄遣いじゃないさ。未来の奥方様のためへの投資、必要経費ってところか」
「必要じゃないわよ!もおっ、大体、これ買うのに伯爵の許可はちゃんと得たの?それに、他の人たちにもちゃんと同様のことしてあげてるんでしょうね?」
「金の管理は全部俺がしている。主人は何も言わない。他の奴は、やらなくても持ってるんだからいらないだろ。大体、俺はあんた以外興味ないし」
「ばっかじゃないの!」
「うわ!?」
突然耳元で怒鳴られ、ハルドは後ろへのけぞった。
耳を押さえて「何するんだ!」と怒るハルドに、それを上回る勢いで怒りながら、リィレネはびしっと指を突きつけた。
「お金使って贔屓なんてしてたら、あなたが大切に思ってるご主人様にあらぬことを疑われちゃうわよ?そうなったら悲しいでしょ?ハルドはまあ、やり方がいいとは思わないけど、すごくご主人様を思っているってそれは本当だと信じてるから。だから、こんなことをしたら駄目よ!」
わかった?と腰に手をやるリィレネに、ハルドはまたしてもきょとんとして・・・それからくくくっと笑った。
「なによ?」
「いいな・・・やっぱりあんた、最高だよ」
「は?」
「ますます気に入った」
「・・・だから、気に入られても困るってば」
「駄目だ。絶対あんたがいい」
また突然、ぎゅっと腕の中に囲われて、リィレネは思い切り頬を染めた。
「ば・・・!離してよ!だから贔屓は駄目だって・・・っ」
「贔屓じゃないさ」
「じゃあ何だって言うのよ?」
「リィレネが他のお嬢様に対抗できるようにしようとしてるだけ」
「・・・だから、それは贔屓じゃないの?」
ぐったりとした様子で尋ねるリィレネに、ハルドはにやっと笑った。
「土俵が違ったら勝負にすらならないだろ。だからこれは施しであって、贔屓じゃない」
「うわっ、むかつく!」
上からの物言いに、リィレネは途端目つきをきつくした。
すると何故だかハルドはますます笑う。
「そうそう。だから遠慮せずにもらいな?そんな地味な服じゃ、目にとめてもらえない。それじゃ、あの方だってせっかく競わせているのにつまらないだろう?」
「悪かったわね!この服、お母さまの古いやつを私が作り直したのよ!!」
だが、ハルドの言葉は地雷だった。
「あ?」
「もう、頭きたっ!やっぱ帰る!」
途端まずいという顔をするハルドの足を思いっきり踏みつけ、リィレネは踵を返す。
すると後ろから腕を掴まれて引き戻されてしまった。
「ごめん、リィレネ・・・馬鹿にするつもりじゃなかった」
そこには本当に後悔したかのような、沈んだ様子のハルドの姿があった。
「な、なによ・・・今更謝ったって・・・」
「ごめん。謝る。何度でも謝る。ごめん」
だから帰るな、というハルドに、リィレネは結局頷いてしまった。
決してほだされたからじゃない。帰ったとしたら妹をとられることを思い出したからだ。・・・ということにしておきたかった。
(こ、子供みたいな目をして・・・卑怯だ・・・)
まるで置いていかれる子供のような様子のハルドに、リィレネは戸惑うばかりだった。
結局、タダでもらうわけにはいかないというリィレネがハルドの服のボタンつけをすることになり(買いなおすと同じくらい値段がかかると主張して譲らないので)、彼の選んだ白いビーズのドレスを着せられることになった。
着替えを手伝う、と先ほどとうってかわって笑いながら申し出た彼に、騙されたと思わないわけではなかったけれど。
***
それからというもの、ハルドはほかの令嬢の相手をしてない限りはリィレネの専属の執事のようにこまごまと世話を焼いた。
彼曰く、供の一人もつけないでいるリィレネを世話しなくては執事の意に反すると主張するが、リィレネはちょっと違うと思っている。
何せ、貴族の振る舞いもおぼつかないリィレネを毎日嬉々として仕込んでいるからだ。
「ほら、また!音を立てるな!背筋伸ばせ!首を前に出すな!指先まで神経使え!」
「う、うるさいわね!なんでお茶くらい好きに飲ませてくれないのっ?!気にせずお菓子食べたい!!」
「逆切れしてないで、ちゃんと覚えろ。いくらなんでもマナーくらい完璧じゃないと問題あるだろうが。何回同じこと言わせるんだ?その頭は飾り物か?」
「まっ、また馬鹿にした!!」
「馬鹿という言葉以外に見つからないね」
「な、な、なんですってぇっ!」
こんなふうにただひたすらバカにしてくるだけかとおもきや。
「あんたなんでこの国の歴史も地理もそんなに知らないんだ?貴族だろ?」
「そんなこと覚えても1円にもならないからよ!値引き交渉覚えた方が100倍ためになるわ!」
「庶民の値引き交渉か、それはそれで興味がある。何を交渉するんだ?」
「えっ、内職用の布とか売値とか。まとめて買うと安くなるけど同じような布だと商品も同じになっちゃうからはぎれもふくめてまとめてみたりとか、形は似ててもシリーズものにしたり今とかで飽きさせないようにして特定のファンをつくったりすることでこっちの単価は下げないようにって、関係ないでしょ。当代一と言われる事業家の伯爵家の執事が値引き交渉したら笑えるわね」
「そんなことはないぞ。あんた商才あるんだな、と思って聞いてた。ところで、あんたが仕入れたその布ってどこの産地か知ってるか?」
「当たり前でしょ?綿花の形や蚕みたら区別つくわ」
「ほおそりゃすごい。じゃあ隣国のサーリア国が綿の値段を上げたのは知ってるか?」
「知ってるけど…困るのよね、突然倍になるだもの」
「なぜだと思う?」
「なぜ?綿花が不作だったんじゃない?」
「違う。あの国は政権が安定してない。だからやたらと関税を上げてくるんだ」
「関税?そんなもの勝手にあげられないでしょう?国同士で決めてるじゃない」
「ところが関税、とわかりやすい名目をつけないで別の理由で料率を変えている」
「え。そんなのズルじゃない!」
「そうだな。だが、その形を許した条約の定め方が阿呆なんだ。まあそんなことはどうでもいいけど、関税をかけられずに仕入れられたら安くなると思わないか?」
「そうね。でもどうやって」
「その国で直接買いつければいい。そして、布という形でなくて運ばせればいいんだ。関税は品目ごとに決まってるからな。先に仕立てさえすればいい。じゃあそのために必要なものはなんだと思う?」
「えっ、えーと、あちらの国で手伝ってくれる人?」
「そうだな。情報だ。で、情報を得るためにはその国のことを知らなきゃならない。その国の言葉、歴史、王族、政情。知識はあって無駄になるものじゃない。ただ目の前の相手に値引き交渉してるだけじゃ得られないことは沢山ある。だいたい文字がおぼつかない商人にこの国のこういう状況だって教えてやるだけでも価値があるんだぜ」
「なるほど」
「そう言うわけでこれは役に立つ知識だろ?」
「………えっ、私、騙されてない?」
「いやいや、あんたなら興味持つって。ほら、覚えような。主人も色々構想はあるんだから話すきっかけにもなるぞ」
「いや私伯爵と話さなくていいんだけど」
「借金と妹はどうするんだ」
「くっ」
ちょっとは興味もある話もあるかと思えば、おかしくない?と指摘すれば、金と妹を持ち出されて黙らせる始末だ。お金よりも妹に弱いリィレネである。
それでもリィレネの彼に対する感情はここ数日で敵愾心のみではなくなっていた。
彼は厳しいは厳しいが、きちんと褒めてくれるときは褒めてくれるし、ご褒美のお菓子も与えてくれる。十分な教育を受けたと言い難いリィレネにきついことを言いながらも他の貴族のように心底見下すことは一度もなく、本当に音を上げる前には労ってくれるのだ。
そして決定的に印象が覆ったのは昨日だ。
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