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「・・・っ?!」
「ふざけんな!」
リィレネの拳が、ハルドの頬をえぐった音だった。
白い彼の頬に赤い鬱血が浮かび上がる。
「確かに家は貧乏よ!でも、人としてやってはならないことくらい分かっているわ!舐めるんじゃないわよ!!」
目の前のハルドの顔がみるみる驚きに染められていく。
それが申し出を断る選択肢を彼が予想していなかったことを裏付けているようで、リィレネはますます眉を吊り上げた。
「私は確かに伯爵にお金を借りようとしたわ。でもあくまで、借りようとしただけよ!もらおうなんてしてない!まして、こんな・・・人から物を盗んでお金をつくろうなんて一度たりとも思ったことはない!いくら貧乏だからってそこまで堕ちちゃいないわ!」
「・・・ですが、どうやって財源を工面するのですか?困っているのはそちらでしょうに」
「どうとでもしてみせるわよ。私はあの子の姉ですもの。いざとなったら体を売ってでも、自分でお金を作って見せるわ」
「・・・・」
「大体、あんたたちは高慢すぎるのよ。何が花嫁選び?まるで毛並みのいいペットを選ぶかのように人を扱って、一体何様のつもりなの?!そんな考えしているから、頭が腐っていくのよ。だから貴族なんて大嫌い!誰が花嫁になんてなりたいと思うもんですか。ふざけるんじゃないわよ!」
はき捨てるように言って、リィレネはもう一秒たりとも顔を合わせていたくないとばかりに、踵を返した。
「どちらへ?ミス・ジェルミオン?」
「荷物持って帰ります」
「どうやって?主人の許可がなければ馬車は動きません」
「歩いて帰るわよ!納品が間に合わなくて、街のはずれの被服屋に走って届けたこともあるんだから。一晩あれば知ってる道に出るわ」
「ご婦人が夜道の一人歩きは危険ですよ」
「それでもこんなところにいるよりはましよ!」
「・・・私への口止めはよろしいので?」
「話したければ好きにして!伯爵家の怒りを買って、家を取り潰されようが、まったく気にしないわ。そうなれば、父さまも諦めがつくでしょ。堂々と民間で借金できるし、貴族同士のうっとおしいつながりも絶てるし、むしろ万々歳よ!」
怒りに任せて歩き出しても後ろから追いかけてくる声に溜まりかかねて、リィレネはぎっと睨み返す。
だが、そこで思いもかけぬ光景に出会った。
「・・・くっ、はははっ」
「な・・・っ」
突然、ハルドが思い切り声を上げて笑い出したのだ。
唖然とするリィレネに、彼は笑いすぎて出てきた涙を指先でぬぐいながら言った。
「気が強い女だな。こんな女、見たことがない」
しかも敬語抜きだ。
だが、何故か彼にはその口調の方が似合っているように思えた。
(そうだ・・・この人、案外年が若いんだ・・・)
24歳の伯爵の執事という地位から考えて、最低でも30歳すぎだろうと思っていたのだが(それでも若い)。
にやにやと笑う今の表情は彼が絶対にもっと若いことを裏付けていた。
「・・・本当の名前はリィレネと言ったよな?」
「そうよ」
「リィレネ、俺はあんたが気に入った。だから、手伝ってやる」
「・・・は?」
突然わけのわからないことを言い出され、リィレネはぽかんとなった。
「手伝ってやるって?何を?」
「あんたを、この屋敷の女主人にしてやるってことだよ。他の奴の下では働きたくないからな」
「・・・えええっ?!」
「俺に任せろ。主人の好みはばっちり把握してるからな」
自慢げに笑った彼は、今までとは違い瞳をきらきらと輝かせていた。
「いや、ていうか・・・あの、私、別に花嫁にはならなくていいんだけど・・・」
そう何度も言うリィレネに、ハルドは一切耳を貸さなかった。
「馬鹿だな。花嫁になった方が財産も入って、楽な暮らしできるだろ。妹だって今よりももっといい医者に見せることができる」
「そうかもしれないけど。でも、私は貴族って大概お金に汚いし、家柄で人を判断するし。大嫌い。だから結婚なんてしたくない」
「・・・それは仮にも金を貸してもらおうとしていた相手に言うことか?」
「それを言われると弱いけど・・・。でも、何で自分でそんな人生をつぶすような選択しないと駄目なのかが分からない」
「貧乏よりいいだろう?」
「質素でもいいから平和な日々がいい」
「ここは平和だぞ。人の出入りも少ないし、うるさい社交界ともほとんど付き合いがない。のんびりとお茶を飲んで過ごすくらいがちょうどいい家だ」
「でも嫌。こんな上流貴族と付き合いたくないもの」
「わがままだな・・・」
はぁ、と思い切りため息をつかれて、リィレネはなんだか理不尽な思いがした。
だから、自分はお金を貸してほしかっただけで、結婚をするつもりじゃなかったんだと何度も繰り返したはずだ。
「大体なんであなたはそんな、異様なまでに協力的になったの?私は黒髪でしょう?伯爵のお気に召すわけがないじゃない」
「ああ、別に金髪はどうでもいいんだ」
「・・・はぁ?」
「うちの主人はどうしても結婚相手を探さないといけなかったんだが、どうやって選べばいいのか皆目分からない。人嫌いだから群がってこられても困る。紹介してやろうって恩を売る奴らも全く信用ならない。それで、金髪だ。金髪ってもともと少ないだろう?だから候補を減らすために、ただ単に金髪って厳しい条件つけただけだ。だから特に何のこだわりもない」
あっさりと言ってのけたハルドに、リィレネは呆然とした後、ふつふつと怒りが沸いてきた。
(そんな・・・くだらない理由で、レムリアはあの美しい髪を切ったわけ?)
みるみる内に表情が尖っていくリィレネをみて、その感情を読み取ったのだろう。
ハルドは軽く肩をすくめた。
「怒るなよ」
「・・・怒ってないわ。あきれているだけよ。あまりの道楽ぶりにね」
「仕方ないだろう。人付き合いにうんざりしているんだ、あの人は。いろいろあってな・・・それでも前よりはだいぶ人嫌いが治ってきたんだぞ」
あの人好きのする綺麗な笑顔を思い出して、リィレネはその意外さに目を見開いた。
だが、すぐに現実に引き戻される。
「ていうか、そんな人と結婚しろってあなたは薦めているわけ?」
「だからこそ、だ。主人にはリィレネのような人が必要だ。もともと俺はこんな結婚相手探しには反対だったんだ。不幸になるのは目に見えているから。なのに周りがとにかく嫁をとうるさくて黙らせる必要があるんだ」
苦々しげに瞳を歪めるハルドに、リィレネがはっとなる。
彼が自分の主人を思う気持ちが強く伝わってきたからだ。
「正直な人間を探してる。財産とか家柄とか・・・そんなものに目がくらまない、裏表のない人間を求めていた。でも、貴族にそんなものいないとも正直ずっと思ってたけどな。それでも、思いがけず見つけたんだ。あんたを」
だが、そんなことを言われても困る。なにか夢をみるような彼の視線に、リィレネはぶんぶんと首をふった。
「いやいやいや。私、財産当てにしている人間じゃない、思いっきり」
「でも、絶対に悪いことはしないだろう?俺にもまったく物怖じしなかった。侮辱されたことを、許さない誇りの高さをもっていた。そういう強さがある奴が必要なんだ」
「そんな・・・大したことじゃないわ。当たり前のことでしょう?」
「・・・世の中、当たり前のことができない奴が多いんだよ。だから・・・人間不信なんだ」
きらり、と一瞬冷たく光った瞳に、この家の闇の深さを垣間見る。
主人を心配するハルドにも、主であるファイハント伯爵にも気の毒だとは思うが、自分の人生をつぶすほどではない。
「・・・。でも、とにかく。私は花嫁に選ばれるつもりはないもの。あきらめて」
「嫌だね。俺はあんたが気に入ったんだ。俺の目に狂いはない」
「だから・・・。あなたが気に入ったって仕方ないでしょう?」
「何度も言わせるな。俺が主人の好みに仕立て上げてやるって。そうしたら、完璧だ」
「こっちこそ何度も言わせないで。貴族の奥方なんて、絶対嫌!全く好きでもない相手と結婚できるわけがないでしょ!」
「貴族令嬢は家のために結婚するのは当然じゃないか」
「あいにくうちは貧乏子爵だからそういう政略結婚は必要ないの。お父様とお母様だって恋愛結婚だったし、私も意に沿わぬ殿方と結婚するつもりは全くないわ」
だからお断りよ、絶対。
二人の間で強く視線が絡み合った。
数秒後、またハルドの瞳があの冷たい光を浮かべる。
本能的な恐怖に、びくりとリィレネの肩が跳ねた。
(な、なんで・・・この目は、こんなに怖い・・・の?)
ぽんぽん言い合っていたはずが、まるで蛇ににらまれた蛙のように、急に言葉が出てこなくなる。
「どうしても嫌なのか?」
「・・・い、やよ・・・」
どうにかしてその言葉だけを搾り出すと、ハルドはふっと瞳を伏せた。
途端に金縛りがとけたかのようにリィレネは脱力する。
「それじゃあ仕方ない」
「・・・え、帰っていいの?」
あきらめたように呟かれた言葉に、冷たい汗をぬぐっていたリィレネははっと顔を上げた。
だが、期待はすぐに裏切られる。
「まったくもって仕方ないですが」
にこっと彼が言葉遣いを改め、優美に微笑を浮かべた。
だが、その瞳はちっとも笑っていない。
「あなたが戻るというのなら、あなたのその最愛の妹を召し上げるまでです」
「な・・・っ!」
「同じ環境で育ったわけだ。あなたと同じだけ綺麗な心を持っているでしょうから」
「そ、そんなこと許すわけ・・・!」
「何故です?元々は彼女が招待されていたわけですから。正しい形に戻すだけですよ。主人はきっとレムリア嬢を大層お気に召すでしょうね」
「・・・っ」
「それが嫌ならあなたがここに残ってください。あなたか妹か・・・。当家はどちらでもかまいませんよ?」
「・・・外道」
「私は主人のために最良の選択肢を用意させていただいているだけです。どうなさるのですか?」
脅しにリィレネは強く唇を噛んだ。
だが、結局答えは決まっている。
家が取り潰されようが、どんなに貧乏だろうが、そんなことはまだ耐えられる。
だが、妹をこんな得体の知れない家に差し出すようなまねだけは絶対に・・・。
「私が残るわ」
「さすが。そう言うと思いました」
満足そうに頷くハルドに、リィレネは射殺しそうなほどきつい視線を送った。
「でも、あなたの思い通りにいくかしら?伯爵は別の方をお選びになるかもしれないわよ」
「さあ、それはどうでしょう?私の指示にしたがっていただければ、伯爵夫人の座は確実にあなたの手に渡りますよ」
「・・・そんなことをして、あなたのメリットは何なの?」
「主人の喜ぶ顔が見られることですよ」
「忠義心に厚いのね。迷惑だけど」
「ほめ言葉と受け取っておきましょう。とにかく、私はあなたを伯爵夫人にする」
闇の中、同じ闇色の青年が真剣な顔で宣言をした。
「・・・・・」
「では、どうぞお部屋にお戻りくださいませ。なんでしたら、お部屋まで付き添いますよ」
「結構よ!」
リィレネはそう吐き捨て、足早にその場を去った。
だが、ドアを閉め、ベッドにもぐりこんでも、あの印象的な黒い瞳がずっとこちらを見つめているようで、なかなか眠れなかった。
ハルドに翻弄される可哀想なリィレネの始まりです。
とはいえ雰囲気のお話なのであんまりギリギリ細かい話にならないですが。
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