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伯爵家に来て初めての夜を迎えた。


「・・・無理だ・・・何も思いつかない」


自分にと与えられた部屋のベッドでぐったりとなっていたリィレネは、寝返りをうって天井を見上げた。

与えられたこの部屋も自室とは比べ物にならないくらい広く、豪奢だ。


とにかく人に聞かれずに話をするためには、伯爵の空いている時間に少しでも早く顔を合わせにいくことだと考えたが、やはりそれは誰でも思うこと。


自分を売り込もうと必死な他の彼女たちにすっかり出し抜かれてしまっていた。

思い切り突き飛ばされたし、なんなら部屋の前にいくつものネズミの死骸が捨てられていた(リィレネは別に平気だが一体どこから持ってきて置いたのだろうと不思議になった)。


「だから、あの人たちのどこが大人しくて慎み深い淑女だっていうのよ・・・。強欲のかたまりじゃない・・・」


誰でも目の前に見たことのないような富と地位があればそれを手にしたくなる。

その気持ちはわからないでもない。

けれど、人を傷つけてまで・・・醜い争いをしてまで、その権利をほしいとリィレネは思わなかった。

彼女らは爵位と金に固執する。

客観的に見れば美しい彼女らの面差しは、しかし、卑しいものにしか見えなかった。


「・・・でも、私も一緒、か・・・」


ただ、家族と普通の、安心して暮らせるだけのお金があればいい。

せめて妹に何不自由ない治療がうけさせられるだけで。

それだけの願いだけれど、伯爵家の財産を目当てにしていることに変わりはない。

自分も卑しい一人なのだとリィレネはぎゅっと唇を噛んだ。


(誇りとか、そんなものはどうでもいいのよ。私は、レムリアを助けたいだけなんだから。利用できそうなものは利用しないと・・・)


リィレネは家に送りつけられた数々の脅迫めいた手紙を持ってきていた。


それをつきつけて、迷惑をかけられたと言えば、少しは都合してもらえないだろうか。


そんなことをずっと考えている。

けれど、品行方正を好むリィレネの性質では、そんなことを考える自分に嫌気がさしているのも事実だった。


(眠れない・・・)


ずっと隙をうかがって緊張していたせいだろうか。

夜になってもちっとも眠れないリィレネは、ふらりと部屋をさまよい出た。

廊下の大きな窓から、自分の屋敷のある方向を見やる。

今日すぐにでも帰るつもりだったのに。


レムリアはまた発作が起きていないだろうか。

父は心労に倒れていないだろうか。

もし、このままお金が用意できなかったら・・・。


いろいろなことがぐるぐると頭の中をめぐった。

家族もこれからの行く末も心配で、リィレネの表情が自然と不安げなものになる。


(やば・・・)


鼻の奥がつん、となって、涙がこぼれそうになった。

強がっていても、まだ16歳。

半人前の彼女の肩にあまりに多くのものがのしかかっていて、押しつぶされそうだった。


「おや、レムリア様」

「・・・っ」


そんなリィレネの背に、凛とした声がかけられた。

慌てて目の端ににじんだ涙を手の甲でぬぐい、振り返る。


予想通りそこには、蜀台を持ったハルドが立っていた。


ろうそくのほのかな明かりの中に浮かぶ彼は、やはりどこか異質な雰囲気を感じた。

穏やかな笑みを浮かべているのに、隙がない。

油断をすれば牙をむかれそうな、本能的な危険をリィレネは初めて会ったときから感じ取っていた。


「いかがなさいましたか?このような夜更けに」

「眠れずに・・・。すばらしいお部屋に興奮してしまったのかもしれません。我が家とは大違いですから」

「そうですか。何か足りないものやご要望があれば遠慮なくお申し付けください」

「ありがとうございます」

「・・・・」

「・・・・」


それから会話は続かなかった。

だが、ハルドは立ち去らない。

ただ、じっとリィレネを見下ろしている。いぶかしんで、リィレネは尋ねた。


「あの、何か・・・?」

「いえ・・・」

「じゃあ何で・・・あ、もしかして、部屋に戻らないといけませんか?ごめんなさい。すぐ戻りますね」


だが途中、防犯上の理由で見回っているのだろう彼の役割に気がついて、リィレネは慌てた。

しかしそれを制したのは、ハルド自身だった。


「違いますよ」

「え?」

「本当に、あなたは何のご要望もないのですか?」

「・・・え?はぁ・・・特には。不自由もしておりませんし、ご飯も見たことがないくらいに美しくて美味しくて、もったいないおもてなしなくらいで・・・」

「そうですか」


納得がいかない、とばかりのハルドの表情に、リィレネは首をかしげた。

彼は一体何を言いたいのだろうか。

感情をうつさない黒い瞳に見つめられていることがなんだか薄気味が悪くなってきて、リィレネは自分から立ち去ることを決めた。


「あの、私、戻りますね」


だが、そのときに慌てすぎてしまったのだろう。かくん、と絨毯につま先を引っ掛け、思い切り転びそうになった。


「・・・あ・・・?」


それをとめたのは、ハルドの腕だ。

彼は抱きとめるかのように、背後からリィレネを支えてくれていた。


「す、すみませ・・・!ありがとうございます」


振り返ると恐ろしいまでに整った容貌がすぐそばにある。

どきりとしてしまったのは、美しさゆえか恐ろしさゆえか・・・とりあえず、リィレネは慌てて彼の手を振りほどこうとした。


「は、離して・・・っ」

「・・・あなたは、誰ですか?」

「えっ?」


だが、思わぬ言葉が返ってきて、その動きが止まる。


「当家には、金髪のご婦人しかお呼びしてないのですがね」

「・・・な、に言って・・・」


ぎこちなく彼に瞳を向けると、彼はまるで猫のように目を細めた。

笑みを浮かべていないと彼の印象は一気に恐ろしい方に傾く。ぞくっと何か冷たいものが背筋を走った。


「被るなら、ちゃんと被らないと駄目ですよ。鬘は」

「・・・っ!」


夜更けであるから、鬘はちゃんと留めずにかぶっただけだ。転んだ拍子にそれがずれてしまったのだろう。


顔色をなくしたリィレネに、ハルドはこの上なく冷酷な表情を向けた。

何の感慨も浮かべない表情こそが恐ろしいのだ、とリィレネは初めて思い知らされた。


「そこまでして、伯爵家に取り入りたかったのですか?レムリア様」

「ち、ちが・・・!」

「何が違うというのですか?本当は黒髪だというのにこのような・・・」


リィレネを一人で立たせ、彼はすっとつまむようにして金髪の鬘を手に取った。


「本物の金髪でつくられた鬘ですか・・・。見事なものだ。一体誰を犠牲に?ジェルミオンのご令嬢?いや、しかし、確かに金髪の娘がいたと確認したはずですが。いくら積まれたかわかりませんが、虚偽報告ですか。確認した者を罰しなければなりませんね」


もはや一切のごまかしは効かないと悟ったリィレネは、大きく息を吸い込むと注がれる侮蔑の視線を正面から受け止めた。


「妹の髪よ。レムリア=ジェルミオン。伯爵が招待したのは、私の妹。私は姉のリィレネ=ジェルミオン。妹が病気で発作をおこしたから、代わりに来たの」

「なるほど。レムリア嬢のお姉様。そんなものいましたっけね?」

「そ、そんなもの??」

「ああ、すみません。忙しくてちゃんと身上書読んでなかったもので。いえ、だいたいそれが本当であってもそうでなくてもかまいませんよ。あなた方がこの家の財産を狙っていることだけは確かでしょう?それで十分ですから」


ハルドはリィレネの答えにはまるで興味がないようだ。

全く感情のこもらない瞳で淡々と話す彼を見ていると、深い闇に引きずり込まれそうな気さえしてくる。

彼は何か一人で納得していて、一方通行なのだと思い知らされる。


「初めてお目見えしたときから不思議でした。金色の髪に、その金にも見える瞳・・・遺伝子上そのような掛け合わせは存在しないと記憶しておりましたから。黒髪ならば納得です。レムリア様の身代わりを出してでも、この屋敷にいらした・・・そこまでなりふりかまえなくなるものですかね?伯爵家の花嫁という立場はそこまで魅力的ですか?」


やたら観察されていると感じていたのは、勘違いではなかったようだ。

彼はつまり、最初からリィレネを疑っていたということだろう。


「・・・別に花嫁になりに来たわけじゃありません。伯爵に話があってきただけ」

「ほう、どのような?」

「それは伯爵に言います」

「主人の手を煩わせるのは困るんですよ」


ハルドの指がリィレネの顎をつまみ上げた。

リィレネはそれを嫌がって彼の白い絹の手袋に包まれた手をどけようとし、首を振ろうとしたたが、びくとも動かなかった。

そのまま間近に顔を近づけた彼は、いつの間にか笑みのようなものを浮かべていた。

しかし、あくまで笑みのようなもの、だ。

口元は笑っているが、瞳はどこまでも冷たい。

怖いもの知らずのリィレネであっても、心の底から震え上がるような表情だった。


「理由を話していただきたいのです。何故あなたがそこまでするのか・・・」

「・・・ぁ・・・・」

「知りたいのですよ、そういう心理を・・・ね」


魂を抜かれる・・・そんな錯覚を覚えた。

頭の中が呆然とし、ハルドの黒い瞳の中に映る不安気な自身の表情だけが印象に残った。


「ほら、話して」


耳元で囁かれた低い声にぞっと鳥肌が立った気がする。


こわい。おそろしい。


リィレネはその恐怖にあらがえず、恐々と身の回りに起こった不幸と、ここにきた目的をすべて話してしまっていた。


「なるほど。お金に困って仕方なく、と・・・それは、いろいろとご不幸でしたね」


その答えに納得をしたのか、ふいに恐怖を与える瞳が和らぎ、リィレネをつかんでいた手も離された。

リィレネはようやく異常なまでの緊張から解放されて、息を吐く。

ドッと冷や汗が出て、心臓がバクバクと鳴った。


(この人・・・やっぱり何か・・・普通じゃない)


一介の執事とは思えぬほどの迫力。

いっそ殺し屋ですといわれたほうが納得しそうだ。


リィレネは少しでも彼から離れたくて、じりじりと歩を下げた。

それに気が付いた彼は、だが、気にした様子もなく、またもはや興味も失せたように言った。


「残念でしたね。こんなところで私に気がつかれるなど。もしかしたら花嫁に・・・この家すべてを手に入れられていたかもしれなかったのに」


どこか遠い目をする彼に、リィレネは再び花嫁は望まないと答えなかった。

言っても無駄な気がしたから。


「何も、主人に借金を申し出なくてもいいのではないですか?」


ふと、ハルドは言った。


「・・・は?」

「お金がほしいのでしょう?ここにはいくらでもお金になりそうな品物があります。一つなら私は見逃しましょう」


言われている意味がわかって、リィレネは目を見開いた。

彼は、リィレネに盗みを薦めているのだ。


「お気の毒な境遇を聞かせていただいて、身一つで放り出すのは気が引けます。どうぞ。それでお引取りください」


そう言って、彼はすっと壁際に寄った。

今まで気が付かなかったが、この廊下には調度品がずらりと並べられている。

このうちの一つでも売れば、十分に妹の診療代は払えるだろう。


リィレネの喉がごくん、と鳴った。

そして、一歩を踏み出した。


「・・・ハルドさん」

「どうぞ、ご遠慮なさらずに。私の心に留めておきますゆえ」


初めて見たときと同じ、完璧な笑顔。

それを見上げて、リィレネははっきりと心を決めた。


―――がっ!と鈍い音が夜の廊下に響いた。

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