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しっかり者の貧乏子爵令嬢が色々ありそうな伯爵家で奮闘するお話です。伯爵が正直あんまり出てこない風味ですが、執事がひたすら出張ってきます。
思えば不幸というものは連鎖してやってくるものなのか。それとも当家が運命的に引き込んでいるのか。
目の前に大きく聳え立つ建物を見上げながら、リィレネは大きくため息をついた。
赤茶色のレンガでくみ上げられた城は大きく荘厳で、窓の数なんて半端ではない。大体この城の周りだって、馬鹿みたいに広いイングリッシュ・ガーデンが取り囲んでいるというのに。
一体どれだけの敷地があるのかと考えて、リィレネはうらやましいと思う前に、「無駄だな」と思ってしまった。
(・・・伯爵様、か・・・。どうせろくな奴じゃないだろうけど)
貴族嫌いのリィレネは本当に嫌そうに顔を歪めた。
けれど、すべては家族のためだ。
しばらくの間我慢するしかあるまい。
すぅっと大きく息を吸い込み、彼女は勇んで足を一歩踏み出した。
リィレネはジェルミオン子爵家の長女である。とは言っても平民に負けず劣らずの貧乏貴族だが。
何故そんなに貧乏かといえば、代々ジェルミオン家の当主がお人よしだったからだ。
頼る者あれば無償で金を貸してやり、領民には農地を分け与え・・・そんなこんなでいつの間にやら、昔は広大にあったといわれる敷地のほとんどをなくしていた。
リィレネは別にそれを恥とは思っていない。むしろ祖先が誇らしいくらいだ。
だが、財政の傾きだした子爵家に、貴族たちは冷ややかだった。それどころか、子爵を罠に嵌める輩まで出てきた。
被害者は祖父だった。
昔から交友のある男爵が会社の共同経営を持ちかけた。
正確には自己資金が足りないから助けてほしい、とそう懇願されて、祖父は共同経営という形で彼にお金を貸した。
しかし、実はそれは書類が2枚重ねられており、新会社の経営権はすべて男爵に、子爵にはつぶれかかった工場だけがその手に残された。
もちろん、工場は赤字を出し続け、すぐに閉鎖。借金だけが子爵家に残された。
そして祖父は失意のうちに死に、ますます財政に困窮した子爵家を継いだ父はそれでもやっぱり詰めの甘い人で。
他の貴族に借金を申し込めば、高額な利息を取り立てられるわ、家宝を騙し取られるわ・・・。
屋敷はすっかり荒れ果て、使用人もろくすっぽ雇えない状況にまで追い込まれた。
そんな反面教師の親を見て育ったリィレネは家族の中で一番しっかりしていた。
と、同時にひどい貴族不審に陥っていた。
もういっそ爵位を返還してあんな奴らとの付き合いをやめろ、と何度父親に言ったか分からない。
しかし、父が泣きながら「ご先祖様に申し訳がたたない」と言うので、結局折れて現在に至るというわけだ。
そんな貴族のくせして貴族嫌いのリィレネが何故、伯爵家を訪れる羽目になっているかというと、なんとこれもまた父親のせいだった。
事の起こりは1ヶ月前・・・。
『父さま・・・?今なんて・・・?』
『それがな、我が家にファイハント伯爵から使いがやってきたんだよ!』
『ファイハント伯爵?・・・それって、まさかあの、城に引きこもって社交界にも顔を出さない偏屈者って有名な?』
『ば、馬鹿!聞かれたらどうする?!』
『こんな貧乏屋敷に聞き耳立てる奴なんていないわよ!』
リィレネが怒鳴ると、父は途端に小さくなる。
この家で一番権力があるのは、しっかり者のリィレネだった。なにせ、リィレネが内職で裁縫を行い、こつこつと生活費を稼いでいるのだから。
『で?その伯爵の使者がどうしてうちに来て、どうしてレムリアが伯爵家へ行く話になったのかしら?詳しく話してもらえるかしら?』
じろっとすごみながら言うと、父はびくびくしながら説明を始めた。本当に威厳がない父親だと思う。
娘たちを愛してやまないところはいい父親ではあるが。
『伯爵は花嫁候補を探しているんだそうだ』
『花嫁ぇ?』
『何というか・・・元々の許婚とは気が合わなかったそうで。しかし、年頃の、盛りの貴族が独り身というわけにもいくまい。それで新しく花嫁を探している、と。条件に合う候補者を招待して、直々に選びたいそうだ。それでな、その条件が、慎ましやかで大人しく、控えめで主人を立てる性格かつあまり社交界にも興味がないような、長い金髪の美女というわけで。レムリアはぴったりだろう?それで、調べを挙げた伯爵家から招待が』
『・・・そいつ、頭腐ってるんじゃないの?』
あまりの傲慢な話にリィレネは思いっきり顔をしかめた。
その表情を見た父は、しかし、必死に弁明しようとする。
『い、いや・・・何といってもこの国一の紡績業を営む家督だからな・・・。まあ多少は・・・その、傲慢なのはな。しかし、現当主はまだ24だし、相当の美丈夫だと噂されるくらいだし・・・まったく悪い話では・・・』
『ふざけたこと言っている暇があったら、親戚回りでもして仕事をわけてもらってきて。その方がよっぽど現実的だわ』
『いや・・・その。実はレムリアは行ってくれる、と』
『はぁ?!』
『わ、わしが強制したわけではないぞ!断じて違う!ただ、使者殿の話を聞いていたレムリアがその場で返事を・・・』
『そんなのあの子が気をつかっただけでしょう!?何で止めないの!大体、体の弱いあの子になんてことをさせようとするの!』
『と、止めようとはしたのだが・・・本当だ!レムリアの体が弱いことも伝えている。だが、本当にレムリアがな、強情に・・・』
恐ろしいまでの剣幕で怒るリィレネに、父はたじたじだ。
レムリアはリィレネの1つ下の妹であるが、生まれつき体が弱く、ほとんど家から出ることもない。
しかし、病弱ゆえに透けそうに白いその肌は庇護欲をそそり、さらに美しい金髪とけぶるようなまつげに縁取られた紫の瞳が印象的な美貌に慎ましやかな性格が加わって、まさに世の男性の垂涎の的といっても過言ではないのだ。
リィレネは脳裏にはかない妹の姿を浮かべて、やはり大きく首を振った。
『そうだとしても、やっぱりあの子は気を使っているんだわ。馬鹿なことはやめさせないと』
『馬鹿なことじゃないわ。姉さま、私、決めたのよ』
『レムリア?!』
突然扉の向こうから現れた美貌の妹に、リィレネは目を見張った。
いつもは穏やかな笑みをたたえている彼女が、きゅっと唇を引き締め、強い目の光を放っていたからである。
『何を言っているの?伯爵家に行くだなんて、しかも悪趣味にも人間を品定めするような招待に・・・あなたがそんなところに行く必要はないわ』
『いいえ、私、行きます。姉さまたちにこれ以上迷惑をかけられない』
困惑するリィレネにレムリアは言い募った。
『私がいるから、姉さまがどれだけお仕事をなさっても、父さまがどれだけ頭をさげても、生活が楽にならないのでしょう?私の体が弱いから、お金がかかって。もうそんなの嫌です。私も大人です。今まで姉さまたちにご苦労をかけた分、何か私のできることで恩返しをしたいの』
『違うわよ!そんなこと思ったことないわ。あなたは私の大切な妹よ。妹を助けるのは姉の役目でしょう?』
『姉さまのお気持ちは嬉しいけれど、もう決めたんです。私、伯爵家へ行って、精一杯がんばって花嫁に選んでいただきます。そうすれば、姉さまたちにもう迷惑をかけることはないわ。私、姉さまには幸せになってほしいの』
『レムリア!』
それからどう言葉を尽くそうが、レムリアは前言を撤回しなかった。
あまりの強情に結局はリィレネが折れて、しぶしぶ承諾をしたのである。
というか、どうせこんな貧乏貴族出身では選ばれないだろう、選ばれなければレムリアも納得するだろうし可愛い妹は帰ってくると、現実的折り合いをつけたのだった。
ところが。
伯爵家からの使いが我が家にやってくる3日ほど前に、再び事件は起こった。
どこかで聞き及んだのだろう。
伯爵家へ行くな、という脅迫めいた手紙が屋敷の郵便受けに届くようになり、嫌がらせに窓に石を投げ込まれるにいたった。
どうやら他の花嫁候補からの嫌がらせらしい。
何が慎み深い性格の者を招待する、との触れ込みなんだ。陰険にも程があるだろう・・・とリィレネはひたすら怒っていたが、気の弱いレムリアにはショックだったのだろう。
しばらく治まっていた発作を突然引き起こしてしまった。
『お医者様をお呼びして!』
『薬!あと、温めて、早く!』
リィレネの指示が飛び交う中、ようやくやってきたかかりつけの医師は、いつもの老医師ではなかった。
その中年の医師は、見るからに嫌そうな態度で屋敷にやってきた。
『あの、先生は・・・』
『父なら、足を折って療養中です。診療所は私が引き継ぎました』
老医師の息子だと言う彼は、手早くレムリアの診療をすませると、侮蔑の視線をリィレネに向けてきた。
『・・・それはそうと、いい加減に溜まった診療代をお払いいただけませんかね?子爵様』
『・・・っ。そ、れは・・・』
確かにずいぶんと溜まっているはずだ。
何代も昔からかかりつけの医師という家系のため、困窮している子爵家の台所事情を知っている老医師はずっと診療費をツケにしてくれていた。いつか、返せるようになったときでよいと。
だが、それを息子は面白く思っていなかったらしい。
『こちらも慈善事業じゃないんですよ。薬だって安くない。これ以上払えないつもりなら、私どもは手を引かせていただきます』
『ま、待ってください!必ず、お支払いしますから。もう少しだけ待ってくれませんか?』
『そうは言われても・・・』
『お願いします!』
『分かりました。では、今日の分の診療代だけでも払ってください。それで、今日は引き取りましょう。ただし、これで最後にしていただきますよ。次に呼ばれるときは、全額用意していただきます』
必死に頼み込むリィレネをふん、と馬鹿にしたように見やって、医師は帰っていった。
『ご、ごめ・・・なさ・・・。ねえさま・・・っ』
『気にしないで。大丈夫よ。まだいくつか宝石があったし、それに少し引き受ける仕事をふやせばちゃんと払えるから。安心して。ね?』
罪悪感に泣きじゃくる妹をなだめ、ようやく寝かしつけたリィレネだったが、そんな彼女を迎えたのは蒼白になった父親だった。
『・・・父さま?どうしたの?』
『すまん!リィレネ・・・!』
『えっ?』
膝を折った父に目を見張ったリィレネは、父から語られた言葉に顔色を失った。
彼は数ヶ月前、訪ねてきた祈祷師にレムリアの病気を治せると触れ込まれて、祈祷を頼んでしまったらしい。
その怪しげな祈祷師は、息をしていなかった野うさぎを父の目の前で生き返らせたのだと言う。
そんなことは仮死状態になる薬があればできる、ということに気がつかなかった父はすっかり信用し、残り少なくなっていた宝石を報酬として渡してしまった
。それからは発作もなくレムリアが元気であったので、今の今まで祈祷師を信じていた、と父は頭を垂れたまま告白した。
リィレネはどうしてそんなことをする前に相談してくれなかったのか、と罵りたい気持ちが喉元まで競りあがってきたのを感じた。
だが、確かに短慮ではあったが、発作で苦しんでいた娘を見るに見かねたがゆえの行動だったことも分かる。
頭を下げ続ける父に、結局唇をかみ締めるに終わった。
どうやらレムリアは父が祈祷師に騙されていたことを知っていたらしい。だからこそ、あんなに強固に行くと言い張ったのだ。自分のせいで父親が騙されたのだから。
すべてを知ったリィレネは一晩考え抜いた。それは。
『伯爵へ文句を言いに行くわ!ついでに慰謝料も請求してやる!』
『お、お前・・・何を言って・・・』
『だってそうでしょう?かのお方がレムリアを招待しなければ、こんな嫌がらせを受けることもなかったし、窓が割れて寒い思いもしなくてよかったし、レムリアが発作をおこすこともなかった。急にお医者様に代金を請求されることもなかっただろうし、ここまで困窮することもなかったでしょう。だったらその責任を取ってもらうのは当たり前よ!せめて診療代くらい貸していただけるように、直談判してくるわ』
『しかしだな、そんなお前・・・滅多にお顔を見せない方だ。行ったところで門前払いをくらうだけだぞ』
『駄目で元々よ。そうなったらまた別の方策を考えるわ。とにかく父様はレムリアの看病をお願いします。金策は私に任せておいて。いい?』
くれぐれも余分なことをするな、と釘を刺しておく。父は窮地に追い込まれるとどうも的確な判断ができなくなるきらいがあるのだから。
レムリアにもそのことを説明すると、彼女は突然思ってもいなかった行動に出た。
なんと、その美しい金髪を肩からばっさり切り落としてしまったのだ。
『な、な、何を・・・?』
『姉さま、これで鬘をおつくりになって。それで、私の名前で伯爵家へ向かってください』
『レムリア?』
『全部私のせいなんですもの。これを身につけていらっしゃれば、明後日にはお迎えがいらっしゃいます。伯爵にお会いになることもできます。借金をお申し出になるときも、私の名前を使ってください。姉さまの御名が傷つくことがないよう。姉さまは誇り高くいらして』
『無茶よ、それは・・・』
レムリアのふりをしろ、と。そして伯爵の歓心を買い、お金を借りればいい。妹はそう薦めているのだ。
だが、無理な話だと思う。リィレネは父親譲りの黒髪だったし、目は光の加減によって金にも見えるライトブラウンだ。色が違うだけではなく、同じ二重でもくりくりとしたアーモンド形のレムリアの瞳とは似つかない、切れ長の涼しやかな瞳だった。
すっと鼻筋は高く、薄めの唇は凛とした印象を与える。
美人は美人でも、レムリアとはだいぶ印象が違う。
それに、家系のせいか常人よりは色白ではあるが、畑仕事も厭わないリィレネはレムリアと違って健康的な肌色で病弱な人間とは思われないはずだ。
なにより、性格が非常に男っぽい。すぐばれるだろうと思った。
『お願い、姉さま・・・。伯爵からお金を借りることができれば、姉さまたちも急務にご苦労なさらなくて済むわ。父さまもご心労が減ります。元気になれば、私、きっとお役に立ちますから・・・どうか、姉さま。お願いします』
しくしくと泣く妹の涙に、首を振り続けていたリィレネは、やっぱり折れた。
確かに、彼女の言うとおりレムリアのふりをしていれば、屋敷に入れるし、伯爵にも会えるかもしれない。
そうすれば現状を話して、借金は・・・無理にしてもせめて文句の一つもぶつけられるかもしれない。
妹に不名誉な借金の申込をさせるつもりはなかったが、確率の高さから言って、リィレネは少しの間、名前を借りることを決めた。
『わかったわ。レムリアがせっかく決心してくれたことを無駄にしたくないもの。ちゃんと伯爵にお会いしてお話してきてみせるわ』
『姉さま・・・!ありがとうございます、ありがとう・・・っ』
『任せておいて。あなたは安心して療養するのよ。伯爵家のことは私がうまくやってみせるわ』
それに・・・とリィレネは心の中だけで呟いた。
嫌がらせなんてしてくれた他のお嬢様たちを懲らしめてやりたいしね、と。