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怪物と因習 ~ある女性の、これからの人生を……~

 こうして、私達はヘドロと排気ガスの臭いが漂う都会へと戻ってきた。

 あれからしばらく山道を走り、アスファルトと近代的な建物が乱立する区画に入る頃には、護衛の車両は消えていった。

 それと同時に、『我々に与えられた任務はここまでだ』と無愛想な返信が来たため、『了解、支援に感謝する』と返信すると、タケミカズチとの連絡グループは消失した。

 それからさらに時間が経ち、私達を乗せた車は警視庁の地下駐車場へと入る。時刻はすでに早朝に近い深夜であり、地下駐車場に入る頃にはすでに空は明るくなり始めていた。

 私は大倉刑事が車を停車させたことを確認すると、仁科祥子を連れて車を出る。

 それと同時に、私の携帯端末に連絡が入った。


『お疲れさま』


 メールの送り主のアドレスは、『その者』だった。


『……何を企んでいる?』


 別に皮肉のつもりではない。『その者』がこのように私に対して優しく接する時は、必ず裏に何かある。長い付き合いだ……それぐらい、想像がつく。

 案の定、返信の内容を見た私は、ハラワタが煮えくり返った。


『もうすぐ、迎えの者が来る。その者達に、犯人を渡してくれ』


 私は返信を渋った。思い悩んでいるわけではない。ただの意地悪だ。


『ためらっても、君に得があるわけではないぞ?』


 案の定、しばらくしてから『その者』からそのような返信が返ってきた。


『了解。どうやって見分けたらいい?』

『合言葉は向こうが剣、君がかまぼこだ』

『間違いなく?』

『ああ、間違いない』

『了解』


 私は携帯端末をしまって、鳴海刑事達に待機するように指示を出した。

……それにしても……かまぼこって……まぁ、なりすましが咄嗟に思いつくようなものではないからいいか……。

 鳴海刑事達はなぜ待機するのかと聞いてくるので、私は仁科祥子を引き渡すことを打ち明けた。


「そんな……せっかく脱出したのに……」

「そうだぞ、神牙っ! 我々にも分かるように説明しろっ!」


 鳴海刑事と大倉刑事は、対照的な反応を見せる。

 加山巡査は車の傍でどうしたものかとうろたえながら、我々の方を見ている。

 私が二人の追及をのらりくらりと受け答えしていると、その時は来た。警視庁庁舎へ続く扉から、男女が一人ずつ出てきたのだ。

 彼らはこちらの方へ迷うことなく近づいてくる。


「そちらが証人ですね? それでは、引き渡してください」


 メガネをかけた、ひょろ長い体躯に陰険な表情を携えた男がそう言うので、私は合言葉を求めた。


「……」


 しかし、メガネの男は強張った表情のまま微動だにしない。

 ふと隣を見ると、女性の方は私をジッと見据えていた……まるで何かを訴えかけるように……。

 私がその行動に訝しんでいると、事態は急変した。


「……ちっ!」


 突然、メガネの男は自らの腰に手を伸ばした。

 そこにはホルスターが装備されており、男はまさにそこに収められている拳銃を抜き放とうとした。


「ぐふっ!?」


 その瞬間、警視庁の地下駐車場に銃声とうめき声が響き渡った……。


「……すみません、助かりました」


 コンクリートの地面に倒れて、血を流して動かなくなったメガネの男性を見下ろしながら、付き添ってきた女性が静かにそう言った。

私はまだ銃口から硝煙がたゆたっている拳銃をホルスターに収めると、彼女に事情の説明を求めた。


「……申し訳ありません、上司に口止めされているので……」


 薄い茶色のボブカットを揺らしながら彼女が実に気まずそうに言うので、私は代わりに合言葉を言うように促した。


「……剣」


 かまぼこ……うん、後で『その者』に抗議しよう。さすがにこの合言葉は無いわ。

 私の合言葉を聞いた瞬間、女性はホッとした様子で笑顔を見せた。


「良かった……それでしたら、証人の引き渡しをお願いできますか?」


 私は女性の言葉を快諾し、未だに呆然としている大倉刑事の腕から仁科祥子を引き離し、彼女に渡した。


「任務、お疲れさまでした……それでは」


 そう言って、女性は仁科祥子を連れて再びやってきた扉の中へ消えていった……。


          ※


「はぁ……」


……また鳴海刑事の溜息が出た……ということは……。


「なんだ、鳴海? お前も大倉のオカマ気質が移ったのか?」


 やっぱり……案の定、ソファで寝転がっていた鬼島警部が口を開く。


「け、警部殿っ! じ、自分は決してオカマなどでは――」

「うっせぇんだよ、コラッ! さっさと報告書書けやっ!」

「……う……ぐぅ……」

「ほらな? やっぱりオカマだろ?」

「……はぁ……」


 数日後のオモイカネ機関本部……つまり警視庁の地下倉庫だが、相変わらずの平和な日常に戻っている。

 あれから、私の元に届いた連絡は証人を受け取ったという連絡と事件解決の知らせだけだった。

 結局……あの集落のことや仁科祥子のこと、あのメガネの男のこともまるで報告が来ていない。

……なんだろう、無性に暴れたい。ま、私はそんなに子供じゃないからね、別にいいけどねっ!

……そんなことを考えていたら、携帯端末に久しぶりの連絡がきた。

 はぁ……また事件だろうか?

 そう思って端末の画面を見た私は、少し驚いた。


『元気か?』


 画面にはそう表示されていた。それだけなら、なんともない内容だ。

 問題はその送り主で、アドレスを見るとその内容を送ってきたのは『その者』だった。


『事件か?』


 そうあって欲しくないと全力で願いながら、私は返信した。


『違う。ただの挨拶だ』

『なぜ?』

『この前の事件の情報を教えてやろうと思ってな。あくまで教えられる範囲でだが、聞くか?』


……これは何かの罠なのだろうか? それとも、明日は砲弾と死体の雨が降るのだろうか?

……冗談はさておき、なぜ『その者』がそのようなことをするのか、まったく思い浮かばない。

 必然的に、何かの罠なのではないだろうかと勘ぐってしまう。


『なぜそのようなことを?』

『簡単な話だ。君には、まだまだ組織に貢献してもらいたい。そのためには、君には常に高いモチベーションを保っていてほしい。その点から考えて、この前の事件は解決前、解決中、解決後のすべてにおいて、君に多くの謎とストレスを与えたことだろう』


……なるほど……まぁ、聞かせてくれるならそれでいいか……。


『ああ、そうだ。部下達の動揺を抑えるのに苦労した』

『だろうな。では、教えよう』


 私はいったん、携帯端末から手を離してデスクの上に置き、『その者』から送られてくる内容に意識を集中させた。


『まず、あの村は長年隔絶した土地でその歴史を紡いできたため、非常に多くの独特な文化が形成されていた。そんななか、組織のある部署は、あの村を民族的な観点から観察することにした。何か、組織に役立つものがあるのではないかという、根拠のない希望を抱いてな。

 だが、その部署が観察を続けていたあの村で、ある事態が起きた。それが、君達が解決しようとした殺人事件だ。あの事件が起きた事は加山巡査から知らされ、私や他の部署の人間達にも知り渡り、監察をしていた部署の人間達は困り果てた。

 まったく関係ないとはいえ、自分達が監視をしていた土地で殺人事件が起きたのだ。何も知らなかったなどとは決して言えない。それは組織に属する者達なら、君も含めてよく分かるはずだ。そのようなことで、組織が人目につくことは決して許されない。

 そこで、その部署の長は信頼を寄せる他の部署の長に相談した。そして、相談を受けた部署の長は私に解決を指示し、私が君達に出動を命じた。君達は事件を解決していく中で、事件の犯人を確保し、あの村から無事に脱出してくれた。ま、簡単に言えばこんな感じだ。質問はあるか?』

『あの村はどうなった?』


 私がすかさずそう返信すると、しばらくして返信がきた。


『残念だが、それは教えられない。ただ一つ言えるのは、あの村にたどり着くのは不可能だということだ』


『その者』からそのような返信がきた瞬間、私の脳裏に、あの村へと続くトンネルに設けられた鉄製の扉が思い浮かんだ。


『分かった。では、加山巡査はどうなった? 彼はあの後、私があの村へ帰るように言って帰してしまったが?』

『問題ない。彼は今も警官を続けている。それとなく圧力を加えてな』

『脅しか?』

『いや、魅力ある提案だ。離島で勤務すれば、昇進を早める……そんな感じだ』


……頑張ってくれ、加藤巡査……。


『犯人を引き渡した時、我々がトラブルに遭ったことは知っているか?』

『ああ、知っている』

『あの男は組織の者か?』

『そうだ。だが、信じて欲しい。私の差し金ではない』

『観察をしていた部署の人間か?』

『それは言えないが、察してほしい。少なくとも、今後君達に危害を加えないよう、上層部で話はついている』

『分かった。村人達はどうなった?』


 その返答には少しの時間が掛かった。


『知らない方がいい』

『分かった。犯人が仁科祥子という女性であることは知っているか?』


 私は『その者』に質問した。


『ああ、知っている』

『彼女は無事か?』

『ああ、無事だ。心配しなくていい。彼女は組織のある部署にとっては、自分達の研究成果であり、ある部署にとっては重要な政治的カードだからな』


 私は『その者』からの返信を読んで、いたたまれない思いに包まれた。

 娘を救うために怪物に生贄を捧げた母親……そもそも、娘は無事なのだろうか?


『ちゃっと丁重に扱ってほしい』

『もちろん理解している』

『彼女の娘はどうした? ちゃんと生きているんだろうな?』


 その返答にも、かなりの時間が掛かる。

『その者』がこの事件にどれくらい関わっていたのか、どれほど事態を理解しているのか……そのような疑問が私の中に芽生えた。そもそも、『その者』が組織の中でどういった立ち位置にあるかさえ、私には分からないのだ。


『少し調べてみたが、仁科祥子の娘、仁科明美は数週間前に亡くなっている』


……背筋にゾクリと寒気が走る……『その者』が返信した内容が、私には信じられなかった。


『確かか?』

『間違いない、なぜ?』

『事件の捜査中、娘に会った』


……私の返信に驚いているのか、『その者』からの返信はとても遅かった。

 周りで雑談をしている鳴海刑事達の声が、やけに大きく聞こえてくる。

 私が心配になり始めていると、やっと返信がきた。


『ここからは、あくまで事実を元にした私の私見だ。あの労山村という集落は、代々迫水家を頂点とした厳格な封建制度を敷いていた。さらに、あの村では神に安全祈願するという理由で年に一度、いわゆる男女が交じる儀式があるらしい。

 あの村を観察していた部署の記録によると、仁科祥子は娘と共に迫水家に住み込みで働いていたそうだ。そして、彼女はその儀式に選ばれたわけだが、当然あのような村では女性の意思など皆無に等しい。儀式の場所は不明だが、彼女は散々抵抗した後に凌辱された。

 事が済んだ後、彼女が迫水家に帰るとそこには故意か偶然か、娘に手を出そうとしていた迫水家の人間がいた。彼女は衝動的にその者を殺害、自らの生家に身を潜めるが、迫水家の権威にひれ伏している村人や両親にあっさりと居場所をバラされ、再び凌辱。気づいた時、彼女の横には娘の変わり果てた姿で横たわっていた。

 記録によると、この時点で娘は死亡していることになる。その後、仁科祥子は両親を殺害、村の周囲の山林や生家に潜伏しながら、迫水家の人間を殺害していった。その最初の殺人現場を村人に見られて、その情報は加山巡査から君達へと伝わり、君達はあの村で捜査をしていくことになったというわけだ』


 なるほど……これで村人達の視線や迫水幸太郎、あの老婆の発言に納得がいった。

 彼らは知っていたのだ。自分達が現代では犯罪に当たる行為を行っていた、もしくは黙認していることに……。

 だからこそ、早く仁科祥子を見つけて始末し、私達に彼女が犯人だと言って突き出す……かなり荒っぽい推察だが、今考えてもハラワタが煮えくり返る思いだ。いっそのこと、完全に人外の存在を相手にしていた方が、まだ気持ちとしては楽なものがある。


『君が言った彼女の怪物がどうこうという発言は、おそらく彼女が精神異常を起こしていたものによるものだろう。まぁ、個人的に言わせてもらうと、人間は充分怪物になれる素質を持っているがね。以上が私の見解だ。満足か?』


……『その者』が語った内容は、あまりにもリアルだった。事実に基づいた私見というのは本当だろう。

 だからこそ、私は胸が締め付けられる思いだった。

 それを上手く言い表すことは出来ない……だがそれでも、彼女を組織の保護下にしたことは良かったと思える。


『教えてくれてありがとう』

『構わないよ。これは秘密にしてほしいのだが、彼女に危害を加えた奴らは今、この世で経験したこともないような苦痛を味わっている最中だからね。それに最初に言ったが、君にはまだまだ組織に貢献してもらいたい。君は実感してないだろうが、君の評判はすでに組織の上層部の中でかなり高い評価を受けている。これからも頑張ってくれ』


 その言葉を最後に、『その者』からの通信は途切れた。

 私は携帯端末をしまって、一人の人間に想いを寄せる。

……仁科祥子……娘を失ったショックで我を失い、その復讐を遂げようとした彼女が今、どこで何をしているのか……『その者』が言うことを信じるなら無事に生きているのらしいが、それでも娘との平穏な日々は返ってこないだろう。

……なんにせよ、彼女のこれからの幸福を願ってやまない。もし彼女に再び会えるなら、腕を傷つけてしまったことを謝罪したい。

……涙を流すのは本当に久しぶりだが、私はそれをすぐに拭う。

……私は彼女に想いを馳せた後、まだ喧嘩を続けている部下達に対して、あの事件の概要を説明した。

 組織の部分はぼかしながら……仁科祥子のこれからの救いと平穏を祈って……。

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