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予知夢 ~嵐のような結末と二人目の再会~

――翌日、昨夜は特に何が起こるわけでもなく、日が昇って友人が帰宅しても篠宮は外出しようとしないので、我々は交代で帰宅と警備を繰り返していた。そのシフトには、鬼島警部も含まれている。

 彼女は、昨夜の出来事を聞いて『どうしてアタシに連絡しなかったんだ!』とご立腹の様子だったが、すぐに頭を切り替えたのか、その後は我々と同じように帰宅と警備を繰り返してく。

 事態が動いたのは夕方、篠宮がライブに出ると言ってきたのだ。我々は昨夜の出来事もあって反対したが、どうしても行きたいと彼女がごねるものだから、監視付きで行くことを許した。

 だが、結局ライブ中になっても不審な出来事はなく、我々は篠宮をマンションに送り届けた後、警備を続けていた。

 しかし、しばらくしてアシュリンから連絡が入り、我々は彼女が待つ病院へ行くことにした。篠宮の部屋から見つかった両目はアシュリンのところへ送り届けられ、その鑑定結果が出たら連絡してほしいと頼んであったのだ。


「早速来たな」


 私がノックをして入ると、アシュリンが出迎えてくれた。


「アシュリンさん、鑑定結果はどうでした?」

「お察しの通り、石川和夫のもので間違いないな。それで、両目から生体反応が出てな。つまり、生きているうちに切り取られたんだろう。見てくれ」


 私と鳴海刑事、鬼島警部はアシュリンに言われるがまま、両目に見入った。大倉刑事は両手で口を押え、恐る恐る見ている。


「鋭利な刃物で切られている痕跡が残っている。しかも左側からな。この意味が分かるか?」


 アシュリンが意味深に微笑み、私を含む三人はその意図を理解する……大倉刑事は分かっていなかったようだ。


「何がわかるでありますか?」


 彼がそう言うと、アシュリンはあからさまにため息を漏らす。


「ほら、よく見てみろっ!」


 鬼島警部は、大倉刑事の頭を思いっきり押し、両目に近づけた。彼の顔面と両目が接触しかねないほどの距離まで近づけられ、大倉刑事は涙目となったその目を大きく見開いている。


「け、警部殿っ! そんなにしなくても見えるでありますっ!」


 大倉刑事は卒倒しそうになりながらも、濁った生気のない両目を見る努力はしているようだ。


「オラッ、よく見ろ! 両目と繋がっている飛び出した血管と神経が、左斜めに切られてるだろっ!? しかも、傷口は下の方が小さいから、上の方から切っていったんだ!」

「そ、そんな細かいところまで見られないでありますっ! もう勘弁してくださいっ!」

「つまり、犯人は左利きということですよ、大倉さん」

「れ、冷静に言わないでほしいであります、先輩! わ、分かったでありますっ! が、自分はここで失礼するでありますぅっ!!」


 大倉刑事はそう言い残すと、バタバタとトイレに駆けていった。その後ろ姿を、アシュリンと鬼島警部が呆れた様子で見つめる。

 いずれにせよ、徐々にこの事件を覆う漆黒のカーテンが開かれてきたようだ。

 我々はアシュリンに礼を言って病院から出て、駐車場へと向かう道を歩いていた。ここの駐車場は大病院ということもあって、かなり広い。街灯も少なく、暗い道だ。夜空を見上げると、月はおろか星一つ出ていない。その時、私の顔に雨粒が当たった。歩くのには困らない程度の霧雨だ。


「ちっ、降ってきやがったな」

「面目ないであります。自分が天気予報を見ていれば……」

「気にすんな。こういうこともあるって――っ!!」


 その時、先頭を歩く鬼島警部が、咄嗟に後方に飛び退いた。続いて聞こえてくる、風切り音――私は瞬時に、誰かが鬼島警部に切りかかったと判断した。

 私がポケットからシースナイフを取り出していると、鳴海刑事の姿が前方に見える。


「危ない!」


 彼はそのまま、暗闇にいる何者かに向かって体当たりをしていったのだ。

 しかし、それはかわされてしまった。だが、暗闇の中に、確かに黒い人影が立っているのが分かった。

 どうやら、黒いレインコートのようなものをすっぽりと被っているようで、それが夜の闇に溶け込み、顔はおろか、体格も身長も定かではない。だが、見たところ大倉刑事よりは小さいようだ。皮肉にも、頼りになるのは犯人が振り回す刃物の銀色の光だけだ。その刃物は、鳴海刑事と鬼島警部に向けられていた。

 私はナイフを握りしめると、その人影に向かって突進し、ナイフを突き出す――が、すんでのところでよけられてしまった。相手からお返しとばかりに刃物が振られるが、難なく避けられる。

 そのまま、私と見えざる犯人とで刃物を使用した近接戦闘が続くが、私はそこであることに気づいた。この犯人は、ある程度刃物の扱いに慣れているようだが、ナイフを使った格闘術の心得はないようだった。

 そこで私は、かつて一族から教わった格闘術を駆使して、犯人を無力化しようとする。


「っ!!?」


 案の定、犯人は私の格闘にうまく対応することが出来ないようで、体の数か所を私のナイフが傷つける結果となり、多少の手応えはあったが、犯人を無力化するには至らない。

 そして、私と犯人が睨み合っていると、犯人は咄嗟とっさきびすを返して逃走しようとする。そこで私は、大倉刑事の名前を叫ぶ。


「おうっ!」


 彼は私の意図を察したのか、逃げる犯人に向かって果敢に立ち向かっていく。十数メートルほど先で犯人に追いついたのか、暗闇の中でもみ合う気配がする。瞬く間に刃物が落ちる音が響き、相手が逃げていく足音が聞こえた。


「待てっ!」


 反射的に大倉刑事が追いかけるも、犯人の姿はその足音と共に闇に消えた。

 私は心底悔しそうに地団駄を踏む大倉刑事をねぎらうが、彼は私とは目を合わせず、その先を見つめていた。

 私もそちらに目を向けると、そこには肩付近の腕を横一文字にスッパリと切り裂かれた鳴海刑事の姿があった。私がそのことを指摘すると、彼は切られた腕に目を向ける。


「せっ、せっ、先輩っ! ち、血が、血がぁっ!!」

「落ち着いてください、別に大したことありませんから」

「じ、自分は大したことあるでありますっ!」


 先程までの勇姿はどこへやら、大倉刑事はヘナヘナと雨に濡れた道路に膝をついてしまう。


「ったく、無茶しやがって、ほら、これでも巻いときな」

「すみません、ありがとうございます……」


 ひとまず、鳴海刑事のことは鬼島警部に任せ、私は犯人が落としていった刃物に近づいた。

 それは、軍隊などで使うナイフだった。私のと比べると随分と旧式のようだが、人を殺すには充分な武器だろう。銀色の刃先は、真新しい血で濡れている。それが雨に洗い流される前に、私は手袋をはめて刃物を拾い上げた。


「あ、神牙さん。今何か、白いものが落ちましたよ」


 私が鳴海刑事の言葉を聞いて足元を見てみると、確かにそこには白いもの――手紙が落ちていた。もみ合いでこのようなものは落とさないだろう。おそらく、犯人が意図的に落としたに違いない。

 私は手紙を拾い上げ、くしゃくしゃになったそれを破かないようにゆっくりと広げる。


『これいじょう しのみやまいに ちかづくな』


 手紙には、そう書かれていた。私はその手紙を、鬼島警部と鳴海刑事にも見せる。彼らの表情はその手紙を見て、途端に険しくなる。青いインクは雨のせいで滲んでしまっているが、その特徴のある偏執的な文字には見覚えがあった。私の勘違いでなければ、この文字は篠宮にきていた脅迫状の文字と同じ筆跡のはずだ。


「ちっ、執念深いストーカーだぜ。ま、ストーカーなんざ、ほとんど執念深いだろうがな」

「それにしても、大倉さんと戦って、よく無事に逃げられましたね」

「面目ないであります。自分、犯人の持っていた刃物を落とすのに夢中で……」


 その後、我々は病院に引き返した。犯人が落としていったナイフを、アシュリンに鑑定してもらうためだ。

――雨は次第に強くなっていく。犯人が残していった手掛かりも、この雨に洗い流されてしまうだろう。だが……我々に襲い掛かってきた人物が放つ剥き出しの悪意は、それしきのことでは消え去りはしないはずだ。

 我々が研究室に入ると、デスクで本を読んでいたアシュリンが顔を上げた。我々のただならぬ様子に、眉をしかめてデスクに本を伏せる。


「……何があった?」


 私は先程駐車場で起きた出来事をアシュリンに伝え、ナイフを彼女に差し出して鑑定してほしいと伝えた。


「血液が付着しているな」

「それは僕の血ですが、他に何者かの血液も付いている可能性があります」


 アシュリンは、鳴海刑事の切られた左腕をちらりと見た。


「もしかしたら、神牙さんや大倉さんと格闘している時に、犯人はケガをしているかもしれません」

「左利きだな……」

「分かるのかい?」


 鬼島警部が問いかけると、アシュリンは鳴海刑事の傷を見ながら静かに頷く。


「ああ。刃物の入った位置と抜けた角度で、簡単に分かる」

「なるほどね」


 鳴海刑事には申し訳ないが、少しずつ事件の核心に近づいているようだ。左利きの人物を探せば、おのずと犯人も絞り込めるだろう。


「まぁ、とにかく、血液と指紋だけなら、今夜中に調べておこう。結果が出たらすぐに知らせる」


 私はアシュリンに礼を言った。


「ま、それはそれとして――」


 そう言ってアシュリンは、棚の一つを開けると、中から救急箱を取り出した。市販で売っているようなものではなく、明らかに業務用のものだ。


「まずは鳴海君の傷の手当てをしないとな。生きている人間を相手にするのは久しぶりだが、なぁに、戦場ではもっとひどい状態の兵士を見てきた。この程度の傷なら、間違っても死ぬことはないだろう」

「……一応、死なないようにお願いします……」


 その後、アシュリンの手当ては無事に終わり、我々は病院を後にした。外に出ると、雨はますます激しくなっている。向かうのは、篠宮がいるマンションだ。我々を襲ったストーカーが、その後に篠宮の所へ行く可能性がないとも限らない。

――マンションに着くと、鬼島警部がエレベーターのボタンを押す。その時、管理人室の窓が開き、頭がヒョイと出てきた。

 島崎だ。パジャマ姿で首にタオル、濡れ髪といった、いかにも風呂上がりの格好だ。左手には包帯が巻かれている。


「なんだね、君達、こんな時間に。あ、まさか、また麻衣ちゃんの身に何かっ!?」


 みるみるうちに島崎の顔色が変わっていくが、我々は後で説明するとだけ伝えてエレベーターに乗り込む。

 篠宮の部屋の前にたどり着くと、鬼島警部は躊躇せずにインターフォンを鳴らした。


「麻衣ちゃん? 鬼島だ。ちょっと用がある」


 鬼島警部がそう言うと、ややあってから、洗い髪にガウン姿の篠宮がドアを開けた。


「……ごめんなさい、こんな格好で……」

「い、いいえ! じ、自分達がこんな時間に訪ねるのが非常識なのでありますっ!!」


 シャワーを浴びていた姿でも想像したのか、大倉刑事の顔面は茹でダコのように真っ赤になって、彼は首が捻じ切れんばかりの勢いで横を向く。


「非常事態とはいえ、妙齢の女性の部屋に連絡もせず訪問するなど――」

「非常、事態……?」

「ああ、そうだ」


 鬼島警部がそう言うと、篠宮は我々を部屋に手招きした。


「どうぞ、入ってちょうだい」


 リビングに座ると、さっそく鬼島警部がついさっき起きた襲撃事件の事を話す。


「現場にはご丁寧に、置手紙まで残されてたんだ。『これ以上、篠宮麻衣に近づくな』ってな」


 篠宮のまだ濡れている前髪から水滴がこぼれ、顔を一筋に流れた。それを拭おうともせず、篠宮は自分の身体を両手で抱きしめる。


「あたし、知ってる……知ってるわ……」

「何をだ?」

「あたし、夢で見たのよ。あなた達が襲われて、鳴海さんがケガを……」

「確かに、僕はケガをしたよ」


 鳴海刑事は先程、アシュリンのところでケガの手当てを済ませ、ワイシャツも新しいものに着替えている。切り裂かれてダメになったジャケットも、今は車内に置いて来ているので、一見して彼がケガをしているようには見えないはずだ。しかも、さっき鬼島警部が話していた中にも、鳴海刑事がケガをしたことは伏せていた。


「……左腕を、銀色のナイフで……」

「篠宮さん、犯人の顔は夢に出てこなかったの?」

「……ええ、良く見えなかったわ。なんか……レインコートみたいなものを頭からすっぽりと被っていて……」


 犯人の見た目も、彼女は言い当ててしまった。いったい、これはどういうことなのだろうか?

 自分を納得するための説明すら、今はままならない。彼女からもたらされた情報が、この世のものかあの世のものかも定かではないような気がした。

 結局、ここで考えても仕方ないので、この日は私と鳴海刑事で篠宮の部屋で警護にあたることにした。篠宮は奥の寝室で休み、私と鳴海刑事はリビングの方で寝ずの番である。

 ふと、鳴海刑事の方に目を向けると、すでに彼は限界のようである。すでに時刻は深夜……連日の張り込みの疲れもあるのだろう。私は彼に、少し横になるように言った。


「いえ、大丈夫です」


 そう言っていた鳴海刑事だったが、彼はものの十数分ほどで眠りに落ちた。


「きゃああぁぁっ!!」


 突如、寝室から悲鳴が聞こえてきた。私は鳴海刑事を叩き起こすが、彼も全身を汗で濡らし、その表情はどこか虚ろだった。

 仕方ないので、彼の事は後回しにし、私は寝室のドアを叩きながら篠宮の名を叫ぶが、返事は帰ってこない。ドアノブを回してみたが、中から鍵がかかっているようだ。私は少しドアから距離をとり、体当たりをした。

 鍵が壊れ、扉が開く。だが、その扉の先には闇が広がっていた。その闇を、窓から差し込む月の光が暗く照らす。そこには……。


「し、篠宮さん……」


 後ろから、鳴海刑事の声が響いてくる。

 穿うがたれた穴のようなうつろな目……すべての感情を失ったような表情で、篠宮が呆然と立ち尽くしていた。

 その手には、何か握られている。何か、だらりとした小さな物体……それは小鳥だった。右手に小鳥をくるみ、左手はその首にかけている。篠宮は、その左手を躊躇なくひねり、小鳥の首を折った。

 だが、篠宮は呆然としたまま、動かない……いや、唇の端に笑みを浮かべていた。

 ゾッとするような、残忍な笑み――いつもの篠宮とは、人が違ったみたいだ。


「真由美……」


 その時、背後からうめくような声が聞こえた。振り返ると、そこには島崎が大きく目を見開いたまま凍り付いていた。その声を合図のように、篠宮は気を失い、ふわりとベッドに倒れこんだ。

――篠宮の意識が戻ったのは、それから三十分程経った頃だろうか……目を開けた彼女は、まるで冷凍庫に放り込まれたようにガタガタと震えだした。


「麻衣ちゃん、これ……」


 島崎がコーヒーを差し出した。

 先程聞いたところでは、彼は我々が来訪したことで篠宮の事が心配になり、徹夜で監視カメラの映像を見張っていたそうだが、ふと篠宮の事が心配になり彼女の部屋へ向かったそうだ。

 そして、この部屋の前まで来た時に悲鳴と私の叫び声を聞き、中に入ってきたそうだ。一連の事件が起きてからというもの、万一に備えて、合鍵は常に持ち歩くようにしているのだという。

 篠宮は島崎からコーヒーカップを受け取ったが、手が震え、右手のスプーンと左手のカップが、カチカチと音をたてていた。

 私が鳴海刑事や篠宮に説明を求めても、何も返ってこない。仕方ないので、私はこれまでの出来事を頭の中で整理しようとした。

 やはり一番気がかりなのは、予知夢についてだ。

 まだ起きていない現実を、あらかじめ夢で知ることが出来る……にわかには信じがたい話だが、篠宮の見たという予知夢の数々は、本物と言わざるを得ないだろう。その理由は、鳴海刑事にケガを負わせた凶器を言い当てたからだ。原理は不明にしろ、彼女の見る、そして主張する予知夢と言うものには、疑いの余地などないだろう。

 そして、もう一つ気がかりなことは、先程見た篠宮の姿だ。

 まるで別人のようになった彼女が、小鳥を殺しているように見えた。あの行動は、すべて篠宮のやったことかというと、そうではないと思う。

 彼女を介抱した直後に話を聞いたが、彼女は小鳥を殺した時の記憶はないといった。嘘をついている兆候も見られなかった。それに、あの怯えようは演技ではなく本物の様子である。

 そう言えば、島崎真由美は動物などが嫌いで、よく小動物を虐待していたと篠宮が言っていた。まさか、真由美の霊が篠宮に憑りついて小鳥を殺させたのだろうか?

 普通の警察官なら鼻で笑うようなことだが、この部署に持ち込まれる事件ではそういったことがよく起こる。非科学的であることは十分承知の上だが、こう考えるとすべてのことに納得がいく。やはり一連の事件が説明がつかないのは、科学や常識を超えた超自然的な何かがあるからなのだろうか?

 篠宮麻衣に島崎真由美の霊が憑りついている……常識的にはあり得ない話だが、決して否定は出来ない。おそらく、予知夢を見るというのも、そういったことが関係しているのだろう。そうでないと、ここまで数々の事象を当てられることに説明がつかない。

 しかし気を付けたいのは、すべての事件や現象を真由美の霊という存在の仕業にしてはいけないということだ。今までの行動を振り返ると、篠宮には一時的な記憶喪失や二重人格に陥っている可能性も否定できないし、亡くなった石川の存在や、彼を殺した上に我々に襲い掛かってきたレインコート人物の事もある。ここからは、より慎重に捜査を進める必要があるだろう。

 この事件は、まだまだ続く……誰かがその謎を解明して終止符を打たない限り……その役目は、我々が担っているのだ。

 その後、夜通しで見張りをするが、それ以上は何の異変もなく、我々は朝を迎えた。私は警護を鬼島警部と大倉刑事に引き継ぎ、鳴海刑事と共にアシュリンの元へ向かった。


                          ※


 しばらくアシュリンの研究室で待っていると、最新式の引き戸が開いて部屋の主が姿を見せる。


「待たせたな」


 某有名ステルスアクションゲームの主人公を彷彿ほうふつとさせるセリフを吐き、アシュリンは普段使っているイスに腰掛ける。


「それで、例のナイフの鑑定結果ですけど……何か出ましたか?」

「あぁ、まぁな……」


 アシュリンは幾分か歯切れの悪い返事を返し、私に一枚の紙を手渡してきた。

 それは血液の分析結果であり、結果は簡単に言うと、鳴海刑事の血液と、石川和夫のものと思われる血液が付着していたということだ。その検査結果を、鳴海刑事も横から見つめる。


「残念なことだが、これが例の人間解体事件やらで使われた凶器である可能性は極めて低いな」

「そうですか……」

「そうしょぼくれるな。こう言ってはなんだが、鳴海君が切り付けられたのは無駄ではなかった」

「え?」


 アシュリンはそう言うと、鑑定結果が書かれた紙を指差す。


「ここに書かれているように、あのナイフは、石川和夫の殺害に使われた凶器である可能性が極めて高い」

「あ、確かにっ!」

「だろ? つまり、君達に襲い掛かってきた人物は、イコール石川という人物を殺害した犯人である可能性が非常に高いということだ。充分な収穫だろう」


 私は最後に、霊が生きている人間に憑依することはあるかと尋ねた。


「……それは、君が懇意にしている自称魔女に聞いた方が良いだろうな」


 と、素っ気なく返されてしまった。

 私は仕方なくアシュリンに礼を言って、本部へ戻った。

 本部では、なぜか鬼島警部と大倉刑事の二人がいた。ワケを聞くと、篠宮はしばらく一人になりたいと言ってきたそうだ。最初は断ったが、彼女がどうしてもと言うので、仕方なく本部まで戻ってきたらしい。


「一応、何かあればすぐに自分達に連絡を入れてほしいと、念は押したがな」


 と、大倉刑事が私に念を押すように言ってきた。

 私が自分のデスクに戻ると、そこには一つの封筒が置かれていた。差出人の宛名や住所などは記載されていない。

 まさか、私の元にもストーカーが……やや不安な気持ちを押し殺し、封を切って中身を机の上にばらまく。

 それは、数々の写真だった……最初は何だかわからなかったが、一つ一つを手に取ってよく見てみると、それは私達が見たことがあるものだった。


「おい、これ……石川が殺害された時の現場写真じゃねぇかっ!」


 写真の一枚を手に取った鬼島警部が、そのような声を上げる。続いて写真を手に取った大倉刑事や鳴海刑事も、同様に驚いた表情を見せた。


「神牙っ! 貴様、このような重要な証拠品をどこから――」

「まぁまぁ、大倉さん。神牙さんがこのようなことをするのは初めてじゃありませんから」

「むぅ……くっ!」 


……なんだか納得いかないが、鳴海刑事の説得もあって、私に掴みかかろうとしてきた大倉刑事はそのまま写真を食い入るように見つめるが、やはり血液がダメなのか、すぐに写真を机に置いてそそくさと自分のデスクに戻ってしまった。

 私は、これらの資料を請求した覚えはない……だとすれば、おそらく『その者』の仕業か。考えてみれば、奴にはこの事件の事を一言も報告していなかった。奴が私に気を利かせたということだろうか?

 それはそうと、私は鳴海刑事と鬼島警部と共に写真を調べていく。そこには、あの日見た部屋の様子が、事細かに写されていた。あの時はあまり詳しく室内を観察することは出来なかったが、こうして写真として見てみると、一層その異様さが伝わってくる。

 壁一面に貼られた御札には、『悪霊退散』『退魔』といった文字が並んでいる。部屋の角には塩がうず高く盛られ、閉め切った窓のカーテンレールには十字架がぶら下がっていた。そして、それらの間を埋めるようにお経のような文字が乱雑に書き殴ってある。

 ハッキリ言って、霊的には何の効果もなく、それらの利用方法もバラバラだが、彼が霊的な存在から必死に逃げたかったのは、この写真を見て痛いほど良く分かる。


「ん? これは……?」


 そう言って、鳴海刑事が一枚の写真を手に取る。私も横から覗き見るが、そこには汚れた万年床の枕元の布団に直接『寝てはいけない』と書かれていた。

 寝てはいけない……石川もまた、篠宮と同じように夢の中で真由美に会っていたのだろうか?


『あんたには見えないのか、あの子の姿が……いや、あんたなら見えるだろ?』


 確か、石川がライブハウスで篠宮に絡んでいた時に、そんなことを言っていたはずだ。

 そして、『犯人はまだ見つからないの?』と篠宮の夢に出てくる真由美……まさか、真由美の霊は石川の夢の中にも出てきたのだろうか?

 確証はないが、そうでなければ彼がこの文字を書いた理由が分からない。

 ふと、二人を見てみると、疲れているのか、写真を片手にイスに座って眠ってしまっていた。だが、その額からは脂汗が出ている。


「ぎゃああぁぁあああっ!!」

「うわっ!? ゆ、夢っ!?」


 突然、二人は叫び声をあげてバッと顔を上げて目を覚ました。

 二人は汗をかいたまま互いに目を合わせると、鳴海刑事が口を開いた。


「……警部、どんな夢だったんですか?」

「いや、それが……血まみれの少女が出てきて――」

「まだ犯人は捕まらないの?」


 鳴海刑事がそう言うと、鬼島警部は目を見開いた。


「な、何で知ってんだよっ!?」

「僕も……同じ夢を見たんです……」


 鳴海刑事がそう言うと、二人の間に沈黙が流れる。その様子を、私と大倉刑事は黙って見守ることしか出来なかった。

 もし、二人が言っていることが本当ならば……夢が現実を浸食しているということになる。それは私にとって、一番危惧すべき事態だ。

 私は気持ちを奮い立たせ、書架に仕舞っておいた人間解体事件の捜査資料を持ってきて作業台の上に置き、メンバーにもう一度事件を一から調べ直そうと提案した。

 その後、メンバー全員ですべての資料に目を通すと、事件の検証に入ることにした。メンバー各自の視点で気になった点や確認すべきことなどを口にすれば、何か新しい発見があると思ったからだ。 


「それではまず、この六つのケースですが……本当に殺人事件でありましょうか?」

「あぁ、それは間違いないだろうな」

「では、すべての事件の犯人は同一人物だと思われますか?」

「えぇ、その通りだと思います」

「それでは、島崎真由美さんを殺害した犯人も、同一人物とみて間違いないでしょうか?」

「あぁ、間違いないな」


 鬼島警部の言葉に、大倉刑事は静かに頷いて続ける。


「しかし、調書には島崎真由美さん殺害は、他と大きく違う点があったと書かれているであります」


 私はその質問に、体の一部が切り取られていなかったことと、目撃者がいたことを話した。


「そうだな。犯人は殺害現場をさつきちゃんに目撃されていた……むぅ…しかし、なぜこの事件だけ犯人は真由美さんのその……体の一部を切り取っていかなかったのだ?」

「犯行を途中で目撃されたからではないでしょうか?」

「目撃された……つまり犯人は、さつきちゃんに犯行を目撃されたことに気付いて、遺体を解体するどころではなくなったということですか?」

「ええ、おそらく」

「ですが、それはおかしいであります。普通なら、顔を見られたかもしれないと思って、さつきちゃんを殺害するはずでありますが……」

「なんで犯人は彼女を殺さなかったのか……そう言いたいんだな?」


 まさに言わんとしていたことを鬼島警部に代弁されると、大倉刑事は大きく頷く。

 そこで、私はふと思い出した。あの時、この場所にもう一人いた存在を。


「あの……篠宮さんが見た女性はどうなったんでしょう?」


 私が口を開こうとしたその時、鳴海刑事がポツリと口を開く。


「あ、そういえば、そんなこと言ってたな」

「ええ。でも、この調書には一言も書かれていません」

「忘れていた、いや、確かさつきちゃんは、事件の事を思い出した時にそのようなことを我々に言っていましたな」

「ええ。『犯人が近づいてきたけど、女性に体当たりされて犯人は崖から落ちた。その女性と何か話したと思うけどよく思い出せない』と……」

「なるほどな。それが、彼女が事件を目撃したにも関わらず生き残った理由、か。だとしたら、その女性は今どこで何をしてるんだ?」


 私は、鬼島警部の言葉に頭をフル回転させる。

 犯人に口封じのために殺されそうになった篠宮を、身を挺して守った女性……いったい、彼女は何者なのだろうか?

 現時点では、彼女が何者でどうして犯人を突き飛ばしたのか、その理由は分からない……が、彼女の存在は事件解決のカギになる。私はその考えを皆に伝えた。


「確かにな。調べてみるか」

「では石川和夫殺害事件についてでありますが……」

「あれも他殺だろうな」

「自分も同じ意見であります。では、この事件は人間解体事件の犯人がやったものでありましょうか?」

「僕はそうだと思います。殺害の手口や両目を切り取って持ち去る点から考えて、同一犯の可能性が高いと思います。人間解体事件とは違う凶器が使われていましたが、殺害したのはその事件の同一犯でしょう」

「なるほど。では、アシュリン先生の病院からの帰り道、自分達に襲い掛かってきた人物についてはどうお考えでありますか?」

「あれは、石川さんを殺害した犯人でしょう」

「つまり、犯人は石川さんを殺害した後になんらかの事情があって我々の事を知ったと」

「ええ。急所を狙ってこなかったというのと、現場に警告の手紙を残していったことから、おそらくこれ以上事件に関わるなと警告したかったのでしょう。使われていた凶器からは、石川さんの血液も検出されましたしね」


 その時の状況を思い出したのか、大倉刑事は唇を真一文字にギュッと結ぶ。


「……ということは、あの襲撃犯はさつきちゃんのストーカー事件に関係があるのでありましょうか?」

「あると思うぜ。『これ以上、しのみやまいに近づくな』なんてメッセージを残していくくらいだからな」


 私は鬼島警部の話を聞いて、一度頭の中を整理した。

 これまでの捜査を振り返ると、ストーカーはかなりの確率で石川だった可能性が高い。目的は一つ、篠宮に人間解体事件の記憶を取り戻させるためだ。だが、時間が経つにつれて明らかになった、第二のストーカーの存在……容疑がかかっていた石川が死んだ後に事件が起こったことからも、その存在は肯定すべきだろう。

 荒らされた部屋と、花瓶から出てきた石川の両目、ベッドの下に潜んでいたという人物、小鳥の死骸……それらは、明らかに石川以外の人物による犯行であり、今のところ、それを実行したのは石川を殺害したであろう犯人の可能性が高い。ただ、その者の動機は不明である。

 だが、今まで検討してきたことで、私には一つ、確信がある。それは、殺人犯は篠宮の身近にいるということだ。私がその考えを示すと、大倉刑事が思い出すように呟く。


「自分が知っている人間となると、父親の篠宮哲二さん、真由美ちゃんの父親の島崎邦夫さん、空手をやっているお友達ぐらいだな」


 まぁ、空手をやっている友人は除外するとして、確かに何日間も張り付いていても、それ以外に篠宮と接点がある人物を、我々は知らない。


「だとしたら、犯人は二人のうちどちらかということですか?」

「いや、その点に関しては、限定は避けた方が良いな。もう少し、慎重に検討した方がいい」

「そうでありますな。あ、それに、犯人にはもう一つ特徴があるであります」

「左利き、ということですね?」

「はっ、そうであります」


 篠宮の身近にいる人間で左利きの人物……父親の哲二は、以前に高級腕時計をはめていた手は右手だった。あえて別の腕にはめることも出来るだろうが、疑われているのを知らない以上、そのようなことをする必要はないだろう。

 島崎邦夫は、猫の死骸の騒動があった時、部屋のドアを左手で掃除していた。血が固まっているせいで汚れが落ちにくかったようだし、それを考えると普通は利き腕で掃除するだろう。

 被害者である篠宮は右利きだし、亡くなった真由美は左利き……これだけしか情報がないのが歯がゆいが、とにかく一度、情報を整理しよう。そう思って、私は今考えたことを皆に話す。


「まぁ、神牙さんのおっしゃることも分かりますが、これで犯人を絞り込むのは――」


 私は鳴海刑事の言葉を遮るように、あくまで参考として、と付け加えた。


「そうだな。やっぱ、これだけじゃ決定打に欠けるしよ」


 そこまで話したところで議論は終わり、室内に静寂が訪れる。今整理できることはこれまでだ。

 犯人に繋がる決定的な証拠は見つからない。以前にこの事件を追っていた刑事達も同じような徒労に襲われたのだろうか?

 このままここにいても仕方ないので、我々は鬼島警部を残して篠宮のマンションへ向かうことにした。

 マンションに着き、篠宮の部屋のインターフォンを鳴らすが、中から応答はない。鳴海刑事が何度かインターフォンを鳴らしても出てこないので、仕方なく彼はドアノブに手をかけた。


「あれ?」


 ドアノブは周り、いとも簡単にドアが開いた……まだストーカーに狙われているというのに、あまりにも不用心すぎる。私はそこで最悪の事態を想定し、大倉刑事の声をかけて彼を先頭に部屋の中に入っていった。

 部屋の中は電気が付いており、廊下に隣接する部屋に注意を払いながらリビングにたどり着くと、その片隅に篠宮が座り込んでいた。彼女は、かなり憔悴している状態だった。


「し、篠宮さん? まさか、あれから寝てないなんてことないよね?」


 鳴海刑事が思わずそう声をかけるが、彼女はその質問に答えようとせず、ただ落ち窪んだ目でぼんやりと虚空を眺めている。


「あの……さつきちゃん、とても見てられないであります。自分達がいるので、少し横になった方が……」

「嫌よ……寝なければ、夢を見なくて済むもの……」


 心配する我々をよそに、篠宮はハッキリとした意思表示をしてくる。

 だが、その後の大倉刑事の説得もあって、彼女は渋々、寝室に足を運んでいった。


「ふぅ……」


 私の横で、鳴海刑事が小さくため息を吐く。実際、私も彼がいなければ同じことをしていただろう。

 こうして部屋のソファに座っていると、昨夜の悪夢のような光景が脳裏を過ぎる……月光に照らされた篠宮の姿、魂の抜け殻のような虚ろな目、右手に小鳥をくるみ、左手をその首にかけ、その首をへし折る音……あれは、本当に篠宮だったのだろうか?

 あの小鳥……調べてみて分かったが、行方不明になっていた近所のペットだそうだ。

 ストーカーが彼女に催眠術でもかけて、あのようなことをやらせたとも考えられるが、扉には鍵がかかっていたし、細工をしたような形跡もなかった。何かしらのトリックでもあるのだろうか?

 その時、私はあることに気づいた。利き手だ。

 篠宮の利き手は右手……しかしあの時、小鳥を殺したのは左手だった。ということは、あの小鳥を殺したのは真由美?

 こうなってくると、『真由美の霊が篠宮に憑りついた』という考えが現実味を帯びてくる。だが、少し落ち着いて、彼女達の関係性を整理しよう。

 彼女達は家が近く、学校も一緒だったことから親友になった。それが十年前、近所の裏山で遊んでいた時に真由美が殺害され、篠宮はその現場を見た。

 そして、これまで遺体の一部を切り取るという、決まったサインを残していた犯人が、真由美に限ってはそれをしなかった。その理由は、犯人が篠宮に犯行を見られたことに気付いたからだ。

 そこで、私はもう一つ気になることを思い出した。あの現場にいたと篠宮が証言した、女性の存在だ。

 篠宮によれば、犯人はこちらに近づいてきたが、女性がその犯人ともみ合った末、犯人は崖から落ち、その女性の行方も分からないという。だが、捜査資料には女性の記述は一切なかった。

 そして、当時の篠宮はといえば、極度の精神的ショックにより、呆然自失のまま座り込んでいるところを発見された。第一発見者の供述にも、女性の存在は書かれていない。

 その後、篠宮は病院に運ばれ、後日事件の事を尋ねられるが、その記憶は曖昧なものだった。犯人の顔どころか、本人は何も覚えていなかったらしい。この辺りの記述が少ないのは、父親の哲二が圧力をかけ、詳細な尋問が行えなかったからだろう。

 そうして、周囲の人々も事件について触れないように配慮を行き渡らせると、篠宮は再び日常生活に戻ることを許された。その後の彼女の活躍は、大倉刑事の方が詳しいだろう。

 では、篠宮は真由美のことをすっかり忘れてしまったのだろうか?

 そうだと思う。この事件が起きるまでは。ということは、石川の一連のストーカー事件は一定の効果があったということになる。

 では、それを踏まえて、これまでの篠宮の一連の行動はどうだろうか?

 小鳥を殺したことといい、篠宮は時折、真由美に身も心も操られているような行動をしている。私の推測だが、そこには篠宮の意志は残されていないだろう。残されていないからこそ、篠宮は自分がしてしまった行いを自覚していない。

 そもそも、彼女の部屋に飾ってあった動物の写真や、彼女自身が言っていたペットを飼いたいという証言から、篠宮はかなりの動物好きのはずだ。あんなむごい行いをするのに、篠宮の意志が働いているとは思えない。

 むしろ、働いているとしたら、真由美の方だろう。子供の頃の彼女は、篠宮とは対照的に動物が嫌いで、小動物を虐めることすらあったと篠宮が言っていた。篠宮があそこまで衰弱してしまったのは、動物を殺してしまったという自責の念も関係していると思う。

 また、石川も、これまでの状況証拠から考えて、真由美に何らかの精神的な影響を受けていた可能性が高い。彼の部屋の様子が、なによりもそのことを物語っている。

 彼の寝ていたはずの枕元に書かれていた『ねむってはいけない』という文字……石川を殺害したのは、我々を襲撃した犯人かもしれないが、それ以前に石川を夢の中で苦しめていたのは、真由美だった可能性がある。

 その可能性としては挙げられるのは、やはり人間解体事件の解決であろうが、それならば石川に事件解決のヒントになるようなものを夢の中で示すのではないだろうか?

 どちらかというと、彼は真由美という霊的な存在に極度に悩まされ、疲弊していたように見える。

 とにかく、真由美の霊が本当にいたとして、それが篠宮に憑りついているとしたら、その目的は人間解体事件の犯人への復讐だろう。

 彼女が、いつから篠宮の中にいたかは定かではない。それこそ、虎視眈々とチャンスを狙っていたのかもしれないし、一連のストーカー事件が発端となって篠宮の中に現れたのかもしれない。

 あるいは、霊の仕業ではなく、ストーカー事件をきっかけに篠宮が二重人格障害に陥っている可能性もある。

 いずれにせよ、今の篠宮の心の中には、篠宮麻衣と島崎真由美の両方がおり、時と状況によってどちらかが表に浮かび上がってくるのかもしれない。

 だとしたら今、寝室の中にいるのは篠宮麻衣なのか、それとも島崎真由美なのか?

 私はソファから立ち上がって寝室の扉の前に立つと、ノックをした……が、いくら呼びかけても返事はない。もう寝てしまったのだろうか?

 一応、断りを入れて扉を開け、中に入る。


「うぅ……ひっく……」


 篠宮は、ベッドの上で膝を抱えて泣いていた。私が近づくと、彼女は私が着ているジャケットの端をギュッと握る。


「真由美は……きっと、苦しんでるのよ。殺されて悔しい、悔しいって……」


 篠宮が静かな声で、ポツリと話す。


「あたし……今でも殺された真由美の顔をハッキリと覚えてるわ。あの子が殺されるところを見て座り込むあたしに向かって、島崎さんが優しく抱きしめてくれて『忘れなさい』って言ってくれたのに……でも、忘れられなかった。忘れることなんてできないわ。真由美、本当に苦しそうだったもの。何度も刺されて……」


 今にも泣きそうになるかと思ったが、その時、篠宮はハッキリとした口調で言った。


「お願い、神牙さん……無茶なお願いかもしれないけど、あの子を救ってあげて」


……私はその言葉に、力強く頷いて寝室を後にした。果たして自分に出来るかどうかは分からないが、出来ることは何でもやるつもりだ。

 気合を入れ直してソファに座り、鳴海刑事が寝ていることに気づいたその時……私の中で、彼女が言っていた言葉が引っ掛かった。

 だが……そんなことがあり得るのだろうか?

 そのように疑問に思っても、私の頭の中で導き出されるその仮定が正しければ、ごく一部を除いてこの事件の全容が明らかになってしまう。

 私は寝室で寝ていた大倉刑事を叩き起こして篠宮の警護を頼むと言って、鳴海刑事を連れてオモイカネ機関本部に戻っていった。

――結局、本部で朝を迎えてしまった。

 あの後、私は鳴海刑事と共にもう一度人間解体事件について調べ直していた。


「おはようございます!」


 はつらつとした大声と共に、大倉刑事が姿を見せた。


「ついさっき、篠宮哲二さんから自分の携帯に連絡が入ったであります! 今日は、さつきちゃんと共に真由美さんのお墓参りに行くそうです。いやぁ、良かったですなぁ! なんでも、墓参りには島崎さんもご同行するとか」

「へぇ、そうですか」


 真由美に憑依された篠宮が、真由美の墓に墓参り……妙なことだが、哲二は憑依のことを知らないのだ。おそらく、これを機に娘との仲を修復しようという腹積もりだろう。


「ところで、先輩や神牙は何を調べているのですか?」

「それが、僕も分からないんです。神牙さんに言われるままに……」


 昨日、篠宮と話した中で、どうしても引っ掛かる箇所があった。どう考えてもありえないことを、篠宮は口にしたのだ。

 そして、それを手掛かりに私が行きついた結論は、にわかには信じがたいことだった。そこで、その考えが本当に正しいかどうか、よく検討するために、私は人間解体事件のファイルをもう一度読み直していたのだ。


「ほう……そ、それで、その話とは、いったい何なのだ? もったいぶらずに、早く教えろっ!」


 そう息巻く大倉刑事と鳴海刑事に対して、私は自説を述べた。

 まず、我々に襲い掛かってきた黒いレインコートの人物の正体は、島崎邦夫だ。いくつかのストーカー事件については石川の犯行だろうが、このマンションで起きたことならば、島崎ならすべてのストーキング行為が可能だろう。

 脅迫状を人知れず郵便受けに入れたり、盗聴器を仕掛けたり、扉に血文字を書いたり……猫の死骸を置いたりするのも何もかも、島崎ならば可能だ。

 そして、我々がレインコートの人物に襲われた後にマンションに向かうと、島崎はいかにも風呂上りといった様子で我々の前に姿を現したが、あれは、我々を襲撃した際に雨に濡れた体をごまかすための偽装工作ではなかったのだろうか?

 また、彼はあの時に左腕に包帯を巻いていた。

 私や大倉刑事と格闘した影響で、犯人は切り傷や打撲傷を負っているはず……彼の左腕の包帯は、その傷を治療するためだったとも考えられる。

 島崎ならば、石川亡き後に篠宮の部屋に忍び込んで部屋を荒らしたり、石川の両目をメッセージを書いた花瓶の中に置いたり、こっそりベッドの下に小鳥の死骸を置いたりすることも可能だ。マンションの管理人として合鍵も持っているのだから、簡単に複製できない鍵の付いた扉を突破することは容易である。

 そして、島崎真由美を殺害した張本人も、父親の島崎邦夫だ。娘を失った父親ということで、今までは完全にノーマークだったが、こう考えると、多くの出来事の辻褄つじつまがあう。

 なぜ、実の娘を殺したのかというと、その理由は真由美の遺体が発見された場所にある。

 彼女の遺体は、篠山の言うところの裏山の展望台にあった。そこでは、人間解体事件の五人目の被害者である四十代サラリーマンの遺体もあったと、捜査資料には書かれていた。

 おそらく、島崎がサラリーマンを殺害した際、真由美にその犯行を見られたのだろう。犯行直後で興奮していた島崎は、そのまま事件の目撃者である娘を手にかけた。遺体を損壊しなかったのは、単にその犯行が事件の目撃者の口封じであり、その犯行さえも、篠宮に目撃されたからだ。

 島崎真由美は、実の父親に殺されたのだ。

 そして、昨夜に篠宮から聞いた話……犯行を目撃して座り込む自分に対して、優しく抱きしめて『忘れなさい』と言った島崎……これは、警察の捜査資料と決定的に矛盾している。

 事件当日、島崎はマンション管理の雑用をしていたはずだ。彼が篠宮とその日に会ったのは、資料によれば病院が初めてのはず……これが、私が島崎が一連の犯人であると考える、最大の根拠だ。

 だが、これだと、島崎は篠宮の方は殺そうとせずに犯行を忘れるように諭すだけで、危害を加えようとはしなかったということになる。

 その理由は不明だが、篠宮の証言が正しければ、島崎はこの後すぐに、現場にいた女性に崖から突き落とされたことになる。

……篠宮の証言を全面的に信じたいが、この部分の証言を信じるのは非常に危険な賭けでもある。もしかしたら、島崎が篠宮に『忘れなさい』と言ったのは運び込まれた病院のベッドの上だったかもしれない。なんせ、ショックで記憶喪失になるくらいだ。その辺りの記憶が曖昧になってもおかしくない。

 ひとまず、この部分は置いておくとして、これまでの推理で導き出した結論は、篠宮には亡くなった島崎真由美の霊が憑りついているというものだ。残念ながら、その根拠は利き腕の違いくらいしかないが……。

 私がそのことを話すと、鳴海刑事は静かに頷くが、大倉刑事は信じられないといった表情を見せた。


「あ、あの島崎さんが、殺人鬼だと?」


 彼が驚くのも無理はない。だが、シリアルキラーというのはそういうものだ。内側の狂気を強固な仮面で隠し、何事もなく日常生活を送る。が、突如として、衝動の赴くままに猟奇殺人を繰り返す。


「話は聞いたぜっ!!」

「うわっ! け、警部殿、いきなり――」

「いいから、さっさと車に乗るぞ! 今の島崎にとって一番邪魔なのは、篠宮麻衣だっ!」

「確かに……急ぎましょう!」


 そして、我々は大倉刑事の車に全力疾走した。


                          ※


 我々を乗せた車が道路を高速で走るなか、鳴海刑事が篠宮宅にいくら電話をかけても、繋がらないらしい。大倉刑事の話によれば、この時刻はちょうど篠宮が実家に帰っている時刻だ。

 しばらくすると、車は閑静な住宅街を走っていた。


「あそこに見えるのが、篠宮さんの家であります!」


 大倉刑事が前方を示して叫ぶ。その先には、立派な屋敷があった。


「あ、さつきちゃんですっ!」


 車は屋敷から三百メートルほど離れているが、その屋敷に入っていく篠宮麻衣の姿がぼんやりと見えた。だが、その姿に続いてもう一つ……人影が見えた。黒いレインコート……私の頭の中で、あの人影が島崎邦夫とリンクした。


「うわっ!!」


 大倉刑事がそう叫んだ途端、車は勢いよくスリップした。

 四人が車内で七転八倒した後に、気づいたら車は電柱を通り過ぎて道端で急停車していた。


「どうしたんだ、大倉っ!?」

「お、女の子が見えたでありますっ!!」


 彼の言葉に反応し、しきりに車の周囲を見渡すが、女の子の姿どころか、人影さえ見えない。


「誰もいませんよっ!?」

「そ、そんな、確かに――」

「いいから車を出せっ!!」

「お、押忍!」


 大倉刑事が再び車を走らせようとしたその時、


『……邪魔しちゃ、ダメだよ……』


 後方から、かすかに女の子の声が聞こえたような気がした。


「えっ?」


 大倉刑事は何度も車のキーを回すが、軽い音を放つだけで、一向にエンジンはかかろうとしない。


「何やってんだ、走るぞっ!」


 そう言って鬼島警部がドアに手を掛けるのを見て、我々もドアに手を掛けるが、まったく開く気配がしない。鍵はかかっていないにも関わらず、である。

 そして、鳴海刑事がダッシュボードを開けて非常用のスパナを手にした時――。


 『邪魔するなら……殺シテヤル……』


 それは、本当にかすかな囁き声だった。続いて、目の前の電柱がグラグラと揺れ始める――私は咄嗟に『力』を解放し、後部座席のドアを蹴破ると鬼島警部を車内から引っ張り出した。

 次に鳴海刑事を引っ張り出そうとするが、その時には大倉刑事が彼を掴んで私が蹴破ったドアから外に連れ出していた。

 そして――電柱は幾多もの送電線を引きちぎって我々が乗っていた車の上に倒れた。


「大丈夫でありますかっ!?」


 大倉刑事の言葉に、鳴海刑事と鬼島警部が返答するが、うまく呼吸できないようだ。

 私は大倉刑事に声をかけ、篠宮宅へ全力疾走した。


「おう!」


 その後、大倉刑事と鳴海刑事、鬼島警部が付いてくる。

 開きっぱなしになっている玄関から屋敷の中に入り、懸命に篠宮麻衣と篠宮哲二の名を叫ぶが、家の中はしんと静まり返っていた。

 そのまま、我々は靴も脱がずに上がり込み、長く続く廊下を進むと……。


「うわぁっ!!」

「どうしましたっ!?」

「なんだっ!?」


 大倉刑事の悲鳴につられるようにして、二人もその光景を目撃する。


「そ、そんな……」


 我々が目にしたのは、屋敷の大広間に横たわる、全身に鮮血をまとった篠宮哲二の姿だった。その顔の半分が血だらけ……いや、皮が剥ぎ取られていた。

 鳴海刑事と鬼島警部が近づいて容態を確かめるが、やがて静かに首を振った。


「くるなぁぁぁっ!!」


 直後、奥から叫び声が聞こえ、私は弾かれたように家の中を疾走した。

 大倉刑事に応援を頼み、私と鳴海刑事、鬼島警部はそのまま家の中を進むと、突き当りの居間にたどり着き、そこでは黒いレインコートの男と篠宮麻衣、そして……もう一人、見慣れた姿があった。


「あら、どうして? 久しぶりの再会じゃない」


 男と対峙しているその人物は、この状況を楽しんでいるのか、その口元には笑みが浮かんでいる。

 篠宮は、その二人の狭間でこれまた笑みを浮かべていた。


「だ、誰なんだ、お前はっ!?」


 マスクで顔を隠してはいるが、レインコートに包まれた頭部から聞こえてきたのは、紛れもなく島崎の声だった。


「あら、分からないの? 残念ね……」


 そう言って、その人物はゆっくりと島崎に迫っていく。


「飯島佳代子っ!」

「……あら?」


 鳴海刑事の声に気付いて、男と対峙する人物――飯島佳代子は全身を血に染めた状態でこちらに目を向けた。が、その意識はあくまでも島崎に向いているようだ。


「あらあら、お久しぶりね、神牙さん。でも――」

『邪魔しちゃダメよ?』


 その言葉は、飯島と篠宮の両方から発せられた。途端に、私の身体は金縛りにあったかのように動かなくなる。鳴海刑事と鬼島警部も同様だ。


「お、お前は――」

「ふふ、ねぇ、覚えてない? あなたが五人目を殺した時、あなたの娘と麻衣ちゃん……そしてもう一人、女の子がいたでしょ?」

「ま、まさかっ!?」


 マスクから覗く表情から、極度の恐怖が顔に張り付いていることが窺える。


「今さら、父の仇なんて言うつもりはないけど……」


 その時、飯島佳代子はその凄絶な笑みを見せた。


「人生を狂わされた仕返しは……たっぷりしなくちゃねっ!」


 途端に、飯島は一瞬で島崎との距離を詰めると、その胸や腹部に何度もナイフを突き立てる。あまりの出来事に、島崎は刺されたことに声を上げることもなく、呆然としている状態だった。

 そのクリーム色のカーディガンや白のロングスカートはすでに血にまみれていたが、まだ汚れていない場所が島崎の血によって染められていく……顔にまでかかる鮮血を気にも留めず、飯島はナイフを振るう手を止めなかった。その様子を、篠宮は先程と変わらぬ笑みを浮かべて見つめている。

 そして、島崎は一言も発することなく、ガクリと膝を落とした。


「ふぅ……分かってはいたけど、気持ちが良いものではないわね」

「ありがとう、復讐してくれて」

「いいのよ。私のためでもあったし……それに、麻衣ちゃんには助けられたしね」

「ホント?」


 篠宮が、あるいは真由美が、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。


「ええ。それに、今は大切な人がいるもの」

「ふ~ん……」


 真由美と思われる声色で篠宮がそう言うと、彼女はその場でガクリと膝から崩れ落ちた。すると、体の自由が元に戻る。


「じゃ、私もここで失礼するわ」


 そう言って、私の制止の聞くこともなく、飯島佳代子は窓から飛び去っていった。私が窓から顔を出した時には、その姿はどこにもなかった。

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