予知夢 ~狂気殺人~
西日に照らされていると、古びたアパートがよりみすぼらしく見える。遠くでカラスが不気味な鳴き声を上げていると、余計にそう感じる。
ノスタルジーさえ感じるような、古ぼけたアパート……突き当りの部屋はしんと静まり返り、人の気配も感じられない。
風雨に晒されてボロボロになった木製の郵便受けには、相変わらず溢れんばかりの郵便物。いや、むしろ前よりも増えている。こぼれ落ちた郵便物の一部が踏みにじられ、土にまみれている。
「これ、なんでしょう?」
鳴海刑事がそう言うので、彼が目を向ける先に私も視線を合わせると、そこには風化した表札があった。かすれた文字で『石川』と書かれた横に、何やら記号のようなマークが書かれている。状態からして、最近になって書かれたもののようだ。
「どれどれ……」
大倉刑事も、体をかがめて覗き込む。
「あぁ、表札には、新聞屋や営業マンが付けていく、秘密の目印があると聞いたことがあります。それがこれかもしれませんな」
「あ、そう言えばそんな話もありましたね」
「どうでもいいだろ、さっさと行くぞ」
そう言うと、鬼島警部は玄関の扉をノックした。しばらく待っても返事はなく、彼女は強めに連打した。
私は床に落ちている催促状に目を向け、居留守かもしれないと彼女に伝えた。
「かもな、ん?」
その時、鬼島警部は扉の隙間に顔を近づけた。
「押忍! ここは自分が――」
その後ろで、大倉刑事は自信ありげに鼻を鳴らすと――。
「大倉、待て!」
鬼島警部の制止もむなしく、大倉刑事は扉を蹴破った。扉からガラス破片が周囲に散らばり、枠だけがむなしく元の位置にはまっている。その勢いのまま、大倉刑事はたたらを踏み、床に手をついてなんとか体勢を保つことに成功した。
「あ、危なかったであります……」
我々も後を追って室内に入ると、まだ日はあるというのに異様に暗い室内で、額に浮かんだ脂汗を拭った大倉刑事がこちらに顔を向けた。
「お、大倉さん、大丈夫ですかっ!?」
鳴海刑事が驚愕の表情で、大倉刑事に声をかける。
「はっはっはっ! 先輩は心配性でありますなぁ! そんな真っ青な顔をせずとも大丈夫でありますっ! 自分は頑丈なのが取り柄でありますよ?」
「違いますよ、大倉さんっ! 手に血が付いてるんですっ!」
「はっはっはっ――はぁっ!!?」
素っ頓狂な声を上げ、大倉刑事が自分の手を見る。
「ち、血でありますか? 血でありますかっ!? じ、自分、自分の手にっ!?」
大倉刑事は自分の手に付いた血を見るなり、顔面蒼白になりながら取り乱している……私はその横を通り抜け、奥の部屋に倒れている石川の遺体に目を向けた。
「……見つけたな」
実に悔しそうな鬼島警部の声が、私の後ろから聞こえてくる。
電灯を点けようとしたが、なぜか点かないので、私はあらかじめ持ってきていた軍用の懐中電灯で、石川の遺体を照らした。
鋭利な刃物でメッタ刺しにされたと思われる全身の傷……そこから溢れ出てきた血に隠れるようにして、彼の顔面――両目がある部分からは大量に出血していた。
よく観察すると、彼の両目は荒々しく切り取られていた。傷の状態は血にまみれてハッキリとは分からなかったが、途中までは刃物で切って、最後は無理やり引きちぎったように見える。
「死亡推定日時はおそらく、昨夜から今日……ですかね?」
「ああ、たぶんな」
鬼島警部はそのように答えると、携帯で本庁と所轄に連絡を入れた。
私は、捜査員達がなだれ込んでくる前に、二人にこの部屋を物色するように命じた。
「だとしたら、この部屋自体を調べねぇとな」
鬼島警部の言葉はもっともだった。この部屋に入ってきた時は気に留める余裕はなかったが、この部屋は明らかに異常である。
窓一面にはダンボールが張られ、隙間がないようにガムテープでとめられている。何より異常なのは、壁中に所狭しと貼ってある御札のようなものだ。『悪霊退散』や『退魔』などと墨で書かれたそれらの御札は、それほど古くはない。おそらく、最近貼られたものだろうが、私が感知する限りでは、それらの御札にはなんの霊的な力はなかった。大倉刑事が壊した扉の内側にも、ビッシリと同様の御札が貼ってある。
少なくとも、この部屋の住人がなんらかの霊的な存在に怯え、ソレから逃れようとしたのは想像に難くない。
我々がそのまま捜索を続けていると、部屋の一角にうず高く積まれた新聞紙の山の中に、一冊のノートを発見した。
私は白手袋をはめ、ノートを手に取って中身を見てみる。
そこには、『人間解体事件』の詳細な捜査記録が書き込まれていた。当時の新聞や雑誌の切り抜きが貼られ、同時に付近で多発していた小動物の殺害を知らせる事件の記事も貼られていた。私の記憶では、確かにそのような事件もあったと記憶している。だが、人間解体事件の方が世間への影響が大きかったためか、あまり目立つような報道はされていなかった。石川は、この事件も人間解体事件と関係がある思っていたのだろうか?
しばらくページを進めていくと、手製の地図が書かれていた。その住所やマンション名には覚えがある。
「麻衣ちゃんが暮らしているマンションだな」
いつの間にか、ノートを覗き込んでいた鬼島警部がそう呟く。
彼女の言う通り、このノートには篠宮が現在住んでいるマンションの住所や、エントランスの略図なども書かれている。
そのほかにも、彼女の行動の内容が日付や時刻と共にビッシリと書き込まれていた。
「どうやら、これは篠宮さんの行動記録のようですね」
「これで、さつきちゃんを付け狙っていたストーカーの正体が分かりましたな……」
メンバーが一様に納得すると、遠くの方でパトカーのサイレンが聞こえた。私はそのノートを元の位置に戻し、大倉刑事が誘導のためにサッと駆け出していく。
※
駆け付けた所轄に遺体を発見した状況を説明し、我々が解放されたのは夜になってからだった。その足で、我々は篠宮の元を訪れた。
「それで、今日はどうしたの?」
今日は何事もなかったようで、彼女は元気な様子で我々に応対してくれた。
なんとなく床に座ったり壁際に立つ我々に対して、篠宮はそのように質問してくる。
「この前、あんたにしつこくつきまとっていた客がいたろ? そいつが死んだんだ」
鬼島警部が簡潔に伝えると、篠宮は途端に驚愕の表情を浮かべた。
「そんな……」
「驚くのも当然であります。自分などはその死体と対面し――」
「詳細は明かせないけど、間違いなく他殺だったよ」
その後、鳴海刑事が柔らかな口調で石川の部屋について話すと、篠宮はやっとの思いで口を開く。
「他殺……それで、犯人は捕まったの?」
「まだであります。ですが、これでさつきちゃんに付きまとうストーカーはいなくなったということであります」
大倉刑事が力づけるようにそう言うと、その言葉に安心したように篠宮がゆっくりと微笑んだ。
「そう……色々とありがとう。助かったわ」
「なぁに、これくらいお安い御用であります、はっはっはっ!」
その後、我々は篠宮の部屋を後にし、帰路についた。
※
翌日、私はオモイカネ機関の本部にて、今回の事件を少し整理していた。
まず、篠宮の話によれば、最初の兆候は数か月前から。最初は誰かに見られている気がしていたのだが、数日後から奇妙な人影に後をつけられるようになった。そして、届けられる不審な手紙。玄関のドアに血らしきもので書かれた脅迫文。猫の死骸。仕掛けられていた盗聴器……これら一連の犯行が、すべて石川がやったこととは、現時点では判別できない。
では、彼以外にもストーカーがいたのだろうか?
それを断定できる証拠や情報はないが、この一連の事件に関与している者がいるから、今の状態になってしまったのだろう。
いずれにせよ、一部の犯行は石川がやったものだと仮定して、彼はかつて篠宮にライブハウスの客を装ってしきりにこう言っていたはずだ。
『子供の頃の話を聞かせろ』
『一番悲しかった出来事を教えろ』
公的な捜査記録上において、事件の唯一の目撃者である篠宮が記憶を取り戻すことが、かつて『人間解体事件』の捜査員の一人だった石川にとって、事件の解決につながることだ。
少なくとも、石川はそう考えていたからこそ、篠宮につきまとっていたのだろう。では、改めて考えるっが、これまで起こったすべてのストーカー事件は、すべて石川の犯行だったのだろうか?
そう問われると、違うと思う。篠宮に付きまとっていたのは事実なのだから、こっそり物陰から見ていたのや、あとをつけていたのは、石川だったのかもしれない。
しかし、だからといって、すべてやっていたとは限らないのだ。血文字や猫、盗聴器や手紙に関しては、石川の犯行だという証拠はないし、マンションのセキュリティからして無理があるように思える。それに、犯人が彼だとすると、おかしなケースがある。
『目を閉じ、耳を塞げ』
『過去の亡霊を目覚めさせるな』
『いつもお前を見張っている』
『夢と違うことをするな』
扉に血らしきもので書かれたこれらの文章は、どちらかというと篠宮に何かを思い出してほしくないという気持ちの表れではないだろうか?
彼女の記憶を取り戻させようとしていたであろう石川の考えとは、どうもそぐわない。ストーカーの行為は、見通しているかのような脅迫状を送ったり、血文字を書いたり、猫の死骸を置いたりと、どれも篠宮に極度の精神的ショックを与えるものばかりだ。
ショックで記憶を取り戻させるという荒療治も考えられなくもないが、この血文字の内容に関しては、記憶を封じ込めたいがためのプレッシャーだと考える方が筋が通る。
それともう一つ、石川の目的についてだが、彼女は単に篠宮に執着していたわけではない。彼はおそらく、人間解体事件の犯人を見つけようとしていたのだ。彼の部屋にあった、あのノート……あれが何よりの証拠だろう。
つまり、現時点で彼を殺した可能性が一番高い人物は、人間解体事件の犯人ということになる。殺害方法も類似していた。犯人がどこで石川の存在を知ったのかは定かではないが、もし、石川が事件に関するなんらかの手掛かりを掴んでいたとしたら、殺されたのも頷ける。もっとも、今はすべて憶測でしかなく、これまでの情報ではこれ以上の推理は不可能だ。
だが、一つだけ、私の中でしこりのような違和感を放つ出来事がある。石川の遺体から持ち去られた、両目……もし、石川を殺害した犯人が人間解体事件の犯人なら、かつての犯行の手口と一致する。だが、その傷口は少し荒々しかった。急いで切り取ったように思える。
殺害方法や何らかの儀式的行為に執着するシリアルキラーが、そのようなことをするだろうか?
なんにせよ、人間解体事件や石川和夫殺害の事件は依然として未解決だが、篠宮麻衣に対するストーカー事件は一応の解決をしたと思う。我々としては胸のすく思いだ。
その時、この本部に備え付けられた黒電話が鳴った。相変わらず、このけたたましい音には慣れない。ちょうど近くにいた鬼島警部が、だるそうに受話器を取る。
「はい?……おぉ、麻衣ちゃんか? どうした?」
電話の相手は、篠宮麻衣のようだ。しばらく鬼島警部は彼女と会話をしていたようだが、その顔はみるみるうちに険しくなっていく。
やがて鬼島警部は受話器を元に戻し、我々に向かって言い放った。
「またストーカーが出たらしい」
「なんですとっ!?」
我々は一斉に、本部から飛び出していった。
※
篠宮は自宅のリビングのソファに座り、か細い肩を震わせて泣いていた。両手で顔を覆い、時折頭を振っては意味をなさない嗚咽を漏らしている。かなり動揺しているようだ。
彼女の両隣には、島崎邦夫と篠宮哲二がいた。
島崎は篠宮の肩をそっと抱くようにして、あれこれと励ましの言葉を投げかけている。かたや父親の哲二は、娘の事などそっちのけで現れたばかりの我々に近づいてきた。
「どういうことなんだねっ!?」
その怒鳴り声に、当の篠宮もますます震えあがる。
「落ち着いてください」
鬼島警部の冷静な声が、かえって癇に障ったようだ。哲二はますます大声になった。
「これが落ち着いていられるかねっ!!? ストーカーはいなくなった、そう麻衣から聞いたばかりだったというのに、それがこのざまだっ!!」
篠宮の部屋は、見るも無残に荒らされていた。泥棒とか空き巣とか、そんな単純明快な荒らされ方ではない。何かを探すために荒らしたのではなく、荒らすことそのものが目的でなければ、こうもひどいことにならならないはずだ。扉という扉は開け放たれ、しまわれていた物はすべて引きずり出され、日記帳や手帳、写真などは、これ見よがしに並べられている。
奪われたものは一つもなく、室内は整然と荒らされていた。部屋の中には、犯人が残した悪意が満ち満ちているようだ。
事情を聞くと、篠宮が先程帰宅すると、このような状態になっていたというのだ。篠宮は我々よりも前に島崎に連絡し、島崎が哲二を呼んだ。
見たところ、扉の鍵には、こじ開けられたような形跡はない。合鍵を持っているということだろうか……島崎に聞いてみるが、彼によると、このマンションのドアの鍵は簡単に合鍵を作れるようなタイプではないそうだ。
「あ…あの……」
「ん? どうした?」
篠宮が何か言いかけているのに島崎が気づき、優しく続きを促す。やがて篠宮は、顔を覆っていた手をゆっくりとおろした。
「あ、あの男は、死んだ…の、よね……?」
あの男とは、石川のことだろう。
「ああ、死んだぜ」
鬼島警部が、篠宮の目をまっすぐと見てきっぱりと言い放った。
「ほ、本当に……? どういう風に死んだの……?」
「あの……あまりお聞きならない方が良いと思います」
「お願い、教えて……知りたいの……」
「どうして、殺され方が気になるんだい?」
鳴海刑事がそう聞くと、篠宮は自身の両目を押さえた。
「りょ、両目が、無かった……?」
「っ!? どうして、それをっ!?」
鳴海刑事が驚愕の声を上げる。私も同じ気持ちだ。石川の死亡状況は、まだマスコミにも全容は伝えられていない。
「やっぱり、そうなのね?」
自分の声にますます興奮したように、篠宮はなりふり構わず叫び出す。その狂乱の様相は、島崎でさえ呆然と見守るしかないほどだった。
「やっぱりそうっ! そうなのよっ! 真由美を殺した犯人が、今度は私を殺しに来るんだわっ!」
その言葉を聞いて、オロオロするばかりだった島崎の表情が一瞬、険しくなった。
「そうだわっ! ねぇ、そうでしょうっ!?」
頭を振りながら、篠宮は叫び続けている。誰に問いかけているのか、自分自身でも良く分からないのだろう。あるいは、姿無きシリアルキラーに対して問いかけているのかもしれない。
「私を……殺しにやってくるのよ……!」
緊張の糸がプッツリとキレ、篠宮は再び顔を覆って泣き始めてしまった。
「しっかりするんだ、麻衣っ! あの事件は解決してるんだっ! 終わったことなんだ!」
珍しく、哲二が父親らしいことを叫ぶが、今の篠宮には届いていない様子だった。
それに、あの事件の犯人はいまも野放しだ。終わってなどいない。
「……終わって、ないわ……終わってないのよ……!」
涙声でそう訴える篠宮の隣に、鬼島警部がそっと寄り添う。
「あたし、あの場にいたのよ……犯人の顔は見てないけど、その場にいたのよっ! 私が犯人を見てなくても、犯人はあたしに顔を見られたと思うかもしれないじゃないっ! それに、真由美もあたしを責めるのよっ!」
「えっ、どういうことだい?」
鳴海刑事が、そのように問いかける。哲二と島崎の顔色もサッと変わった。
「麻衣ちゃん、どういうことだい? 真由美がどうしたって言うんだ?」
優しく思いやるように、それでも真意は聞きたいという口調で、島崎が尋ねた。
「昨日、真由美が夢に出てきたの」
篠宮はポツリと語り始めた。
「あの子……とても恨めしそうな表情で、『私の仇をとって』って言ったわ」
「仇?」
その言葉にすぐ反応したのは、哲二だった。
「真由美があの世から語りかけてくるのよ、あの世からっ!」
篠宮はすがるような目を我々に向けた。
「そんなのはただの夢だ、大した意味はないっ! そんなくだらない話は、すぐにやめるんだっ!」
哲二は、篠宮の言葉を打ち切るように言った。それはまるで、部外者である我々をこれ以上立ち入らせまいとするかのようだ。その時、鬼島警部が哲二の方に向き直り、諭すように言った。
「いや、これはとても重要なことです」
「馬鹿なっ!? ただの夢じゃないかっ!」
「夢ってのは、無意識を映し出す鏡みたいなもんです。娘さんの夢に真由美ちゃんが出てくるってことは、普段は意識の表には出てこないけれども、娘さんの心の奥深くには、あの事件が深く刻まれている証拠です。石川が殺されたと聞き、麻衣ちゃんは咄嗟に人間解体事件を連想した。そのことが真由美ちゃんのことも思い起こさせ、夢に繋がったんでしょう。
麻衣ちゃんの言う真由美ちゃんの恨めしそうな姿ってのは、麻衣ちゃんが真由美ちゃんに対して感じている罪悪感の表れだと推測出来ます」
鬼島警部は、普段の姿とはかけ離れた、一分の隙もない理路整然とした分析をして見せた。
「それのどこが重要なんだっ!? 単なる夢の解釈じゃないかっ! もうこれ以上首を突っ込まんでくれ! あの事件は、もう終わったんだ!」
「ぶっちゃけ言うと、人間解体事件が本当の意味で解決しない限り、麻衣ちゃんは一生真由美ちゃんの夢を見続けるってことさ」
そのように鬼島警部が嫌みっぽく言うと、哲二は顔をしかめて黙り込んでしまった。
そのまま、私も含めて誰も口を開こうとしない。聞こえるのは、篠宮の嗚咽だけだ。
「く、空気が悪いであります……」
そう言って、大倉刑事は少しでも場の空気を和ませようと窓を開ける。こういう状況で、彼のような存在がいてくれることはありがたい。
「うわっ!」
窓から突風が吹き、カーテンが大倉刑事の顔面を直撃する。それを振り払おうとした彼の腕が、窓辺に飾られた陶器の花瓶にぶつかった。
「おっと……」
大倉刑事はすんでのところで、花が活けてあるその花瓶を掴み、事なきを得た。
「大丈夫ですか、大倉さん?」
「め、面目ないであります……」
そう言って、倒れかかった花瓶を元に戻す大倉刑事を見て、私はある違和感を感じてもう一度部屋の中を見渡した。
「どうかしたんですか、神牙さん?」
私は鳴海刑事の質問に生返事を返しながら、部屋の探索を続ける……やがて、その違和感の正体に気づいた。花瓶だ。
これだけ部屋が意図的に荒らされているなか、あの花瓶とそれが置いてある台だけはそのまま直立していた……そこには、犯人の何かしらの意図があるように思える。
「神牙? どうかしたのか?」
私が花瓶に近づいて中を見ていると、大倉刑事も同じように中身を見る……だが、私は後悔した。
「うぎゃあああぁぁああっ!!」
突然の絶叫――大倉刑事は悲鳴を上げ、花瓶を倒してしまう。そして、花瓶の中身があらわになった。
「きゃああぁぁああっ!!」
ソレを見た篠宮は、金切り声を上げて卒倒してしまう。
花瓶の中に入っていたモノ……それは、人間の両目だった。
私は大倉刑事を脇に追いやり、鬼島警部に篠宮を介抱するように言うと、鳴海刑事を呼び、スーツのポケットから取り出した手袋をはめ、両目と花瓶が割れて出来た破片を調べた。
すると、いくつかの破片に、文字のようなものが書かれているのが分かった。幸い、花瓶そのものが分厚い陶器で出来ていたため、破片はそれほど小さくなってはいない。
私は鳴海刑事と共に根気よく組み立てていき、書かれた文字を明らかにしていった。花瓶の底へ殴り書きのように油性ペンで書かれたその文字は、かなりの力で書かれたものらしく、異様な雰囲気を醸し出している。
「彼、見ては、いけない……見てしまった……? いや、『彼は見てはいけないものを見てしまった』か……立派な脅迫文ですね……」
私は鳴海刑事の言葉に静かに頷く。何者かが篠宮の部屋に侵入し、ご丁寧に室内を荒らした挙句、花瓶の中に両目を入れて、このメッセージを残していったのだ。
未だ健在のストーカー……その目的や正体はなんなのか、我々の前には霞がかかったように、何も見えなかった。
鬼島警部が警察に連絡を入れ、鳴海刑事が哲二に話があるというので、私も彼に同行した。鳴海刑事は、哲二をマンションの内側にある中庭に連れてきた。
「なんなんだね、こんな所に連れ出して」
「ひとつ、どうしても伺いたいことがあるんです。なぜ、真由美さんが殺害されたのに、人間解体事件の捜査打ち切りを要請したのですか?」
……これまた、思い切った策に出たものだ。対する哲二は、話を聞いているのかいないのか、そっぽを向いたままだ。
「もしストーカーが人間解体事件の犯人だとするなら、あの事件さえ解決していれば、娘さんだってこんな危険に晒されることはなかったかもしれませんよ?」
落ち着いた、しかし奥深くにはやりきれない怒りのような感情をこめた鳴海刑事の言葉を聞いて、哲二はまるで侮辱するようにせせら笑った。
「君は本当に刑事かね? 理由は簡単だよ。真由美ちゃんは私の娘――麻衣の親友だからだ」
「だったら、なおさら――」
「それに、これは麻衣のためでもある。二人は本当に仲が良かった。さらに麻衣は、殺害現場を目撃しているんだよ。自分の幼馴染であり、親友の殺害現場をな。それだけでも、幼いあの子にとっては、充分に辛いことだ。そのうえ、警察の事情聴取を受け、マスコミに晒されたら、どうなると思うかね、えっ!?」
鳴海刑事が押し黙るなか、哲二はなおも言葉を続ける。
「しかも、それは私だけでなく、島崎の意志でもあったのだよ」
「島崎さんの……?」
「ああ。捜査が長引けば長引くほど、辛さは増すばかりだろう? いくら捜査を続けようとも、真由美ちゃんは戻ってこないのだからな」
「だから、圧力をかけたんですか?」
「そうだよ。結局、警察など頼りにならんしな。ま、そういうことだ」
哲二は吐き捨てるように言うと、右腕にはめた高級時計に目をやり、マンション内に戻っていった。
「……神牙さん、どう思いますか?」
哲二がいなくなってからすぐ、鳴海刑事が静かに口を開く。
「普通、政治家で財産もあるなら、それらの力を使って何が何でも犯人を捕まえようとするんじゃないですか? それに、哲二さんの言うことにあっさり同意した島崎さんの真意も分かりません」
明らかに納得のいっていない表情……元々童顔ということもあり、今の私には鳴海刑事は世の理を知らない子供のように見えた。
私はそんな彼の肩にポンと手をやり、今夜張り込みをするということだけを伝えて、中庭を後にした。
※
その晩、私は鳴海刑事と大倉刑事と共にマンションの表を監視していた。大倉刑事は、先程から運転席で大きないびきをかいている。
「異常なしですね……」
私は鳴海刑事の言葉に肯定の返事した。実際、特に何事もなく、静かな時間だけが流れているのだ。私は鳴海刑事に、先に眠っていいと伝えた。
「分かりました、ありがとうございます」
そう言って、彼は少しだけ背もたれを倒し、眠りにつく。残った私も睡魔に襲われていたが、なんとか踏ん張るしかあるまい。
その時、電柱の陰から一人の少女が姿を見せた。私がその少女をずっと見ていると、少女は車の中にいる私のすぐ横まできた。
「まだ、捕まらないの?」
何が……?
私がそう聞き返すと、少女はゆっくりと顔を上げた。
「あたしを殺した犯人よ」
その顔は、鮮血に染まっていた。
「っ!!」
慌てた私が瞬きをすると、そこには少女の姿はなかった。いつの間にか眠っていたらしい。時計を見るが、わずかな時間しか経っていない。ほんの一瞬の夢だったのだろうが、その夢は私に強烈な印象を残した。
ちょうどその時、車から見えるマンションのエントランスに、ガウンを羽織った女性の姿が見えた。遠目ではあるが、それはどうやら篠宮のようだった。
私は夢の世界にいる二人を叩き起こした。
「うがぁっ!? な、なんだ、事件かっ!?」
「ど、どうかされたんですか?」
私は二人に、エントランスにいる篠宮を指差し、彼女に何かあったようだと伝えた。
「な、なにっ!? よしっ!」
そして、私は二人と共に車を飛び出し、篠宮の元へ向かう。
「篠宮さん、何かあったのっ!?」
駆け寄る篠宮に、鳴海刑事から声をかけるが、彼女は我々に近づいても、震えるばかりで一言も発しようとしない。
「麻衣ちゃん! どうしたんだっ!」
篠宮の後を追うように、エントランスから島崎も出てきた。
「さ、さつきちゃん、ち、血がっ!」
大倉刑事が慌ただしく叫んだ。見ると、篠宮の両手は血で汚れていた。彼女はそれを見て、息を飲んだ。だが、いくら観察しても、彼女はケガ一つしていない。血は彼女のではないようだ。
「さつきちゃん、しっかりするでありますっ! 自分達が来たから安心でありますよっ!」
大倉刑事の大声が気付けになったのか、篠宮が震える唇を動かす。
「ベ、ベッドに……」
「ベッド? ベッドがどうかしたのかい?」
「ベ、ベッドの下に、真由美がいたの……」
「……真由美が?」
島崎の顔が、一瞬で凍り付いた。
私は、篠宮に管理人室にいるように言って、二人に彼女の部屋へ行くことを提案した。
「麻衣ちゃん、必ず鍵をかけるんんだよっ!」
そう言って、島崎は篠宮に管理人室の鍵を渡し、『誰が来ても開けるんじゃないよ』と念を押して、我々の後を追ってきた。
……解せない。我々が張り込んでいる間、このマンションに怪しい人物が出入りしている様子はなかった。私もつい眠ってしまったが、それは本当に短い時間だった。その時間内に、何かをするというのは考えにくい。
篠宮の部屋を向かう途中に島崎からも話を聞いたが、彼もずっと監視カメラの映像を見ていたそうだが、不審者は映っていなかったらしい。だとすると、どうやって鍵のかかった篠宮の部屋に入り込んだのだろうか?
その時、私の頭の中で、この事件が起きてからずっと気になっていた人物の言動が思い起こされたが、それらは一度、頭の片隅に追いやられた。今は、目の前の事件に対処するのが先決だ。
篠宮の部屋にたどり着くが、ドアにカギはかかっていなかった。ベッドから飛び出し、そのまま外へ駆け出したのだろう。注意深く確認するが、鍵穴などにこじ開けられたような形跡は見当たらない。
私は三人に、充分警戒するようにと念を押した。三人が頷くのを見て、我々は部屋の中に入る。
玄関で立ち止まり、暗い部屋の中の気配を窺うが、室内は静まり返って物音一つせず、気配も感じられない。私はそのまま、手探りで照明のスイッチを探すと、大倉刑事に声をかけた。
「いつでもいいぞ……」
私の背後で、頼もしくその声が聞こえると、私はスイッチを押した。
「誰だっ!」
明かりが点いた瞬間、大声で大倉刑事が叫ぶが、部屋に人影は見当たらない。窓も閉ざされたままだ。そのまま各部屋を回るが、最後のベッドルームも同じような状態だった。ただ、ベッドのカバーは乱暴にめくられ、半分床に垂れ下がっている。
「誰も見当たらんな……」
大倉刑事がそう言うと、鳴海刑事はベッドルームにあるベッドの下を覗き込んだ。
「ちょっと来てください……」
鳴海刑事がそう言うので、私は大倉刑事と島崎と共にベッドの下を覗き込んだ。
……そこには、血に汚れた羽が散乱している。そして、無残に捻じ曲がった小鳥の死骸……見たところ、刃物で切ったのではなく、素手で捻じ切ったと思われる。
「篠宮さんの手に付いていた血は、この小鳥のものでしょうね」
私は鳴海刑事の言葉に肯定の返事をした。
そして、島崎は篠宮が心配だからと管理人室に戻っていき、大倉刑事はマンション内に不審者がいないかパトロールをしてくると言って、それぞれ部屋から出ていった。
残った私と鳴海刑事は、何か証拠はないかともう一度各部屋を回ってみたが、収穫はなかった。どの部屋も、小鳥の死骸以外は荒らされた痕跡もないし、誰かが侵入した形跡もない。
しばらくその場でうなだれていると、大倉刑事が戻ってきた。不審者はやはりいなかったとのことだ。こうなると、篠宮に直接事情を聞くしかないだろう。我々は、島崎を先に管理人室へ帰らせ、マンションのパトロールを行ったが、めぼしい手掛かりは得られなかった。
※
我々がパトロールを終えて管理人室に入ると、せめて篠宮の気を紛らわせようとしたのか、テレビに賑やかなトーク番組を映しながら、島崎と篠宮が待っていた。
「さつきちゃんは御無事でありますか?」
「ああ、誰もいなかったと、今話していたところだよ」
大倉刑事の問いかけにそう答えると、島崎は安堵のため息を漏らした。相当気をもんでいたらしく、その顔には疲労の色すら見える。
「だいぶ落ち着いたようだが……どうだい、麻衣ちゃん?」
呼びかけられた篠宮は、ただ茫然とテレビを見ている。いや、その両目はテレビなどには向けられていなかった。なんというか、この世界にさえ、向けられていないような気がした。
生気の失せた瞳がゆっくりと動き、我々の姿を捉える。
「さつきちゃん、部屋に異常はなかったでありますっ!」
「くまなく調べたけど、特に怪しいところはなかったよ」
彼らは、小鳥の事を伏せて彼女に説明した……その方が賢明だろう。篠宮がどこまで見たかは定かではないが、今は心を落ち着けてもらうのが先決だ。
だが、その言葉にゆっくり瞬きをし、篠宮は力なく首を横に振る。
「そんなはずないわ……確かにいたもの……」
「篠宮さん、よければ、状況を詳しく教えてもらえないかな?」
鳴海刑事が篠宮の対面に座り、なるべく柔和な声で尋ねた。すると、ようやく現実に戻ってきたのか、篠宮は大きく深呼吸した後にぽつぽつと話し始めた。
「また、夢に真由美が出てきたの……昔よく行った裏山に、私と真由美がいて……しばらく鬼ごっことかしてたんだけど、あの子、急にどこかへ行っちゃって……」
篠宮は、夢の中の出来事を思い出しながら話し続けている。その横では、島崎がその出来事に一つ一つ同意するように頷き、大倉刑事はその内容を必死にメモしている。
「辺りを見たら、もうどこにも真由美の姿が無くて……だからあたし、あの子を探していたの。何度も名前を呼びながら……そうしたら、暗がりから真由美が出てきて……顔を伏せたまま、その……変なことを言ってたわ」
「変なこと?」
「ええ。その……『まだ見つからないの?』って……」
私の心臓はその時、ギュッと締め付けられるかのような感覚に襲われた。もし、私の推測が正しければ、私のその先の言葉を知っていることになる。
「なるほど。それで?」
「それで、あたしは何が見つからないのか聞いたわ。そしたら、真由美が顔を上げて言ったのよ。『私を殺した犯人よ』って……血だらけの顔をして……」
その言葉に、室内にいる誰もが沈黙する。ただ一人、私は心の中で、彼女の言葉に言い知れぬ恐怖を感じていた。細部は違うが、言われた言葉は同じ……これはいったい、どういうことなのだろうか?
「そ、そんな夢を見たでありますか」
大倉刑事が少しでも空気を和ませようと言葉を挟んだが、篠宮は硬い表情のままだった。
「ええ、あたしには分かるの。あれは、ただの夢なんかじゃないわ。真由美のあの世からのメッセージなのよ。犯人を殺してくれっていう……」
犯人を殺してくれ……篠宮の口から出た不穏な言葉に、その場は静まり返った。島崎も沈痛な面持ちになっている。
「それで……部屋を飛び出したと?」
大倉刑事がメモにそう書き込もうとするが、篠宮はその言葉をあっさり否定した。
「いえ、違うわ」
「え?」
大倉刑事は手を止めた。
「そこで目が覚めて、今のが夢だと分かって安心したの。でも……その時、ベッドの下で音がしたの。それで、あたしはベッドの下を覗いてみたわ」
そう言って、篠宮は四つん這いになって下を覗き込む仕草をする。
「そうしたら……そこに真由美がいたの」
大倉刑事の手から、鉛筆がこぼれ落ちた。
彼女の話によると、ベッドの下の闇の中で、血走った異様な目があり、篠宮と目が合うと、ギロッと見開いたというのだ。そのまま彼女は悲鳴を上げて、部屋を飛び出してきたらしい。
「麻衣ちゃん! そんなことはあり得ない。大丈夫だから、そう、きっと疲れてるんだ」
島崎が慌てた様子で懸命に慰めるが、篠宮は再び肩を震わせて泣き始めた。
ハッキリ顔を見たわけではないようだが、すっかりそれを真由美だと信じているようで、これ以上は話を聞くことは出来そうになかった。
鳴海刑事が手に付いた血の事を尋ねたが、いつ付いたのか分からないと言う。その口ぶりでは、小鳥の死骸にも気付いていないようだった。おそらく、四つん這いでベッドの下を覗いた時に、自分でも気づかないうちに付いてしまったのだろう。大倉刑事は、メモ帳をしまいながら言った。
「とりあえず、今日のところは安全を確認したでありますから、安心して下さい」
「そ、そう……」
「もし心配なら、友達を呼んで一緒にいてもらったらどうだい?」
「そ、そうね。そうするわ……」
その後、管理人室に置かれている電話で、友人にかいつまんで事情を説明する篠宮の声を聞きながら、私は少し考え事をしていた。
ベッドの下の不審者……鍵をこじ開けられた形跡もなかったし、部屋も荒らされていない。本当に不審者はいたのだろうか?
それとも、篠宮の恐怖心が見せた幻か……だとすれば、小鳥の死骸の説明がつかない。
それに、篠宮が見た夢と私が見た夢が酷似している現実……夢が現実を浸食していくということがあるだろうか?
残念ながら、現時点では謎が多すぎて見当もつかない。
やがて、空手の有段者である篠宮の友人が自家用車でマンションにやってきた。篠宮が以前から夢の話を電話でいていたという、例の友人だ。何かあれば、すぐに連絡してほしいと何度も言い含め、我々は再び車へ戻っていく。車の中に戻ってしばらくすると、大倉刑事が口を開いた。
「さつきちゃん、今夜はよく眠れるといいでありますな」
「そうですね。現実の恐怖には護衛でもなんでも手の打ちようがありますが、夢の中までは、どうしようもないですから……きっと篠宮さんは、自分でも意識できない感情や思いを、夢に託しているんでしょうね」
「どういう意味でありますか?」
私も鳴海刑事の言葉が気になるので、耳を傾ける。
「きっと、篠宮さんの心中では今でも、『早く友達を殺した犯人を捕まえなくては』と強く思い込んでいるんです。しかし、そのためには、自分が犯人の顔を思い出さなくてはいけない。そのストレスが――」
「悪夢となって、さつきちゃんを悩ませているのでありますなっ!?」
「ええ、あくまで、素人考えですけどね」
彼のその言葉に、私はどことなく救われる思いだった。あの時、私が見た少女や飯島佳代子の夢も、私の心の奥にそれに関連する感情が渦巻いているからなのだろうか?
答えが出そうにない疑問を、頭の片隅に追いやり、その日の夜は一度も眠ることなく、監視を続けた。




