予知夢 ~驚愕~
翌日、二人の話を聞いた私は、大倉刑事を篠宮の警護と島崎の監視のために残して、とある場所に来ていた。
私が知る限り、この事件において重要なアドバイザーの一人が勤務している場所だ。
「――しばらく顔を見ないと思ったら、随分と大勢で押しかけてきたな」
「ど、どうも、お久しぶりです。アシュリン先生」
ここは、神明大学付属病院の一室であり、この部屋の主は監察医であるアシュリン・クロフォードである。
遺体の扱いにかけては右に出る者のないプロフェッショナルであり、その豊富な知識を買われて、最近では大学で教鞭を取るほか、国際的なプロジェクトにも参加しているらしい。
我々オモイカネ機関が、特に私が厚い信頼を寄せる一人であり、検死解剖ならず科学的見地からも貴重な意見を聞かせてくれる女性だ。
「ふ、まぁな。検死解剖なんて人体を切り刻む仕事、元気じゃないと出来ないぞ? 焼肉でも食べてスタミナをつけなければな」
「は、はは、そうですね…」
鳴海刑事はアシュリンの言葉に生返事を返すと、鬼島警部を示して口を開いた。
「あ、そういえば、鬼島警部とアシュリンさんはこれが正式な初顔合わせでしたね」
「おう、よろしくな、先生っ! 鬼島陽子だっ!」
そう言って、鬼島警部はニカッと白い歯を見せて笑い、アシュリンに対して握手を求めた。
「あ、ああ、よろしく……」
アシュリンも、その握手に応じるが、同時に鬼島警部の顔を見て怪訝な表情を見せる。
「ん? どうかされたのですか、先生?」
「あ、いや……私の記憶に間違いがなければ、FBIにそのような名前の女性捜査官がいたと思うんだが……」
「えっ!? そうなんですか、警部っ!?」
「……お前、俺がFBI捜査官に見えるのか?」
「あ、いえ……」
鬼島警部にジト目で見つめられ、鳴海刑事は即座にその考えを否定した。
「まぁ、そうですよね。よりによって警部が……う~ん」
「ま、いいだろう」
アシュリンは今のやり取りを見て思い違いと思ったのか、話を促すように私を見つめてくるので、私は今回の一連の事件を話し、他人同士が同じ夢を共有する可能性はあるかと訊ねた。
「うむ。確かに夢のメカニズムから言わせてもらえば、可能性は皆無ではないな」
「え、そうなんですか?」
「ああ。君達、ジークムント・フロイトは知ってるな?」
「ジー……なんですか?」
「ジークムント・フロイト。オーストリアの東欧系ユダヤ人で、精神分析学者だった男だ」
鳴海刑事がどもる隣で、鬼島警部が簡潔に答える。
「よく知ってるな。フロイトは、人には二つの意識があると説いている。簡単に言えば、『意識』と『無意識』だ。この違いは分かるか?」
「そうですね……『意識』は自分で意識できるもの、『無意識』は自分では意識できないもの、でしょうか?」
「ああ、そうだ。もっと詳しく言えば、人間が起きている時は『意識世界』が広がっていて、『無意識世界』は抑え込まれているんだ」
アシュリンの話では、人間が眠っている時は逆に『意識世界』は弱まり、『無意識世界』が出てくるという。無意識なものには様々な欲求や願望があり、それらが眠っている時に映し出される。これが『夢』の正体だとフロイトは説いたそうだ。
「つまり、同じような欲求や願望を持っていれば、同じ夢を見ることもあるというわけですか?」
「ああ。ま、確率論の戯言ではあるがな。実際問題、二人の他人がまったく同一の夢を見るということは、現実にはほぼあり得ないことだ」
「フロイトの弟子であるカール・ユングが説いた、『集合無意識』のことだな?」
「ああ、そうなるな」
アシュリンと鬼島警部の話についていけなくなった鳴海刑事に対して、私が補足する。
集合無意識とは、いわば『本能』のようなものであり、人類にあらかじめインプットされている無意識の事を指す。
「はぁ、なるほど……つまり、他人同士が似た夢を見ることはあっても、まったく同じ夢を見ることはない、ということですね?」
「ああ、そういうことだ」
「ということは、篠宮さんが見た夢というのは嘘ということですか?」
「まぁ、嘘かどうかは私にはなんとも言えないな」
「だったら、脅迫文の文書が実際に他人によって書かれたものと仮定するなら、どんな可能性があると思う?」
鬼島警部がそう問いかけると、アシュリンは顎に手を当てて考えながら話し始めた。
「そうだな……どこかで篠宮という人物が夢の話を口にしていて、それを盗み聞きしたと考えるのが自然だろうな」
「やっぱり、そうか……」
「ああ。本人が気づかないうちにこっそり聞いてたか、あるいは盗聴でもしたのだろう」
私も、現時点ではこの可能性が一番高い気がしてならない。もっとも、いつものように断定はできないのだが……。
とにかく、篠宮の夢の内容や普段の行動を他人が知る方法は見つかったというわけだが、ならば次の問題が出てくる。誰が、どんな方法でやったかだ。
私はアシュリンに礼を言って、二人と共に彼女の研究室を後にした。
その後、我々は東京郊外の山奥に来ていた。目的はひとつ。アシュリンとは別の切り口からアドバイスをしてくれる人物の元へ行くことだ。
「まったく、ひでぇところだな。ホントにこんなところに人が住んでんのか?」
「ええ。僕も始めは半信半疑でしたが……」
「けっ、アタシは全面的に疑ってかかるぜ」
鬼島警部の悪態を聞くこと数十分、目的の建物が鬱蒼と茂る木々に囲まれて我々の目の前に姿を現した。
後ろで鬼島警部の『うおっ、でけぇ!』という言葉を聞きながら、私は玄関の扉をノックする。
しばらくして、一人の女性が姿を現した。
「あら、ファング? 何か用なの?」
私達の目の前に現れた、中世に出てくるようなドレスに身を包んだ女性の名はエカテリーヌ・カザロヴァ。通称カチューシャだ。彼女はこう見えても(そうにしかみえないが)本物の魔女らしい(本人談)。 しかし、彼女の活躍は私も近くで見てきたし、私も似たような存在なので、特に気に留めることではない。
「お、お久しぶりです、カチューシャさん」
私の後ろでは、鳴海刑事が縮こまっている。彼には、それほどインパクトのある人物だった。
「まぁ、こちら、初めての方ね? 初めまして、エカテリーヌ・カザロヴァよ」
「お、おう、よろしくな……」
いきなり現れた中世時代を装った人間に、鬼島警部もタジタジとした様子だった。その後、我々は彼女の館に通され、館の左側にあるゲストルームに通される。
「あの……前のお部屋じゃないんですか?」
「そっちの方が良かった?」
「い、いえ、決してそういうわけでは――」
「ふふ、ごめんね? 向こうの部屋は、実験に失敗しちゃって今は使えない状態なの」
ゲストルーム中央のソファに対面になるように座ってそのような話を終えた後、私はカチューシャに、アシュリンに話したのと同じことを伝えた。
「ふ~ん、なるほどねぇ……夢の共有かぁ……」
「何か、心当たりはありませんか?」
「心当たりってわけじゃないけど、可能性として考えられることは、いくつかあるわ。一つは、強迫観念よ」
「強迫観念……ですか?」
「ええ。例えば、『不幸の手紙』なんかがその典型ね」
自分でも理解できる話だと思ったのか、鳴海刑事が口を開く。
「あ、それなら僕も知っています。『この手紙を数日以内に複数の人間に回さないと』って類のものですよね?」
「ええ、そうよ。このような手順を踏まなければ助からない、という強い思い込みが、一種の脅迫になっているの」
「なるほど……でも、それと夢に何の関係が?」
「あら、分からない? 心理状態の統一よ」
「つまり、強迫観念を抱いた人間の心理状態は、かなり似通ったものになるってことだな?」
鬼島警部がそう言うと、カチューシャは深く頷いた。
「そうよ。夢で起こる出来事は、そのほとんどが人間の心理状態によって決定されるの」
「あっ、そうか! 同じ心理状態の人間は、同じような夢を見やすいってことですねっ!?」
「ええ、そういうことよ。そして、特定の人物に同じ夢を見せたいのであれば、同じ心理状態になるように誘導すればいいのよ」
人間の心理状態の誘導……にわかには信じられないものだが、人間の心理が学問として成り立っているこの時代では、決して不可能ではないように思える。
私が怪訝な表情をしていたせいか、カチューシャはどこか不満げだった。
「あ、それは信じてないって顔ね? この心理誘導は、何も夢の話に限ったものじゃなくて、都市伝説や怪談で古くから使われている手法なのよ?」
「手法…ですか?」
「ええ。絶対安全なものであるはずの仮想の恐怖を、現実の恐怖と繋げるためにね」
そう言った後、カチューシャは分かりやすい例を挙げて詳しく『手法』について説明してくれた。
例えば、誰かがこんな話をする。
人に追いかけられる夢を見た時は、振り返ってしまうと、殺されて目覚めることが出来ない。それを聞いた人間には、『振り返ったら殺される』あるいは『絶対に振り返ってはいけない』という思い込みが生まれる。結果、それが強迫観念という精神的ストレスとなり、その人間の深層心理の状態を恐怖で縛る。
深層心理は、人の無意識の世界の一種であり、それが恐怖で縛られていれば、無意識のうちに人は恐怖を感じるというのだ。
「つまり、ただの怖いという感覚が、無意識のうちに感じる説明のできない恐怖となって襲い掛かってくる」
「なるほど、そんな状態で眠りに落ちれば、当然無意識のうちに人に追いかけられる夢を見てしまうということですね?」
「ええ、そうよ。お役に立てた?」
我々はカチューシャに礼を言って、彼女の館を後にした。
警視庁のオモイカネ機関本部に到着すると、私は早速、奥にある普段は使われていない倉庫の中に入っていき、その中からジュラルミン製のケースを手に取って戻ってきた。
「神牙さん? なんですか、それは?」
私が持ってきたジュラルミンケース……この中には、盗聴器の発見装置一式が入っている。私はそのことを二人に伝えた。
「えっ!? あの、どうしてこんなところに――」
鳴海刑事が驚くのも無理はない。本来、この装置を手配するにはかなり煩雑な手続きを必要とする。
しかし、この部署ではそれは必要ない。なぜなら、ここはオモイカネ機関もとい捜査五課だから……面倒な説明をしたくないので、私は二人にそう言い聞かせてさっさと車へ戻ってしまった。
※
その後、篠宮の部屋で我々を待ち構えていた大倉刑事は、『ご苦労様であります!』と元気よく敬礼した。彼には、私の方から事情を伝えてある。その際に聞いたことだが、今日は篠宮の近辺では何も異常はなかったそうだ。
「大倉さんから話は聞いたわ。でも、本当に盗聴器なんてあるの?」
「まだ、分からないけど、可能性はあると思うよ」
鳴海刑事の言う通り、この部屋に盗聴器が仕掛けてある可能性は、非常に高い。犯人が超能力者でもない限りは、あれだけ細かい夢の描写をすることは不可能だ。
私は鳴海刑事と大倉刑事に、さっそく盗聴器を見つけるように指示した。
「分かりました。始めます」
そして、二人は準備を終えると、篠宮の部屋をくまなく捜査した。やがて、リビングの隣にあるベッドルームを調べていると、二人の声が聞こえてきた。
「篠宮さん、ちょっと来てくれるかな?」
「なに?」
鳴海刑事に呼ばれて、篠宮が隣のベッドルームに移動するので、私と鬼島警部も付いて行く。
「このクローゼットなんだけど、開けてもいい?」
「ええ、いいわよ」
篠宮の了承を得て鳴海刑事がクローゼットを開けると、ふわりと女性らしい柔らかな香りが漂ってきた。
中には色とりどりの洋服が掛けられており、いかにも芸能人らしい中身だ。
そのまま鳴海刑事達が捜索を開始していると、やがて鳴海刑事はひとつのバッグを手に取った。それは、篠宮がライブの際にいつも持っていたバッグだった。
私がそのバッグに盗聴器が仕掛けられているのか訊ねると、鳴海刑事は『おそらく』と言って、篠宮の許可を得てバッグの中身を全部出して一つ一つ丁寧に調べた……が、バッグからは反応はするらしいが、中身には盗聴器らしい物体は発見できなかった。
「おかしいなぁ……」
鳴海刑事が頭を抱えていると、鬼島警部が空になったバッグの中を手探りで探していく。
「……見つけたぜ」
「ほ、本当でありますかっ!?」
鬼島警部は、バッグの中でガサゴソと右手を動かすと、やがて勝ち誇ったようにその右手を掲げた。その中には、ガムテープの付いた親指の先ほどしかないようなサイズの四角形の物体があった。
「そ、それは……」
「まさに盗聴器って感じだな。けっ、うまいこと考えたぜ。どうせ麻衣ちゃんがライブしてる最中にでも仕込んでたんだろ。この小ささなら、相当性能もいいだろうから、多少障害物があったとしても問題なく聞き取れるだろうしな」
「そんな……」
怒りか悲しさか、どっちつかずな表情で篠宮はそのような声を漏らした。
「篠宮さん。ライブ中に、君の持ち物に触れることが出来る人はいる?」
「……たくさんいるでしょうね。待機室は鍵がかかってないから」
「なるほどな。これで夢の中を覗いたカラクリが分かったわけだ」
鬼島警部が自信たっぷりに宣言する横で、鳴海刑事がハッとした表情で篠宮に問いかけた。
「あの、篠宮さんは長電話とかするの?」
「え、ええ、アイドルをしてた頃から仲の良い友達とかと……それがどうかしたの?」
「その友達に、夢の話とかをしたことはある?」
「ええ、あるけど……あっ!」
「そう、それが夢を覗き見するストーカーのトリックだよ」
どうやら、これで篠宮が見た夢の内容を他人が知っていたことに説明がつく。しかも、篠宮の言うことでは、彼女はその日にあったこともその友達に話すこともあるというから、電話でのその会話を盗聴していれば、篠宮のおおよその行動を掴むことは出来る。女性専用車両内での出来事についても同様に、実際にその車両に乗らなくても、篠宮がこの部屋でその話をしてくれれば、ストーカーはまるで実際に見聞きしたかのように知ることも可能だ。
「……ごめん、今日は休ませてもらってもいい?」
「そうだな。それがいいぜ」
「うん、ありがとうね」
今日はこれ以上、彼女に何かを聞くのはやめておいた方がいいだろう。誰だって、知らないうちに盗聴されていたと分かったら、精神的ダメージは大きい。ましてやそれが、彼女のように年頃の女性とあればなおさらだ。
その後、我々は篠宮に見送られて彼女の部屋を後にした。車に戻る際中、大倉刑事は連日の張り込みの疲れからか、何度もあくびをかみ殺している。
私は三人に対して、今日は自分が見張りをすることを進言した。
「分かりました、よろしくお願いします」
「頼んだぜ!」
「うむ、しっかりと励むように!」
……なぜ、大倉刑事は私に対して、こうも上から目線なのだろうか?
そのような疑問を胸の奥にしまい込み、私は三人を見送った後に大倉刑事の車に乗り込み、マンションの前で張り込みを開始した。徹夜の張り込みは久しぶりだったので、心の中でグッと気合を入れる。
そして、電柱に備え付けられた街灯の明かりを避け、車を少しだけ動かす……これで、多少は目立たなくなるだろう。少なくとも、犯人が周囲を警戒しない限りは大丈夫のはずだ。
――それからしばらくして、どれほどの時間が経っただろうか……私の身体は、早くも休息を求め始めている。だが、眠るわけにはいかない……そう思って必死に意識をハッキリさせようと努力してみたが、連日の捜査の疲れがあったのか、徐々に意識が遠のいていく……。
うつらうつら……夢と現実の境界が何度も曖昧になる感覚に襲われ始めた頃、私の耳に声が届いた。
それは女性の声で、鼻歌を歌っているようだった。どこかの家から漏れ聞こえているのだろうか?
気になって頬を叩いて意識を覚醒させ、思わず携帯端末に目を向けるが、数字は午前三時を示していた。
おかしい……本能的にそう思って車外の周囲を見渡しても、さっきまで点いていたはずの街灯は消えてしまっており、周囲は完全な暗闇に包まれていた。
だが、フロントガラス越しに見える電柱の脇に、明らかにこちらを窺う人影があった。私はその人影を確認しようと、必死に目を凝らす。
消えかかる意識を必死に現世に呼び戻し、よく目を見張ってみると、その人影は女性のようだった。鼻歌も、彼女から聞こえるように思える。
今は午前三時……このような時間に、女性が一人で電柱の陰に隠れて鼻歌……どう考えてもおかしな状況だったが、私の心中では恐怖よりも興味の方が勝り、重い体を動かして車のドアハンドルを握った。
しかし……ハンドルはまったく動かなかった。咄嗟にロック部分を見るが、ロックは解除されている。私の中で徐々に言いようのない焦燥感がにじり寄ってきたその時……鼻歌が消えた――。
「お久しぶりね、神牙さん」
「――っ!!」
声とも呼べない絶叫……その衝動と共に、私は瞬きをすると、そこには誰もいなかった。
電柱には人影はなく、街灯はしっかりと点いている。携帯端末を見るが、時刻は午前五時だった。
気のせいか、体や意識は先程よりもしっかりしている……知らぬ間に眠ってしまっていたのだろうか?
だが、だとしたらあの出来事は夢だったのだろうか?
それにしては、あまりにもリアルなものだった。
あの時、私が見たモノ……それは、全身が血まみれとなっている少女と手をつなぐ、飯島佳代子の姿だったのだ……。
※
結局、それからは特に変わったことは起こらず、無事に朝を迎えた。
しばらくして、私はマンションにやって来たオモイカネ機関のメンバーと共に、篠宮の部屋へ向かった。
「……どなた?」
鳴海刑事がインターフォンを押すと、警戒するような声が返ってくる。
「篠宮さん、鳴海だよ。今、いいかな?」
「ええ、ちょっと待ってて」
そう言ってからものの十数秒ほどで、玄関のドアが開いた。
「おはよう。とりあえず入って」
「うん。お邪魔します」
篠宮は、昨日よりかは元気を取り戻したようで、リビングに向かう足取りも軽い……ひとまず、また詳しい話をすることが出来るだろう。
「実は、ちょっと相談したいことがあるの」
「どうかしたのでありますか?」
篠宮はいつも使っている座椅子に座るなり、神妙な面持ちで我々に話し始めた。
「実は……昨日、また夢を見たのよ」
「どんな夢だったの?」
鳴海刑事がそう聞くと、篠宮は少し伏し目がちになった。
「ずっと昔……まだあたしが小学校高学年の時だった思う。あたし、人を殺すとこを見たのよ。それが昨日夢に出てきて――」
「ちょ、ちょっと待ってほしいでありますっ! さつきちゃんの言っているのは、夢の話でありますかっ!? それとも、本当に起きた事件の事を――」
「本当に起きたことよ。確かに経験していたのに、今まですっかり忘れていたの。怖くて……思い出したくなくて……でも昨日の夜、久しぶりにあの場面を夢で見たの。それであたし、思い出したのよ」
彼女の告白に、私は驚きを隠せなかった。
ただでさえ今、彼女は大変な思いをしているというのに、幼い頃にもそのような経験をしているとは……。
「そうなんだ……分かった、話してくれる?」
「ええ、いいわ。あれは、まだあたしが小学生の頃、あたしには仲のいい友達がいたの。島崎真由美って子なんだけど、ある日……あたし達が家の近くの裏山で遊んでたら、大雨が降ってきて……それで、急いで山を下りようとしたんだけど、その途中で真由美とはぐれちゃって……あの子、動物とかが嫌いで、よく小鳥とか野良猫なんかを捕まえて虐待してたから、てっきり私との遊びに飽きちゃってそんなことでもしてるんだろうと思って……しばらく山の中を探してたら、あたし、見ちゃったの」
そこまで言って、篠宮は一呼吸ついた。
「真由美、地面に倒れて、全然動かなくなってた。地面の上が真っ赤に、たぶん血だと思うんだけど、それがたくさん流れてて、その上で、レインコートを着た人がナイフを持ったまま立ってたの」
「その人は、男? それとも女かな?」
「さぁ、分からないわ。すごくぶかぶかしたレインコートで、顔もフードですっぽりと覆われてたから……」
「分かった。続けて」
「それで、あたしがそれを見て悲鳴を上げたら、レインコートの人がこっちを振り向いて、ゆっくりと近づいてきたの……あたし、死ぬんだって思ったけど、あと少しの距離まで来た時、そのレインコートの人は思いっきり弾かれてたわ」
「なんでだ?」
「……女の人、だった思うんだけど、その人がレインコートの人に体当たりして……その人を崖から突き落としたの。それから、その女の人と何か話をしたと思うんだけど……よく思い出せないわ。犯人もまだ捕まってないみたいだし」
そう言うと、篠宮はふぅと息をついた。
「それにしても、自分はびっくりしたであります。さつきちゃんにそんな過去があったなんて……」
「アイドルをやってた時は、事務所の力で色々ともみ消してもらってたからね。知らなくても、無理ないわ。あたしも、その夢を見るまではほとんど事件の事を忘れてたし」
「はぁ、なるほど……」
大倉刑事が感嘆の溜息を漏らす横で、鬼島警部が静かに口を開く。
「なぁ、あんたが言った島崎真由美って奴……その父親って、このマンションで管理人をやってる島崎なんじゃねぇか?」
「え? えぇ、そうよ。彼とは事件が起きてからしばらく会ってなかったけど……私がこのマンションに引っ越してしばらくしてから、島崎さんはこのマンションの管理人をやるようになったの。
初めて会った時は、どこかで会った気がする程度だったけど……うん、間違いないわ。島崎さんは真由美の父親よ」
篠宮からその話を聞いて、我々の間に流れる空気が変わった。
彼女の殺された親友の父親が、彼女の暮らしているマンションの管理人をしている……私はメンバーに、島崎に会いに行くことを告げた。
これまで招待や目的が一切分からなかったストーカーだが、ここにきて彼女が狙われている理由がようやく見つかった気がする。
まだ捕まっていない連続殺人事件の犯人が、目撃者である篠宮になんらかのプレッシャーを与えるために狙っていたとしたら……あるいは、それ以上に危険な行為に及ぶかもしれない。少なくとも、その可能性を調べる必要はあるだろう。
我々は篠宮に礼を言って、大倉刑事を残して彼女の部屋を後にし、管理人室へ向かった。
「ん? また何かあったのかい?」
我々が管理人室のドアを開けると、島崎はお茶を飲んでいたらしく、湯飲みを持ったままこちらに目を向ける。
「あなたの亡くなった娘、島崎真由美ちゃんについて聞きたいことがあります」
「真由美っ!?」
鬼島警部の単刀直入ぶりに、私の後ろで鳴海刑事の『あっ……』という声が聞こえるが、時すでに遅し。島崎は怒りとも驚きともつかない表情で叫んだ。
「あ、あんた達、何の権利があってそんなことを調べてるんだっ!?」
「調べたんじゃありません。篠宮さんから直接聞きました」
「麻衣ちゃんから?」
途端に、島崎の目が大きく見開かれた。
「彼女はなんて言ってた? えっ!?」
掴みかからんばかりの勢いで、鬼島警部に詰め寄る。
「真由美ちゃんは殺された。犯人はまだ捕まっておらず、自分もよく覚えていない……そのような話でした」
「麻衣ちゃんが…そうか……」
島崎は詰め寄るのをやめると、大きなため息をついた。しばらくすると、彼はゆっくりと語り始めた。
「……『人間解体事件』を知っているかね?」
「っ!? まさか、真由美ちゃんは――」
「そう、あの事件の被害者なんだよ」
人間解体事件……私も聞いた覚えがある。確か、十数年ほど前に起きた連続殺人事件で、その残忍さや特異さは、今でもワイドショーや週刊誌で面白おかしく特集されているはずだ。
被害者にはなんら共通点はなく、犯行の場所や時間もまちまちであり、無論動機も不明。それでも、犯人は強烈なサインを残している。人間の身体の一部を切り取っていることだ。
島崎は当時、こことは別のマンションの管理人をやっていたそうで、その日、いつものように雑用をこなしていると、警察から連絡が入り、真由美の死を知らされたのだという。
「麻衣ちゃんはその場にいて犯行の一部始終を……真由美が殺される瞬間を見ていたそうだ」
「その話が事実なら、彼女は唯一の目撃者だな。重要参考人だ」
「そうですね。目撃証言が一切取れなかったのが、この事件が迷宮入りした原因だと言われてますから……」
「でも、麻衣ちゃんは犯人の顔をハッキリと見ていないんだよ……激しいショックを受けたのか、茫然自失となって座り込んでいるところを発見されたそうだが、憔悴しきっていて、すぐに病院に運ばれたそうだ。後で事件の事を尋ねられても、何も覚えていない様子だった」
「なるほど……心因性健忘というヤツか」
「ああ、医者はそんなことを言っていたね……とにかく、私は彼女に一刻も早く幸せになってもらいたいんだよ」
「ええ、分かります。ストーカーは必ず捕まえて見せます」
鳴海刑事の言葉の後、私は島崎に、いつからこのマンションの管理人をやっているのか訊ねた。
彼は、どことなく宙を見つめた後に口を開く。
「ほんの数か月前からだよ。もう知っているだろうから白状するけど、私と麻衣ちゃんのお父さんとは旧知の仲でね。麻衣ちゃんがいつまで経っても実家に帰ってこないって心配した哲二さんから、私がお目付け役としてこのマンションの管理人に、その……まぁ、推薦されたというわけさ。
前の管理人はかなりの高齢で、今は老人ホームに入っているし、私も事件が起きた後も管理人業を続けていて、妻には先立たれてしまって身軽だったからね。快く引き受けたんだ」
なるほど、あの父親ならやりかねないことだ。
私は島崎に礼を言って、また何かあれば聞きに来るかもしれないことを告げてメンバー達と共に管理人室を後にした。
※
――その後、私達は篠宮の警護をしていた大倉刑事と共にオモイカネ機関本部に戻ってきた。
大倉刑事を篠宮の警護や島崎の監視から外すのはリスクがあったが、今はなるべく多くの情報と意見が欲しいため、彼にも来てもらった。
篠宮には、相変わらず何かあったらすぐに連絡するように言ってある。
「まぁ、父親の前では言えなかったが、ぶっちゃけあの事件から時間が経ちすぎてるもんなぁ……今更調べてもしょうがねぇか」
「そんなことないでありますよっ! 我々捜査五課のメンバーにかかれば、何か分かることがあるかもしれないでありますっ! な、神牙っ!」
……なぜ、私にその話題を振る?
島崎との会話を鳴海刑事から聞いた大倉刑事の言動はひとまず無視するとして、実際に捜査に手詰り感が漂ってきたのは事実だ。
「自分、関係ありそうな資料を片っ端から集めてくるでありますっ!」
そう言って、大倉刑事は本部を後にした。もともと、私が彼に期待した役割とはそういうものなので、放っておく。
「……あいつ、今時珍しいくらいに情に脆いな」
「そこが大倉さんのいい所なんですよ」
「でもなぁ……付き合わされる身としちゃ、たまったもんじゃないぜ」
「まぁまぁ、そう言わずに……警部にしても、この事件が無事に解決したら、心置きなくパチンコや競馬に精を出すことが出来るわけですし」
「う~ん、そうかぁ?」
……鳴海刑事は、段々鬼島警部の扱いにも慣れてきている様子だ。改めて、彼の対人コミュニケーション能力の高さには驚嘆させられる。
それはそうと、この事件が解決したら鬼島警部に待ってるのはギャンブル三昧のバラ色人生ではない。パソコンと書類を交互に睨めっこする報告者作成という、地獄の時間がやってくることになる。クククッ、彼女は散々、報告書の作成をサボってきたからな。キッチリとやってもらおう。
私が腹の中でそのようなことを考えていると、しばらくして本部のドアが開き、大倉刑事が姿を見せた。
「とりあえず、関係ありそうなファイルを持ってきたでありますっ!」
「うおっ!? なんだ、こりゃっ!? よくこんだけ集められたなぁ……」
デスクとは別にある作業台の上に置かれた、ファイルの詰め込まれたダンボール箱に手を伸ばし、鬼島警部が感心したようにパラパラとファイルをめくっていく。
「聞いてきたところでは、この事件は途中で捜査が中断されたようであります」
「中断? なんでだ?」
「さぁ、そこまでは自分にも分からないでありますが……」
確かに変だ。ざっと手元の資料に目を通しただけだが、これだけ大きな事件なのに、早い段階で捜査は打ち切られ、捜査本部も解散している。だが、その理由は不明。
とにかく、今はまず資料に目を通すことが先決だろう。そこで私は、まず事件の概要に目を通した。
人間解体事件の最初の事件発生は、十四年ほど前にさかのぼる。それからおよそ四年間にわたって、計六人の犠牲者を出した連続殺人事件。
女子学生、四十代のサラリーマン、七十代の老婆、三十代の主婦、二十代のフリーター男性、少女……被害者に共通点はなく、犯行時刻もまちまちだったが、一つだけ大きな共通点があった。
被害者は、いずれも鋭利な刃物でめった刺しにされた後、人体の一部を切り取られていることだ。それが、この事件が『人間解体事件』と呼ばれる由来となっている。そのうえ、どの犯行も同じ凶器によるものと鑑識結果が出ている。
十数人の容疑者候補が挙がったようだが、結局どれも違うと分かり、事件は迷宮入りしている。また、事件の方も十年前の島崎真由美で止まり、以降は起きていない。
続いてファイルに添付された写真に目を通すが、そこには目をそむけたくなるような光景が映し出されていた。人体のあらゆる箇所が鋭利な刃物らしきものでめった刺しにされ、被害者はいずれも片腕や片足、中には胴体を開かれて内蔵をすっぽりと抜かれた者までいた。
だが、島崎真由美の遺体写真に目を向けた時、私は奇妙な違和感を感じた。彼女の死体は、他の被害者と同様に複数の刺し傷があったが、それほどひどくないように思える。そのうえ、彼女はどの部位も失っていなかった。さらに言えば、彼女の遺体は事件の五人目の被害者である四十代サラリーマンの遺体のすぐそばで見つかったとある。
私は、ひとまずこの事を頭の片隅に押し込み、目撃情報にも目を向ける。
一連の犯行のうち、五人目までは目撃者はいない。どのケースも被害者が一人でいるときに犯人は忍び寄り、通り魔的に犯行に及んだものと思われる。ところが最後の事件では、ちょうど犯行現場に出くわし、目撃してしまった者達がいた。篠宮麻衣と、彼女が言っていた女性だ。
通行人が通りかかり、真由美の遺体を発見した時、篠宮はその近くで呆然自失の状態で座り込んでいた。彼女はすぐに病院に運ばれ、そのまま入院している。
激しいショックを受けており、ほとんど覚えていないということだったが、後日、断片的な目撃談を聞くことが出来た。その目撃談は、先程篠宮が言っていた内容と同じだった。警察はすぐに篠宮哲二と島崎邦夫に連絡し、島崎と哲二は病院へ直行している。
資料の記述は異常だったが、担当捜査官の感想として、篠宮麻衣から事情を聞くのは困難だったことが記されている。すぐに入院して面会謝絶となったし、強いショックを受けていたため、無理に聞くわけにはいかないという配慮もあったそうだ。目撃談の方も、父親の哲二を介して伝えられたものだという。
しかし、私が一番気になったのは、篠宮が言っていた女性の記述が、どこにもないことだ。彼女が言っていたことが正しければ、その女性も事件の目撃者となっているはず……だが目の前の資料には、どこにもそれらしき記述はない。
「むぅ……これだけではなんとも……」
私と同じように資料を見ていた大倉刑事は、そのように唸った……が、ふと鬼島警部の方に目を向けると、途端に目を輝かせる。
「そう言えば先輩から聞いた話でありますが、アシュリン先生いわく、鬼島警部は元FBI捜査官だったとか! 何か、分かったことがあるのではありませんかっ!?」
「あ? なんでアタシに振るんだよ」
「いやいや、謙遜なさらなくとも分かります。どうか一つ、お知恵を拝借! よっ! 日本一! いや、世界一!」
古めかしい口調で大倉刑事が土下座せんばかりの勢いでおだてると、鬼島警部は気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いて語り始める。案外、褒め殺しに弱いようだ。
「え~と、そうだなぁ……まず、この現場写真から分かることは、犯人は典型的なシリアルキラーってことだな。目的も意図もなく、ただ殺人に快感を感じてるんだ」
「そ、そうでありますね」
大倉刑事は、あれほど頼み込んだにも関わらず、鬼島警部が指差した現場写真から全力で目を背ける。
「これらの情報を総合して犯人像を割り出すとなると、まず年齢は二十代から三十代の男性。っていうことは、今生きてたら四十代から五十代だな。遺体発見場所が比較的一定しているから、おそらくちゃんとした住居があって、一見まじめに暮らしている」
「一見まじめな男、でありますね」
大倉刑事は、ポケットから取り出したメモ帳に、しきりに鬼島警部の言葉を書き留めている。
「深夜の犯行がないことから、妻子、あるいはそれ以外の家族と同居しているだろうな。それに平日日中の犯行もないから、定時の仕事についている可能性が高い」
「きちんとした定職を持った人間ということですか?」
「ああ、そうだ。それから、遺体をあえて隠していないのは、自分が決して割り出されないであろうという絶対的自信の表れを意味している」
「挑戦的ってことですか?」
「まぁ、それもあるだろうが、犯人は社会的地位が高くて、信頼されているような人間ということもありうるな」
「はたから見れば完璧で、誰も自分に疑いを持たない……ということですか?」
「ま、そんなところだろうな。一歩間違えば自信過剰な人物でもあるだろうが、この犯人はその痕跡をうまいこと消しているように思える――どうだ、大倉? これで満足か?」
鬼島警部が大倉刑事に問いかけるが、当の本人はジッとファイルを見たまま固まっている。
「大倉さん? どうかしたんですか?」
「せ、先輩……これ……」
そう言って、彼は震える手で鳴海刑事にファイルを指し示した。私も横から覗き込む。
彼の野太い指が指し示す先には、石川和夫の文字があった。そのファイルは、どうやら事件の捜査に関わった捜査官の一覧のようだった。
「へぇ、まさかあの男が、かつての同業者だったとはな……でも、ま、これで一つの可能性が出てきたわけだ」
「可能性……で、ありますか?」
「ああ、それを確かめるためにも、明日は奴がいた警察署に問い合わせてみようぜ」
「警部殿、可能性とはいったい――」
鬼島警部は大倉刑事の問いに答えることなく、本部を後にした。
――翌日、我々は石川が前に勤めていた警察署に電話をかけた。電話口に出たのは、石川の元同僚だった。
「はい、えぇ、そうです。石川さんのことについて――」
電話には、対人コミュニケーションの神様こと鳴海刑事が応対している。やがて、彼は満足したのか、電話の向こうにいる相手に意味もなく頭を下げると、電話を切った。
「なんて言ってた?」
「どうやら石川さんは、元々融通が利かない性格だったらしいです。そのうえ、あの事件は捜査途中からなんらかの圧力がかかったようで、上層部からも捜査中止の命令がきたそうなんですが、石川さんはそれから程なくして警察を辞めています」
「でも、今でも事件の関係者であるさつきちゃんに付きまとっているということは、事件の捜査自体は続けているということでしょうか?」
「ええ、おそらく」
私は彼らの話を聞いて、荷造りを済ませて席を立った。他のメンバーも、特に尋ねたりはしない。行く場所は分かり切っているのだ。




