静かなる殺意を助けた者 ~鬼との再会~
伊藤家と荒木家を繋ぐ線があったという、真剣なまなざしを向ける鬼島警部……私が彼女の話を聞くべく姿勢を正すと、彼女は手元の手帳を見ながらゆっくりと語り始めた。
「まず荒木家だが、人付き合いが悪いうえに夫婦そろって偏屈な性格だったらしくてな。しょっちゅう集落の人間といざこざを起こしてたらしい。そのいざこざの相手側に、佐山秀勝って男がいてな。夫婦とは、自分が持ってる土地の境界線なんかで揉めてたらしい」
「そういえば、戸津川さんもそんなことを言っていましたね」
「ああ。それで、佐山って奴は今から数年前に両親を亡くしてな……以来、天涯孤独の身ってやつだ。集落の人の話じゃ、彼が老夫婦と口げんかしているところを何度も目撃したらしい」
私は鬼島警部に対して、佐山と伊藤家とのつながりについて訊ねた。
「ああ。それでな、殺された伊藤さんなんだが、駐在所の書類を調べたら、ここ数年の間に何回も佐山から苦情の申し立てがあったらしい。しかも、そのほとんどは荒木家の嫌がらせに関するものだ」
「敷地内に動物の死骸や糞尿を投げたり、夜中に騒音をたてるなど、少々やりすぎていたようです」
「ま、それで、調書自体は残ってるんだが……他の住人も、荒木家の行動を咎めることはなかったそうだし、佐山が伊藤に相談した日以降も嫌がらせは続いたそうだ。伊藤が、荒木家に注意やらなんやらの対策を行った形跡もなかった。少なくとも、書類上はな。
というわけで、うちらとしては長年の嫌がらせを受けた荒木家に対してと、その嫌がらせに対応しなかった伊藤家に対する佐山の復讐っていうのが妥当な犯行動機だと思うんだが、どうだ?」
確かに……今、話を聞いた限りでは、佐山という男はこの一連の事件の重要参考人だ。
しかし、私には一つ、気になることがある。被害者達に残された食べられた痕だ。私はそのことを、皆に質問した。
「むぅ……長年の嫌がらせを受けて、精神に破綻をきたしているのではないか? 今までも、そのような犯人はいただろう?」
「大倉の言う通りだぜ。佐山は完ぺきにイカレテやがる。しかも、こいつだけが唯一今まで連絡が取れてない」
「僕もそう思います」
「本官もであります」
どうやら皆、この事件の犯人は佐山であると確信しているようだ。実際、それ以外に怪しい人物はいないように思える。
私はみんなに、佐山秀勝を事件の最重要参考人として地元の警察と一緒に捜索することと、佐山の自宅の捜索令状を取ってくるように言った。
「うしっ! やるかっ!」
そして、鬼島警部の言葉を合図に我々はそれぞれの役割をこなしていった。
※
――あれから数時間後、私の右手の中には佐山秀勝の自宅を捜索することができる令状があった。
そんな私の周囲には、オモイカネ機関のメンバー達と加山巡査がいる。
現在の時刻はすでに夕刻であったが、今に至るまで佐山秀勝確保の知らせは入ってこない。
「結局、佐山さんは見つかりませんね」
「まぁ、あいつが殺したい奴を全員殺したっていうなら、もうどこかに逃げててもおかしくはねぇな」
「ですが、すでに彼の情報は近隣の警察署にも伝えてありますし、捜索も手伝ってもらってます。問題はないかと……」
鳴海刑事の意見に、私は肯定の返事をした。
実際問題として、佐山は現在、事実上の広域指名手配を受けているようなものだ。そう簡単に逃げおおせることは出来ないだろう。
彼の身柄の確保は他の警察に手柄を譲るとして、我々は佐山の自宅の今回の事件の手掛かりになるようなものを見つけるのが優先される。
そうこうしているうちに、私達は佐山の自宅の前まで来てしまった。今現在まで、佐山の行方は分かっていない。当然、家の室内からは人の気配はしないし、明かりもついていない。
老朽化している古民家を覆い隠すようにして建てられた新築の家は、今は主が不在のために少し寂しい様相を呈していた。
私は、令状を手に皆に佐山の自宅へ入ることを告げ、各々(おのおの)から帰ってきた返事を背後に携えて玄関のインターフォンを鳴らした。
……応答はない。分かっていたことだが、これから室内に突入するとなると一気に緊張感が増してきた。もし、佐山が居留守を使って自宅に潜んでいたら? 抵抗するだろうか? 彼の精神は正常だろうか?
そのよう考えが私の脳内を駆け巡っていくが、そうしている間も、合鍵を持ってきた加山巡査が今か今かと私の指示を待っている。
私は意を決して、彼に鍵を開けるように言った。
「了解であります」
彼はそう言って、玄関の扉の鍵穴に合鍵を差し込んで開錠する。
ガチャリと音が鳴ったのを聞いて、その場にいる全員が身構えた。いよいよ突入の時である。
大倉刑事を先頭に、加山巡査、私、鳴海刑事、鬼島警部の順で突入態勢を作ると、大倉刑事が私の合図を待った。
私はみんなに、なるべく静かに突入することと、容疑者がいた場合は一人で立ち向かおうとせず、複数で制圧する旨を伝えた。
全員からの反応を確認して、私は大倉刑事に合図を出す。
「うむ……」
そして、彼はゆっくりと扉を開けて中の様子を窺い、何もないことを確認すると室内に入っていった。後に続くようにして中に入った私は、見張りとして家の外に加山巡査、玄関に鳴海刑事を残して一階の捜索を手早く行うことにした。
トイレ、風呂場、リビング……各部屋に大倉刑事を先頭として私と鬼島警部が捜索を行うが、どこにも人はいなかった。一応、生活の後はあるのだが、ここ数日は帰ってきていないらしい。リビングに置かれた机の上に溜まった埃が、それを証明していた。
私達は続いて二階を捜索することにした。鳴海刑事が見張る玄関のすぐ目の前にある階段を、大倉刑事が警戒しながら上っていく……彼の姿が二階に消えると、私と鬼島警部も後を追う。
大倉刑事は二階の廊下で待機しており、我々は一階と同じ要領で二階を捜索したが、事件に繋がるような手掛かりは得られなかった。
「どうでしたか?」
玄関にいる鳴海刑事に対して、私は首を横に振った。
「そうでしたか……」
外で待機していた加山巡査にも同じことを伝えたが、やはり鳴海刑事と同じように残念そうだった。
私としても、今回の事件と佐山を結びつける何かが出てくることを期待していたが、とんだ期待外れだった。
そこでふと、奥の敷地に古民家に目が行く。
私は加山巡査に、あの古民家について訊ねた。
「あ、あれは、佐山さんのご両親が住まわれていた家だったそうであります。佐山さんは、こちらの新築の方に両親と暮らそうと考えていたそうでありますが、ご両親はあの家の方が気に入っていたそうで……」
「おい…あそこ、捜索したっけ?」
「…いえ、自分の記憶が正しければ、まだだったと……」
大倉刑事の言葉に、私を含む全員が息を飲んだ。
もし……もし、犯行を終えた佐山が、両親との思い出があるあの民家に潜伏していたとしたら?
可能性としては何とも言えないが、調べる価値はある。
我々は古民家まで向かい、加山巡査が鍵を開けてから再び、大倉刑事を先頭とした突入態勢をつくる。
そして、私の合図で大倉刑事は引き戸を開いた。
ガラガラと音を立てて引き戸が開かれると、大倉刑事は素早く、しかし静かに室内に入っていく。
彼の体重のせいか、ギシギシと音を立てる床が目障りだったが、私達は先ほどと同じように加山巡査と鳴海刑事を残して廊下を進んでいった。
「っ!? 誰だっ!?」
突如、大声を張り上げた大倉刑事――彼が見つめる廊下の先にはリビングがあり、室内は夕暮れの光が窓から差し込んでいた。
「うっ1? なんだ、この臭いっ!?」
私と同じタイミングでリビングに入った鬼島警部は、そのような声を上げる。私も同じ気持ちだ。
鼻腔内を容赦なく襲ってくる、血の臭い、腐敗臭や獣の臭い……それらの臭いは、このリビングから発せられていた。
床を埋め尽くす動物の死骸や血……ところどころ目にするそれらの骨は、まるでこの世の終わりを連想させるような異様な光景だった。
そして、その中心部……本来ならイスや机が置かれていたであろう場所では、一人の男がうずくまっていた。男の口元からはクチャクチャと咀嚼音が絶えず聞こえ、着ている作業着の大部分を赤黒い血で濡らしている。
私は、直感的にこの男が佐山秀勝と確信し、その男に声をかけた。
「……」
すると、男は咀嚼をやめてゆっくりとこちらに顔を向ける。そこで、私は二度驚愕した。
男の口元はリビングの床と同じように血にまみれており、その両手には何かの肉塊が握られていた。髪は短いが、手入れしていないのかボサボサで、血にまみれた口元には無精ひげが生えていた。
「お前……佐山か?」
大倉刑事と私の体に挟まれる鬼島警部が、私と同じように男に向かって静かに問いかける。
「ううっ……う…」
だが、男からは言葉ではなくうめき声が返ってきた。この異様な光景のせいか、私にはそのうめき声はまるで亡霊がこの世に顕現したかの如く陰湿で不快極まりなく感じた。
「うぅ……あぁああっ!!」
すると、突然男はもがき苦しみ始めた。
「おい、大丈夫かっ!?」
私は、苦しみだした男を反射的に介抱しようとする大倉刑事を制止した。
「なぜ止める、神牙っ!?」
佐山と思われる男が苦しみだした理由――薬物の影響か、憑き物の類かは不明だが、相手はすでに数人の人間を殺害していることから考えて、無闇に近づくことは危険であることを、私は大倉刑事に伝えた。
「しかしっ!――」
それでも、彼は納得がいっていない様子で、未だに苦しんでいる男と私を交互に見つめてくる。その間も、男は胸を両手で押さえて苦しんでいるが、やがて苦痛が和らいだのか、徐々に動きも鈍くなってくる。
ここらで、大倉刑事に介抱させようか……そう思った矢先だった。
「ああぁぁあああっ!!」
「うわっ!? なんだっ!?」
「ぬおっ!? こ、これはっ!?」
――男が咆哮した刹那、私達と男がいるリビングは異界に変化した。
「ぬ? 誰だっ!?」
そして、異界となったリビングの中央――うずくまって動かなくなった男の両隣には、いつの間に現れたのか、かつて見たことがある人影があった。
「よう、また会ったな」
「……」
二体の影はゆっくりと動き、こちらに視線を向けてくる。
一体は、やさぐれた元ヤンキー風の女性、もう一体は長袖シャツにロングスカートといった、清楚な見た目の女性……一見すれば、人間と大差ない…が、その二体は明らかに常人とは違う雰囲気を全身からこれでもかと醸し出していた。
「なっ!? あなた達はっ!?」
「宮沢晴子に…北沢千里?」
「いいえ、違うわ」
私達の目の前に現れたのは、かつて染谷家の誘拐事件で対峙した、二体の鬼だった。
鬼島警部の問いかけに、北沢と思われる女性は首を横に振る。
「それは、私達が人として生活していた時の名前。今の私の名前は寧々(ねね)よ」
「私は奈々(なな)だ。よろしくな」
二体の鬼は、それぞれ異なる様子で挨拶を交わす。だが、大倉刑事と鬼島警部は、事態をまだ呑み込めていないようだった。
「ば、馬鹿なっ!? あなた達は、すでに広域指名手配されているはずっ! なぜこんなところに――」
「久しぶりの再会で出てくる言葉がそれか? ちょっと旧交を温めようぜ」
「あいにく、バケモノ相手に温める旧交はねぇよ」
「はっ! 言ってくれるじゃねぇか。人間の分際でよ」
鬼島警部の言葉に軽口で返すと、奈々と名乗った鬼は私に視線を向ける。
「…あんたとは、色々と積もる話があるよな、刑事さん?」
「…確かに」
寧々と名乗った鬼も、私に視線を向けてくる。
確かに、私は染谷家の誘拐事件の際にこの二体の鬼と戦った。浅はかならぬ因縁というものがあろう。
だが、それよりも気になるのは、なぜ彼女達がこの場にいるかということだ。
私はその疑問を、彼女達にぶつけてみた。
「あんたとやりあった後、もうこっちの世界で人間みたいな生活は出来なくなったんでな。しばらくは異界でのんびりしてたんだ」
「その時に、見つけたの」
そう言いながら、寧々は足元で倒れる男を見つめる。
「この人、とても困ってた。家族に先立たれて……村の人にいじめられて……」
「あんたなら、分かるだろ? そう言う人間はな、ウチらの好物なんだよ」
そう言って、奈々はギラッと犬歯をむき出して笑う。その様相は、いかにも昔話に出てくる鬼そのものだった。
「人間として暮らしているうちに、すっかり忘れちまったがな…昔みたいに、誰かに憑いて人間食べるのも悪くないって思ってな」
「この人、とても入りやすかった。心が弱ってたから……」
「ああ、まぁ、いいや」
そこで、鬼島警部が頭をボリボリとかいて鬼達の言葉を遮る。
「ようは、今回の事件の黒幕はお前らなんだろ? よくわかんねぇけど。とにかく、おとなしく捕まっとけよ」
『……』
鬼島警部の言葉に、寧々は眼光鋭く睨みつけ、奈々は再び犬歯をむき出して、ゆっくりと動いた。
「ああ。いいぜ――」
その言葉と挙動に、私と大倉刑事が構える――。
「アタシらを……捕まえられるもんならなっ!!」
――刹那、奈々は鬼島警部の喉元めがけて右手の爪を振るおうとするが、その爪が振り下ろされるよりも早く、私は鬼島警部と奈々の間に入って彼女の右手を捌き、がら空きの右側頭部と脇腹に連続で突きを食らわせた。
「へっ、やっぱあんた、ただの人間じゃねぇな」
……すぐに飛び退いたから、てっきり効き目があったのかと思ったが…奈々は平然とした様子で私と対峙した。
チラッと横に目を向けると、そこには寧々に首を掴まれた大倉刑事の姿があった。
「ぐ、おおぉっ!」
「大倉っ!?」
私と同じくその光景を見た鬼島警部は助けに入ろうとするが、奈々もその動きに反応する。
「させるかよっ!」
私の守備範囲から出た鬼島警部に、再び奈々は爪を振るうが、私も彼女のスピードに追い付いて振るわれる腕を捌き、再び突きをくらわす。
「ぐっ!」
今度は多少効いたのか、奈々は倒れ込む男のところまでヨロヨロと後退した。
そのスキに、私は大倉刑事を助けようとする――しかし。
「ぐぅ……おおおっ!!」
大倉刑事は、自分よりも体格の小さい寧々に首を捕まえられながらも必死に抵抗し、彼が咆哮すると、彼の鍛え上げられた筋肉が膨張するのが、スーツの生地越しにハッキリと分かった。
関節周りのスーツの生地を破くほど筋肉を膨張させた大倉刑事は、気道を確保するために自身のシャツを掴んでいた両手を離し、そのまま自身の首を掴む寧々の手をむんずと捕まえた。
「っ!?」
その光景に、寧々は目を見開いて驚く。
「うおおっ!!」
そして、大倉刑事は自らの両手にあらんばかりの渾身の力を込めた。
「ぐっ!?」
途端に、寧々の細い右手からメキメキと骨の鳴る音が聞こえ、彼女の無表情の顔面は苦悶に彩られた。ほんの数秒すると、これ以上はたまらないとばかりに寧々は大倉刑事の首から右手を離した。そのスキを、大倉刑事が見逃すはずはない。
「くらえっ!」
彼は、寧々から与えられたダメージをものともせずに立ち上がり、構えをとって力のこもった拳を放った。空手の正拳突きだ。
「うっ!」
大倉刑事の放った正拳突きは、痛みによろめく寧々にまともにあたり、ドンッと大きな衝撃音を響かせてその体を一メートル数十センチほど離れた冷蔵庫に叩きつけた。
寧々の体が激突した衝撃で、一昔前の冷蔵庫はガシャンと音を立てて後方に倒れそうになり、元の位置に戻ったかと思うと上下の扉がぎぃっと音を立てて開いた。明らかに壊れたようである。
「まだ抵抗するかぁっ!!」
倒れ込む寧々に対して、大倉刑事は鬼と見紛うほどの気迫をもって構える……怪異が苦手な彼も、自分の格闘が通じる存在なら強気になれるようだ。
そんな彼と私に相対する二体の鬼は、一瞬、男に視線を向けた後にこちらに目を向ける。
「う~ん、やっぱ、お前強いな。たいしたもんだっ!」
私に目を向けた奈々は、カラカラと笑って手首を押さえる寧々に目を向ける。
「帰ろうぜ、寧々。もう充分喰ったしよ」
「……うん」
「なっ1? 逃げる気かっ!? 待てっ!――」
大倉刑事がそう叫んだ瞬間、二体の鬼は黒い靄に包まれてその姿をくらましてしまい、私達も異界から現世に戻る。
あとに残されたのは、血の海に倒れ込む男とスーツの破けた大倉刑事、呆気に取られた鬼島警部とそれを見守る私――さらに、騒ぎを聞きつけてやってきた鳴海刑事と加山巡査だけだった。




