静かなる殺意を助けた者 ~生活習慣と解剖~
「……加山よ、相変わらずだな……」
「め、面目ないであります……」
集落での聞き込みを終えて、時刻はすでに夕刻を過ぎていた。
この日、武蔵五日市へ帰るバスがない我々は、加山巡査の自宅で寝泊まりすることとなったが、自宅の方の玄関から入って廊下を渡った先のリビングは、相変わらずごみの山となっていた。
「加山……自分もそれほど言えたことではないが、少しは掃除をしたらどうだ?」
「は、はあ、重ね重ね、面目ないであります……」
私はかつて、大倉刑事の自宅へ行ったことはあるが、それでもこれほどまでに荒み切ってはいない。加山巡査の精神が崩壊寸前なのか、それとも元からこういう性格なのか……いずれにせよ、リビングはリビングとしての機能を果たしているとは言い難い。
「ま、いいじゃねぇか。雨風凌げるだけマシってもんだ」
「は、はあ、そうでありますか?」
そういえば、私は鬼島警部の自宅へも行ったことがあるが、彼女の自宅は加山巡査の自宅とたいして変わりなかったように思える。
「さ~て、メシでも作るか――うおっ!?」
「ど、どうしたんですか、警部っ!?」
古いガスコンロの隣にあるシンクに近づいて驚きの声を上げる鬼島警部に、鳴海刑事が駆け寄った。
「い、今、ゴキブリがシンクの中を這いずり回って行ったぜ……」
「加山……」
「か、重ね重ね、面目ないであります、押忍っ!」
怒りを通り越して呆れた表情を見せる大倉刑事に対して、加山巡査は最敬礼をする。
その後、我々はまずこの部屋の掃除から始めることにしたが、ちらかったペットボトルやファストフードやカップラーメンの残骸、埃と何かの汚れが融合した不愉快極まりない汚物の掃除、果ては異臭を消すためにわざわざすべての窓を全開にしたりなど、その作業には非常に労力を使わされた。
我々が一夜を過ごすにふさわしい状態まで掃除を終えた頃には、時刻はすでに午後十一時頃になっていた。
「ふぅ……これで全部か?」
ゴ〇ジェットを片手に、鬼島警部は誰に言うでもなく呟いた。
「お、おそらくは……」
額に脂汗を浮かばせて、加山巡査は答える。
私が見たところ、加山巡査の自宅は最初に拝見した時よりも綺麗になっている……そうでないと困る。私がその意見を表明すると、他の皆も口々に作業をする手を停めて床に座り込んだ。
「ふぅ……とにかく、ここは一件落着だな」
「押忍……」
「……だいぶ、疲れましたけどね」
「うぐぅっ!? 不肖、加山太郎、これからは自宅の整理整頓清潔清掃はちゃんと行うと誓うであります……」
鳴海刑事の無意識なイヤミが通じたのか、加山巡査はフローリングの床に座り込んだまま敬礼する。
その後、我々は加山巡査が用意してくれたカップラーメンを食べて交代で風呂に入り、それなりに片付いた床で就寝することにした。
※
「――さんっ! 神牙さんっ! 起きてくださいっ!」
……眠りついてどれくらい経っただろうか? 体感的には、それほど時間は過ぎていないように思える。
重たい瞼をこすって無理やり意識を覚醒させ、私は自分の体を揺すりながら声をかけてくる人物に目を向けた。
「神牙さんっ! 大変ですよっ!」
声の主は、鳴海刑事だった。彼はすでにいつものスーツを着ており、寝ぐせもなく清潔な髪型を保っている。
しかし、その表情は明らかに鬼気迫るものがあり、私は意識が覚醒するにつれて訳もなく焦り始めた。
「また……また被害者が出ましたっ!」
布団から起き上がりながら、鳴海刑事からその言葉を聞いた。
被害者……つまりは、この村でまた殺人が行われたということだ。それも、私の勘が正しければ被害者は獣害に見せかけて殺されているのだろう。
私は枕元に畳んでおいたパーカーを素早く羽織り、まだ意識もハッキリとしていないままに鳴海刑事に現場を連れて行くように命じた。
「こっちです、付いてきてくださいっ!」
そう言って、小走りで加山巡査の自宅を後にする鳴海刑事に、必死についていく。まだ寝起きのためか、体の反応も鈍い。
彼の後姿を追いながら周囲の状況を観察するが、彼以外のオモイカネ機関メンバーや加山巡査の姿は見当たらなかった。すでに現場にいるのだろうか?
そのまま、早朝の肌寒い空気を身にまとって走り続けると、鳴海刑事は荒木家の前で家の玄関を指し示して止まった。
「こちらです」
そう言って鳴海刑事は躊躇なく玄関から中へ入っていくので、私も後を追う。
荒木家の自宅は古い設計になっているのか、玄関を通って廊下を歩くと、すぐにリビングにたどりついた。
「……よう」
そこには、うずくまる大倉刑事と加山巡査、そして……床一面に広がる血の海の中でピクリとも動かない老夫婦の遺体を見つめる鬼島警部がいた。
彼女は私の姿を見るなり、親指でクイッと遺体を指し示した。
「見てみな。アタシの見立てじゃ、二人とも警官を殺したのと同じ手口で殺されているぜ」
鬼島警部に促されて、私はしゃがみ込んで遺体を検分する。
……見たところ、彼女の言う通り被害者は伊藤家を殺害したのと同じ手口で殺されているようだ。全身に齧られた痕があり、頭部にはその痕に隠れるようにしてパックリと開いた傷がある。
私は、被害者宅の床で座り込んでいる役立たず二名の代わりに、鬼島警部に対していくつかの質問をした。
「第一発見者? ああ、待たせてるぜ。ちょっと待ってな」
そう言って、彼女はリビングから立ち去ると、ものの数十秒で返ってきた。その隣には、この集落の代表を務める戸津川の姿があった。
「戸津川さんが第一発見者だ。彼が最初に遺体を見つけて、加山の家に行ってアタシらを叩き起こして、アタシ達はこっちに来た。その後、あんたがいないことに気付いたから、鳴海にあんたを迎えに行かせたんだ」
なるほど……どうやら、私だけ呑気に眠り込んでいたらしい。反省せねば……。
気を取り直して、私は戸津川に遺体を発見した時の状況をなるべく詳しく話すように言った。
「確か……今朝は散歩しておりました。いつも、街の方に出勤する前には散歩をするのが日課でして……あんな事件があったから、多少は気が引けましたが……どうにも落ち着かなくて、いつも通り午前五時頃に家を出ました」
「そ、それは、自分が保証するであります。自分、夜勤明けによく散歩をする戸津川さんを見かけて挨拶をするでありますから……」
「どうも。それで、今日もいつも通り散歩してたら、荒木さんの家の門と玄関が開いてたんです。それで……事件のこともあって、玄関に入って荒木さんに声をかけました――彼や奥さんは、いつも早起きでしたから……でも、返事はなくて、その時ひどい臭いがしたもので」
そこで、戸津川は話を中断してゴクリと息を飲む。
「悪いとは思ったんですが、一応断りを入れながらお家に上がらせてもらって、臭いのする方へ、つまり、このリビングに来たんです。それで……その時、この通り彼らの遺体を発見したというわけです」
私は戸津川に礼を言って、メンバー達に現場の保存と聞き込みの開始を告げた。
「伊藤家の聞き込みはどうする? 一応全部回ったが、まだ話を聞けてないところもあるぜ?」
私は鬼島警部に、それらの聞き込みも今回の荒木家の聞き込みと並行して行うように言った。
その後、我々は役割分担として、鬼島警部と大倉刑事、加山巡査と鳴海刑事で聞き込みをしてもらい、私は加山巡査の自宅兼駐在所で情報収集にあたることにした。
戸津川には、家に鍵をかけて、なるべく外に出ないように――それを集落の全員に伝えるように言って帰ってもらった。
彼はスーパーの経営があると言って当初は反対していたが、集落の人間が立て続けに殺されたことを考えて、仕方なくといった様子で指示に従ってくれた。
そして、私は今は加山巡査の自宅にいるわけで、専用端末で『その者』と連絡をとる。
『今、大丈夫か?』
『問題ない。どうした?』
私がメッセージを送ると、ものの数秒で返信がきた……監視されているのだろうか?
『現在捜査中の事件について、改めて情報を精査しておきたい。まず、この事件に組織は関わっていないんだな?』
『ああ、そうだ』
『組織の意図しないところで、誰かが独断で動いている可能性はあるか?』
『私の方では、そのような情報は聞いていない。だが、もし気になることがあったら教えてくれ』
そこで私は、被害者の状況について訊ねた。
『被害者の遺体についてだが、頭部を何かで割られた後に全身を齧られている。何が死因かは解剖待ちだが、この件について心当たりはあるか?』
『おそらく、その状況こそが現在君達が介入している理由だろう。私の部署にこの話が来た時、現場付近で妖気の反応を探知したという報告があった』
『つまり、今回の事件は怪異が絡んでいると?』
『おそらくは。だが、その正体までは分からない』
『了解。では、その線で捜査を続けていく』
『よろしく頼む』
私は『その者』との通信を終えた後、カチューシャが住む館へ連絡をする……彼女の住む館が、現代文明の恩恵を受けていることを切に願う。
『もしもし?』
……幸い、彼女の自宅へはすぐに回線が繋がった。
私はカチューシャに、人の肉体を齧る妖気を放つ存在について質問した。
『う~ん、その条件だと、ちょっと候補が多すぎるわね。他に、何かない?』
私は彼女に、それ以外に手掛かりはないことを告げた。
『ふーん、まぁ、あくまで私の推測だけど、あなたが言っていることって、たぶん齧るっていう行為じゃなくて、食べるって行為じゃないかしら?』
……私は彼女のその言葉に、雷に打たれたような気分になった。どうして、今まで気づかなかったのだろう? 思い返せば、確かにあれらの遺体の状況は『食べられた』という表現の方がしっくりくる。鬼島警部も、最初は獣害を疑ってそのような発言をしていたはずだ。
私が興奮している間も、カチューシャはペラペラと話を続けていく。
『人を食べる妖怪や怪異なんかは古今東西存在するわ。彼らにとって、人は最良の栄養源なのよ。もっとも、彼らにとっては肉体を食べることそのものよりも、肉体を食べることによってその者の魂を食べるってことの方が重要だけどね。どう? 少しは参考になった?』
私は、カチューシャに心から礼を言った。
『別にいいわよ。その代わり、それらしい存在を見つけたら、こっちに頂戴ねっ!』
彼女が言っているのは、この事件の犯人が怪異の存在だった場合、そのサンプルをよこせということだろう。現代に生きる魔女である彼女は、そのサンプルを用いて様々な実験を行っている……今回は彼女の言葉で事件にある程度の方向性がついたので、私はその提案を了承した。
『よかった! 期待して待ってるわ!』
そう言って、電話は切れた……もし、この事件が人の手によるものだったら、人間を彼女に差し出すことになるのだろうか?
その時、私が普段使っているスマートフォンに連絡を入った。アシュリンからだ。
『ファングか? たった今、伊藤家の解剖がすべて終わったところだ』
……私は彼女に、追加で二名の遺体がそちらに運び込まれることを告げた。
『……まぁ、解剖が仕事なので問題はない。それはそうと、解剖で判明したことをいくつか報告するぞ』
私は了承の返事をした。
『まず、伊藤家の死亡推定時刻は午後七時頃。死因についてだが、全員、角材か斧――木材の破片がどの傷口にもついていないことから、おそらく斧である可能性が高いが、その凶器で頭を一撃のもとにカチ割られたことが原因だ。いわゆる脳挫傷というものだな。傷の深さからいって、ほぼ即死だっただろう』
私はアシュリンに、人間にそのようなことは出来るのか訊ねた。
『何が言いたいのか、あえて無視するが、人間でも相当な怪力があれば不可能ではない』
私は次に、全身についていた齧られた痕、もとい食べられた痕について訊ねた。
『あれか…ふむ……』
そこで、アシュリンは黙り込んでしまう…が、すぐにいつもの口調で説明を始めた。
『実は、あれが一番厄介でな。あの痕がついたのは、死後だ。そして、歯形は人間のもので間違いない。歯形というのは、指紋と同じで一人一人異なるものだから、犯人を特定する重要な手掛かりとなるだろう。歯形に付着していた唾液のDNAを検査した結果、あの歯形の主は三十代男性であることが分かったしな。ただ……』
そこまで言って、アシュリンは黙り込んでしまう……私は彼女に、話を続けるように言った。
『ん? ああ。それで、そこまで良いんだが、伊藤家の遺体に共通している部分は頭部の傷以外にももう一つある。腹部だ。
この腹部が、遺体の中で一番損傷が激しい。ポッカリと穴が開いている状態だ。だが、刃物か何かで開腹したのではなく、どうやら腹の周辺を食い破って開腹したらしい』
それはまた……なんとも猟奇的な話だ。
『それで、損壊した腹部の周囲から唾液を採取することは出来たのだが……』
そこでまた、アシュリンは黙り込んでしまう。
『……DNA検査の結果、人のものでも動物のものでもないことが分かった』
電話口から聞こえてきた声色は、必死に『そんなこと、あるはずがないっ!』と言いたげだったが、科学の信徒である以上も、彼女も科学的検査の結果は尊重しようとしているのだろう。
『……ふぅ、私からは以上だ。最後に――』
アシュリンは、電話口の向こうで一呼吸おいて口を開いた。
『DNAの件で、この事件が怪物だかなんだかのせいだと結論付けないでくれよ? いいな? 分かったな?』
私は、アシュリンがしつこく念押ししてくるので、思わず了承の返事をしてしまった。
『よろしい。ただのカニバリズムかもしれないしな。では』
そう言って、彼女は苛立たし気な口調で電話を切った……この事件の犯人が怪異だったならば、彼女には適当にごまかしておこう。犯人は遺体を食べてしまうくらい頭がおかしくなった麻薬中毒者でしたとか……。
「神牙? ちょっといいか?」
その声に思わず顔を上げると、そこにはオモイカネ機関のメンバー達と加山巡査が勢ぞろいしていた。
私がどうかしたのか尋ねると、鬼島警部が口を開いた。
「一応、連絡が取れる集落の人間にはほとんど聞き込みしてきたぜ。それでな、聞いてほしいことがるんだよ。鳴海」
「はい。亡くなった荒木夫婦ですが、あまり近所付き合いをするようなタイプではなかったそうです」
「隣の佐藤さんとの土地の件でも揉めていたというし、殺害の動機は多いと思われます」
「それでな……見つかったんだよ。伊藤家と荒木家を繋ぐ線がな」
鬼島警部が珍しく見せる真剣な表情に、私は体勢を整えて彼女の話を聞くことにした。




