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静かなる殺意を助けた者 ~いざ、遠方へ~

 警視庁地下四階の廊下――私は溜まりに溜まった報告書の山を片付けようと、珍しく早朝出勤していた。

 だが、私の職場であるオモイカネ機関本部がある倉庫まであと数メートルといったところで、私が着ている軍用パーカーのポケットの中で、高度な暗号化措置が施された専用端末が振動した。通信が入ったのだ。

 私が端末を手に取って画面を見ると、そこには『その者』からの着信が入っていた。

……奴からの連絡には、ろくなものがない。たいていは事件発生の知らせだ。普段なら何とも思わないのだが、この日は資料整理や報告書の作成のために早朝出勤したので、それを邪魔されたことで若干じゃっかんイラつく気持ちがある。

 だが、私は負の感情を抑えて『その者』とのチャット画面を開いた。


『事件発生だ』


 画面にはただ一行だけ、そのような文言が表示されていた。


『どうしても、我々でなければダメか?』


 その文章を見つめてからどれほど経っただろうか……おそらく、数分ほどしてから私はその文章を『その者』へ返信した。


『すこし返信が遅れたようだが、今は大丈夫か?』


 ほんの数秒後、そのような着信を来る。どうやら奴は、私の返信が遅れた理由は自分がまずいタイミングで連絡したことにあると考えているようだ。実際、その考えはある意味当たっている。


『大丈夫』

『本当に問題ないか?』


 その言葉は、私の胸にさざ波となって押し寄せてきた。

 本音を言えば、今日は一日中――それこそ徹夜を覚悟でデスクワークに励むつもりだったが、事件が起きたとあっては――ましてや、その事件が我々にしか解決できないようなたぐいのものならば――そちらに意識を集中させねばなるまい……どのみち、いつもより早い時間に出勤しようがいつも通りの時間に出勤しようが、事件の連絡は来ていただろう。

 だが、私はあえて……あえてっ! 今日、自分が本来何をしたかったのかを伝えることにした。


『問題ないが、今日は出来ればデスクワークに励みたかった』

『現場仕事が嫌になったのか?』

『そういうわけではなくて、ここ最近事件が頻発ひんぱつしているうえにおおよそ我々が介入する必要のない事件の捜査にまで駆り出されている』


 この文章はオモイカネ機関をたばねるおさとしては問題発言なのだろうが、私はそのようなことを気にすることができるほど器用ではなかった。

『その者』からの返信は、少し遅れてから来た。


『それは、私も気付かなかった。これからは、単独捜査や合同捜査の案件はよく吟味ぎんみするようにする。だが、あまり期待はしてくれるなよ?』

『分かっている。それで、場所は?』

『まず――』

 

 その後、私は『その者』から事件発生場所を聞き、オモイカネ機関のメンバー達に一人ずつ電話をかけた。皆は家にいたようで、自宅の電話に連絡したらすぐに対応してくれた――鬼島警部を除いて……。


                       ※


「いや~、わりぃな、遅れちまってよっ!」


 そう言いながら、鬼島警部が我々の目の前に姿を見せた時には、すでに時刻は正午を少し過ぎていた。


「警部……突然連絡を受けたから仕方ないかもしれないでありますが、我々は警察官であるからして――」

「ちゃんとしろって言いたいんだろ? ほら、こうしてちゃんと来たじゃねぇか。で、場所はどこだ?」

「……はぁ」

「し、仕方ないですよ、大倉さん。僕達だって、少し遅れちゃいましたし……」

「はあ、先輩がそうおっしゃるなら……」


 鳴海刑事にさとされても、いまだ不満な様子の大倉刑事は、その太い手首に巻かれた腕時計に目を向けながら口を開いた。


「それで、事件はどこで起きているんだ、神牙?」

 

『その者』とオモイカネ機関メンバー達との連絡を終えて数時間後――私達は、東京都奥多摩方面にある武蔵五日市駅という駅の前に集まっている。

 ここは武蔵五日市むさしいつかしと言い、都心からかなり離れているが、それでも近代化の恩恵によって駅周辺はよく整備されている。田んぼや住宅地、整備された道路や遠くにポツンと見える大型商業施設などは、東京周辺の地方都市によく見られる光景だ。

 私はメンバー達に、ここからはバスを乗り継いで目的地に向かうことを告げた。


「げ、そんなに遠いのかよっ!?」


 鬼島警部などは、露骨に嫌そうな顔をするが、それは鳴海刑事や大倉刑事も同じであった。


「むぅ…この地に住む方々には申し訳ないが、かような辺境の土地に我々が携わるような事件があるのだろうか?」

「……分かりません」


 私は、すでに疲労困憊ひろうこんぱいといった様子のメンバー達に対して、バスの停留所を指差して、再度目的地へ向かうことを告げた。

 その後、我々はやってきた少し型の古いバスに乗り込み、そのまま武蔵五日市のさらに奥地を目指す。


「――そういえば、今回は合同捜査じゃないのか?」


 五日市署の前をバスを通り過ぎる際に、鬼島警部は言った。

 私はそれを否定したのち、彼らに対して今回の事件の概要を伝えることにした。すでに情報は、電車に揺られている間に『その者』から受け取っている。

 事件が発生したのは武蔵五日市から車で三十分ほど山奥に行った所にある集落。不思議なことにこの集落には公式な名前がなく、地元民やその集落で暮らしている人々は、その地を『神谷かみや』と呼んでいるらしい。その神谷には駐在所が二軒、集落の出入り口の両端に設置されている。そのうちの一つの駐在所で、事件は起きたらしい。

 今日の早朝、同僚の警官が駐在所を訊ねると、そこには惨殺された警官の遺体があったらしい。駐在所や自宅を調べた結果、自宅の方からは家族の遺体も発見されたそうだ。その警官が五日市署へ連絡、その後は警視庁を経由して我々に出動命令が下ったというわけだ。


「う~ん、それだと、やっぱ今回は地元の警察と合同捜査になるってことか? 同僚を殺されたんじゃ、黙ってみてるわけにはいかねぇだろ?」


 私は、鬼島警部に答える。

『その者』からの情報によれば、今回、武蔵五日市署の刑事達や管内の警察官は、ほぼ全員市内のパトロールに駆り出されるとのことだ。理由としては、遺体の状況がある。

 遺体の頭部には、殴られた痕があるものの、全身にかじられたり食いちぎられた痕があることから、武蔵五日市署や警視庁は、今回の事件を獣害と判断しているとのことだ。


「なるほど…頭部の傷も、もしかしたら獣の仕業かもしれないと……」

「うぷっ……」


 顎に手を添えて考え込む鳴海刑事の横で、大倉刑事は遺体の状況を想像してしまったのか、口元を押さえる。

 私は彼に、吐くなら窓を開けてからにしてほしいと告げた。


「い、いや、大丈夫だ。それよりも――」


 彼はなおも気分悪そうに話しを続ける。


「自分は……殺された警官の事が気になる」

「何か気になることでもあるんですか?」

「押忍……その、もしや、殺された駐在というのは、加山のことではないかと……」

「おお~、確かそんな駐在がいたな。今は何してんだっけ?」

「押忍。なんでも、別の村で駐在をしているとか……」


 大倉刑事の様子とは対照的に、鬼島警部は明るい調子を崩さない。


「ははっ! まだ駐在やってんのかっ!? いい加減交番勤務か刑事にでもなれってんだよなぁっ!」

「押忍、まったくであります……」


 鬼島警部がいくら軽口を叩いても、大倉刑事の曇った表情は梅雨の空の如く一向に晴れない。

 加山太郎巡査……かつて、組織が密かに管理していたという牢山村で駐在をしていた警察官……『その者』によれば、別の地域で駐在としての勤務を続けているというが……。

 チラッと後ろの座席に座る大倉刑事の様子を見るが、彼は外の景色に目を向けたまま憂鬱ゆううつな表情をしている。今回の集落は、『その者』によれば組織の息はかかっていないとのことだが……。

 私は、殺された警官が加山巡査でないことを心から祈った。別に、彼以外なら誰が死んでも構わないということではないが、見知った人間の遺体を見るのは、非常につらい。ましてや、死体の苦手な大倉刑事なら、なおさらであろう。

 私がそのことで悶々(もんもん)としている間も、私達を乗せたバスは両脇に山林を携えながらそれなりに整備された道路を進んでいく。

 しばらくすると、ポンッという軽めの電子音の後に運転手の声が車内に響いた。


『神谷~、神谷~』

「あ、ここですね」


 運転手の声を聞いて、鳴海刑事は停車ボタンを押す。ボタンは赤く光ると、先ほどと同じようにポンッと音を発した。

 それからほどなくして、バスはゆっくりと停車する。

 運転手が神谷の名を告げると、我々は座席を立ってバスから降りた――全員がバスを降り切った後、バスは扉を閉めてさらに奥地を目指す……どうやら、神谷は田舎ではあってもバスの終着点というほど辺鄙へんぴなところではないらしい。

 季節はまだ肌寒い今日この頃……この身を照らす太陽の光は、これから我々が対峙するであろう惨劇の舞台を一時忘れさせてくれるには充分なほど心地よかった。

 見たところ、我々が降りた場所は住宅地から離れているらしい。周辺は、釣り堀や木材加工の施設ばかりで、民家は見当たらない。

 しばらく周囲を観察していると、バスが走っていった方角の丘に、民家が見えた。どうやら、あそこが住宅地のようだ。

 ふと、住宅のある丘からその下に見える道路に目を向けると、自転車でこちらに近づいてくる人影が見えた。

 単純に、この集落かその近辺に住んでいる者だろうかとも思ったが、その者の服装は、上は群青色ぐんじょういろの制服、下は同色のスラックスである。そのような服装をするのは、日本では限られた職種の者だけである。そう、それは――。


「なんだ? 向こうから警官がやってくるぜ? 俺達を迎えに来たのか?」

「どうなんでしょう……あっ!」


 鳴海刑事がそう声を上げた頃、人影は先ほどよりもハッキリと視認できる。どうやら、かなり急いでこちらに来ているようだ。やがて、人影の正体が姿を現した。


「ん?……おお、加山っ!」


 大倉刑事はそう叫ぶと、自転車に乗った警察官めがけて走っていった。というより、突進していったという表現の方が似合うかもしれない。


「押忍っ! お疲れ様です、大倉先輩っ!」


 自転車に乗っていた警察官は、加山巡査だった。どうやら、事件の被害者は彼ではないらしい。

 彼は自転車からサッと降りると、これまたサッと敬礼した。


「押忍っ! 不肖ふしょう、加山太郎、ここに見参でありますっ!」


……いつも思うのだが、加山巡査や大倉刑事は、いささか生まれる時代を間違えたのではないだろうか?

 それは置いておくとして、私は加山巡査に挨拶をする。


「押忍っ! お久しぶりです、神牙先輩っ!」


 そう言って、彼は律義にも最敬礼してくれた。鳴海刑事や鬼島警部が挨拶した時も同様である。


「して、現場はどこであるか?」

「はっ! ご案内いたしますゆえ、自分に付いてきてほしいでありますっ!」


 先ほどまでの不調はどこへやらといった様子で、大倉刑事が訊ねると、加山巡査は再びビシッと敬礼をして、元来た道を自転車を押しながら歩いていく。

 我々も彼の後についていくと、彼はそのまま丘を登って住宅地を通り過ぎ、この集落のもう一方の通り道となる道路までやってきた。その道路の脇道には、見た感じでは数十年前に建てられたと思われる一軒の駐在所を兼ねた住居があった。


「こちらであります」


 加山巡査はそう言って、駐在所の車一台分しかない駐車場に自転車を停めた。この駐在所にはパトカーは配備されていないのか、駐車場やその周辺にはパトカーはなく、置いてあるのは田舎の警察や駐在警官が使うようなステンレス製の自転車だけだった。

 一応、私用で使うのだろうか、住居側の駐車スペースには一台の車が停車している。

 私達がその駐在所の出入り口となる玄関を通ると、ムワッとした空気が鼻腔を刺激し、全身にまとわりついてくる。

 我々が幾度も嗅いできたその異臭は、これから我々の精神を徹底的に刈り取ってやろうという、死神からの宣戦布告のような気がした。

 そして……本来、駐在が待機している事務所に立ち入ると、そこには血の海の中でうつ伏せに倒れる、一人の警察官の姿があった。

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