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欲しいモノ ~息子の事~

――リビングでの騒動から数十分後、海野宅の前には我々が乗ってきた乗用車一台だけが、変わらず停車していた。

 雅子が倒れた後、我々は救急車を呼ぼうとしたが、雄二に止められた。


『僕が処置しますっ!!』


 まるで最前線の戦場を走り回る衛生兵のように、雄二はそのように声を張り上げた後、雅子をソファに寝かせて隣接する病院まで向かい、手術室に隣接する控室からいくつかの器具と薬品、点滴パックを手にして戻ってきた。

 その後、彼は手際よく雅子に処置を施し、今、ソファは雅子専用の救急ベッドとなっている。我々はその横にあるダイニングテーブルを囲うイスに腰掛け、対面に座る雄二に後からやってきた鳴海刑事が申し訳なさそうに質問を投げかけていた。


「あの…警察や救急車は呼ばなくてよかったんですか?」


 その質問に、雄二はチラッとイラついた視線をぶつけた。


「それで、もしマスコミや警察の注目を浴びて、母の体調は良くなるんですか?」

「あ、す、すみません……」


 ソファに横たわる母の横でジッと座っている雄二の言葉に、鳴海刑事は頭を下げた……が、そのまま黙り込むこともなく、口を開く。


「……お母様は体調が優れなかったんですか?」


 雄二は、少し汗ばんだ肌をぬぐいながら答えた。


「…ええ、特に最近の数日間は……」

「あの、申し訳ないでありますっ!!」


 そう叫んで、唐突に大倉刑事は頭を下げた。


「本来なら、自分らがもう少しお母様の健康に留意するところを、犯人を捕まえたいばかりに、とんだご苦労をお掛けしてしまってっ!!」


……冷徹なように思えるが、本来なら我々は頭を下げる必要などない。我々の本分は事件の早期解決であって、人間のメンタルケアではないのだ。

 だが、大倉刑事の言動は人として……我々人間が、本来どうあるべきかというものの片鱗へんりんを否応なく見せつけてくる。その大倉刑事に続くように私を含む他のメンバーも、雄二に頭を下げた。

 顔を上げると、雄二は口を開けてポカンとした様子であっけにとられているようだった。


「あ、あの、どうか、気にしないでください。幸い、母は無事ですし、僕としても事件が早く解決することに越したことはないですから」


 雄二は、どことなく困ったような笑みを浮かべて会釈を繰り返した。


「それに、父さんだったらこういう時、『男だったらしゃんとしろっ!』って怒るでしょうしね」

「お父様は厳しい方だったでありますか?」

「ええ、それなりに……何かにつけて、『男はかくあるべしっ!』って言われましたよ」


……雄二はそう言いながら微笑んだが、その笑みにはどことなく影があるような気がした。

 そして、やっとなごんできた場の空気を、鬼島警部は容赦なくぶち壊しにいく。


「あの、こんなこと聞くのアレなんすけど、雄二さんって仕事は何してんですか?」


 鬼島警部がそう聞くと、雄二はその笑顔を少し曇らせて苦笑した。


「恥ずかしながら……無職なんです」

「えっ!? でも、先ほど見事な手捌てさばきでお母様に処置を施されていたように見えましたが?」


 私も、その点は気になっていた。両親の正志と雅子いわく、息子は医大を出て病院に医師として勤務していたと言っていた。それでも、最近は家に引きこもっていたというので、てっきり医者としての技術はおとろえているものと思っていたのだが……。


「ええ。昔は医大を出て都内の病院に勤務していたんですが、精神的に参ってしまって……それで、今は父が経営している病院で法や条例に触れない範囲で手伝いをしているんです」

「ああ、なるほどっ! そうでしたなっ!」


 大倉刑事は合点がいったとばかりにポンと手を叩いた。その横で、鳴海刑事が口を開く。


「それでしたら、こちらの病院に勤務しているということになるんじゃないですか?」

「う~ん、僕も将来的にはそうしたいと思ってます。ただ、まだ少し心の準備が出来ていなくて……それに、ウチは見ての通り家族経営の小さな病院ですから、父と母、他に数名の医療関係者を雇ったら財政的にはいっぱいいっぱいなんです。なので、今の方が色々と都合が良いんですよ」

「はあ、なるほど……ちなみに、病院に勤務されている時はどの分野を担当されていたんですか?」

「整形外科です。と言っても、この病院のような美容整形ではないですけどね」

「あ、お母様から聞いたことがあるであります。なんでも、外傷などを治す整形外科と、美容を目的とする整形外科に分かれるんだとか」

「ええ、その通りです。僕が担当していたのは前者ですが。まぁ、医学的にはそれほど違いはありませんよ。最近は、美容整形の方がよりそれに特化した専門的手術をするそうですがね」


 さすがに医者を親に持ち、自身も医大を卒業したとなると、これほど饒舌じょうぜつにもなるか……これならば、精神的には問題なさそうに思える。

 私は雄二に礼を言って、席を立った。それに他のメンバーも続く――その時。


「ん? なんでありますか?」


 突然、二階からドンという物音が聞こえてきた。

 音につられるようにして上を見上げる大倉刑事に、雄二を答える。


「ああ、犬ですよ。大型犬を飼ってるんです」


 彼がそう言うのでリビングを見渡すと、確かにドッグフードの袋やトイレなどがある


「ああ、そうでありましたか。これは失礼っ!」


 大倉刑事がそう言うのを聞いて、私達は改めて海野宅を後にする。


「また何かありましたら、よろしくお願いするであります」


 帰り際、車の運転席からそう声をかける大倉刑事に対して、雄二はこれまで見せたことのない、母親譲りの淡い笑みを見せて応えた。


                        ※


「それにしても、一時はどうなることかと思いましたが、雅子さんに大事がなくて良かったですね」

「まったくだぜ。ただでさえ、ここ最近はキツい場面ばっか見てきたからな」


 海野宅を後にし、警視庁地下にあるオモイカネ機関本部へ帰った直後、鳴海刑事と鬼島警部のそんなやり取りが始まった。ちなみに、大倉刑事には海野家の情報を集めてもらってきている。


「それにしても…本当に正志さんが犯人なんでしょうか?」

「まぁ、アタシも勢い余って一課に食って掛かっちまったが、ほぼ確定じゃねぇか? 正志は医者だ。犯行の手口と合致する人物像だろ?」

「ですが、肝心の動機はなんでしょう?」

「さぁな。おおかた、ストレスかなんかだろ」

「そ、そんな、警部、いくらなんでも大雑把過ぎるのでは――」


 その時、鳴海江刑事の言葉をかき消すように、私のデスクに設置された黒電話の着信音が、けたたましく室内に鳴り響いた。


「神牙か? 私だ、アシュリンだ」


 私が電話を取った瞬間、受話器の向こうで凛とした声が響いた。


「例の連続殺人事件の被害者である、米倉智子の死因と死亡推定時刻が分かったぞ」


 私はアシュリンに、話を続けるように言った。


「彼女の死因は、他の被害者と同じで頸動脈を一撃で断ち切ったことによる失血死だ。その他、遺体に付けられた傷口や女性器の切除など、他の被害者とほとんど類似している。死亡推定時刻は、おそらく昨夜午前0時から午前一時の間と思われる」


 私は、アシュリンに手短く礼を言って電話を切った。


「誰からだったんですか?」


 私は鳴海刑事と鬼島警部に、電話の相手がアシュリンだったことと、彼女から伝えられた事柄をそのまま彼らにも伝えた。


「どうやら決まりだな。午前0時以降のアリバイは、正志にはない」

「それはそうですが、それなら雄二さんだってそうじゃありませんか?」

「う~ん、あいつが人殺せるタマに見えるか?」

「人を見た目で判断するのはどうかと――」

「ただいま戻りましたっ!」


 再び、鳴海刑事の声をかき消すように、大倉刑事の大声が響き渡る。この部屋は地下室にあり、窓もついていないせいか、やけに音が反響する。


「おう、どうだった? 何か収穫はあったか?」


 鬼島警部の中でも、この事件は海野正志による犯行となり始めているのか、さして興味なさそうに大倉刑事に問いかける。


「はっ、報告するであります。え~、海野正志は医大を卒業後、都内の病院に勤務したのちにあの場所に住居と海野病院を設立され、以来あの場所で開業医として生計を立てております。

 妻の雅子さんの方は、都内の看護学校を卒業後、なんと当時正志さんが勤務していた病院と同じ病院で看護師をしていたであります」

「で、そのままめでたくゴールイン、と。ありがちな職場結婚だな。そういえば、本人が取調室でそんなこと言ってたっけ」

「はい。その後、長男の雄二さんを生んだ後に、正志さんは開業医になったであります」

「雄二さんはどういう経歴なんですか?」

「はっ、雄二さんの方も、都内の医大を卒業後、お父様が勤務されていた病院にて医師を務められていたあります。が、本人がおっしゃっていたように、数年でその病院を退職されておりますね。以来、約五か月の間の雇用記録はないであります」


 大倉刑事が報告を終えると、鳴海刑事は顎に手を添えて口を開く。


「なんで、雄二さんは病院を辞めちゃったんでしょうね?」

「それが…『自己都合退職』としか分からなかったであります。当時、雄二さんと親しくしていた医師を見つけて話を聞いたのでありますが、彼にも理由は分からないそうで……」

「だったら明日、さっそく本人に聞いてみるか? 母親の見舞いを口実にしてよ」


 少々気は引けるが……私は鬼島警部の意見に賛同した。


「む、むぅ…自分は遠慮したいでありますが――」


 私は大倉刑事に、当時雄二が勤務していた病院で事情聴取をするように命じた。


「う、うむ、それならばよかろうっ!」


 そして、私は今日の勤務の終了をメンバーに通知して、帰路についた。


                      ※


 翌日、私は再び、携帯の着信音で目を覚ました。

 あまりこうした生活は送りたくないものだ……そう思いながらも、携帯を手を伸ばして耳元に当てる。


「神牙さんっ!? 大変ですっ! また遺体が発見されましたっ!」


――鳴海刑事のその言葉で、寝起きの微睡まどろみの中にいた私の意識は、一気に覚醒した。

 私は鳴海刑事から事件現場の場所を聞き出し、身支度を整えて突風のように室内を駆け抜けて玄関を出た。


「――お疲れ様ですっ!」


 現場は、またしても海野病院からほど近い路地裏だった。だが、今回は病院側の路地ではなく、住宅側、しかも、付近に多数の民家がある住宅街の路地である。

 もはや、私のこの事件の犯人について、確信をもって言える。この事件の犯人は、明らかに暴走している――そのような漠然ばくぜんとした危機感を胸に秘め、現場でメンバーの姿を探す。すると、遺体の近くで膝をつく鳴海刑事と、電柱を支えに今にも吐きそうな気持ちをグッとこらえる大倉刑事の姿が見えた。


「あ、お疲れ様です、神牙さん」

「う、うぷっ…ご、ご苦労……」


 私が二人に声をかけると、彼らはそれぞれ非対称的な反応を示す。

 私は大倉刑事にねぎらいの言葉をかけ、鳴海刑事に状況の説明を求めた。


「今回の被害者の名前は根本愛ねもとあいさん。どうやら投資家のようです。まだ聞き込みは終わっていませんが…おそらく、今回も帰宅途中を狙った犯行と思われます」

「うぷっ…ひ、被害者の状況から察して、今回も一連の犯行を起こした者と同一人物による犯行と思われる……うっ!!」


 私は大倉刑事に対して、周辺の聞き込みは終わったか訊ねた。


「い、いや、まだだ……自分も今朝、例の捜査一課の者から連絡をうけたばかりで…うぅ……」


 今にも倒れこみそうな大倉刑事に、私は心を鬼にして捜査一課の者達と聞き込みをするように言った。


「う、うむ、了解した……」


 そう言って、彼はふらふらとした足取りでその場を後にした。

 私は、大倉刑事の後姿を見送るついでに辺りの様子を観察する。この辺りは、ちょうど住宅街の中心に位置しているようだが、それでも、夜中にでもなれば人通りは少なくなるだろう。あまり目撃証言などは期待できなさそうだ。

 そこで、私はふと気になることがあったので、鳴海刑事に質問してみた。


「え、マスコミや野次馬、ですか? あぁ、まだこの事件はバレていないようですね。もっとも、第一発見者は早朝に出勤したこの住宅街に住んでいるサラリーマンだそうで、バレるのは時間の問題かと……」


 私は鳴海刑事に、マスコミや野次馬が集まり始める前に手早く現場検証を終えるように指示した。


「了解しました」


……そういえば、鬼島警部の姿もみかけない。何かあったのだろうか? 

 私は気になって、彼女の携帯に電話をかけてみた。


「おう、どうした、神牙?」


 数秒のコール音の後、いつもと変わりなさそうな鬼島警部の声が聞こえてきた。

 私は彼女に、今どこで何をしているのかと質問した。


「警視庁だ。今、そっちに向かってるぜ? 本郷課長達は一足先に向かったようだがな」


 私は鬼島警部になるべく早く来るように言って、電話を切った。

 そして、今回の凶行の犠牲者のもとへ歩みを進め、ある程度現場検証を終えた――その時。


「神牙さん……」


 その声になにげなく振り向くと、そこには捜査員の取り巻きを連れた本郷警部がいた。彼は両手をポケットに入れて仁王立ちしている。

 しかし、その表情はいつもの苦虫を噛み潰したような、不快感をこれでもかと表明している失礼なものとは違い、口を真一文字に結び、眉間にこれでもかとシワを寄せた、苦悶の表情だった。

 私は彼に、どうかしたのかと訊ねた。


「……どうもこうも、見たところガイシャのやられ方はこれまでの犯行の手口と同一。ってことは、俺達は見当違いで無実かもしれない男を拘留しちまったことになる。それも、明らかにこの一連の事件の犯人としてな」


 そう言って、彼はふと表情を緩ませて地面を見つめる。


「今朝、海野正志は釈放になったよ。優秀な弁護士と一緒にな。これで、俺達捜査一課の面目は丸潰れってわけだ」


……この男は、この期に及んで、まだ組織のメンツにこだわっているのだろうか?

 私は本郷警部に、捜査資料の遺留品のらんに誰のものか分からない女性の長髪が記載されていることについて訊ねた。


「おおかた、被害者の友人のものでしょうよ」


……聞くだけ無駄だったようだ。


「……まぁ、過ぎたことはしかたねぇ。これからも、一緒にこの事件を捜査しましょうや」


 そう言って、彼が笑みを浮かべて私の横を通り過ぎようとした時――。


「警部っ!!」


 またもや、背後で声が聞こえた。今度は何かと振り返ると――。


「警部っ! 事件とは無関係な人を逮捕したってのは本当ですかっ!?」

「誤認逮捕ですかっ!?」


……そこにいたのは、大小さまざまなカメラを携えたマスコミだった。少々の野次馬もいる。


「ああ、その件に関してはノーコメントで――」


 私はマスコミのカメラを避けるようにその場を離れ、携帯で鬼島警部にオモイカネ機関へ戻るように指示を出し、鳴海刑事と近くの民家で聞き込みをしていた大倉刑事と共にその場を後にした。

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