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欲しいモノ ~一課との対立~

 鬼島警部から、捜査一課が海野病院の院長である海野正志を逮捕したことを告げられた我々は海野病院へ急行していた。例の捜査員には、捜査一課のほうで情報収集にあたるように言っておいた。

 海野病院のある路地裏まで車が到着すると、すでにそこにはマスコミや野次馬、捜査関係者などでごった返しており、とても進めそうになかった。


「仕方ねぇっ! どっかそこら辺の駐車場に停めようぜっ!」

「押忍っ!」


 鬼島警部の指示に、大倉刑事は体育会系特有の威勢の良い返事をして、その場から少し離れた場所にある、ビルに囲まれた一角の駐車場に車を停めた。


「クソッ! 一課の奴ら、先走りやがって!」


 車から降りるなり、鬼島警部は海野病院まで走って行ってしまった。


「大倉さんっ! 僕達もっ!」

「押忍っ! お供するであります、先輩っ!」


 鬼島警部につられるようにして車から降りた私達も、彼女の後姿を追って海野病院まで急いだ――が、病院の前に群がる有象無象を目にして、私は二人を制止した。


「ど、どうしたんですか、神牙さんっ!?」


 我々は、公式には存在しない部署の人間達だ。仮にこのままカメラの前に姿を晒して、運よく捜査一課の人間であるように装うことができても、姿を晒すこと自体が今後の業務に何らかの悪影響を及ぼしかねない。

 私は二人に、このまま病院の前まで向かって、報道陣や野次馬のカメラに身をさらすのはまずいことを告げた。


「むぅっ! だが、このままではどうしようも――」


 私は大倉刑事の話をさえぎり、鳴海刑事に対して、すでに先行している鬼島警部を呼び戻し、警視庁へ向かうことを告げた。


「あ、なるほどっ! どのみち取り調べを行うわけですから、先回りするわけですねっ!」


 私はその言葉に肯定の返事をして、未だ納得のいかない様子の大倉刑事を引っ張って近くの物陰に隠れようとした――その時。


「なんで、しょっくんだよっ!!?」

「うるせぇっ! どけっ!!」


 海野正志と思われる初老の男性の両脇を抱える捜査員達と、鬼島警部の姿が見えた。近くにはうろたえた様子の鳴海刑事もいる。

 私と大倉刑事がその光景を見ている間に、捜査員達と海野正志は近くに待機していた捜査一課の車両に乗り込み、マスコミと野次馬の波をかき分けていった。


「クソッ! 偉そうにしやがって!」 

 

 カメラが一斉に捜査車両の方に向いている間に、私は鬼島警部と鳴海刑事に近づき、警視庁へ急ぐことを伝えた。


「おっしゃ! 行こうぜっ!」


 私の言わんとしていることを理解したのか、鬼島警部は足早に車へ向かう。私達もその後を追い、大倉刑事の運転で警視庁へと急いだ。

 私達を乗せた車が警視庁へと向かっている間、私は鬼島警部に、見てきたことを教えてほしいと頼んだ。


「ん? ああ、そうだな。えぇと……確か、アタシが病院へ乗り込んだ時には、奥の住居の部分に通じてる扉から一課の連中が正志を引っ張ってきてたな」


 私は、海野正志に抵抗するような素振りがあったか訊ねた。


「う~ん、暴れるようなことはなかったが、『なんで私がこんな目に』みたいなことをブツブツ呟いてたぜ」

「どうして捜査一課は住居側の方から正志さんを連れて行かなかったんでしょう? 車が入れなかったからでしょうか?」

「見せしめじゃねぇか? ほら、報道陣やら野次馬やら集まってたろ?」

「そ、そんな、いくら殺人事件の容疑者だからと言って、その扱いはひどいでありますっ!」


 大倉刑事は、正面とバックミラーを交互に見つめながら言った。


「ま、一課の連中もだいぶピリついてたからな。ここ数か月の間に人が何人も殺されて、犯人は逮捕出来ずじまい…おまけにマスコミに今回の犯行の声明文と遺体の写真を送られちまったらな」

「むぅ……」

「誤認逮捕でなければ良いんですが……」


 鬼島警部の言葉に、二人の正義感溢れる刑事達はただ唸ることしか出来なかった。

 そうこうしているうちに、車は警視庁の前まで着いたが、そこにはすでにマスコミの姿がちらほら見えた。幸い、この車はスモークガラスが張り巡らされているため、よほど近接されない限り我々の姿が映ることはないだろう。

 私達はそのまま地下駐車場に向かって車を停め、警視庁内の取調室に早足で向かった。

 目的の階にエレベーターを使って向かい、取調室がいくつもある廊下まで行き、扉の掛札が『使用中』になっているものを一つだけ見つけた。


「どうやらここのようですね」


 鳴海刑事のその言葉を合図としたかのように、鬼島警部は勢いよく扉を開け放った。


「ん? なんだ、お前らっ!? 何しに来たっ!?」


 部屋に入るなり、我々の姿に気づいた本郷警部の怒声が室内に響き渡る。その声は向こう側の部屋にも聞こえたのか、うなだれた様子でイスに座っていた海野正志も、ハッとした様子でこちらに顔を向けた。


「決まってんじゃないですか。事情聴取に立ち会いに来たんすよ」


 本郷警部の怒声に怯むことなく、鬼島警部はふてぶてしいことこの上ない態度でそう言った。


「なんだと? これは捜査一課のヤマだぞっ!?」

「そんなっ! 本郷警部、この間は我々に対して、今回の事件は合同捜査だと言ったではありませんかっ!?」

「そうですよ、約束が違いますっ!」


 本郷警部のあまりの身勝手さに、さすがに頭にきたのか、二人の若手刑事も思わず声を荒げる。


「ふんっ! だからなんだ? 犯人を捕まえたのは、我々捜査一課であることに変わりはないっ!」

「てめぇっ!!――」


 背後に本郷警部と鬼島警部の言い争う声を伴いながら、私はマジックミラー越しに海野正志の様子をうかがう。

 見たところ、彼の年齢は五十代半ばといったところか。まだ全体的に黒髪ではあるが、生え際には白いものが目立っている。

 普段からキチンとした身なりをしているのか、捜査一課の突然の逮捕にも関わらず、白いワイシャツにライトベージュのチノパンといった、清潔な身だしなみをしている。

 だが、普段は後方に撫で付けているであろう髪型は少し型崩れしていて、一部の前髪が前方に垂れ下がっており、着ているワイシャツも、心なしかくたびれているように見える。その様子が、今の彼が置かれている状況の過酷さを物語っていた。

 だが、その表情は自分の無実を信じて疑わないとばかりに、頑迷がんめいなシワを眉間みけんに刻み込んでいた。てっきり、鬼島警部の話を聞く限りでは気弱な人物かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 私は、未だに鬼島警部と言い争いを続けている本郷警部に、正志はなんと言っているのかと聞いた。


「…別に、『私はやっていないっ!』とか『私は無実だっ!』とか、そんなのばかりですよ。じゃあ誰がやったんだって聞いても、『知らない』の一点張りでしてね……どうせ、弁護士やらなんやらの手続きとかで時間稼ぎでもしてるんでしょうよ」


 私は続いて、家宅捜索の結果、何か犯行を示唆しさするようなものは見つかったか訊ねた。すると、本郷警部は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。


「ええ、どっさりとありましたよ」

「ほ、本当でありますか、警部っ!?」

「ああ。病院の通院記録を調べてみたらな…なんと、被害者は全員、海野病院で整形手術を受けていたようなんだ。それで、その中から身元不明の女性を探し出したら、最初の犯行で犠牲になった名無しの女性達の身元も割れたよ」

「そうだったんですか……」


 そのことを聞いて、他のメンバーも何も言えず、ただ黙り込んでしまう。つまりは、被害者達の共通点が見つかったわけだ。

 それとは対照的に、本郷警部は上機嫌に私の方に向き直って口を開いた。


「よろしかったら、資料をお見せしますよ……あ、そうそう」


 そう言って、本郷警部は何かを思い出したかのように頬をポリポリといた。


「四番目の被害者である米倉智子さんなんですがね。自宅が海野病院からほんの数十メートルしか離れてないアパートでして、そちらの方を捜索した結果、どうやら彼女が殺害された場所はその自宅であると思われるんですわ」

「えっ!?」


 その言葉に、鳴海刑事は思わず声を上げる。


「待ってください。それじゃ、海野さんはどうやって被害者宅で犯行に及んだんですか?

 いくら通院先の病院の院長だからって、すんなり自宅に入れてくれるわけでもないでしょう?」

「さあな。どうせあることないこと言って押し入ったんだろ。なんせ、ガイシャはあの病院の患者だったんだ。顔なじみなわけだから、どうとでもなるだろ。ま、これからの捜査で分かるさ」


 私はそのように言う本郷警部に背を向け、海野が座る取調室へ向かった。


「あ、おい、神牙っ!」


 慌てた様子で私についてくる鬼島警部を付き従え、私が取調室に入ると、取り調べを担当していた捜査一課の刑事達がギョッとした表情を見せ――。


「な、なんだ、あんたらっ!? 今はウチらが取り調べてる最中だぞっ!」


 そのように言う刑事に対して、鬼島警部も私の行動に呆気あっけに取られているせいか、反論できないでいる。

 私はそんな刑事達や鬼島警部を意に介さずに海野に目を向ける。

 彼に質問しようとした直後――突然、マジックミラーがドンドンと振動した。おそらく、向こう側で本郷警部が癇癪かんしゃくでも起こしてるんだろう。彼は大倉刑事と鳴海刑事に任せるしかない。

 私は海野正志に、簡単な自己紹介を済ませた後に、一連の事件の犯行時刻にどこで何をしていた訊ねた。

「……またその話ですか?」


 正志は疲れ果てた様子で、ゆっくりと私の方に向き直る。

 私は彼に、部署が違うためにもう一度話が聞きたいとだけ答えた。嘘はついていない。


「はぁ……いずれの時間も、私は病院の後片付けと夕食を済ませて、風呂に入って寝ましたよ。休診日以外は、いつもそんな調子です」


 弱々しくではあるが、私の目を見てはっきりと答える。

 私は次に、被害者達と面識はあるか訊ねた。


「…この刑事さん達にも言いましたが、私は覚えていません。通院記録があるとのことですから、施術はしたんでしょう。ただ、それなら一日に何度も行うし、簡単な問診だけで済ませてしまう人もいる。いちいち顔なんて覚えていませんよ」


 私は次に、妻の雅子と息子の雄二のことについて訊ねた。


「家族? まぁ…普通の家庭だと思いますよ。妻とは、勤務先の病院で知り合いましてね。当時、彼女は看護師で私は医者でした。会うたびに意気投合していって、ま、そのまま結婚しました。良い人ですよ。私があの土地に病院と住宅を建てて独立開業する時なんかは、一緒に資金も出してくれて…わざわざ看護師を辞めて、医療事務の資格まで取って支えてくれましたしね」


 妻である雅子の事に饒舌じょうぜつになる正志に対して、息子の雄二の事について再度訊ねた。すると、彼は途端に眉間にシワを寄せて黙り込む。その表情は、どことなく悲痛と憤怒が混じりあったもののように見える。


「……妻から、家庭の事について色々聞かれたと言われました。なら、もう知っていると思いますが、雄二は心に病を抱えていましてね…昔は私と同じ医師をしておりましたが、今は自宅にこもりっぱなしです。まぁ、社会復帰も兼ねて、今は法に触れない範囲で病院の手伝いをしてもらってますがね」


 息子の事を語る正志の表情……それは、自身の家庭に対する世間体の悪さなどが申し分ないほどにあふれ出ていた。妻の雅子と同じく、彼もまた、息子の事で悩みを抱えているのだろう。その苦悩の中、彼が連続殺人事件の容疑者としてこのように取り調べを受けていることに、私は少なからず同情の念を抱いた。

 私は正志に礼を言って取調室を出ると、一緒についてきた鬼島警部と廊下で待機していた鳴海刑事と大倉刑事に対して、米倉智子の自宅と、海野病院を張り込むことを決めた。


「まぁ、今はそれくらいしか出来ることはないですしね」

「アタシも、賛成だぜ」

「自分も、先輩の意見に賛成であります」


……私の意見だったはずだが?

 大倉刑事の言動はさておき、私は隣の控室の扉を開けて、本郷警部にその件を伝えた。


「ええ、どうぞどうぞ」


 本郷警部は、すでに捜査が終わったかのようにゆったりとした様子で、わざとらしく手を振ってくる。それとは対照的に、私を含めたオモイカネ機関のメンバーは、慌ただしく警視庁を後にするのだった。


                         ※


「ったく、あのおっさん、ムカつくぜっ!!」


 米倉智子の自宅へ向かう車中、鬼島警部はずっとそのような言葉を口にしていた。ちなみに、鳴海刑事には被害者達の海野病院への通院記録を調べてもらうことにした。


「今回ばかりは仕方ありませんなぁ。犯行現場は、いずれもあの病院周辺。犯行の手口は医療の心得のある者で、被害者は全員、海野病院への通院歴あり。うち一人は、病院近くにある自宅アパートで殺されており、海野正志にはいずれの時間帯にもアリバイがない……逮捕は行き過ぎにしても、事情聴取ぐらいはするかと…」

「ふんっ!」


 大倉刑事の理路整然とした物言いに、鬼島警部はプイッとそっぽを向いて車外の景色に目を向けてしまう……確かに、これまで捜査してきた限りでは、海野正志は限りなく犯人に近い人物ともいえる。だが、果たして本当にそうだろうか?

 私はその疑問を、改めて彼らにぶつけてみた。


「……ま、ぶっちゃけ疑われてもしょうがねぇよな」


 最初に口を開いたのは、意外にも鬼島警部だった。


「あのおっさんが犯人なら、遺体の殺害手口も犯行時のアリバイがないことも考えて、限りなくクロに近い。今回の事件は、時間帯からしてアリバイの証明は難しい。ってことは、犯行場所…つまりは殺人が行われた場所が重要なわけだが、いずれもあのおっさんの自宅近くで行われてるしな。だが――」


 そう言って、鬼島警部は隣に座る私に目を向ける。


「だとしたら、あの遺体に刻まれた刺し傷や切り傷、おまけに性器を切り取る手口はどう説明が付くんだ? アタシには、あのおっさんは性格はキツくても、イカレてるようには見えなかったけどな。取調室で見た限りはよ」

「そうですな。自分もそこが気になるであります。被害者の個人情報であれば、病院の関係者ならばやろうと思えば誰でも閲覧できるようなものですし……それに、この連続殺人で唯一の例外も気になるであります」

「米倉智子、だな?」


 大倉刑事に対して、鬼島警部は確認するように問いかける。


「押忍。この殺人事件の被害者は、全員海野病院近辺で殺害され、その場に遺体を放置されていますが、彼女だけ、犯行現場は自宅。それでいて遺体の捨て場所は遠く離れた奥多摩の山中。さらに、被害者の遺体を写した写真と犯行声明文がマスコミ各社に送られているであります」


 そう、これがどうも引っかかる……犯人は、なぜそのようなマネをしたのだろう?

 仮に海野正志になんらかの精神疾患があったとしても、途中で自分の犯行の手口をここまで大胆に変えたりするだろうか?

 しかも、米倉智子の殺人に関しては、犯行声明文と遺体の写真をマスコミ各社に送りつけている。これまで、連続殺人の遺体の発見場所が自宅近くであることを考えると、明らかに自分が疑われても仕方ない状況で、さらに自分を追い込むようなマネを正志が犯すだろうか?……本郷警部や、彼の影響下にある捜査一課の人間ならば、『イカレてる奴の考えることなんざ分からんっ!』で済ますかもしれない。

 だが、私はこの一件が、この連続殺人を解明するための糸口になるのではないかと考えている。この一件だけ、犯行の手口が同じでも、それ以外の状況がまったく異なるのだ。そこには、ただやり方を変えたかったというよりも、()()()()()()()()()()()()があるような気がする。

 そうこうしているうちに、車は海野病院前にたどり着いた。


「むぅ、マスコミがまだおりますな……」

「ちっ、忌々(いまいま)しいハイエナ共めっ!」


 私は鬼島警部の暴言を聞かなかったことにして、大倉刑事に先に米倉智子の自宅へ向かうように言った。


「うむ、分かった」


 車は再び表通りを通り、少し進んだ先にある住宅街へと続く道へ進んだ。

 両脇に中流階級が済むような邸宅を携えながら、車を進めていくと、しばらくして中規模の邸宅群に埋もれるようにして三階建てのアパートが見えた。

 あいにく、アパートの駐車場への道はオートロックによるフェンスによって塞がれているため、例によって私達は近くにある月極つきぎめ駐車場に車を駐車した。後で料金を請求されたら、捜査活動の一環であったと捜査一課宛てに請求書を送ればよい。

 我々はあらかじめ調べていた米倉智子の自宅へ向かう。

 オートロックの玄関を抜け、エレベーターで目的の階まで向かう途中、鬼島警部が何気なしに、口を開いた。


「今思ったんだけどよ。犯人がここまで来たんなら、防犯カメラにその姿が映ってるんじゃねぇか?」

「た、確かにそうでありますっ!」

「へっ! これで事件の真相に近づけそうだぜっ!」


 私は彼女に、そのことなら、すでに捜査一課が捜査に着手しているはずだと言った。


「ちっ! 分かってんだよ。そんなこたぁ! ちょっと言ってみただけじゃねぇかっ!」


 私は彼女の言葉に生返事を返し、エレベーターの扉が開いたらそそくさと出て行って目的の場所へ向かう――。

……204号室……ここが、殺された米倉智子の自宅らしい。周囲にはそれらしい規制線や警備の警察官もおらず、黄色いテープが侵入防止のために扉と壁にかかるようにして張られているだけだった。


「んだよ、こりゃ? ザル警備だな」

「でも、仮に犯人めがここに来て証拠隠滅を行おうとも、ここへ来るために先ほど我々が通ってきた玄関を通る必要があるであります。問題ないかと……」

「ま、言われてみりゃそうだな」


 そう言って、鬼島警部は黄色いテープをビッと破くと、扉のノブを回した。


「なんだ、開いてやがるぜ」


 事件当日のままに保存してあるということだろうか? となると、米倉は帰宅した際に扉に鍵をかけなかったのだろうか?

 私がその考えを述べると、大倉刑事が口を開く。


「たんに忘れていただけではないか? 自分も、たまに自宅の鍵を閉めるのを忘れて慌てて戻ることがあるぞ」

「あるいは、誰かがこの部屋に入って彼女を殺した後、彼女の遺体を運び出して鍵もかけずに立ち去ったってことだな」


 鬼島警部のその言葉に、隣にいる大倉刑事はゴクッと息を飲む。彼には、想像しただけでも恐ろしい光景なのだろう。

 そうこうしているうちに、鬼島警部はずんずん部屋の中に入っていくので、私と大倉刑事も後に続く。

……部屋の中は、文字通り血の海だった。まだ血液の匂いがこびりついていたが、時間が経っているせいか、見た目に反してそれほどひどくはない。

 私は大倉刑事に、頼んでおいたものはあるかと質問した。


「うむ。持ってきたぞ」


 そう言って彼が手渡してきたのは、米倉智子殺害に関する捜査資料だ。あらかじめ、私が大倉刑事にコピーして持ってくるように言っておいたものである。

 私は、二人のことはひとまず放っておいて、資料に意識を集中させた。

 資料によると、犯人は午後十時から十一時の間に被害者宅に侵入と記載されている。それ以外に記載がないということは、こじ開けて押し入ったということではないということだろうか?

 そう思って、私は玄関のドアに注目するが、ドアノブにもドア全体にも、特に目立った傷は見当たらない。

 次に、資料には犯人は被害者をリビングにて殺害とある。

 私は短い廊下を渡り、リビングへ目を向けるが、確かにそこにはおびただしい量の血痕が残されていた。ここが犯行現場であることは間違いない。

 そして、犯人は被害者を浴室にて損壊としるされている。

 その言葉の通りに、リビングから浴室へと続く道は血にまみれており、大倉刑事は決して足裏に血が付かないように、筋肉質の巨体を爪先立ちになって器用に支えていた。

 浴室と、その全室となるトイレを兼ねたパウダールームにも、リビングほどではないが血痕が残されている。浴室の方に血痕が見当たらないのは、犯人がシャワーか何かで洗い流したからだろう。一課の資料にも、そのような記載きさいがある。

 そして、犯人はスーツケースに遺体を詰めて、自宅から運び出したとある。スーツケースは遺体の発見場所である奥多摩山中にて、遺体のすぐそばにある崖の下から見つかったらしい。

 遺留物のらんに目を向ける。

 ほとんどは被害者の所持品や部屋の中にある家具などであり、遺留物のらんとしてはありきたりのないものである。たまに、肉片などの記載もあるが、発見場所が浴室であることから、遺体を損壊した際に出たものだろう。

 しかし、ある文字が私の目に突然飛び込んできた。


『女性の毛髪:不明』


 確かに、そのような記載がある。だが、それはよく考えるとおかしいことだった。米倉智子の毛髪であれば、その欄には彼女の名前が記載されているはずである。だが、そこには『不明』の文字だけがある……私はこのことを二人に告げた。


「そりゃ、たんに被害者の友達のものとかじゃねぇか?」 


 鬼島警部にそう返されると、途端にそのような気がしてきた……まずい。事件解決を急ぐあまりか、答えを出すのが直情的になってきている。本郷警部達のようにならないためにも、今一度冷静にならなくては……。

 しかし、その後も米倉の自宅を捜索するが、有力な手掛かりは得られなかった。まぁ、鑑識があらかた持っていった後なわけだから、さもありなんである。

 我々は続いて、海野の自宅へ向かう。あの家族の自宅は、このアパートがある住宅街と同じ区画にあるため、さほど到着に時間はかからないだろう。今なら、マスコミや野次馬も解散している頃合いかもしれない。

 そのことを祈りながら、我々を乗せた車が住宅街の道路を進むと、やがて海野病院と連結した形で建てられた海野の自宅が見えた。


「よかった。こっちにはマスコミは来ていないようですな」


 通りにマスコミや野次馬の姿がないことを確認した大倉刑事は、そのような安堵あんどの声を漏らした。 

 私も車中から周囲の住宅街に目を向けるが、警察の張り込みや週刊誌の隠し撮りの車両なども見当たらない。病院側はどうなっているか、ここからでは確認できないが、少なくとも自宅側は完全なノーマークになっている。


「運がよかったですな。これで自宅側まで張り込まれていたら、どうしようかと思ったであります」

「まったくだぜ。早いとこ用事を済ましちまおうぜ、神牙」


 私は鬼島警部の言葉に強く頷く……だが、本当に運がよかっただけだろうか?

 海野正志の家族による証拠隠滅を恐れる警察や、事件の詳細を少しでも紙面に載せようとする週刊誌記者の張り込みが自宅まで及ばないのは、いささか不審に思える。

 そこで、チラッと『その者』の存在が頭をよぎったが、あまり気にせずに、今はこれからのことについて神経を集中させる。

 これまでとは違い、車を海野宅の玄関脇に停めて降りると、私の携帯に鳴海刑事から連絡がきた。


「あ、神牙さんですか? 今、海野病院の通院記録のコピーを受け取りました。今どこにいますか?」


 私は海野の自宅にいると告げた。


「分かりました。今から向かいます」


 電話が切れた後、私は鬼島警部と大倉刑事を従えて周囲を警戒しつつインターフォンを鳴らす……しばらくして、聞きなれた女性の声が聞こえてきた。


「……はい?」


 インターフォンの向こう側から聞こえてきたのは、海野正志の妻である雅子だった。

 私は自分達の身分を明かし、話を聞けないか訊ねてみた。


「……少々お待ちください」


 そう聞こえてインターフォンは切れ、少ししてから邸宅の玄関が静かに開いた。


「あの…どうぞ」


 近所の目を気にしているのか、雅子は我々に邸宅へ入るように手招きする。

 我々はそのお言葉に甘え、コンクリートの階段を少し上って玄関から自宅へ入った。


「はぁ…これはご立派ですなぁっ!」


 中に入るなり、大倉刑事はそのような声を漏らす。実際、私もそのような感想を抱いた。

 玄関は我々大人四人が立ち入っても、まだ少し余裕があるぐらいに広く、床は見たところ大理石のようだ。どうも、外側の無機質なコンクリートが玄関の扉を挟んでチラリと見えるせいか、余計に豪華な印象抱いてしまう。

 シューズボックスは両脇に設置されており、これもまた大型のものだった。高さは鬼島警部の腰くらいと平均的なものだったが、それがこの広々とした玄関の端から端まで連なっている。来客を考えてのことだろうか?

 他にも、壁に掛けられた絵画や壺の置物など、海野家は財政的に裕福な家庭のようだ。


「ふふ…どうも」


 家の中を大倉刑事に褒められたせいか、雅子はやつれた表情の中にほんの少し、淡い笑みを浮かべた。

 そのまま我々は彼女にリビングに案内され、ソファに腰掛ける。このリビングにも、調度品や置物など、かなり金をかけている様子が見て取れる。


「――早速ですが、あの、大変恐縮ではございますが、いくつか質問してもよろしいでありますか?」


 我々が、雅子がれてくれた紅茶を一口飲んだ後に、大倉刑事はそのように言った。


「ええ、なんなりと……」


 雅子は、静かに頷いた。それを合図とばかりに、鬼島警部が口を開く。


「昨日の夜から今日の朝方まで、あなたはどこで何をされてたんですか?」


 その言葉を聞くと、雅子は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐにいつもの困ったような表情を浮かべる。


「私は、昨日の夜は家事を済ませてお風呂に入って…そのまま寝てしまいました。最近、色々とあったもので…それで、今日の朝は家事を済ませた後に夫と共に病院の開業準備をしておりました……」


 その後、夫である正志は警察に連行されたわけか…。


「ご主人は昨夜、何をしていたかご存じでありますか?」


 大倉刑事がそう聞くと、雅子は首をひねって当時の状況を思い出すかのようにポツリポツリと語りだす。


「昨日の夜は……一緒に食事をして、先に夫がお風呂に入って、その次は息子の雄二、最後に私が入った後、私が洗い物などの家事を済ませて寝室に行きましたら、すでに主人はベッドに横になっていましたわ」

「それはいつ頃の時間ですか?」


 間髪入れずに鬼島警部がそう聞くと、雅子もはっきりとした口調で言った。


「夜の十一時頃ですわ。寝る前に時計をチラッと見ましたので、間違いございません。あ……」


 そう言って、雅子は我々の頭越しに視線を向ける。つられて、私も雅子の視線の先へ頭を向けた。


「……」


 そこには、青年が立っていた。

 年齢は十代後半から二十代前半といったところで、ジッとこちらを見つめている。ただ、私が一つ気になったのは、その青年の容姿だった。

 その非常に整った顔立ちに肩まで届く黒髪という中性的な容姿は、若い海野雅子を思わせる。正志と雅子を彼の両隣に立たせたら、間違いなく親子だと分かるだろう。


「あの……」


 青年はたどたどしい様子で声をかける。その声も、女性的なアルトボイスだった。


「あ、雄二。こちら、警察の方達よ」

「はあ…あの、なにか?」


 私はソファから立ち上がり、海野夫妻の息子である雄二にあらためて向き直り、挨拶をする。それに続くように、他のオモイカネ機関のメンバーも挨拶をした。


「はあ、あの、海野、雄二です……」


 青年はそう言って、ペコっと頭を下げた。

 私はせっかくなので雄二からも話を聞きたいと思い、彼からも事情を聞かせてもらえないかと雅子に頼んだ。


「ええ、もちろんです。雄二、こっちへいらっしゃい」


 雅子は優しい声色で雄二を手招きする。雄二も、それにつられるようにして雅子の隣に腰を下ろす。

 我々はその光景を見届けた後に再びソファに腰掛け、鬼島警部が口を開いた。


「早速ですが、雄二さんは昨日の夜から今日の朝にかけて、どこで何をされていましたか?」

「……僕は、昨日の夜は父さんの病院の手伝いと後片付けを終えた後に、しばらく自分の部屋で読書をしていました。その後は、母さんの作った夕食を食べてお風呂に入って……また自分の部屋に戻って読書をして寝ました。今日の朝は、朝食を食べた後は父さんや母さんと一緒に病院の開業準備をしていました」

「それを証明できる人はいますか?」


 鬼島警部が食い気味にそう訊ねると、雄二は首を縦に振る。


「いえ、ウチは一人っ子だし、部屋は父さんと母さんが使っている寝室の向かい側にあって僕しか使ってないから、証明できる人はいません」


 雄二のその言葉を聞いて、雅子はこれ以上ないほど眉をひそめる……まるで、このままでは夫に続いて息子まで警察に連れていかれるのではと心配している様子だった。


「そうですか……」


 鬼島警部は特にそれ以上突っ込むことなく、私に視線を向けてくる。

 私は二人に、海野正志を逮捕した警察官達から、何か言われたか質問した。


「……また、何か聞くことがあるかもしれないので、あまり遠出はしないようにと……」


 容疑者親族への事情聴取をしなかったところを見ると、本郷警部達の頭の中では、この事件の犯人は海野正志で決定しているらしい。非常にまずい状況だ。

 私は、ひとまず本部に帰って状況を整理しようと思い、海野親子に礼を言って立ち上がった。


「奥さん、色々とご苦労をお掛けして申し訳ないでありますが、また何かあったり、思い出すようなことがあれば、ご連絡をお願いするであります」

「はい、わかりました……っ!!」


 大倉刑事に向かってそう言って、雅子が立ち上がった瞬間だった。

 彼女は立ち上がってよろめいたかと思うと、そのままリビングの床に倒れこんでしまった。


「母さんっ!?」


 その光景を見て、今まで無気力に振舞っていた雄二は鬼気迫る表情で雅子を抱きかかえ、リビングには鬼島警部の怒号と大倉刑事の焦燥感溢れる声に包まれた。

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