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欲しいモノ ~仕事の時間~

 その後、我々は殺人事件の現場を離れて、神明大学附属病院に来ていた。本部に帰ろうとした矢先、タイミングよくアシュリンから遺体の解剖が終わったむねを知らされたからだ。

 我々が病院に到着して、しばらくロビーで病院独特の臭気に包まれながら待っていると、やがて奥の廊下からアシュリーが顔を見せた。


「やぁ、待たせたな」


 一見、病院でよく見かける白衣姿の彼女であるが、その体からは、あの解剖室で嫌でも嗅ぐことになる独特の臭気が発せられていた。たったいま、解剖の後片付けが終わったのだろう。

 我々はそのまま彼女の研究室へと足を運び、彼女からコーヒーを受け取って適当に近くのイスやソファに腰掛け、彼女の話を聞く態勢を整える。


「まず、遺体の状況についてだが――」


 突然話を切り出すアシュリンに対して、大倉刑事は思わずコーヒーを飲む手を止める。


「これまで、同様の事件で被害にあった者達と同じような状態だった」

「つまり……」


 そこまで言って言葉に詰まる鳴海刑事をなだめるように、アシュリンが言葉を引き継ぐ。


「まず、頸動脈を一撃のもとに断ち切り、その後に全身を損壊、最後に女性器を切り取っている」

「…ひでぇことしやがる」


 鬼島警部は、腹の奥から吐き捨てるようにして、そう呟く。


「確かにそうだが…いくつか、気になる点がある」

「なんです?」


 アシュリンのその言葉に、鳴海刑事と私は耳を傾ける。


「まず遺体の状態についてだが、頸動脈や女性器の状態から判断して、犯人は間違いなく、医療の心得があると思う。それも、単に本や何かで得た知識だけでなく、経験も豊富だ」

「ということは、犯人はやはり医療関係者……それも外科手術を行える医師などですか?」

「ああ、私はそう思う」


 私はアシュリンに、医師でなくとも、動物などを解体することによってそのような技術を身に着けることは可能ではないかと問いただした。


「確かにそれも可能だが…あの切り口から判断して、犯人は人を施術した経験があると思う。しかも、一回や二回ではないはずだ。とはいっても、相手がサイコパスなどの場合は、幼少期から動物などの解体を通じてそういった技術を習得していてもおかしくはないがな」


 なるほど、アシュリンがそこまで言うからには、犯人の職業は医者と見て間違いないだろう。


「それで、気になった部分についてだが、なぜ犯人は、それほど高度な技術があるにもかかわらず、遺体をあのように損壊したのか、という点だ」

「そりゃあ、イカレたサイコ野郎だからで――」

「イカレたサイコ野郎……確かに、その洞察は間違っていないと思う。さもなければ、これほど多くの人間を同じような方法で殺す気にはならないだろう」


 アシュリンの言葉に、我々が改めて身が引き締まる思いを感じたが、彼女はそのことを気にも留めずに言葉をつむいでいく。


「しかし、イカレたサイコ野郎――快楽殺人鬼だろうがなんだろうが、この際名称はなんでも構わんが、犯人はなぜ被害者の喉を綺麗に掻き切った後に、あのように遺体を損壊したのだろう?」

「だからっ! それはやっこさんがイカレたサイコ野郎で――ん?」

「気づいたようだね」


 鬼島警部の様子に、アシュリンは満足げにほほ笑む。


「な、なんでありますか、警部殿っ!?」

「そうです、僕達にも分かるように教えてくださいっ!」


 鬼島警部の、珍しく真剣な様子に、二人の刑事も思わず食いつく。おそらく、この部屋で一連の殺人事件についてのある事柄に気づいていないのは、この二人だけだろう。


「それは、遺体の損壊だ」

「……は?」

「だからっ! なんで犯人は被害者をスパッと手早く殺してんのに、その後時間をかけてわざわざ遺体を切り刻んでんのかってことだよっ!」

「……おお~っ! 確かにそうでありますっ!」

「……君のところは、本当に捜査機関なのか?」


……私はアシュリンからのその質問に対して、そっと視線をそらした。


「はぁ……とにかく、この事件の犯人はなぜか被害者は一撃のもとに――誤解を恐れずに言えば――鮮やかに殺している。これは、必然的に犯行時間を短縮させる効果がある。

 なのに、なぜかその後、遺体を損壊している。もし、犯人の目的が被害者の殺害と女性器の持ち去りなら、この作業は明らかに無駄なものだ」

「つまり…遺体の損壊も、犯人にとっては必要なことだと?」


 鳴海刑事がアシュリンに問いかけるが、彼女は眉をひそめて首を横に振った。


「それについては、私も分からない……だが、遺体を速やかに解体する手際の良さと、遺体を徹底的に損壊するという二面性を持ち合わせていることが伺える。さらに言えば、そのようなことをするならば、どこか人目につかない場所で事に及べばいい。

 この前も言ったかもしれないが、この犯人は精神的に、なんらかの破綻はたんをきたしているのは間違いないだろう。手強てごわいぞ」


 アシュリンの最後の言葉が、今の我々には濁り水となって心に染みわたってきた。


                       ※


「――それで、これからどうするんだ?」


 オモイカネ機関の本部に戻るなり、鬼島警部が奥のソファにドカッと腰掛けながら聞いてくる。

 私はここで、これまでの事件についてある程度整理しようと答えた。


「そうですねぇ…まず、今回の事件は連続殺人、しかも犯人はまだ捕まっていない。被害者は全員女性で、遺体は頸動脈を一撃のもとに断ち切られたのち、全身を刃物で損壊、最後に女性器を持ち去る……」

「よくよく考えても、普通ではありませんなぁ……」


 そう言いながら、大倉刑事は苦虫を噛み潰したような顔をする。これまで幾度も目にしてきた光景がフラッシュバックしたのだろう。彼は手元の捜査資料に目を向ける。


「事件の発生は、約二か月前、あの通りで一人の身元不明の女性が遺体となって発見されたことが始まりですな」

「確か、三人目までは顔がぐちゃぐちゃになってて身分証もなかったから、今も誰か分かってないんだったな?」

「はい。そうであります。三人目の被害者は豊橋とよはし真優まゆさん。都内の大学に通う学生さんであります。死亡推定時刻は午後十時から十一時の間で、殺害方法もそれまでの被害者のものと一致しましたが、彼女の場合はその、顔はある程度原型をとどめており、何より身分証を携帯していたことから、身元が分かったであります」


 そこで、鳴海刑事が口を開く。


「それ以降の被害者も、同じように身元が判明していますが…どうしてでしょう? 単なる不手際でしょうか?」

「犯人は事件の報道を見てて、別に被害者の身元が割れてもいいって思ったんじゃねぇか?」

「確かに…今のところ、被害者達の共通点は女性であることくらいですからなぁ」

「ってことは、犯人は自分に疑いがかからないように、周到に犯行を計画してたってことか?」

「でも、アシュリン先生が言うには、被害者を殺害した手口とその後に遺体を損壊したという事実に矛盾があると言っていましたね」

「そうですな。被害者の選定、殺害場所及び犯行時刻、それに殺害方法に至るまで、犯人は明らかに慎重に事を運んでいるのは間違いない。だからこそ、あの遺体の損壊って行為が余計に目立つわけでありますが……」


 大倉刑事が眉をひそめながら発言する隣で、鳴海刑事が頭を抱える。


「う~ん……犯人は、被害者となった女性達に恨みでもあったのでしょうか?」


 鳴海刑事がそう言うと、大倉刑事が首を横に振る。


「いえ、それはないと思います。自分、事件が起こるたびに聞き込みを徹底してきたでありましたが、被害者女性達にはこれといった悪評のようなもの聞きませんでした。捜査一課の方もそちらの線で聞き込みをしていたようですが、何も見つからなかったとのことです」

「ってことは……遺体を傷つけるのには、犯人にとっては女性器を持ち去るのと同じような意味合いがあるって考えられるんじゃねぇか?」

「一種の儀式のようなものでしょうか?」

「ああ。犯人にとっては、それは避けては通れない道のりのようなもんで、そのためなら、いくらでも時間と手間をかけても構わない。それなら、この矛盾した状況にもある程度目星が付くんじゃねぇか?」

「自分もそう思うであります」


 一通り皆の考えがまとまったところで、私は今日の捜査を終了するように伝え、帰路についた。地下通路を抜けて、地下駐車場に停めてある自分の車に乗り込んでそのまま警視庁を後にする。

 それにしても……またもや犯行が衝動的というのが驚きだ。どんな連続殺人犯でも、犯行の感覚はそれなりにくものだ。

 しかし、今回の犯人は五人目からはほぼ一日ごとに殺人を犯している……そう考え、私はふと車のガラス越しに外の景色へ目を向ける。

 もし、犯人が思いとどまっていなければ……今日もこの街で、誰かが殺されていることになる。そう思うと、やるせなさのせいか、ハンドルを握る両手には自然と力が入り、ハンドルの革をきしませた。


                        ※


『事態はまずい方向へ向かっている』


 翌朝――まだ日が昇らぬうちから、専用端末の受信音で目を覚ました私の目に飛び込んできたのは、そのような一文だった。


『まだマスコミにはバレていないようだが、今日も同様の手口で殺された遺体が見つかった。至急、現場へ向かってくれ』


 端末の画面には、そのような文面が記されていた……私の悪い予感は的中してしまったようだ。

 文面からは「その者」の焦りのようなものが伝わってきた。奴も、この事件に対して特別な思い入れがあるのだろうか?


『場所は?』


 私が短く返信すると、数秒してから連絡がきた。


『奥多摩の山中だ。詳しい場所は添付ファイルを開いて確認してくれ。急いでくれよ』


……私はその文面に一瞬思考停止した後、別の携帯端末でオモイカネ機関のメンバー全員に連絡を送り、今回の現場へは現地集合という形になった。

 鬼島警部が、私の連絡が済んだ後に『チッ!』と舌打ちしたのは聞かなかったことにしておく。


                        ※


――『その者』から連絡を受け、私が現場までたどり着いた時には、すでに時刻は正午となっていた。

 奥多摩駅を降りた私は、付近に停車していた捜査車両に乗り込み、今こうして、奥多摩の山中に山岳装備でただずんでいる。


「おっ、来たか、神牙」


 私の姿を見つけるなり、鬼島警部がそのように声を上げる。


「お疲れ様です、神牙さん。遺体はあちらのほうに……」


 そう言って鳴海刑事が示した場所には、すでにあらかた捜査を終えたのか、捜査員達の姿はまばらであり、残っているのは数人の鑑識と遺体だけだった。

 遺体の損壊具合は、ある程度離れたこの場所からでも、遺体に付着している赤いシミによって推察できる。


「うぷっ、い、遺体を調べた結果、被害者は米倉智子よねくらともこ、四十三歳。都内で会社員として働いており、うぷっ!?」

「無理はすんなよ?」

「だ、大丈夫であります、うぷっ……」


 とても大丈夫ではない様子の大倉刑事だが、私は心を鬼にして、彼にどうして被害者の身元が割れているのかを訊ねた。


「そ、それは、これまでと同じで、被害者が来ていたスーツのポケットから、財布と共に免許証が見つかったからだ。仕事先に連絡したところ、今朝から連絡が取れなかったそうで――うっ!!?」


 これ以上は限界を超えそうな大倉刑事に礼を言って、私は鬼島警部と鳴海刑事の二人に、遺体の第一発見者は誰か訊ねた。


「それがな……」


 鬼島警部はそう言って、ズボンのポケットからしわくちゃになった紙と写真を取り出して私に差し出した。鳴海刑事は、どことなく居心地の悪い表情を浮かべている。

 私は、鬼島警部から手渡された紙と写真に目を移した。


『私ガヤリマシタ』


 普通の便せんサイズの紙にはそのような文字が乱雑に書き込まれている。文字は手書きのようだが、どうやら原本ではなく、コピーのようだ。複数枚の写真には今回の被害者のものと思われる遺体が、異なる角度から撮影されていた。写真は、いずれも損壊部分を中心に撮影されているように見える。


「……今朝、都内の報道各社にそれらが入った封筒が、差出人不明で届けられたそうです」

「幸い、現場はまだバレちゃいねぇが…時間の問題だろうな」


 私が電車や車に揺られている間に、事態はますます悪い方向へ向かっていったらしい。そこで、専用端末がタイミングよく鳴り出した。画面を見ると、『その者』からの連絡だった。

 私は二人に断りを入れて現場から少し離れ、『その者』との交信に集中する。


『事件の捜査は進んでいるか?』

『今、現場についたところ』

『出来れば、この件は可及的かきゅうてき速やかに解決してほしい』


 私が返信を送ってからわずか数秒ほどで、そのような文面が現れた。


『なぜ?』

『君も知っているだろうが、この事件はその猟奇性や連続性のせいもあって、マスコミや世間の注目を集めすぎてしまっている』

『それだけだったならば、警視庁だけが気にすることだろう。我々が気にすることはなんだ?』


 この質問に、『その者』は返事の内容を迷っているのか、あるいはこちらに真意をさとられまいと冷静になろうとしているのか……いずれにしても、返信がすぐにくることはなかった。


『この事件には、組織の者が関わっているかもしれない』


 数分ほどして、そのような返信がきた。


『確かか?』


 はやる気持ちを抑え、私は『その者』に確認をとる。


『正確に言えば、関わりのあった、と言うべきだろうな。その人物はかなり特殊な環境で育てられて、ある精神的な病に侵されていたんだ。それ自体は珍しいことではなかったのだが、それとは別に、特異な反応を示すことがあってな。

 それで、その人物が通院している病院に工作して、その人物に関するあらゆる事項を調査、監視していたのだが、結局は何もわからずじまい。上層部も興味を無くしたようで、その人物はそのまま日常生活を送っているものと思っていた』

『それが、数か月になんらかの理由で人を殺めるに至ったと?』

『私はそう考えている』


 その文言を見て、私はふと、疑問を感じた。

 今、我々がこの事件に介入しているのは、その人物の調査を命じた上層部が、事の発覚を恐れて介入するように手をまわした末に起きているものなのか、それとも、『その者』単独によるものなのか。

 私がそのことに答えを出すことにしばし逡巡しゅんじゅんしていると、答えは返ってきた。


『失念だったな。君なら、今の文言を見逃すはずはない』


 そのまま、『その者』の返信は続く。


『結論から言うと、この事件が最初に起きた時、上層部は確かに憂慮ゆうりょした。犯行場所、犯行時間からして、その人物が犯人である確証が高かったからだ。

 しかし同時に、この事件に手をこまねいてもいた。警察界隈の情報網を頼りに事件の概要を知るうち、彼らはこの事件がすぐに解決するものと考えていた』

『現場に残されていた、数々のメッセージか?』

『そうだ。それらは、明らかにその人物が犯行を行ったことを示唆していた。しかし、二人目、三人目の被害者が出てしまった。しかも犯行のスパンが、旧来のどの犯罪者よりも短い。その時点で、上層部の方も浮足立ってな。

 だが、君なら分かるだろう? 組織が関わった案件で表沙汰になりそうな事案が発生した場合、必ずと言っていいほど、彼らの間で責任のなすりつけあいが始まる』


 ここで、私は確信した。


『この事件への介入は、あなたの単独行動だな?』

『その通りだ』


 その返信には、一切の迷いもないように思えた。


『上層部が無益な争いを繰り広げている間も、こうして現に殺人は行われている。私としては、一刻も早くその連鎖を断ち切りたいのだ』

『状況は理解した。いくつか質問がある』

『なんだ?』


 私は、きわめて単刀直入にメッセージを送った。


『犯人は誰だ?』


 これで、姿の見えない殺人鬼の全貌がわかる……しかし、返ってきた答えは、私の淡い期待を見事に打ち砕いてくれた。


『すまない。それは言えない』

『なぜ?』


 苛立ちのためか、近くにいる捜査員達の無言の圧力のためか、私はいつもより早く返信を送った。


『理由は簡単だ。先ほども言ったように、私個人としては、この事件を一刻も早く解決したいと思っている。しかし同時に、この事件に君達が介入している理由が、私個人からの要請となると話が一気にややこしくなる』


 そこまで文面を追って、私は『その者』が置かれている状況の複雑さに同情した。

 自らの信念と、組織人としてのあり方……これは、どの業界にいようと決して決着のつく問題ではないだろう。


『私達が介入している理由はどうなっている?』


 その返信は、それまでと比べてえらく遅く感じた。


『君の独断ということにしてある』

『分かった。引き続き捜査を行う』

『助かる。正直言って、私と君が使っている端末は組織内でも例のないほどの高度な暗号技術を使用しているが、それでも、私達がこうしたやり取りをすることに危機感を抱かずにはいれないんだ』

『よく分かった。いずれにせよ、犯人は犯行現場付近で生活している。それは間違いないんだな?』

『ああ。間違いない。おそらく、今回の遺体が山中に捨てられていたのは、一種の偽装工作だろう。それが犯人によるものか、あるいは近親者がやったことかは分からないがな』

『了解した。捜査に戻るぞ』

『よろしく頼む』


 その返信を最後に、私は『その者』との交信を終えた。

 いわば、今回の事件は『組織』の不始末の尻拭しりぬぐいの側面もあることになったわけだが、それはそれで悪い気はしない。

 恩を売るというわけではないが、何かと嫌な思いをさせられる『組織』の連中――とりわけ上層部――には、今回の事件の解決を通じて謙虚さという概念を学んでほしいと思う。

 私が一人密かに決意を新たにしていると、ふと背後に気配を感じた。


「あ、神牙さん。おはようございます」


 私の背後から近づいてきたのは、私達オモイカネ機関に協力的な例の捜査員だった。だが、今の彼の顔には、明らかに申し訳なさそうな表情が刻み込まれていた。

 彼の両隣には鬼島警部と鳴海刑事がおり、鳴海刑事は捜査員と同様の表情を浮かべるのに対して、鬼島警部は仁王様がブチ切れたような表情を浮かべていた。

 私がどうしたのかと聞くと、鬼島警部が目をカッと見開かせた。


「どうしたもこうしたもあるけいっ!! 捜査一課が海野正志を逮捕しちまったんだよっ!」

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