森の人 ~少女と被害者~
「むぅ……納得いきませんなぁ……」
惨殺死体が発見された団地内の道路を歩いていると、大倉刑事の鼻息荒い声が聞こえてきた。
「仕方ないですよ。むしろ、あそこで僕達が無理やり協力しようとしたら、本郷警部がなんて言うか分かりませんでしたし……」
大倉刑事の横で、彼を慰めるように鳴海刑事が笑う。
なぜこうなったかというと、捜査一課は奥野を殺害した犯人が団地から少し離れた山林に逃げていったという真奈の情報を手掛かりに、その山林を大規模捜索することを決定したからだ。
無論、我々も協力したかったが、本郷警部の苦虫を噛み潰したような顔を見て、すぐにその考えを改めた。そのため、こうして団地を歩きながら事件のことを聞き回っている。
あの時、真奈が言った『森の人がやった』という発言……あれは、いったい何を意味するのだろうか?
そのまま受け取れば、森に住んでいる人か、森から来た人をそのように言っていると思われるが……ハッキリ言って、そのように考えてよいのだろうか?
一応、二人にも意見を求めてみる。私の質問を聞くと、二人はそれぞれ考え込む仕草をした後、鳴海刑事が自分なりの答えを示した。
「……まず第一に、真奈ちゃんはその『森の人』という人物と面識があったのではないでしょうか?」
「なるほどっ! もし面識がなければ、犯人の何かしらの特徴を言うはず……『森の人』と言ったのは、真奈ちゃんが普段からその人と交流があったから、というわけですね?」
「ええ、その通りです。もっとも、なんで真奈ちゃんがその知り合いを『森の人』と言っているのかは分かりませんが……」
なるほど……ということは、やはりその辺りも事情聴取で聞いた方がいいだろう。私は鳴海刑事の意見に賛成し、初めに真奈の所へ事情聴取をしにいくことに決めた。
真奈の家――中本家は、中本拓哉と中本明美、中本真奈の三人家族であり、他に家族は無し。夫の拓哉は三十五歳で工場の溶接工として働いており、妻の明美は専業主婦、遺体の第一発見者である中本真奈は、今年で小学校五年生になるらしい。今のところ、私達の協力者となった捜査一課の捜査員からの情報はそれだけだ。
中本家は、被害者である奥野の部屋があるマンションの向かいのマンションに住居があるらしく、我々はさっそく、そのマンションの階段を上がって四階の中本家の部屋の前に来た。あのヒステリックな夫婦が、我々の事情聴取に快く応じてくれることを祈ろう……無理ならば、他の住人に話を聞くまでだが……。
私がブルーな気持ちを抑えていると、いつものように鳴海刑事が中本家のインターフォンを鳴らす……しばらくして、緑色に塗装された鉄製の扉が静かにゆっくりと開けられた。錆の浮いた蝶番から鳴り響く甲高い金属音が、なんとも不愉快である。
「……またあんた達?」
出てきたのは妻の明美。だが、その表情は初めて会った時よりは、少し落ち着いているように見える。しかし、細身に金髪のという、いかにもヤンキー上がりといった鋭い眼光に見つめられれば、たいていの人間は怯んでしまうだろう。
「ご迷惑おかけして申し訳ありません。できれば、もう少しお話を聞けないものかと……」
「そんな――」
「誰だぁ?」
明美が言葉を発している途中で、奥のリビングからひょいと顔を覗かせてこちらを見つめる瞳……その人物は、夫の拓哉だった。
「なんだ、また警察か?」
「そう、少し話を聞きたいんだって」
「ったく、マジかよ……」
中本夫妻は、我々の目の前で堂々と警察に対する不信感を表しながら会話を続ける……ずいぶんと、肝が据わっているようだ。
拓哉はその場で立ち上がって部屋の廊下を渡って玄関に来ると、明美と交代するように我々の前に立ちはだかった。その仕草はまるで、我々に部屋の中を見られまいとするようにも思える。
「それで? 何が聞きたいんだ?」
「まず初めに、娘さんは普段から、被害者宅に出入りしているんですか?」
「まぁ、奥野君と知り合ってからはそれなりに……あ、でも、最近はこの団地のそばにある山林に出かけてたみたいで……そうだよな?」
「ええ、いつも葉っぱや土にまみれて……掃除するのが大変だったわ」
明美はその時のことを思い出したのか、露骨に眉間にシワを寄せる。
なるほど、真奈は最近は山林に出入りしていた……もしかしたら、そこで『森の人』と出会ったのかもしれない。私は二人に、真奈が最近になって知り合った者の中で『森の人』と言っていた人物はいないかと訊ねた。
「ああ、いるぜ」
「ほ、本当でありますかっ!?」
あまりにあっさりとした拓哉の答えに、大倉刑事は驚きを隠せなかったようだ。
「最近になって真奈の奴、家に帰るのが遅くなってて……問い詰めたら、『森の人と遊んでるの』って答えが返ってきたんだ」
「そうだったんですか……」
「まったく、冗談じゃないわっ! よりによって真奈の知り合いが殺人犯なんてっ! 早く捕まえてちょうだいよっ!?」
「も、もちろんですよ、奥さん……」
明美のヒステリックな叫びに、鳴海刑事もその後ろに控える大倉刑事もさすがにタジタジとしてしまう。 だが私には、彼女の怒りの感情は知り合いを殺害した正体不明の殺人犯よりも、そのような人物と出会った娘に向けられているように思えた。
「それで、奥野さんとはどのような経緯でお知り合いに?」
「どのようにって……」
鳴海刑事のその質問に、拓哉は目を泳がせる……見かねた様子で、明美が口を開いた。
「奥野さんとは、この団地の町内会が主催しているバーベキュー大会で知り合ったの。大会って言っても、単純に向こうの裏山にあるキャンプ場にコンロやグリルを持って行って、適当に肉や野菜を焼くだけなんだけどね」
そう言って、明美は親指で後ろを指し示した。
「あぁ、そうだった! その時に、意気投合してな。お互い暇を見つけては、旅行に出掛けてたりしたんだ」
「そうだったんですか……ですが、真奈ちゃんは奥野さんの部屋で何をしていたんですか?」
「えっと……」
「真奈が言うには、おままごとみたいよ」
またもや、拓哉の言葉を遮って明美が答える。
「おままごと? でも、真奈ちゃんはもう小学五年生ですよね? まだやってるんですか?」
「えぇ、そうみたい。あたしもやめるように言ってるんだけどさ……なかなか言うことを聞かなくてね」
そう言って、自嘲気味の笑みを見せる明美……結局、他に聞くこともないため、我々は夫妻に礼を言ってその場を後にしようとした。
「ちょっと……」
中本家の玄関の扉が閉まり、我々が踊り場から階段を降りようとしたその時、私達の耳にそのような声が聞こえてきた。思わずそちらの方に目を向けると、中本家とは反対の扉から顔を覗かせた老婆が見えた。
私が老婆の元へ行って声をかけると、老婆は正面の中本家の部屋を警戒するように見つめた後、すっかり白髪となったクセ毛を触りながら、ゆっくりと話し始めた。
「あんたら、向かいのマンションの事件を調べてるんでしょ? ちょっと聞いてほしいことがあるんだよ」
周囲に聞こえないように、充分に配慮された小さな声……不思議と、老婆の話に聞き入ってしまう。
「向かいの中本さんね……娘さんを虐待してるみたいなのよ」
「な……」
後ろで、大倉刑事が思わず声を漏らす。私も危なかったところだ。
たった今、私達と会話をしていた中本夫妻……あの二人が、娘である真奈を虐待していると隣人に告げられたのだから、驚いて当然である。それと同時に、あのような見た目の夫婦ならやりかねないという、なんとも野次馬根性らしい感想を抱いてしまう自分がいるのも、恥ずかしい限りだ。
「ど、どういうことですか?」
あからさまに動揺した様子の鳴海刑事が、未だに周囲を警戒している様子の老婆に向かって問いかける。どうやらこの老婆は、捜査に協力はしたいが自分の名前が表に出るのが嫌なようだ。
「中本さんって、確か新婚さんの時にそこの部屋に移ってきたと思うんだけど、その時は本当に仲のいい、優しそうな夫婦だったのよ? でもねぇ……真奈ちゃんが生まれて小学校一年生くらいになってからかしら?
それこそご近所中に聞こえるような大声で、二人が真奈ちゃんを叱る声が聞こえるのよ。人様の躾に口出しするようなもんじゃないだろうけど、たまにバシッとひっぱたく音や大きな物音が聞こえるからねぇ……私達もどうすればいいか、困ってたのよ」
「はぁ、なるほど……あの、向かいのマンションに住んでる奥野さんはご存じですか?」
「奥野? いやぁ、聞いたことないねぇ」
「では、真奈ちゃんと直接話したことはあります?」
「そりゃまぁ、このマンションの下の踊り場なんかで近所の奥さん達と話している時に、ね。せいぜい挨拶だったり、これから何をするのか聞いたりするくらいだけどね」
「で、では、その時に真奈ちゃんが『森の人に会いに行く』というような話を聞きませんでしたでしょうかっ!?」
大倉刑事が食い気味に質問すると、老婆は考え込むような素振りを見せた後に口を開いた。
「そう言えば、そんなことも言ってたっけねぇ……」
「それは、正確にはいつぐらいになりますか?」
「いつって……たぶん、一か月くらい前かしら?」
私はその老婆に礼を言って、彼女が扉を閉めるのを見届けた後、向かいの中本家の扉を見つめた。
「神牙さん……どうしますか?」
私の方を見つめて、鳴海刑事が困ったように問いかけてくる。
事件の第一発見者、真奈は両親に虐待されている……表札がすっかり擦り切れて名も知らぬ老婆から与えられた情報は、私達の捜査に混乱をきたすのに充分なものだった。
その真偽を、いきなり中本夫妻に聞くわけにもいかない……もし誤解だった場合、事件の唯一の目撃者である真奈と接触できない可能性もある。あの両親ならば、娘を警察から遠ざけるくらい、何とも思わないはずだ。
警察の事情聴取は、基本的に任意である。そのため、令状でも持ってこない限りは強制的に話を聞くことは出来ない。
そこで私は二人に、引き続き近隣住民に今回の殺人事件の情報を聞いて回ると共に、中本家の虐待に関する情報も同時に聴取する方針を打ち明けた。
「えぇ、そうですね。僕もその意見に賛成です」
「自分もだ」
先程まで中本明美に縮こまっていた二人の目に、確かな強い意志の光が宿ったのを私はしっかりと見届けた。
※
翌日、私は普段よりも憂鬱な気持ちでベッドから起き上がった。
昨日の調査の結果、奥野の存在を複数のマンションの住人が証言してくれたものの、奥野は普段から内気な態度で、あまり人付き合いをしていなかったようだ。だが、近所の子供なんかとは、よく遊んでいたようで、そのご家族からは好青年と受け止められていたらしい。
さらに、奥野の部屋周辺に入居している住人の話では、奥野が殺害された時刻に、動物のような唸り声が聞こえたらしい。ただ、それが奥野本人の声なのか、それとも別の声なのかは分からなかったそうだ。
そして、中本家の長女虐待疑惑についてだが、こちらはかなりの証言が得られた。
中本家付近の住人の話曰く、虐待は日常的に行われているようだが、外に出ると夫婦はまったくそのような素振りは見せず、また、娘の真奈もそれらしい様子を見せないそうだ。しかも、見る限りでは真奈などに痣などのケガもないため、単純に躾が厳しい家族だと思っている住人達もいた。
しかし、夫婦と娘がそろって家にいると、夫婦が真奈を罵倒する声が聞こえる。ひどい時には一日中聞こえるらしく、中本家近辺に住んでいる住人の中には、騒音の苦情まで訴える者が存在した。
以上の点から考えて、中本夫妻は娘である真奈を虐待している可能性が非常に高い。
しかし、二人が娘を虐待している理由については、もう少し調査を進めてから考えるべきだろう。我々の任務は、あくまで奥野を殺害した犯人の検挙にある。その本分を忘れてはいけない。
私が身支度を整えて警視庁に登庁し、オモイカネ機関本部の倉庫に出勤すると、普段は使い道のない作業台の上にダンボールが数箱乗せられていた。周囲には鳴海刑事達がいる。
「あ、神牙さん。おはようございます」
私は鳴海刑事に挨拶を返すと、ダンボールを躊躇なく開けた。
「お、おいっ! いいのかっ!?」
私は目を見開いて驚く大倉刑事に、大丈夫であると伝えた。
「ほ、本当ですか?」
半信半疑な様子の鳴海刑事に対して、これらの品は、我々に協力してくれている捜査一課の捜査員に頼んで用意してもらったものだと、私は伝えた。
「そ、そうですか……でも、大丈夫なんですか? その人はここの存在を知ったと思うんですけど……」
それについても、ぬかりはない。私が彼に頼んだのは、あくまで証拠品の収集と整理であり、ダンボール箱を運んだのは信用できる人物に運んでもらったのだ。そのことを伝えると、二人もやっと胸をなでおろす……信用できる人物が『その者』であることは、二人は知らない。
「ま、とにかく見てみようぜっ!」
そう言って、鬼島警部はソファから起き上がってダンボールの中身を取り出す。中に入っていたのは今回の事件の証拠資料となる写真や遺留品などで、鬼島警部はそれらの証拠品を見て後悔したようで、無言でそそくさと根城のソファに戻っていった。
しかし、私と鳴海刑事達は彼女に構うことなく、証拠品を調べていく……が、大倉刑事は例によって血がダメなのか、それとは無関係の資料に目を通していく。しばらくすると、鳴海刑事が声を上げた。
「神牙さん、これを見て下さい」
そう言って鳴海刑事から手渡された書類は、遺体の写真と検視報告書だった。そのうち、数枚の写真と検視報告書を鳴海刑事の指が指し示す。
「検視報告書によると、この遺体は素手で殺されたとあります」
「な、なんですとっ!?」
隣から、大倉刑事が素っ頓狂な声をあげる。
私も検視報告書に目を通すが、確かに死因の欄に『素手による撲殺』とある。だがこれは……撲殺と表現するには、あまりにも凄惨なものがある。なんせ、遺体は原型を留めていないのだ。被害者の身元が早く判明したのは、自宅で発見されて、なおかつ顔面の一部が輪郭を留めていたからだ。
おそらく、別の場所で発見されていたら、身元の特定もままならなかっただろう……私は大倉刑事に、素手で人間をこのようにすることは可能かと訊ねた。
「……不可能だ。こんな芸当をするような奴は、自分は心当たりがない……」
……大倉刑事がそう言うのなら、その通りなのだろう。
私がそのまま報告書に目を通していると、また気になる記述を見つけた。被害者の遺体に、何かの動物の毛のようなものが付着しているというのだ。
実際、証拠品の方を漁ってみると、大きめのパケ袋に入れられた毛の束が見つかった。私は動物の専門家ではないので良く分からないが、パッと見た限りでは、熊の毛のように見える。かなりゴワゴワとした毛並みだ。改めて報告書に目を通すが、この体毛がどの動物の物かは不明とのことだった。
「か、神牙、これを見てみろっ!」
続けて大倉刑事から提出された書類には、信じがたい言葉が綴られていた。
「こ、これはっ!」
横から顔を覗かせて私の手の中にある文書に目を向ける鳴海刑事も、そのような声を上げる。
大倉刑事が見せてくれた書類には、奥野の犯罪履歴が書き込まれていた……そこには、奥野が女児に対して行った数々の犯罪が、役人的な言葉の群れで存分に表現されている。
「これは……ひどいですね」
鳴海刑事も、読み進めていくうちに嘆息を漏らす……どうやら奥野には、隠された過去があったようだ。
「おかしいであります……」
「中本夫妻が、奥野の所に真奈ちゃんを遊ばせに行った理由ですか?」
「はい……あ、でも、あの二人には知りようがなかったかもしれませんな」
「まぁ、普通の人には個人の犯罪歴を独自に調べることなんか出来ませんからね」
確かに、鳴海刑事の言う通りだ。その説明に補足として、私は奥野はすでに改心していた可能性にも言及した。
「うむ、だとすれば、今回のように小さい女の子を奥野の自宅に預けたのも、納得がいくな」
「そうですね。真奈ちゃんも、奥野に対しては特にそれらしい供述もしていませんし」
その言葉に、私と大倉刑事の納得の声を上げると、途端に本部内が静まり返ってしまう……今のところ、この事件の捜査に置いて注目すべきなのは、中本夫妻の娘に対する虐待疑惑だけだ。ましてや、奥野の方はすでに警察が本人やその周辺人物について調べ回っていることだろう……だとすれば、我々が手を付けるべき問題は、それぐらいしかない。
だが、昨日も懸念したように、もし虐待疑惑が思い過ごしだった場合、事件の第一発見者との接点を失ってしまう危険性がある……そのことが、我々の脳裏をせわしなくよぎっているのだ。
「……神牙さん」
鳴海刑事の静かな声色に導かれて、私は自然に彼の方に視線を向ける。
「この際、虐待疑惑の調査は抜きとして、もう一度中本家へ聞き込みに行ってみませんか? その時に、ちょっと中の様子を見させて頂いて、特に問題なければ、他の問題に着手するということで……」
私は、鳴海刑事の意見に賛成した。確かに、わざわざ『虐待疑惑があるから調べさせてくれ』と言う必要はない。何か別の話題で聴取している間に、様子を探ることだって出来るはずだ。
私達のやることが決まったとなると、大倉刑事はサッと身を翻し、『車を用意するでありますっ!』と言って、勢いよく扉を開け放って出て行ってしまった。




