森の人 ~発生~
「おい、大倉っ! 茶ぁ、持ってこいっ!」
「け、警部殿の近くにポッドがあるのですから、警部が――」
「うっせぇなぁ! アタシは今、お馬ちゃんの調子を調べるので忙しいだよっ!」
「そ、そんな――」
……いつもと変わらぬ、平穏の中の喧騒……鬼島警部の怠惰かつ自己中心的な性格には慣れたと思っていたが、私には何があっても、彼女の性格を受け入れる余地はないらしい。もっとも、それはこの部署にいる他の二人も刑事も同じ事であろうが……。
時はすでに正午になろうという時刻……これといって事件らしい事件もなく、暇つぶしがてらの資料整理や報告書作成も終わりが見えてきた頃……これから何をしようかと考えながら、私が二人のやり取りを遠目に見ていると携帯端末に連絡が入った。
すわっ! 事件かっ!?――不謹慎な希望を胸に、端末の画面をタッチする。
『東京都内で事件発生。場所は――』
「……」
……私は今、どんな顔をしているだろうか?
ふとデスクの上に置いてある鏡を見るが、その頃にはいつもの無表情に戻っていた。少し残念だ。
私は小さくため息をつき、オモイカネ機関のメンバーに対して出動命令を下す。
「むっ!? 事件かっ!?……ということですので警部、お茶は自分で入れて下さいっ!」
「はぁ!? マジかよ、クソッ!」
我々は鬼島警部の人一倍不機嫌な言葉を後に、倉庫を後にする……彼女の悪態をつく声は、分厚い鉄製扉を締め切った後もハッキリと聞こえてきた……。
※
「――それにしても、ここ最近は事件らしい事件が起きず、鬼島警部専用のお茶汲み係としての日々を過ごしていましたが……いったい、どんな事件なんでしょうなぁ」
大倉刑事は車のハンドルをガッチリと握りながら、どこか胸躍らせるような調子で助手席に座る鳴海刑事に問いかける。
「さぁ、僕にはなんとも……神牙さんは、何か聞いていないんですか?」
私は鳴海刑事の言葉を受けて、再び携帯端末を手に取って事件の概要を調べる……が、事件発生の知らせと現場の住所以外は、まったく記載がなかった。私はその旨を二人に伝える。
「むぅ……本当に事件が起きたのか? まさか、誤報では……」
大倉刑事の岩のような顔面が、たちまち曇っていく……心なしか、車のスピードも落ちているように感じるのは気のせいだろうか?
「あるいは、緊急案件のために情報をこちらに知らせる暇がなかったのかもしれませんよ。もしかしたら、僕達が初動捜査を務めることになるかも――」
「むむっ!? 初動捜査ですとなっ!? こうしてはおられません。大倉源三、全速力で現場に向かうでありますっ!」
その後、大倉刑事の運転する車は法定速度を余裕でぶっちぎり、警視庁から出発して数十分後、私達は郊外に近い団地に到着していた。
大倉刑事が運転する車は団地の入り口となる区画からスピードを落として中に入り、少し直進して団地を構成する一棟の前にたどり着くと、静かに道路脇に寄せられて停車した。こういった運転の繊細さに、大倉刑事の性格が表れているような気がする。
車が停まった場所――五階建ての、少し古びた外観を誇るマンションは、団地の出入り口となる場所から百数十メートルほどまっすぐ進んだ場所にあった。
いくつか存在する、階段に直結している出入り口からは、頻繁に鑑識や捜査員が慌ただしく出入りしている。
「……どうやら、いつもの捜査のようですね」
「……む、無念で、無念でありますっ!」
……初動捜査を担当できないだけで、こうも涙声になるような刑事などいるのだろうか?
「神牙さん、今回はどうしましょう? いつものように、現場の捜査員達に挨拶をしたほうがいいですか?」
鳴海刑事は、マンションの出入り口から出たり入ったりしている警察官達を見ながら、そのように問いかけてきた。私が現地の警察と協力すると宣言すると、マンションを見つめる大倉刑事も大きくうなづく。
「うむ、その方がいいだろう」
かくして私達は、今回の捜査においては現地の警察官達と協力しながら、事件解決をすることに決まった。今のところ、『その者』から特別な指示が来ることもない……ということは、この方針で捜査しても問題ないのだろう。
私達は出入りを繰り返す捜査員達に混じって、マンションの階段を上がっていく。そうして四階まで上がっていくと、わずかなスペースの踊り場に面した二つのドアのうち、一つが開けっ放しになっており、そこから捜査員達が出入りを繰り返していた。見る限り、規制線は張られていないようだ。
これ幸いとばかりに、私達も捜査員の波に同化するようにそのドアを通って室内に入ると、途端に不快な鉄の臭いが鼻腔を刺激する。
だが、そこで立ち止まるわけにもいかないので、そのままフローリングの廊下を進んでいく……大倉刑事も、必死に胃液の逆流と戦っているようだ。
ハッキリ言って、これから我々が目にする現場は凄惨なものに違いない……今までの現場の経験、そして何より、この絶えず鼻腔を刺激する血の匂いが、その考えを補強してくる。
やがて廊下を渡り切って突き当りにあるリビングに入ると、私の考えが当たっていたことが証明された。
黒や茶色を中心とした生活空間……テレビやテーブル、ソファなど生活感あふれる品々をはじめ、天井や壁にまで飛び散った血飛沫……その血液の持ち主は、茶色のカーペットの上で原型を留めない姿で倒れていた。案の定、後ろで大倉刑事が唾を飲み込む音が聞こえる。
私は周囲を観察して、現場責任者を探したが、意に反して簡単に見つけることが出来た。
私が思わずその者の名前を告げると、その者はこちらを見つめた後にあからさまに苦虫を噛み潰したような顔をさらけ出した。
「ほ、本郷警部っ!?」
私の後ろで、鳴海刑事が驚愕の声を上げる。
そう……私達が到着した現場を指揮していたのは、かつて鳴海刑事が所属していた捜査一課長の本郷剛志警部だったのだ。昔気質の、性格のキツイ老人……実際にはまだ五十代だそうだが、大倉刑事のようにゴツゴツとした岩肌を見るに、とても信じられない。
彼がここで現場指揮をとっているということは、ここは捜査一課のヤマということだが……そうすると、少し厄介なことになる。
警視庁捜査一課と言えば、縄張り意識の塊のような部署だ。自分達の現場に部外者が入ってくることを、蛇蝎の如く嫌う。ましてや、現場からの叩き上げである本郷警部が捜査一課長であれば、なおさらだ。前回はうまく彼らの目を盗んで事件を解決することが出来たが、今回、鳴海刑事や大倉刑事はオモイカネ機関の出身であり、私も捜査一課にはコネはない。
どうしたものか……私が思い悩んでいると、本郷警部は白髪交じりの角刈りの髪をバリバリと掻いて、私達の方に近づいてきた。
まずい……私が内心焦っていると、本郷警部から思わぬ言葉を耳にした。
「……またお会いしましたな……話は聞いとります。自由に見てって下さい」
本郷警部は、決して本望とは言い難い様子でそう言うと、さっさと捜査陣の元へ戻っていってしまった。
「……どうしたんですかね、本郷警部……」
後ろから、鳴海刑事のそのような声が聞こえてくる。
本郷警部が不本意とはいえ、我々の合流を受け入れた理由……おそらく、上層部からの指示だろうが、実際に手を回したのは『その者』だろう。やはり、今回は合同捜査で正解のようだ。
私は鳴海刑事の質問に生返事で返し、二人に現場検証を行うことを告げた。
私達三人は部屋の中で散り散りになり、手掛かりとなる証拠を探していく……が、すでに鑑識や一課の捜査員達が調べ尽くしたのか、手掛かりとなるようなものは一切発見できない。まさか、本郷警部はこのことを理解して、あえて協力を承諾したのだろうか……?
私の心中にわずかな殺意が芽生え始めるが、すぐに鎮めていく……ここで本郷警部に恨みをぶつけても、事件解決にはつながらないのは分かり切っていることだ。
気を取り直して部屋の中を見渡すと、以前出会った捜査員が見えた。鳴海刑事達と出会うきっかけとなった事件で、本郷警部を紹介してくれた刑事だ。
私がその捜査員に近づくと、向こうもこちらに気づいたのか、敬礼をする――だが、その敬礼を本郷警部に見つかりたくないのか、いささか小振りなものだ。
「お疲れ様です」
私は彼に挨拶を返し、久しぶりに会ったことを喜んでいることを伝えると、彼はあからさまに笑みを浮かべた。
これはいけるかもしれない……私は思い切って、その捜査員に事件の情報を教えてくれないかと訊ねた。すると、捜査員は一瞬驚いた顔を見せた後に周囲を見渡し、私を廊下の方へ案内した。
「あの……もしかして、警視正殿はいわゆる捜査五課の人間ですか?」
捜査員は周囲の刑事や鑑識に気づかれないような小声で、私に問いかけてきた。
捜査五課……我々『組織』の出先機関であるオモイカネ機関がその正体を隠す際に使う、いかにもな名称……警視庁に勤務する刑事達の間では、『多様化、複雑化する犯罪に対して、実働部隊に対する全般的な捜査支援を行う、公式の編成表にはない独立部署』として、ひそかに人気となっているらしい。
この捜査員も、そうなのだろうか……? だとしたら、使えるかもしれない。
私は捜査員に対して、自分達が捜査五課であることを告げ――嘘はついていない――捜査協力を要請した。
その言葉を聞いた捜査員の目は、途端にキラキラと無垢な少年のように輝きだした。
「もちろんですっ! 喜んで協力させて頂きますっ!」
小声で――なおかつ興奮した様子で私達に協力をしてくれることを約束してくれた捜査員に対して、私が深くお礼を言って被害者の身元を訊ねると、捜査員は手帳を慌ただしくめくって話し始めた。
「えぇと、ガイシャは奥野俊之、二十五歳。都内の飲食店に勤務するフリーターですね」
あの遺体は男性だったのか……赤い海に沈んでいる肉塊を眺める限りでは、男性なのか女性なのかも判別がつかない。
私が続いて遺体の第一発見者を訊ねると、捜査員は顔を曇らせた。
「それが……ちょっと来て頂けますか?」
捜査員の態度を不可解に思いながらも、私は彼の後を付いて行く……すると、リビングに隣接する和室に通された。
「あの子です」
そう言って捜査員が示す先には、和室の中央に正座で座る少女の姿があった。歳は九歳頃だろうか?
この暑さのせいか、紫色の派手な柄模様のタンクトップにジーンズ生地のホットパンツを履いている。
私は少女に近づいて同じように正座し、なるべくにこやかに挨拶した。
「……こんにちは」
……か細い声であるが、少女は返事を返してくれた。見たところ、かなりショックを受けているように見える……話を聞くのは、少し先延ばしにした方がいいだろうか?
私がそのようなことを考えていると、玄関の方から慌ただしい声が聞こえてくる。
私は捜査員や鳴海刑事達と共にリビングから玄関の方を覗くと、そこには一組の男女の姿があった。
「通してくれっ! ここに真奈がいることは知ってるんだっ!」
「そうよっ! あの子に何かあったらどうするのっ!?」
男女が金切り声でそのように叫び続けていると、本郷警部がゆっくりと近づいていく。
「……失礼ですが、あなた方は?」
「真奈の両親だっ! ここには真奈がいるんだろっ!?」
三十代くらいの、少し小太りで無精ひげを生やした男が怒鳴り散らす。
「パパ……」
「あ、真奈っ!」
私達の後ろで少女の声が聞こえたと思ったら、少女は和室から抜け出して廊下を駆けて行き、両親の元へと戻っていった。
「なるほど、真奈ちゃんの両親でしたか」
本郷警部は、真奈という名前の少女の頭を撫でる両親に対して、一転してぎこちない笑顔を浮かべた。
「ところで、ご主人の職業はなんですか?」
「はっ!? な、なんですか、いきなりっ!?」
「いや、ただの事情聴取ですよ」
「なによ、私達を疑っているつもりっ!?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
……本郷警部に職業を聞かれた父親も母親も、自分達が事件の容疑者として扱われたことよりも、本郷警部に職業を聞かれたことそのものに驚いているような気がする……一体、どういうことなのだろうか?
「では、別の質問を。なぜ、真奈ちゃんがここにいると分かったんです?」
「それは……奥野君は知り合いだから……」
「ほう、被害者と面識があったんですか?」
「あ、ああ……たまに彼と一緒に旅行も行ったりするさ」
「なるほど。それで、なぜ真奈ちゃんが彼の部屋にいると?」
本郷警部がそのように質問すると、両親は互いに目配せを行った後、父親が口を開いた。
「そ、それが、真奈が奥野君に会いたいと言うもんだから、彼の部屋にいく許可を出したんだ」
「ほぉ……本当なのかい、真奈ちゃん?」
本郷警部は、母親の身体にガッチリと包まれる真奈に対して、膝を曲げて問いかけた。
「……うん」
鈴虫が鳴くような、か細く透き通った小さい声で、真奈はコクッと頷きながら答える。その様子を見て、本郷警部も納得したように姿勢を正した。
私が両親と本郷警部のやり取りをそのまま聞いていると、真奈のこともあり、自宅に帰ってよいということになった。
しかし、そこで諦めるわけにもいかず、私は真奈を連れて帰ろうとする両親を引き留めた。
「なんですっ!? まだ何か用ですかっ!?」
真奈の両肩を強く掴む母親にギロッと睨まれるが、私は構わずに真奈に対して、被害者の部屋で何か見ていないかだけ問いかけた。
「……」
私に質問された真奈は、その場で考え込むように首をかしげた後、ボソッと呟いた。
「……の人」
「え、なにっ!?」
本郷警部が思わず素の状態で聞き返すと、真奈は先程よりも大きく、しかし元気のない様子で言い放った。
「森の人がやったの……」




