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二章 高峰の夢夜、闇に沈みて

 むらさめの晴れし高峰をたちいてゝ 月になくなり初ほとゝきず


    烝『雨後鵑』





 朝廷が王政復古を発したのは、慶応三年(一八六七)十二月九日のことだった。

 これにより政権は天皇へと移り――つまり、このことは新政府の成立と同時に、徳川幕府の廃絶をも意味していたのだ。

 それは当たり前の如く、新選組にも直接的な影響を与えてくれる。もとより先日の油小路での一件で、町人は彼らを良く思わなくなっているのだ。むしろ廃止要望の声さえ数多と上がっている。

 そのような状況下で発せられたこの号令は、彼らにとってどれほどの打撃となるのだろうか。その威力は測り知れない。

 暗澹あんたんたる雰囲気の支配する中、一同にそれらのことを告げると、近藤は唇を噛み締めた。

 身を凍らすほどに冷たい風を感じるのは、一体どうしてなのだろう。不安か、おののきか、焦りか、それとも――。

 ある隊士がくしゃりと袴を握りしめるのが、視界の隅に見て取れる。

 息を呑む音が聞こえたのは、おそらく気のせいではないのだろう。

 何故そう思ったのかは知る由もないが。


     一、


「まさか彼のような場所の守護に就くとは、思いもしなかったよな」

 新選組が新遊撃隊御雇しんゆうげきたいおやといになるを拒否したのは、つい先日のことだ。

 守護職、所司代が廃止となった後、大規模な組織編制が行われた。その際に見廻組などが新遊撃隊となり、そして彼らの配下に置かれるものが、この新遊撃隊御雇となるとのことだった。

 勿論例に違わず新選組も新遊撃隊御雇となるように命じられたのだが、昔から慣れ親しんでいた『新選組』の名を捨て去ることは、そう易々とできるはずもない。結局彼らは御役御免として、今までどおり新選組と名乗ることを選んだのだった。

 老中ろうじゅう板倉勝静いたくらかつきよから留守中の二条城の守護を頼まれたのは、それから間もなくのことだった。

 今は日も沈んだ夕七ッ時(午後四時)の道を、二条城に向かって懸命に歩んでいる最中である。

 吹き付けてくる師走の風はことさら冷たかったが、それさえ苦にもせずといった表情で、副長助勤の原田左之助はらださのすけは続けた。

「二条城だなんて、遠目で見ているだけの場所だと思っていたらなぁ」

「まったくですよ」

 共に並んで歩いていた烝は、原田の言葉に頷くと、瞼を伏せつつ己の足元に視線をやった。

「確かに『守護』という点では、我々の仕事から逸してはいませんけどね」

 すでに蒼い闇に包まれているため、地面は漆黒といっても良かった。だが、一定の間隔をもって灯火に照らされているためか、彼らが歩くところだけは茜色に染まっている。

 寒空は星をも隠してしまっているため、足先は普段にも増して凍えていた。足は普段のように上げることもできず、地面と足の裏が擦れ合うザッザッという音が、行列の全てを支配下に置いている。

 烝は帯刀している刀の柄にそっと指を滑らせると、これから行う守護の意味を噛み締めて、口角を僅かに上げた。

 つい五日前の天満屋での一件と同様、守護という仕事を全うできることを内心では嬉しく、そして隊士の一人として誇らしくも感じている。ましてや今回の任務は、将軍の城の守護だ。幕府の下で働いている者にとって、それがどれほど大きな意味を持っているか解らない者はいないだろう。

 同じく口角を上げていた原田は月の姿のない天を仰ぐと、その双眸を山形やまなりに細めた。

「だな。身内のいさかいばかりで忘れがちだったけどよ、俺達だって京の守護のためにここにいるんだもんな。これが本職であり本望だと言っても過言じゃない」

 真に喜ばしい限りだ。

 そう独り言ちると、原田の笑みはより一層輝きを増していった。

 足並みは相変わらずで、その音も重たいものに変わりない。だが、久しぶりに感じる高揚感や使命感は、誰もの心に良い刺激を与えていることだろう。

 烝は「そうですね」と頷き返すと、二人して小さく笑った。たったそれだけの行為なのに、胸の内が軽くなるような奇妙な感覚にとらわれる。

 一行が夜闇に覆われた道を闊歩していくと、二条城は徐々に姿を現してきた。普段からその姿を目にする機会はあったのだが、いつもとは心構えが違うせいだろうか。やけに近寄りがたいように見えてしまい、その全貌が姿を現すと隊士の誰もが息を呑み込んでしまった。

 そこにそびえるのは、華やかさは微塵も感じさず、夜闇を糧としてなおも堂々たる空気を漂わせている城の姿だった。そればかりか、目前に現われた東大手門や、そこから僅かに覗いている築地塀も、堅固なものこの上ない。

 この悠然かつ荘厳そうごんな雰囲気は、まさに徳川将軍に相応しい偉大さといってもいいだろう。

 それにしても、なんという場所なんだ……。

 門番を前に立ち止まると、烝はほうっと息を吐き出した。いつにも増して緊張しているのか、それでも肩から力が抜けることはなく、どこか気だるい。今まで様々な状況に置かれてきたから平気かと思っていたのだが、まだまだ繊細な部分もあったらしい。

 門番と近藤が話しているのを、どこか遠い場所を見るような気持で眺めていた烝は、不意に羽織を引っ張られて、はっとした。ちらりと視線をやると、そこには明らかに無言で何かを訴えようとしている原田の姿があり、また、彼が羽織を引っ張っているのが目に見える。

「……なぁ。俺たち、ここの守護をするんだっけか?」

「そうらしいですね」

「何か……うん。雰囲気だけで圧倒されるのは、俺の気のせいかね?」

「ふふっ。それは私とて同じことですよ」

 半ば助けを求めるように縋りついてくる原田の視線を全力でかわすと、烝は生気の抜けた笑い声を含みながらそう返した。

 正直すまないとは思うものの、こればかりは烝がどうこうできることではない。何しろ相手は姿の見えない気なのだ。こんなものに、肝を据える以外どうやったら太刀打ちができるだろう。

 烝の表情からそれを感じ取ったのか、原田は再度城に視線をやると、ぎこちない笑みを浮かべた。口の端が引き攣っているのは、やせ我慢しているせいかもしれない。

 ははっ、と乾いた笑い声が隣から聞こえてきた。

「まさか冗談とかは――」

「ないでしょうね。近藤さんが話していたのを聞く限り、板倉殿からの言伝だという話ですし」

 ですが……とまで口を開くものの、烝は続く言葉が見つからずに、二条城の荘厳さに圧倒するばかりだった。原田さんが言ったよう、冗談であったらどれほど気が楽だったろうと今更ながらに思う。

 さっと風が、砂ぼこりを巻き上げていった。

 近藤と門番が話し合う声を、まるで意識が遠退くような思いで聞いていた烝は、誰に訴えるでもない吐息を一つだけこぼした。本当に、神は時として途轍もないことに出会わせてくれる。

 しばらくすると、話を終えた近藤が彼らの元へと戻ってきた。しかし、予想すらしていなかったのだろう。隊士達のポカンとした表情に苦笑すると、思わず二の句も継げなくなってしまい、近藤はただただ頭を掻くばかりだった。が、

「あー、その……何だ? お前達も新選組の隊士なんだからさ、もう少しこう……」

 眉を『ハ』の字に寄せていた近藤は、どうにかして彼らを説得しようとするものの、上手く言葉が紡げないと解ると途中で潔く諦める。

 長い溜め息をついてからコホンと一つ咳払いをすると、いつもの局長らしい表情をその顔に浮かべてきた。空気がピンと張りつめるような感覚に、隊士達は背筋を伸ばす。

「さあ、これからいよいよ入城だ。皆、今度はくれぐれも気を引き締めるようにな」

 朗々とした近藤の声は、冬の空気をものともせずに響き渡っていった。

 始まりの鐘が、今鳴らされる。


「何を仰るか!」

 近藤の怒声が二条城を駆け巡ったのは、入城をした翌日のことだった。

 先日聞いて回った民衆の声を紙上にしたためていた矢先の出来事で、烝は勿論、同じ室内にいた隊士達にも驚きの表情が見え隠れしている。

 かたんとすずりに筆を立て掛けると、烝は身を捻りながら、無言で隊士達の反応をうかがった。しかし誰一人として事情を解っていないようで、一様に首を傾げるばかりだった。埒が明かない。

 そう思っていると、別所で警護に当たっていた隊士が息も切れ切れに室内へと飛び込んできた。

 近藤さんの声といい、彼の様子といい。一体何が起こっているのだと、胸がざわめき立ってくる。

 尋常ではない隊士の剣幕に双眸を見開くよりも早く、彼は一礼すると烝の前へと進み出てきた。烝は落ち着けと自分自身を宥めると、大きく息を吸う。

「如何しました」

「それが、訪ねてきた水戸みと藩士二名が『城の警備を頼まれたのは我々であり、あなた方ではない。早急に撤退のほどを』と仰っておられるようで。その件に関しまして、近藤局長との間に対立が……」

「それは本当ですか?」

「はい。間違いございません。なお、顔触れは長谷川作十郎はせがわさくじゅうろう殿と大場一真斎おおばいっしんさい殿と見受けられます」

 彼はそう言うと下げていた頭を上げ、烝に視線を合わせてくる。その瞳にはえも言わぬ不安の色が浮かんでおり、烝は小さく唸ると、膝頭をめつけるようにして思案した。

 そもそもにして水戸藩とは、尾張おわり藩、紀伊きい藩と並ぶ徳川御三家ごさんけの一つとして知られている存在だ。ましてや彼の話に出た大場一真斎という人物は、水戸藩の家老にあたる人物である。それほどの者が来るということは、その言葉の裏に、必ずや何かがあるに決まっていよう。

 だが、それならば果たして――。

 疑問は渦のように頭の中をめぐるばかりで、まるで答えが見えてこなかった。

 駄目だ。気が滅入っている。

 そう思った烝はくっと小さな声を上げると、途方にくれて視線をさまよわせた。これは厄介なことに巻き込まれたよううだな。本能が、そう嘆いている。

 しかし、ここで黙り込む訳にはいかない。これでも今は、一つの隊を治める者だ。隊士の問いを放っておくことなど、許されることではない。

 冷たい空気をすっと吸い込むと、烝は閉ざしていた唇をようやく解いた。

「今はまだ、私どもが首を突っ込むべき頃合ではないでしょう。何ごとかあれば、近藤さんから招集がかかるはずです」

「ですがあの剣幕。そのように悠長なことを言っておいて、場が持ちましょうか」

 ひしひしと冬の気配が身を蝕んでゆく。

 どうにも安心できないのだろう。巡り続ける疑問を口にすると、隊士は袴をぎゅっと握りしめた。

「確かに、あのような怒声を上げるなど、普段の近藤さんにあるまじき光景です。近藤さんが今どれほどの怒りを湛えているのかということを考えれば、その場が平穏に治まらないことなど、最早目に見えているでしょうね」

「では――ッ!」

「しかし、ここで我々が姿を現したとしてですよ。果たしてこの現状が良い方向へ変わると思いましょうか」

 今にも飛び出していきそうな隊士をどうにか宥めると、烝はゆっくりと、一つひとつの言葉を噛み締めるようにして言い聞かせた。いや。もしかしたら、これは自分を言い聞かせるための言葉だったのかもしれない。

 焦るとたまに歯止めが利かなくなるのは、自分も一緒だ。

「考えてもみて下さい。仮に我々がその場へ赴いたとしてですよ。水戸藩の方々に近藤さんが言われたのと同じような言葉を聞かされたとして、その後どうなると思いますか? ……我々の大半は、血気盛んな武士もののふばかり。ともなれば、状況を益々悪化させてしまうに決まっていましょう」

 そればかりは何としてでも避けなければならないと、それはお解りですよね。

 烝は最後にそう念を押すと、隊士の顔を覗き込んだ。

「助勤の仰ることは、解りました。ですが……そうだとしたら、我々は一体どうすれば良いのでしょう」

 部屋中の視線が、全てこの場に注がれているように感じられる。静まり返った部屋の中を視線のみで見渡すと、烝は目の前にいる隊士に改めて向き直った。不安そうな双眸に、自らの姿が映り揺れている。

「それは誰にも解りません。けれど今は、局長の命を待ちましょう」

 我々には、それしかできません。

 隊士の問いかけに正直に答えると、烝は表情をかげらせつつそう言い渡した。

 待つしかできぬ。

 それが酷く、悲しく思えてもなお。



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