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六章 戦場に舞うもの(5)


     四、


 気が付くと、烝は蒲団の上に寝かされていた。ぼんやりと霞む視界の先には濃い茶の天井が見えており、自分が戦場とは違う、どこか別の場所へと移されたのだということを悟る。

 そうか。とうとう、戦線から外されたのか。

 だが、事実を受け入れたというに、不思議と悔しさは湧いてこなかった。ただ、やけに心の中は冷静で、今、自らの置かれている状況を頭の中で整理しようとしている。我ながら、どうしてこうも危機感がないのだろうと烝は思った。

 私がこのような抜けた性格だということは、薄々感付いていたが、それにしても……。

「うぅ……」という苦しげな吐息が聞こえてくる中、そういえばどうして自分がここにいるのだろうかということに、烝は考えを巡らせた。

 辺りを雰囲気だけで窺い、しばらくしてから、あの時自分は薩長軍の銃撃に襲われたのだということを理解する。それと同時に、あの戦から一体どれほどの時を経たのだろうという疑問も芽生えてきた。

 一体自分は、どれほどの時間眠りについていたのだろう。

 時が動いているのにも気づかず、どれほどの時を経てしまったのだろう。

 考えれば考えるほど恐ろしくなり、烝はやがて胸が痛むのを感じた。そもそも眠りについていた時間が長いということは、それだけ自らの身体に与えられた負担が大きいということだ。

 実家が医者であり、また松本良順からも医学のなんたるかを学んできた烝であるからこそ、そんなことなど知識の一つとして知っていた。そして、それを間近で見て来たことがあるからこそ、その負担が如何に怖いものかということを知っている。

 もしもずいぶんと長い時間を経てしまったというのなら、もう自分は新選組にとって不要の存在となることは必至だろう。

「武士になりたい」

 その一心で実家を出、家族を――琴尾を大坂に置いてきたというのに、蓋を開けてみればこの様だ。だがそれ以前に、自分は今まさに、快く見送ってくれた彼らの想いを踏みにじろうとしている。このことが何よりも、烝の心を痛めつけていた。

 動かなければ。

 立ち上がらなければ。

 しかし、そうは思うものの気持ちばかりで、身体の方はちっとも動いてくれやしない。まるで頭の中から身体の動かし方を忘れてしまったかのように、全ての自由を奪われている。

 心の中で自らに罵声を浴びせると、烝はぎゅっと眉根を寄せた。どうして動いてくれないんだ……。心で何かが悲鳴を上げる。

 躍起になっていた烝は細い息を吐き出している口を一旦閉じると、はっと大きく息をついた。するとそこでようやく意識が覚醒したのか、身体中が急な激痛にさいなまれ始める。

 その痛みは、何とも形容しがたいものだった。切り裂かれるようでも、蝕まれるようでも、押しつぶされるようでもあった。いや、もしかしたら(えぐ)られると言ってもいいかもしれない。

 とにかく、ほんの少しでも良い。この痛みを追いやることはできないかと、まるで動かない身体を捩ろうとした。あまりの痛みに上げた呻き声が、冷たい空気を振るわせてゆく。

「山崎助勤?」

 すると、一人の隊士が烝の声を聞きつけ顔を向けてきた。そこで烝が目を覚まし、なお且つ身体を起こそうと必死になっているのに気づくと、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 彼は烝の行動を『痛みにさいなまれている』ととったのだろう。確かにそのとおりだったので、「どこか痛みますか」と聞いては顔を覗き込んでくる彼に励まされると、烝は暗い考えを打ち消すようにして「大丈夫です」という言葉を告げた。

「……ここ、は……」

「大坂にある八軒家(はっけんや)京屋(きょうや)です。怪我を負った隊士の方は、皆ここへと連れてこられたんです」

 忙しなく呼びかけてくる隊士に烝はそう尋ねると、彼は簡潔に経緯(いきさつ)までも教えてくれた。

 彼の話によると、前日――つまり五日の千両松での戦いでは死傷者が多く出、この八軒家にも多くの隊士が運び込まれたのだという。そして日付の変わった今日も既に多くの死傷者が出ている上に、戦場では相も変わらず薩長軍が優勢とのことだ。

 しかし彼の話を聞いているうちに、烝の心中にあった一つの(もや)が、どうしても気にかかった。それは彼自身が撃たれる直前に見た、井上の姿だ。共にあの場で倒れたことは覚えている。だが、

「井上さんは……一体、どうしました」

 神妙な表情で烝がそう尋ねると、彼は急に黙り込んでしまった。言いようのない不安定な空気が、一瞬にして立ち込めてゆく。

「……井上助勤は、殉死しました。昨日の戦で」

 それでもようやくそれだけの言葉を絞り出すと、彼は目を伏せ、再度唇を固く閉ざしてしまった。

 何でも井上は前日の戦で薩長軍の放った銃弾に当たってしまい、ほぼ即死だったのだという。つまり烝が見たあの姿が、彼の最期の瞬間だったということだ。今でも勇敢に立ち向かい、その中で銃弾を浴びてしまったあの姿が鮮明に浮かんでくる。

 烝はあまりの衝撃に息を詰まらせると、目の前が真っ白になってゆくのを感じずにはいられなかった。

 医学に通じているから、冷静になれば井上が致命的な傷を負っているということは解っていたはずなのに。それなのに、心のどこかで「彼なら平気だ」と思っている部分があったことは否定のしようもなかった。いや、それどころか「新選組なら大丈夫だ」と、どこかでひどい思い込みをしていた節もある。

 戦場に出れば、誰だってその身に確たる保障がなく、同じだけの危険を分け与えられていることは至極当然のことだった。だから、自分の属する組織だけが生き残り、他の対抗する組織だけが滅びるということもあり得ない。現に、烝自身も大怪我を負っている。そうだというのに――。

 私はどうして、この事実を真っ向から捉えることができないでいたのだろう。どうしてこうも、歪曲(わいきょく)した夢世界を描いていたのだろう。

 身体中を蝕む痛みが、弱さに浸けこんで更なる痛みをもたらしてきた。

 衣擦れの小さな音が、語りかけてくる小さな声と共に隣から聞こえてくる。

 いや。声が小さいのは彼のせいではなく、自分の意識が朦朧としてきたからだということが解った。解ってしまった。

「助勤、しっかりしてください! 山崎助勤!」

 彼は烝の異変に気付くと、必死の形相で呼びかけてくる。怪我に障らないようにと注意しながら、烝の肩を揺さぶった。それでも烝の呼気が細くなっていくのを、食い止めることはできなかった。

 本当。私は何を求めて、こんな状態になっているのだろうな。

 肩に置かれた手の強さを感じながら、烝の意識は再び闇の中へと沈んでいく。

 身体を蝕んでいた痛みは、徐々に鋭さを欠いていった。


 その後も烝は、目を覚ましてはすぐに意識を手放すということを、幾度となく繰り返していた。だが、その間にも様々なことがあったのだということを、途切れ途切れの意識の中で烝は感じ取る。

 無論、そこに吉報(きっぽう)というものはほとんどなく、日夜凶報(きょうほう)が飛び交うばかりだった。

 橋本の戦に敗れた。将軍が大坂から姿をくらまし、江戸へと向かわれた。大坂城を火の手が襲った――。

 それらは日増しに隊士達の気力をもそぎ落としているようで、まるで覇気が感じられない。また、怪我を負った隊士達への治療もうまくいっていないようで、どうしてこのような時に寝込んでいるのだと、烝は自らを叱責した。

 本当に必要な時に動けないだなんて、とんだ役立たずではないか。

 だが、そう思ったところで身体が言うことを聞くはずもない。結局のところ、烝は目を覚ますたびに罪悪感にさいなまれながら、その罪悪感と共に再び深い闇の中に落ちていくばかりだった。

 私は一体、何をしているのだろう……。

 霞んでいく視界に寂しさを覚えながら、今日も烝は目を閉じる。決して優しくもない闇が迎えてくれると、知っておきながら。



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