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六章 戦場に舞うもの


 皇邦の正しき道にとつくにの なひかむときのいかてなりなむ

   烝



 明くる正月四日。

 薩長(さっちょう)の連合軍が仁和寺宮(にんなじのみや)嘉彰(よしあき)親王(しんのう)を征夷大将軍に任命したらしい。

 らしいというのはまだしかと目にしたわけではなく、そのような話をどこかで伺ったためだ。

 烝はぐっと長巻を握る手に力を篭めると、丁度相手側から死角になるように木の幹に背筋を当てると、そのままじりじりと首を後ろに回した。

 現在は青い空が木々の合間から覗いている、朝と昼の境目頃。本日の戦が始まってから、果たしてどれほどの時を経たのだろうか。現在は上鳥羽(かみとば)街道を北上しつつ、薩長の連合軍と交戦をしている最中(さなか)である。

 小競り合いといった状況が延々と続いてはいるが、この戦もどちらが優勢かといえば、圧倒的に相手側――つまり薩長側であるだろう。

 先ほどまではこちら側が優勢だったのだが、伏見方面で戦っていた旧幕府軍が敗走したことにより、立場は逆転。薩長側の援軍到着してからというもの、新選組も攻撃を受ける側へと転じてしまっていたのである。

 そしてこれが、ことの結末だ。

 吹き抜ける風が、静かに静かに両陣営の間を駆け抜けてゆく。

 薩長軍からは幾つもの小銃や大砲の呻きが聞こえ、武具の差を見せつけられている。

 また服装からしても旧幕府軍のようなものではなかった。和装ではない、葡萄牙(ポルトガル)仏蘭西(フランス)などで用いられているような、西洋風の作りでこしらえた物だ。身体を守る甲冑さえ見受けられない。

 これは軽装と捉えることができるのだろうが、この時勢では、彼らの恰好はあまりに異端だ。確かに西洋人はそのようないでたちで戦に出ているのかもしれないが、日本の中にそのようないでたちをした侍など、この場を除けば一人としていないだろう。

 まったく、厄介なことになったものだ。

 しかしそうは思うも、それが彼らが望んでいる日の本の姿で――。

「構えッ!」

 すると轟き渡る相手方の声に、胸の奥に冷水を注がれるような感覚が途端に襲ってきた。不敵に響く金物の擦れ合う音が、背後から聞こえてくる。

 ちらと木越に振り返ると、そこには幾多もの黒々とした怪しげな銃口が、揃いも揃ってこちらへと向けられているではないか。ぽっかりと開いたその銃口はまるで冥界へと通じているように果てがなく、最奥が見えない。

「全員、一旦引けェ!!」

 烝がその恐ろしい光景にぎょっとし、冷汗がどっと吹き出るのを感じる。それとほぼ同時に、土方は喉が潰れんばかりの大声を上げていた。前線に出ていた隊士が物陰に身を潜めようとしている様子が窺える。

 だが、烝は小銃の先が不気味に光るのを、しかと目にしてしまった。引き金を引くために力がこもったのか、ゆるりと銃口が揺れ動く。

 その瞬間、烝は全身が強張っていったのを感じ取った。そしてこの後に何が起こるのかを、大方予想してしまったのだ。

 今までの、討ち合いから。

 今までの、記憶から。

 記憶を手繰り寄せれば手繰り寄せるほどに、足に、腕に、力が入ってゆく。

「――打てェ!」

 すると怒号のような相手方の声が、嫌味なほどに鮮やかな色合いで聞こえてきたのだ。小銃を構えていた相手の腕に、緊張が走るのを目にする。

 まるで全ての時が、歩みを緩めたかのごとく。

「こちらに、速くッ!」

 だがそれを振り払い近場にある岩陰を示すと、烝は隊士達に声をかけた。すると次の瞬間、銃声が一斉に轟き出したのだ。

 背筋の戦慄(わなな)く破裂音。雨のように、それらの弾が放たれていった。

 しかしそれより速く岩陰に飛び込むと、息を殺して隊員と身を寄せ合った。弾丸が岩を、土を抉り取り、その残骸を吹き飛ばしてゆく。

 耳の痺れるような轟音が脳髄を(つんざ)いてゆき、それに呼応したかのように、じっとりとした汗があらゆる所から滲み出た。

 それでも銃声は一向に止まる気配を見せずに、次から次へと鉄の塊を吐き出している。視界の端で、誰かの足がぴくりと跳ねた。それと共に、己の心の中に眠っていた恐怖がとめどなく溢れてくる。命の危機を、今までにないほど感じている。

 抉られた土が雑草を引き連れては、尋常でない速さで過ぎ去っていった。

 どこかで誰かの断末魔が、聞こえては消えてゆく。

 すると、一際大きな爆音がこの空間を引き裂いていった。

 木の上に潜んでいたのだろう。幾羽もの鳥が、ざわめきを残して飛び立っていってしまう。

 今のは、一体……。

 思わず目を剥くと、烝は一層その身を強張らせた。轟音は尾を引きながら消えてゆくが、反面、耳は薄膜を張られたかのような異質な感覚に囚われている。

 心の臓は荒れ狂ったよう跳ねまわり、落ち着くような気配も見せやしない。

 どうにかしなければ。

 しかし鼓動を抑えるよりも速く、近場にいる土方の視線に、何かが映し出されてゆくのが感じた。何が起ころうとしているのかと、思わず生唾を飲み込む。

 一筋の風が、どこからともなく駆け抜けていった。

「今だ、討ち取れ!!」

 すると刹那、土方の声が大地を揺らし、それを待っていたとばかりに抜刀の音がそこかしこで湧き起こった。金物のこすれ合う、サッという細やかな音が幾重(いくえ)にも重なっている。だがそれさえもすぐに武士の咆哮がかき消し、街道はあっという間に物陰に身を潜めていた隊士達で溢れていた。怒涛の如き足音が、寸前までのずかな空気を無きものへとしてゆく。

 その中でも真っ先に隊士を引き連れ突き進んでいったのは、昨日も勇猛果敢に戦っていた永倉だった。彼は凄まじいまでの剣さばきで、薩長軍を怖気づかせている。さすがは隊内でも一、二を争う実力者だ。伊達じゃない。

 烝は自らも率先して長巻を振るいながら、ちらと土方の方へと視線を投げかけた。

 すると彼もまた鋭い眼光で薩長軍を睨みつけると、自らの身を省みずに刀を上段に構えたまま飛びかかっている。そして次々に相手を袈裟(けさ)斬りにしたり、首を撥ねていったりした。実に迷いのない太刀筋だ。

 そんな土方の目や表情を見て、烝は「この方についていけば、確実に上手くいく」という確信を抱いた。

 勿論烝自身、土方にはよく信頼されていたたし、信頼を寄せていたため、その絆は人一倍だったとも言える。しかしそれを抜きにしても、今の土方には全てを任せてもいいという確信が持てたのだ。

 それは、薩長側に一瞬の隙ができたのを上手く見極め、その上で下した正確な判断からも見て取れる。この素早い見極めこそが、この場を()べる者に求められているといっても過言ではない。何しろここは、戦場。気の一つも緩めることができない場所なのだ。

 新選組の猛攻撃に肝を抜かれていた薩長軍は、再度銃を構え始める。それはつまり、またあの嵐のような銃弾が飛び交うということを意味していた。

 烝は無意識のうちに生唾を飲み込むと、長巻の柄をぎゅっと握り込み、下段に構えたまま突き進んでゆく。

 相手の動きを、止めなければ。

 ただその一心で長巻を一振りした。長巻の重さから振るう腕には力がこもってゆき、すぐさま人肉を引き裂く生々しいまでの手応えが伝わってきた。

 噴き出す血飛沫に、視界が赤で覆い尽くされる。

 逆袈裟斬りに振り上げた長巻は、相手の身体を斬ると同時に、丁度小銃を構えていた手も切り裂いていた。

 長巻にはじかれた小銃が、重たい音を立てて地面の上へと転がり落ちてゆく。すると次の瞬間、ドサッという音が相手の悲鳴と重なって聞こえてきた。彼にはもう、片方の腕がなかったのだ。

 あまりの悲鳴に、自らがしたことだというにもかかわらず――否、自らがしたからこそ、烝は耳を塞ぎたい気持ちに駆られた。その声に宿る一文字、一息、一片から、自らが犯したことの残忍さが窺えてならなかったのだ。それがたとえ、新選組にとっては幸となる結果であっても。

 一線に振り切った長巻の先端から、名も知らぬ敵兵の血が飛び、左の頬へと張り付いてきた。それはひどく冷たくぬるりとしており、全身の毛がよだつのが感じられた。

 あまりに未熟と思われるかもしれないが、いつまで経っても、烝は人を斬ることだけは慣れることができなかった。それは、元々が人を救う医者という立場にあったためなのかもしれない。ともかく烝は人を斬るたびに、罪悪感に駆られていた。

 だが、今はそうも言っていられない。

 頬に張り付いた血を乱暴に拭うと、赤い線がさっと頬の上に伸びていった。

「……ッ」

 空気を震わせる、戦の()

 白刃(はくじん)は閃光を瞬かせては、全ての物を一線に薙ぎ払ってゆく。

 降り注ぐ陽光に照らされる中、街道から砂塵の幕が開かれると、その奥で赤い飛沫が宙を舞った。しかし、

「怯むなァ! 放て――ッ!!」

 敵軍は痛む傷を押さえてなお、構え直した銃の引き金に指をかけたのだ。途端、周囲をまた、鉄の塊に阻まれる。

 しまった……ッ。

 ザッと足を止めると、烝はその光景をまじまじと見つめた。

 胸の奥が引き攣り、表情が強張ってゆくのが、他人事のように感じられる。脳裏にサッと翳りが射した。烝も他の隊士同様、どこへ移動すれば良いのか解らずに、幾度も足で地面を掻く。

 すると顔面のすぐ横を、銃弾が掠めていった。あまりの近さに、背筋が凍りつく。

 危機一髪と、喜べたものではなかった。

 生きた心地が、まるでしない。

「――ッ、致し方ない。一時退却だ!」

 迅速に引け、と土方から命が下った。この戦だけでも、多くの負傷兵及び戦死者が出ているに違いない。

 彼の命を受けると、新選組はすぐさまその場から撤退し始めた。その間にも苦痛に濁った、くぐもった声がそこかしこから溢れている。

 まさか、これほどの敗戦を(こうむ)るだなんて……。

 心中を過ぎったのは、焦りか悲しみか。

 それさえも解らずに、ただただ退却のために走り続けていった。

 木々が絶え間なく流れてゆく。


「待て」

 押さえられた土方の声が、一同を制した。

「……何だ、あれは……」

 彼はそう言うと、街道からは死角となる木や(くさむら)の影へ身を潜めるように言い渡し、街道のずっと遠くを窺い始めた。と、何かが近づいてくるのがはっきりと見えてくる。

 人数は軽く百を超えるだろうか。

 小銃を担ぎ、西洋風の服を身に纏った恰好。そのことからも彼らが薩長の連合軍であることは窺えたが、どう見ても先刻とは様子が違う。

 息の音さえ聞こえないように、静かにじっと彼らの姿を見つめた。何かが……はためいている。

 烝もまた木の影に身を潜めつつ目を凝らすと、そこに見えるものの存在に僅かに眉根を寄せた。

 見えるのは二つの大和錦(やまとにしき)の旗だった。深紅の中にも細やかな絵柄の浮かぶ、上等な錦だというのがここからでも解る。縦は五尺、横は一尺ほどと、細長い形をしていた。

 だが、何よりも一同を驚かせ絶望させたのは、そこではない。旗の半分より少し上に描かれている、金糸の……。

「……菊の、御紋……?」

 するりと言葉が喉を滑っていった。だがその意味を理解するまでに、烝は相当の時間を要することとなる。

 菊の御紋。

 これは天皇家の家紋として使われているものだ。だが……それをどうして薩長の者が掲げているのだろうか。

 しんと静まり返った。一糸乱れず向かってくる薩長の足音が、やけに大きく聞こえてくる。

 トクンと胸が、一際大きな音を立てて騒ぎたてた。全てを理解したのは、まさにその時だった。

 まさか――ッ。

 彼らの鳴らす足音が、最も近くを掠めていった。意図してか、それとも本当に気付かないでか。薩長軍は身を潜めている新選組になど目もくれずに、その場をすっと通り過ぎてゆく。

 規則的な足音。

 ふわりと現われる風が、不快でたまらない。

 その間新選組の誰もが、反射的に呼気を止めていた。

 息をすれば彼らに飲まれてしまう。そう思っているかのようにさえ思えた。

 足音は徐々に離れてゆく。

 そして薩長軍の姿が親指ほどになった頃、彼らは荒く空気を口内へと送り込んだ。その額や首筋には、夏でもないのに大量の汗が浮かんでいる。

 思わず皆、その場にへたり込んだり木の幹に背を預けたりと、一気に脱力した。虚無感とも悔しさとも取れる何かが、胸に囁きかけてゆく。

 ああ。やはりそういうことか。

 ざらつく幹の感触を掌に感じながら、胸奥(きょうおう)に潜む確信に烝は唇を噛み締めた。

 泰平な江戸の世で二六〇余年もの間揚がらなかったと聞いていたが、おそらく違いない。あの錦の御旗はつまるところ、薩長軍が天皇家に就いたという印。そして、彼ら薩長軍は官軍(かんぐん)となったという印でもあるのだろう。

 そして、もしそれが本当だとすれば、自ずと旧幕府軍に就いた者は謀反の者――つまり、朝廷に背いた賊軍(ぞくぐん)となったということになったというわけだ。

 生傷に塩を擦り付けられたように、胸が耐え難い痛みに襲われた。

 信じたものを信じ、今まで仕えてきたというのに。本当にいつ、全ては狂ってしまっんだろう……。

 答えの出ない問いに、ひたすら頭を悩ませる。

 晴天がこれほど腹立たしいと思うなど、おそらく今日が初めてだ。



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