五章 切なる徒夢(5)
四、
鉛のよう重くなった足をさすりながら、烝は何かも解らぬ木に、そっとその背を預けた。天を仰げば轟々と燃え盛る炎もなく、やけに耳の痛くなる夜闇だけがその場に居座っている。
奉行所を引き上げたのが夜八ツ時(午前二時)頃だ。もう、それから一刻はゆうに過ぎているだろう。
ほとんどの隊士が気を失うように眠っていったのを横目に、烝は白い息を吐き出した。
奉行所が炎上してしまったからには、この場を拠点とすることは無理だろう。そんな判断から、その後新選組は土方の命に従い表門へと引き上げることとなった。
皆一様に武具を背負い、また幾人かは負傷兵に肩を貸しとているいう状況。だが門前へ行くと、頼りの会津兵との合流が叶った。
これで、まだ互角に戦える。
僅かな希望が、その時誰もの胸に生まれた。だが、その門外から二町(約二一八メートル)という所で、長州兵が二門の大砲をこちらに向けてきたのだ。
この門を出て右に曲がれば、すぐに薩摩軍が陣を構える御香宮へと通じる道があるというのに……。
あまりの仕打ちに半ば頭が真っ白になるが、そこを会津藩士が果敢にも大挙して押しかけてゆく。
こちらは長州藩との睨み合いが続き、また白兵戦に(はくへいせん)もなったために会津側の状況を知ることはできなかった。何しろ長州側は奉行所のすぐ前に広がっている民家へと、業火を放してきたのだ。
まったく想像にさえしなかった残虐非道な行為に、絶望と怒りを感じる。
しかし火の手が予想以上に強すぎて、新選組は仕方なく再度燃えている奉行所内へと引き返す。そこで幕臣の者達と共に、会津藩士が無事に帰ってくるのを待つこととなった。
「全員がいるか、負傷兵がいないかを早急に確認しろ」
焦りの浮かんだ声で土方に言われ、各々の隊が一箇所に身を寄せ合う。
幸運にも大怪我を負った兵もいなければいなくなった隊士もおらず、烝は安堵を胸のうちに抱きながら、土方の元へと歩んでいった。
だが他の隊――特に決死隊として飛び込んだ永倉の隊では怪我人が多く、またどこかの隊では戦死した兵士まで出ているという。
そのことに落胆を隠し切れない烝は、ただただ俯き、言葉を失った。
もう、ここにまで戦の影響は出始めているのだということを、嫌なほど感じてしまった。
するとそれから……数刻後だろうか。長州兵の放った火に行く手を阻まれつつも、会津藩が引き返してきたのだ。
また後々話を聞くに薩摩軍を潰走せしめ、彼らをその東にある桃山にまで追い落としてきたというではないか。
つまり現段階では、旧幕府軍が勝利を手にしているということで、そのことに皆単純に驚き、また喜びを隠し切れなかった。
しかしその場を冷静にさせたのは、幕臣の竹中図書だった。彼は戦国の世に名を馳せた豊臣秀吉の軍師、竹中重治(半兵衛)の子孫で、戦略、知力共に優れた才を持つ男だ。
「現段階では、我々は敵軍から勝利を勝ち取ることができた。しかし、敵はいずれも高地に陣を構えているということを忘れないでほしい。高地に陣があるということは、先ほどのように上方からの攻撃をいつでも喰らわせることができるのだ。つまり、危険が過ぎ去ったわけではない。……ここは一旦、彼らの攻撃が届かない淀まで引き上げはいかがだろうか」
彼はそう提言すると、集う者全てに視線を廻らせる。
静々とした空間に家の燃える音を聞きながら各々の長はその意見に同意を示し、にわかに兵をまとめて淀方面、肥後橋の辺りへと宿陣することになったのだ。
確かに竹中の言うよう、こちら側には敵兵は来ておらず、隊士は安心して眠りにつけているようである。だが……。
ふと天を仰ぎ、何も見えない空を凝視する。
烝は目を瞑ると、そっと顔を地の方へと向けた。
だが、この戦は始まったばかりだ。安心などできやしまい……。
疲れた四肢を投げ出し、ふぅっと深く息をつく。皆の寝息に吸い込まれるよう、烝も眠りの世界に身を投じた。
遠く北東の空が、赤く染まっている。