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四章 暮れゆく年の瀬に(3)


     二、


 慶応三年も残るところ六日となった、十二月二十五日。

 市中見廻りを終え、一息つきつつ廊下を歩んでいると、烝は三人の人影が廊下の角を曲がってゆくのを目にする。

 一人は新選組隊士の大石(おおいし)鍬次郎(くわじろう)に間違いないであろう。だが、残る二人は見たところ、新選組はおろか、会津藩の者でもない。あれは一体どこの者だろう、と烝は眉根を(ひそ)めた。

 彼らは何用があって、この場に来たのであろうか。今日は面会や来客の話など、一つも聞いていない。

 しかし湧き上がる疑問をどうにか押さえ込むと、烝は見廻りの報告をしに土方の部屋へと向かっていった。

 長い廊下を経、縁側へと出ると彼の部屋を前にして息を整える。

「失礼致します」

 そう声をかけると両の手で静かに障子を開け――そこに土方の姿はなかった。

 留守だったか。

 首を掻き、そういえば今朝方、勤務割を終えた土方が何やら(せわ)しなく動いていたことを思い出す。

 仕方ない。またのち程、報告に参るとしよう。

 そう思い障子を閉め踵を返すと、ひたひたという足音が背後から迫ってきた。

「どうした、山崎」

 するとこの部屋の主である土方が声をかけてくる。

 烝が答えるよりも早く、「ああ、報告か」と呟くと、そのまま立ち話も何だからと部屋へと通された。

 板の間から畳へと変わるのを、足袋越しながら感じ取る。土方は部屋へと入るとまっすぐに、文机のに向かった。

「見廻りご苦労だったな。何か異変はあったか」

「いいえ、いたって平穏でした。ただ、道中で薩摩藩士の姿を見かけた時は警戒もしましたが、何かをする様子は微塵も感じられなかったので、手出し無用と判断しました」

「そうか」

 烝の言葉を聞き、(すずり)や筆といった書道具を文机の上に並べていた手を止める。土方は思案顔になりつつぼんやりとした視線で手元を見つめた。

「でもまあ、一応警戒するに越したことはねぇだろうし。他の助勤にも、その旨を伝えておいてくれないか。『いざという場面以外は、くれぐれも大事を起こすな』と隊士に念を押すよう付け加えてな」

 嫌でも、最近の新選組には不穏な空気が渦巻いている。

 やはりそれは局長である近藤が抜けたというのもあるのだろうが、思い起こせばつい先月の油小路の一件などもあり、新選組から逃れようと伏見から田舎へと脱出した市民さえいると聞く。

 それに加えて先日、戦のにおいを漂わせた薩摩との対峙があったものだから、尚更市民からの声も悪くなる一方だった。

 このままではきっと、近いうちに大きな戦が起こるだろう。

 王政復古が発せられたと知らされた時の会議で近藤が漏らした言の葉が、鮮明に蘇ってくる。

 市民が安心して住めるように守護をする。そのために新選組はいるというのに、何とも遣る瀬無い思いが募るばかりだ。

 もう、市民にこれ以上の不安を与えてはならない。

「承知致しました」

 深く頭を垂れ、そして静かに言うと、退室しようとした烝に向かって「それと」と土方はもう一声かけてきた。

「さっき伝えられたんだけどよ、今日の――昼過ぎだっけか。薬売りが折り返し来るって言っていたらしいからさ、その時は頼むがお前が出てくれねぇか。俺はこのとおり、手が放せねぇ状況なもんでな」

 書かなきゃならねぇもんが、実は溜まってんだよ。

 おどけながらそう言ってくる土方に、烝はなるほどと思った。部屋へ入ろうと言ったのもすぐさま文机へと向かったのも、きっとこれがあったからに違いない。

 烝は穏やかな微笑をその顔に浮かべると「そちらも承知致しました」と頷いた。

「ですが、どのような物を揃えておきましょうか」

「あー。それはお前の独断でいいわ。とりあえず不足している物と、これから使いそうな物とを揃えといてくれ。感冒(かんぼう)なんかは、これからだろう」

「そうですね。今の時期は寒さが一層の厳しさを増しますし、またこの時期を過ぎれば寒暖の変化で体調を崩すのも毎年ですから」

 そうでなくとも感冒(風邪)は一年中付いて回る、質の悪い病だ。虎狼痢(ころり)(コレラ)や麻疹(はしか)のように急激に流行りはしないが、その分廃りもしない。

「では、詳しくはこのあと確認するとしても、感冒に効く物は買っておいて――」

 さて、他に何が不足していたか。

 部屋に保管してある物を思い出そうと記憶を探り出す。

「お帰りになっていたんですか」

 すると突然声をかけられて、土方も烝も肩を跳ねさせた。そこには、いつからいたのだろう。先ほど後ろ姿を見送った大石が、ひっそりと立っていた。

 大石は二人の驚きように逆に驚くも、すぐさま平静を取り戻し、改めて土方へと向かう。

「土方さん、来客です」

「誰だ」

「尾張藩士の荒川(あらかわ)甚作(じんさく)殿と中村(なかむら)修之進(しゅうのしん)殿の両名にございます。何でも尾張藩主、徳川慶勝(よしかつ)公の命で尋ねてきたとの様子で」

 如何なさいますか。

 強い視線でそう問われると、土方は引けるわけがないと文机に手を置き立ち上がった。

「斯様な所に御用とは、なんてこった……ってな」

 皮肉めいた声を一つあげると、「着替えてから行くから、少々時間がかかるとでも言っておいてくれ」と大石に言う。

「はっ」と短く頷くと大石は退室し、もと来た場所へと戻っていった。

「なあ山崎。これ、手伝ってくれるか?」

 着物を探す中、大量の年賀やその他の文を指して土方は言う。

「さすがにそれは、ばれましょう」

 肩を竦めると、烝は困ったようにそう答えた。


「――では(しゃく)と傷、それから感冒のね」

 薬売りの意気のいい声が、賑やかな空に響き渡った。

 烝は言われたようにそれらを買うと、世間話をしてから薬売りと別れる。

 すっと空を見上げれば、そこにはまっさらな空の中、綿帽子のような雲が無数に浮かんでいた。日は西に傾き始めていたものの、見廻りに出ていた時よりも澄んだ色をしているかもしれない。

 薬箱を抱える烝は空の青さに目を染めると、大きく息を吸い込んだ。

 部屋で改めて確認をすると、環境のためか癪(腹痛)の薬が減っていた。これは(かつ)て――初めて松本が回診に来た時程ではないが、今になっても病気の中では感冒に次ぎ、癪に苦しむ者が多い病である。

 またそれにも増して減っていたのは、傷に塗る膏薬(こうやく)だった。職種柄、どうしても傷を負う者が多いためであろう。そうでなくとも、朝稽古などで怪我を負う者だっている。

 まったく、確認をしておいて正解だった。

 カランコロンと戻りつつそんなことを考えていると、烝は丁度帰ろうとする荒川と中村の両人とすれ違った。彼らとは軽く会釈をして、その場を後にする。

 だが数歩先で振り返り二人の後ろ姿を望むと、土方と何を話していたのだろうかという疑問がこみ上げてきた。突然の訪問にしては、やけに面談が長い。

 枯葉を転がし、見えない風が駆け抜けてゆく。

 烝は再度前を向くと、奉行所に向かって歩んでいった。薬箱がやけに重くなっていく感覚を、その腕に感じて。



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