四章 暮れゆく年の瀬に(2)
一、
敷いたままの蒲団にどかりと腰を下ろすと、烝は頭を抱え、嘆息した。
あの場は田宮のおかげでどうにかまとまり、事なきを得た。しかしそれで双方が完全に納得したかといえば、そのようなことはない。
もしかしたらいつしか、大規模な戦が起きるかもしれない。そしてその引き金を、自らが引いてしまったのではないだろうか……。
そう考えれば考えるほど自然と気が滅入り、何もしたくなくなった。
額に手をやり、それを徐々に下げると口元を覆う。背を丸めているためか、虚ろな視線は足袋を履いたままの足しか映さず、その上輪郭さえはっきりしない。
反吐が出る……とまではいかないものの、気持ちの悪さは今までで一番のものかもしれない。
土方さんの期待を、裏切ってしまった。
そのことだけがどうしても許せず、眉根を寄せると力任せに空いた右の拳を振り下ろした。鈍い音が、嫌に長く響き渡っていく。僅かな痺れが右手を襲い、また物に当たったことにさえ嫌悪感を募らせると、烝はぐっと双眸を瞑った。
なんて惨めなんだろう……。
光が、見えなくなる。目指していたものが、向かうべき道標が、闇の中へと返っていってしまう。
すると襖の開く音が聞こえてきて、烝は傀儡のように振りかえった。
「あーあー。なんだよ、そんな面しやがって」
「……土方さん」
「それ以外に、俺がどう見えるっていうんだ?」
そう冗談めかしく言うと、土方は無遠慮に烝の部屋に入ってきた。その身はもう先刻前と同じ衣ではなく、非番の日によく目にする赤銅色の長着に纏われている。
彼は身一つ分ほどの距離を置くと、烝と向き合うようして座り込んだ。その瞳には既に鬼はおらず、普段隊士に向けるものよりも素に近い表情が浮かんでいる。
「疲れたか?」
「ええ、いつも以上に」
「ははっ。ちょいと使いすぎちまったもんな」
悪ぃ悪ぃと謝る土方に、烝はいいえと首を振った。
「これが私に与えられた責務ですから」
「でも、今日のはお前にしてみれば、ちょっと行き過ぎていたよな」
瞬間、心の臓が凍りつく。
やはりこの方には見抜かれていたか……。そう思いつつ、「過剰の振る舞い、誠に申し訳ありません」と目を閉じ、深く頭を垂れた。
しかし当の土方はそれを制すると、「いいんだ」と繰り返す。
「確かにあそこまでだとは、正直思っていなかった。だけどあの立ち振る舞い、聞いていて誠に腹立たしい……俺の予想以上のできだったぜ」
口の端をにっと上げると、烝の肩を加減もせずに叩いてくる。
「最初と意見を変えたのは、他でもない。事態が悪化すれば、さすがに田宮殿が制止をしてくれるだろうって思っていたからだったんだ」
あそこで止めてもらえなかったら、正直かなり危機的だったけどな。
苦笑をあらわに土方がそう告げてくると、烝は「そうですね」と小さく頷いた。まさかそんな賭け事をしていたとは思いもせず、ある意味途轍もない決断だったのではないかとさえ感じる。
「それにお前なら、相手を苛立たせるくらい朝飯前だと思っていてさ。いや、そのせいで思いつめさせちまったみたいだけど」
雪に冷やされた風が、縁側から入ってくる。
土方は苦し紛れに頭を掻くと、苦笑から微笑へと表情を変えた。
「まあ読みどおり、あれは俺にしてみりゃ成功だったが、お前にしてみりゃ失敗だったのかもしれねぇな。でもよ、失敗なんざ付いて回るもんだろ。へこんでる暇があったら、明日でも見据えて一歩でも踏み出せや」
いくら悔やんでも、もう過去には戻れねぇんだよ。
意気消沈していた烝にそう告げると、土方は両腿をパシンと叩き、「さて、次行くか次」と言って立ち上がる。
「お前が落ち込んだら、近藤さんの抜けた穴が余計に広がるだろ。へこむのもいいけどよ、抜け出せる程度にしておけよ」
すると嵐の如く、土方は部屋から出ていったのだった。
後に残された烝はしばらく身動きをとれずにいたが、彼の言葉に薄っすらと笑みを浮かべる。
手を貸さなければいけない方に、手を貸してもらってしまったな。
この御恩は、仕事で返そう。そう思うと、烝は心がずいぶん晴れやかになるのを感じた。
開けられたままの障子から望む風景は、雪できらきらと輝いていた。