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三章 折れた柱の元で(3)

一部流血描写があります。ご注意ください。


     二、


「だから謝っているじゃないですか」

 昼餉ひるげの時間帯もとうに過ぎ、日の光も色付き始めた頃。沖田のいる部屋に落ち着きを取り戻した土方が入ってきた。

「永倉さんもおっしゃっていましたが、土方さんがきつく当たったのはあなたを心配してのことだったんですよ。最悪の場合、ここに来る道中で倒れていたかもしれないのですから」

 そのような話をしている半ばでのことだったので、沖田は申し訳なさそうに土方を迎え入れたのである。

 しかし二人は特別仲が良いわけでもなく、また悪いというわけでもない。本当に昔からの腐れ縁であり、少々兄弟のような関係というだけの話だ。

 そのせいもあってか、しばらくすると朝の二の舞となっている始末。

 沖田は蒲団から起き上がると、食い付かんばかりのばかり勢いで土方へと言葉を投げつけた。

「近藤さんの妾宅からここへ来たのは、確かに僕に責任がありますよ。けれどそこまで怒んなくてもいいじゃないですか!」

「だからテメェは餓鬼なんだよ。ここに来る前に野たれ死んでいたら、どうするつもりだったんだ」

「だって、嫌な予感がしたんですもん。しょうがないじゃないですか」

 二人の声が、ただひたすらに飛び交っていく。そこに平静などという言葉はまるで見つからず、付き添っていた烝と永倉は思わず溜め息をついた。

 始めのうちは穏やかだったというのに、何を間違えればこうなるというのか……。

 もう一度溜め息が出かけると、土方はハッと一つ鼻で笑った。

「嫌な予感がどうした。それだけでテメェは脱走するって言うのか?」

「ちょっと、これでも僕は武士ですよ! 土方さんは武士の予感を蔑ろにするつもりなんですか。仮にも武士のクセに」

「んだと、総司! 仮じゃねぇだろ、仮じゃ! 俺は正真正銘、偽りなき武士だってんだい!」

「ハァ? 農家出身で呉服屋へ奉公に出ていた人が、偽りのない武士だって? へぇー、そうなんだぁ。初耳ぃー」

「うるせぇよ! ケツの青い餓鬼が何生意気言って――」

「いい加減にしてください!」

 すると加熱する一方の罵詈雑言に、とうとう永倉が大声を上げた。

「あなた達は顔を合わせればすぐそうだ。餓鬼だ何だと言う前に、武士としての自覚を持たれたらどうです」

 うんざりというよりもげんなりとした彼を横目に、再三始まろうとする言い合いを遮ると、同じような表情を浮かべたまま烝は口を開いた。

「それがお二人のやり方だと言うのは、隊士一同重々承知しております。ですが……この場合はもう少し控えめにした方が懸命かと思いますが」

 そうじゃないと、襖や障子が近いうちに破れるかもしれない。熱の入った二人の会話が久々なためか、隊士達が部屋の前に張り付き聞き耳を立てているからだ。もう襖に至っては、軋んだ音を立てている。

 ぐっと押し黙り視線だけで辺りを見渡すと、土方はうっとおしそうに頭を掻いた。沖田は沖田で、唇を尖らせている。

 幼い頃から知り合っていたためか――それとも互いに少年の心を持ち合わせすぎているためか。仲が良い時は良いのだが、一度言い合いになろうものなら、それこそ決着が付くまで言い争っている始末だ。

 それが決していけないというわけではない。ただ加減を知らないのが、頭の悩ませどころなのである。

 そうでなくても土方も沖田も感情的で、時に素直になれない性格であるから尚更だ。

 黙り込んでいた土方は「あー」と薄く開いた唇から声を漏らすと、胡坐を掻いた両膝にどかっと手を乗せた。

「解った。解ったから説教はやめてくれ。どうも慣れない」

 眉根に深い皺を寄せ、両の瞳を硬く瞑る。

 さわさわと漂ってくる冬の空気と隊士達の気配を感じながら、土方はゆっくりと双眸を開いた。

「まあ、来ちまったもんは仕方ねぇからな。総司はこのまま置いておく。だがその前に、さっきから言っている『嫌な予感』っていうのが何だか、説明してもらおうか」

 すると、途端に先刻までとは異なる真剣な雰囲気が犇めき合う。

 真摯しんしな土方の視線を一身に浴びた沖田は、一呼吸置いてからおもむろに話し始めた。

「上手くは言えないんですけど、殺気のような薄ら寒いものを感じたんです」

「誰かがお前に殺意を向けている、って?」

「解りません。ただ、いつもは感じることのないような強い負の念を、意識下で感じました。それは背筋の凍るほど悍ましく、強い念に溢れていて……」

 夜着の袖をきゅっと掴み、沖田は視線を伏せてしまった。

 だから昨日の夜、出てきたんですよ。

 そう言う沖田の言の葉に「そうか」と呟くと、土方は部屋の隅を一瞥した。

「山崎。一昨日のことをこいつに話したか?」

「いえ。そのことに関しては、まだ一切触れておりません」

 突然話を振られた烝は、はっきりとした声でそう告げた。一昨日のこと――つまり謀反を企てた小林啓之助殺害のことは、まだ沖田には口外していない。

 二人の会話の真意が解らず困惑する沖田に土方は唇を湿らせると、「落ち着いて聞けよ」と前置きをした。

「一昨日、永倉の隊にいた隊士、小林啓之助を謀反人として殺害した。奴は伊東派の……御陵衛士残党としての間者だった」

 土方の苦しげな声が、朗々と流れてゆく。


「僕が感じたのは、彼ら残党側が近くで身を潜めていた気だとでも言うんですか」

 ことの全容を聞かされると、沖田は心苦しげに土方を見つめた。

「まだ確定したことじゃねぇから、何とも言えない。ただ、その可能性も考えられるっていうだけだ」

「そう、ですか」

 しかしあくまで可能性があるだけだと釘を刺されると、沖田はその面を伏せる。それから小さく咳き込むと、弱々しく背を丸めた。

 烝は沖田の背をさすると、永倉に水を持ってきてもらえるよう頼んでから、土方へと視線を向ける。

「張るのですか?」

「そうだな。近藤さんと相談して、おそらく監察方に周辺を張るように言うだろうな」

 だが……。

 そう口を開くが、土方は更に表情を強張らせた。いつもは精悍な瞳の奥に、黒く重たい色が渦巻いているのを窺うことができる。

 障子を横切ってゆく雀の影。

 微かな鳴き声と土方の口元が動くのが、互いに重なり合った。

「油小路の鬼が、起き出したのかもしれねぇ」

 それはとても残酷で、尤もな運命だったのかもしれない。

 誰もが息を呑み動きを止めると、静まり返った室内の中に、外の音がやけに大きく聞こえてくるのが感じられる。

 小鳥の囁く声音も、新選組隊士の雑談も、共に集う会津藩隊士の話し声もそうだ。今は穏やか極まりない。

 屯所の場所が変わったといっても、新選組全てが変わるわけではないのだ。こうしていれば、不穏なことなど何もないかのようにさえ思えてしまうのに……取り巻く状況は、どうしてこうも悪化の一途を辿ってしまうのであろう。

 誰かが楽しそうに話している声をどこか遠くで聞きながら、烝はふとそんなことを思ってしまった。だが、その中に何やら慌しい喧騒をも混じっていることに気づかされる。

 土方が何かを言おうと口を開きかけ――刹那、勢い良く障子が開け放たれた。

 そこには息を切らした島田の姿があり、土方の姿を見つけるなり「副長ッ!!」と地を揺るがすのではないかと思える程、大きな声を上げる。

「島田。一体何があった」

 普段は落ち着きのある島田の取り乱しようにただならぬ状況を感じ取ると、土方は島田の肩を揺さぶった。まるで定まっていない視線を向けると、島田は歯の根が合わない口で懸命に話し始める。

「局長が、鉄砲で打たれました」

「何だってッ!?」

 動揺が一瞬にして室内を駆け巡ってゆく。

 障子が開いたせいか、近藤の声音と、「一番隊、二番隊は俺に続け!」と永倉が隊士を引き連れてかけてゆく音が鮮明に聞こえてきた。

 ……最早、戦場と化している。

「血が、止まらないんです。町医者が来るまでには時間もかかる。だから――ッ」

「解った。とにかくお前は、近藤さんを連れて、部屋で待機していろ。山崎はすぐに治療の用意だ」

 急げ! という土方の言葉が響き渡った。

「何かあったら、どなたかを私につかわせて下さい」

 そう沖田に言い残すと、烝は医療器具を取りに自室へと飛び出してゆく。

 まさか、近藤さんに限って何かがあろうとは――。

 鼓動がいつにも増して早い。胸が鷲摑まれるよう痛くなるのを感じ、奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。

 荒々しく襖を開け目的とする物を手にすると、それを閉めるのも忘れて一目散に近藤の部屋へと向かってゆく。

 この事態に気付いたのか、慌てふためく隊士達を幾人も見送って、烝は近藤の部屋へと訪れた。

 だが入った途端、息を呑むこととなった。

 そこには点々などと生易しいものではない。真っ赤な血に彩られた近藤が、島田に支えられながら激痛に顔を歪めている姿が見て取れた。

 そのため撃たれた箇所がどこなのか、すぐに判断することができなかった。何しろ背中を中心に右半身が血に濡れており、どこもかしこも赤く染め上げているのだ。

 焦った己の頭に苛立ちを覚えながら、彼らに近づいてゆく。そして初めて、右の肩から鮮血が止め処なく溢れ出ていることに気付いた。おびただしいまでの血の量に、烝は己の血が引いていくような気さえしてしまう。

「すみません。痛みますが耐えてください」

 それでも懸命に口を動かすと、持ってきた手ぬぐいを未だ血の溢れ出している傷口にあてがった。

 あまりの痛みのためか近藤の身体はびくりと跳ね、噛み締めた口からも苦悶の声が漏れてくる。

 烝は一旦傷口から手ぬぐいを離すが、それでも止まらない血液に顔をひそめた。

「島田さん。すみませんが桶に水を汲んできてくださいますか」

「解りました」

「それと、そこに集っている隊士達に手ぬぐいを持ってくるよう頼みます。それもなるべく清潔なものを」

 そう言って、駆けてゆく島田の足音を聞きながら、心中で「クソッ」と毒づいた。

 鮮血で真っ赤に染まりきった手ぬぐいを傷口から離すと、血の溢れ出る傷口を見、また背中の方へと視線をやった。右の肩、鎖骨の上から脊椎の辺りにかけて、上斜めに向かって貫かれている。

 新たに取り出した手ぬぐいを再度傷口に当てる。それから近藤の肘を曲げるように動かした。それにさえ近藤は苦痛の声を漏らしており、見ているこちらが耐えられない。

 しかし近藤から目を逸らさぬよう努めると、一呼吸置いてから烝は口を開いた。

「近藤さん。今腕を動かしているのですが、解りますか」

「……ッ、ああ。解る……」

「痺れなどはありませんか」

「大丈夫、だ……それも、ない」

 激痛に喘ぎ、切れ切れになる近藤の声音。

 それにすまない気持ちを抱きながらも手を放すと、水を汲んできた島田が到着した町医者を連れて部屋へと入ってきた。

 町医者も近藤のあまりに凄惨な姿に目を見張っている。しかし、島田に手を引かれ、そのまま烝の隣、近藤の丁度斜め前へと連れてこられる。

 彼はすぐに屈むと傷口を見、それから烝へと視線を向けた。

銃創じゅうそうだと聞きましたが」

「ええ。右肩から脊椎にかけて、貫通しております」

 島田に差し出された水に手ぬぐいを浸すと、ぎゅっと絞ってから傷口を洗うように拭う。真っ赤だった肩は徐々に肌の色を見せ始め、その中でもより赤や紫にもなっている銃創があらわとなっていった。

 町医者は近藤の背後に廻ると、そっとその傷の具合を確かめる。

「痺れなどはないとのことですが」

「そうですね。ただこの状態ですと、はっきりとしたことはまだ……神経の方も心配ですが、脊椎の方が気にかかりますね」

 貫いた弾丸が骨を砕いていることは、先刻血を拭った時に解った。感触が、普通とは明らかに異なっていたのである。

 だが、それが果たしてどのような影響をこの方に与えようとするのか……。

 時を経るごとに騒然となる奉行所内。隊士数人が手ぬぐいを持ち、駆け込んでくる。

 烝はその雰囲気をしかと感じながら、縫合の準備を始めた。



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