お嬢とメイドの入れ替わり ~主従交換一日体験~
「お呼びでしょうか、キョウカ様」
私に仕えるメイドは本当に優秀だ。招集をかけた次の瞬間には目の前に現れているくらいには優秀だ。もしかして、私の部屋の外に張り付いてるの?
まあ、そんな冗談はさておき。
彼女の名はアイリ。初めて会ったのは、私が6歳、アイリが8歳の頃だ。専属のメイドが私と同じ子供だと聞いた時は不安になったけど、彼女の働きぶりを見ればすぐにそんな不安は吹き飛んだ。
たった8年の人生にどう詰め込めばそうなるのってくらい、常に完璧な仕事をしてくれたからだ。世界一美味しい紅茶は、アイリが淹れてくれる紅茶だと私は思っている。
そして今日は――
「今日は、あなたの18歳の誕生日でしょう? だから、プレゼント代わりに何でも願いを一つ聞いてあげようと思って」
「……覚えていてくださったのですか」
「当たり前じゃない。従者をねぎらうのも、主としての務めよ」
懸命な働き者には、それだけの対価を。これは私のモットーである。繰り返すが、アイリは本当に優秀なメイドだ。
「では私は、キョウカ様とのまぐわいを望みます」
……私に変態的な好意を寄せてくる点を除けば、ではあるが。最近はもう本当に露骨だ。数年前まではほのめかす程度だったのに。いや、ほのめかす程度でもだいぶ問題はあるけど。
「さぁ、まずは私と濃厚なキスを交わしましょう」
「駄目! 無理! 別のにして頂戴!」
「え。ですがキョウカ様は『何でも』、と……」
「私が許す範囲で『何でも』よ」
「それでは、入れ替わり、というのはどうでしょうか」
「入れ替わり?」
「はい。今日一日、キョウカ様は私に、私はキョウカ様になるんです」
「うーん、それも少し考え物だけれど……まあいいわ」
「……よろしいのですか?」
「ええ。あなたにファーストキスを奪われるよりは全然マシだから」
「ありがとうございます。では早速……」
そう言うとアイリは、十本の指をうにょうにょさせながら近づいてくる。うにょうにょ、うにょうにょ~。
「い、いったい何をするつもり……!?」
「服を交換するつもりです。さあ、お脱ぎください」
「え、いや、ちょっと、ああ、あぁ~~~~っ!!」
――数分後。
私達は服を交換し合った。私のワンピースはアイリが、アイリのメイド服は私が着ている。
確かに入れ替わりをするなら服の交換は必須だ。それは分かってるけど……服を脱がすのくらい自分でやらせてもらえないものだろうか。服を脱がされると言うより襲われているみたいで、本気で恐怖を覚えた。
「けど驚いたわアイリ。あなた、けっこう着痩せするのね」
「私も驚きました。キョウカ様は私より確実に良い物を食べていらっしゃるはずなのに、どうして成長の兆しすら見えないのでしょうか」
「……うるさい」
「ですがご安心ください。キョウカ様の再現は完璧です。なにせ私は着痩せしますから」
「…………うるさい。あ、でも髪はどうするわけ?」
私は金色で少しウェーブのかかったロング。対するアイリはぴっちりとした黒のショートだ。色は染料とかでなんとかなるけど、長さはさすがに……。
「それなら大丈夫です。こんなこともあろうかと、密かにこんな物を作っておきましたから」
そう言ってアイリが取り出したのは、二つのウィッグだった。一つは金髪ロングで、もう一つは黒髪ショート。なんだか、すごく見覚えのある髪型だ。
「これを被ればさらに完璧です」
「なんでそんな物作ってたのよ!?」
まさか、入れ替わりを見越して!?
怖いよこのメイド……とは思いつつもウィッグをかぶる私。
続けてアイリも私の髪型のウィッグをかぶると、いよいよ私達は完全に入れ替わりを果たした。
するとその時――コンコン、とノックをする音がした。
「どうぞ」
応えたのは私に扮したアイリだ。もう私になりきろうとしている。
「失礼します。キョウカ様にお客様がお見えです」
お客? はて、そんな用事が今日あったかしら。でも覚えていないということは、大した客ではないはずだ。
なので私はアイリに、「行ってきて」と目で合図した。するとアイリも、私だけに見えるように小さく頷いた。
なんだか面倒事を押し付けるような形になったけど、こういうのも含めての入れ替わりだ。さっき入ってきたメイドも私達が入れ替わっていることに気づいていないし、偽物の私を会わせても大丈夫だろう。
もし仮にバレたとしても、相手は大したことない客だろうし。うん、大丈夫大丈夫。
「行ってらっしゃいませ、アイ……キョウカ様」
ということで私もアイリになりきり、キョウカを送り出すのだった。
本当に……大丈夫、だよね?
◆ ◆ ◆
一人になってしまいました。本当はこのあと主従が逆転したことを利用して、キョウカ様とあんなことやこんなことを楽しむ予定でしたのに。
ですがこうなってしまった以上仕方ありません。今は私がキョウカ様なのです。私のわがままでキョウカ様の顔に泥を塗るわけにはいきませんので。
ここはキョウカ様のように、堂々と胸を張って応接室に出向くとしましょう。
と、その時でした。
前方からおぼつかない足取りの新人メイドが歩いてきました。そのか弱い両手に持つのは、たっぷりと水の入ったバケツ。そして彼女の進行方向には、どなたかが落としたであろうハンカチがありました。
このままいけば彼女はハンカチを踏んでしまい、バケツを宙に放り投げながら派手に転んでしまわれるでしょう。
ですがそうはさせません。まずはハンカチを拾って――いえ、それでは駄目ですね。それはいつもの私のやり方です。今の私はキョウカ様であってアイリではないのです。
世界一可憐で格好いいキョウカ様なら、きっとこうするはずです。
「あ、キョウカ様! おはようござい……きゃっ!?」
まずはあえてハンカチを踏ませます。彼女は転びそうになっていますが、片方の手で彼女の体を支えます。
そしてもう片方の手で宙に放り出されたバケツの取っ手をキャッチ。遠心力を利用し、水を一滴もこぼさずに彼女の手に戻します。
「お気をつけて」
「も……申し訳ありません! キョウカ様にとんだご迷惑を……」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「……! あ、ありがとうございます!」
私はキョウカ様として当然のことをしたまでなので、別に礼を言われる筋合いはないのですが……まあ、これもキョウカ様の魅力あってのことでしょう。
そうして再びおぼつかない足取りで歩き出した彼女を見送ると、今度は向こうからパチパチと拍手の音が聞こえてきました。
「今の一部始終、しかと見させてもらったよ。やはり君は素晴らしい人だ」
おや、この殿方は確か……。
◆ ◆ ◆
……思い出した。今日って、イツキさんとのお見合いがある日じゃん!
彼は私の婚約者候補の中でもとびっきりの美貌と知性を兼ね備えた方で、おまけに公爵家の長男でもあるまさに天上人だ。
そんな方と相見えるだけでも奇跡に近いのに、ましてやお見合いの日を忘れるなんて……。
とにかく私は応接室へ急いだ。と言っても今の私はキョウカじゃなくてメイドのアイリだから、紅茶とお茶菓子を持っていくことぐらいしか出来ないけど。それでも何もやらないよりはマシだ。
「失礼しまーす……」
はぁ~、なんで入れ替わりなんてしちゃったんだろ。
そんなため息をつきながら応接室のドアを開けると、イツキさんとアイリが向かい合って座っていた。
「君の献身的な姿に僕は惚れた! 結婚を前提に付き合って欲しい!」
……思わずティーカップを落としてしまいそうになった。
え、なにこれ。今、結婚っていう単語が聞こえてきたんだけど。
もしかしてこれって、すごいチャンスじゃない!?
「お断りいたします」
……今度はティーポットを落としてしまいそうになった。
え、え、え、なにこれ。アイリ、今あんた……お断りいたしますって言った?
「……その理由を聞かせてくれないかな?」
「風の便りで聞きました。イツキ様はこの度、王女殿下とご結婚なさると」
えっ、そうなの?
私そんなの初耳なんだけど……。
「ああ、それなら問題ないよ。まだ正式に決まったわけじゃないからね。それに僕は、僕が心から愛すると決めた人と結婚したいんだ」
「そうでしたか。ですがそれを聞いた所で私の心は変わりません。どうかお引取りください」
「そうかい……。残念だけど、君がそう言うなら仕方ないね」
イツキさんは立ち上がり、応接室から出ていってしまう。
「やはり君はとても素晴らしいよ。きっと、僕なんかよりもふさわしい相手が見つかるはずさ」
去り際に、そんな言葉を残して……。
私はこの一連のやり取りを、ただ黙って見つめているしかなかった。
イツキさんが帰った後のこの部屋には、私とアイリの二人だけ。静寂と言うより沈黙。ただただ、気まずい空気が流れる。
「キョウカ様。何かご不満がございましたか?」
「当たり前じゃない! 不満も不満、大不満よ! どうして断ったの!?」
感情に身を委ねて怒りをぶつける。
けど、なんだろうこの微妙な気持ち。
不満なのは間違いない? 本当に?
「だって……今日は私がキョウカ様ですから。私なりにキョウカ様の、本当の気持ちを伝えたまでです」
「本当の、気持ち……?」
「はい。先月のイツキ様とのお茶会を拝見させていただいた際に確信いたしました。キョウカ様が真にお慕いしている方は、少なくともイツキ様ではない、と」
「そ、そんなことないわ! イツキさんはイケメンだし、頭もいいし、あとイケメンだし……」
「ではなぜ先月のお茶会の時、ずっと上の空だったのでしょうか」
「んぐっ……」
「ではなぜ今回のお見合い、キョウカ様はすっぽりとお忘れになっていたのでしょうか」
「んぐうぅっ………!」
私の本当の気持ち。
禁断。過ち。こんなことあっちゃいけない。
そう思って封印して忘れようとしていた、私の本当の気持ち。
だけど、アイリにはお見通しだったんだと思う。
さすがは優秀なメイド。さすがはずっと私の側にいてくれた、たった一人の大事な親友だ。
「アイリ。やっぱりあなた、全部分かっていたのね」
「はい。キョウカ様とは十年来の付き合いですので」
「ふふ、さすがね。あなたには礼を尽くしても足りないわ。だって、私の本当の気持ちに気づかせてくれたんだもの」
恥ずかしいし照れくさいけど、私はアイリの目をじっと見つめた。こんな真面目に顔を合わせるのなんて、たぶん初めてだ。
思わず顔が赤くなってしまいそうになる。いや、たぶんもう真っ赤になっているんだろう。でも私はできるだけ平静を装って、アイリに本当の気持ちをぶつけた。
「私、アイリが好き。世界で一番、アイリが……大好き」
「えっ。え、え、わ……私……ですか」
あれ?
どういうわけかアイリが動揺している。
「ちょ、ちょっと何よその反応。あなた、全部分かってたんじゃないの?」
「いえ、さすがに誰をお慕いしているかまでは……」
「はァ!? けどあなた、いっつも私に詰め寄ってくるじゃない! 異常なくらい! それを考えたら今の反応は絶対おかしいわよ!」
「ですが……キョウカ様と私では、身分が釣り合わないと言いますか……」
「ばか! なんで肝心な所で鈍感消極になるのよ! これじゃ私の方がばかみたいじゃない! ……ばか!」
「それでは……いいのでしょうか。私の思いを、正直に伝えても……」
「ええ。いつもみたいに遠慮なく来なさい」
「ありがとうございます、キョウカ様。では私の気持ち……受け取ってください」
そう言うとアイリは、私の背中に手を回して思いっきり抱きしめてきた。それに応えるように、私もアイリの背中に手を回す。しばしの沈黙の後、アイリは私の耳に囁きかけてきた。
「私も、キョウカ様が好きです。大好きです。……それであの、もう一つ願いを聞いてはもらえないでしょうか」
「ええ。何でもいいわよ」
「それでは、その、……――を」
「なーんだ、そんなことでいいの? でもちょっとだけだからね?」
そうして目を閉じ合う私達。
唇と唇が、一瞬だけ重なり合う。
……やっぱり、少し恥ずかしかった。