二章 ゾンビだらけの村と千葉県民たち 1
「起きろー! 朝だぞー!」
いつ眠ったのかも覚えてない徹夜直後のけだるげな起床。
重いまぶたをわずかに開けると、目の前にはブルーの髪の少女がいた。トルコ青のように濃いそれは奇抜な色なのだが、西洋人形じみた顔立ちにはよく似合っている。
クリクリとしたガラスのような目を輝かせて、少女は布団の上からおれを見下ろす。
「かわいいかわいい梅人のつゆちゃんが起こしにきてあげたよ」
「……」
「さあ起きて。そんでつゆの朝ごはん作って。今日は目玉焼き丼がいいな。昨日はべーコンサンドだったもの。あれおいしかったなまた作って」
「……」
「ねえ起きないの? また夜遅かったから朝なのに眠たいの? 分かったじゃあつゆちょっと口閉じてるね……う~さ~ぎおいしい~かのやま~こぶなつりし~かのかわ~うめは~」
「うるせえどけ!」
「きゃ~」
布団ごと、おれの安眠を邪魔するガキをひっぺがえす。
なんでその年で故郷をチョイスするんだとかそもそも歌詞が違うとかツッコミどころが沢山あった。
「そういう細かいところはいいが、黙ってるって自分で言い出したんだからそのまま黙ってろ」
「つゆも最初はそうしたんだよ? でもじっとしていると暇だから、なんだか歌いたくなっちゃって」
「知るかボケ! てめえのメシぐらいてめえで作れ!」
おれはそう言うと、寝床にしているソファに戻った。
朝顔つゆ。
このZに噛まれてもZにならない少女という希望を拾ってから、一週間が経った。
最初の三日間は溜まったダメージが抜けずにろくに動くことができなくて、仕事にも行けなかった。四日目には出勤したのだが、連続の無断欠勤と日頃の怠慢が原因でクビになった。
欠勤については連絡できていなかったからともかく、怠慢については副班長が吹きこみやがったな。
というわけで再び無職という自由を手にしたおれは朝をゆっくり過ごす予定だった。
「パリコレならぬ秋葉コレクションのはじまりはじまり~。まずはヴィクトリアン様式。ヘッドドレスが大きくて、回るとスカートがふわ~ってする。次はミニスカート。ジャンプするとパンツが見えちゃいそうで恥ずかしい! 見た? でも残念。今日は見せパンの無地です」
目を閉じているおれの隣で、つゆは店の倉庫にあったメイド服の着替えをしていた。
どうやらこの少女は母親以外に保護者はいなかったらしく、見つかるまではおれの家に居候すること
になった。おれとしてもそちらのほうが利用するのに都合がよかったので、それを聞いた時は諸手を挙げて受け入れた。
だけど今となっては後悔している……なんせこのガキ、とてつもなくうるさかった。
おれが怪我で寝こんでいる時もところ構わずドタバタと駆け回る。
腹が減ったらめしを作れ、退屈を持て余したら遊べとまさに暴君として我が家に君臨した。
最初はご機嫌をとるために言うことをきいていたが、そんなことしていたら体がもたないためこうして反逆する。
「おいつゆ。朝食用意してやるから本でも読んでろ」
「分かった~服はお片付けお片付け~」
本当は幼児とはいえ出会ったばかりの人間を名前呼びするのは性に合わなかったが、朝顔という苗字はどうも口にしたくなった。
おれはリクエスト通りに卵をサニーサイドアップで三つくっつけて焼く。
「整理整頓終わったよ~」
「丼に米よそえ」
つゆは言われた通り、ギリシャのメアンドロスに似た模様が縁に書かれているラーメンの丼いっぱいに白米を詰める。
これも後悔している点だ。こいつがいると、食費がバカにならない。
「梅人は食べないの?」
おれのテーブルのところにはなにもないのが、つゆは気になったようだ。
「いいんだよおれは」
おまえを腹いっぱいにし続けて、もう金がろくにない
「駄目だよ。おかあさんが言ってたけど、朝ごはんはちゃんと食べないと、もう一個作るのめんどくさいなら、つゆのあげるね」
つゆは自分の食事をおれに分けてくれた。
こいつにこんな気遣いができるとは。おれは少しだけ感動しながら皿を受け取った。
半ライスに白身ひと切れ。
「つゆにお礼ね。つゆね、デザートのいちごパフェ食べたいな~」
「ありがとうございます」
キレるのを抑えて、マスクの裏で青筋たてながら食べる。
このクソガキ。体のほうの調査が終わり次第、すぐに放り出してやる。
おいしそうに黄身をほおばるつゆを前にしながら、虎視眈々と憎しみを積もらせていった。
朝食を終えると、つゆは漫画を読みだす。時々、感情を声にするが他の行動に比べるとかなり静かなほうだった。
おれはようやく安眠する。本当はベッドで横になりたいが、そっちはつゆに譲ったのだ。
正午になると起きた。
身体も元気になったことでの快眠に、調子は万全に至った。洗濯したスーツを着る。庶民が利用するような低価格のクリーニング屋はてきとうに仕事をするため自分で洗った。久々の汚れもシワも目立たない背広は、憔悴していた心を立て直すには充分だった。
「つゆ。昨日言った通り、おれが戻ってくるまではここにいてくれ」
「うん」
漫画へ夢中になっているつゆの様子を見届けてから、おれは一階に降りた。
今日は、Zはいなかった。そればかりか荒らすものさえなかった殺風景だった空間が、立派な広間になっていた。仕事を辞めてからは、この部屋を準備するのに時間を要していた。
完全な密室になっているのを確認すると、おれは加湿器のスイッチを押した、
コンコン
出入り口の扉からノックが響いてきた。おれは一応、Zを警戒してドアスコープを覗く。初めて見る人間だった。
「米岡心之助さんですね。どうぞ」