一章 ゾンビだらけの秋葉原と幼女 4
再び、おれの動きが止まると、他の人物がやってくる。
「社長。ご無事でしたか? 申し訳ありません。この人ごみでつい離れてしまって」
「別に平気さ。それより彼」
おかめマスクで黒スーツを纏っている人物は、おれとぶつかった男を社長と呼んだ。
おかめはおれを見ると、警戒態勢をとった。
「貴様、なんの用だ?」
「用なんてねえよ。気まぐれに寄ってみたけど、こんなところさっさと出ていくつもりだった」
「嘘をつけ!」
「誰かさんと違って、おれはそんなつまんねえ嘘つかねえよ」
「牧子。社長の言うことは本当だよ。出会ったのも偶然だ……多分ね」
憤るおかめをたしなめる社長。大声に反応してやり取りを聞いていた周囲の人物は、彼に交換を寄せる。
……こいつのこういうところが、昔から嫌いだった。
おれは社長と慕われている男の名前を口に出した。
「フレード。今さらおれを呼び止めて、なにを言いたいんだ?」
フレード・ノーベル。スウェーデン人で白鳥の仮面を被っているこの男こそが、キグナスの現社長だった。
おれと対象の色である白い鳥から、声が出てくる。
「一年ぶりの再会です。せめて挨拶でもと」
「嫌味か」
「社長は貴様と違ってそんなことはしない」
「どうだか? 表向きが綺麗でも、人間ってものは、案外、ひと皮剥いたら醜いもんだぞ」
おれの軽口にムキになる牧子を、フレードが諫めた。
「牧子はちょっと黙っててくれ」
「はっ。いい気なもんだな社長さん」
「……キグナスの社長は、あなたです」
「奪った立場のクセになにをぬけぬけと……ところで社長さん。こんなところにいていいのかい? あんたみたいなお偉いさんが、ボディーガードひとりだけでいるなんて騒ぎになるぞ」
「それについては、同じ顔が山ほどいるので」
周囲を見渡すと、目の前の男と同じマスクを被っている人物が大勢いた。たしかにこれならフレード
の声や背格好に詳しい人物じゃないと本物か偽物か判断できない。
端に目を寄せると、どうやら屋台で売っている模造品のようだった。
おれは白鳥の身体が、黒く染まる想像をした。
「はたしていつまで、この光景が続くかな」
「どういうことです?」
黒い羽の下で、おれはほくそ笑んだ。
「アイテム二百種類。主要の商品からもう市場に出なくなったもの含めて、キグナスの製品は全ておれが開発したものだ」
「そうですね」
「だから一年前、おれを総会で追放した時からキグナスは新商品を作り出せなくなった」
「はい」
肯定するフレード。
やはりそうか。
おれのいた時と比べてキグナスは今や、過去の貯金で持っているにしかすぎない。それについても大量に吐き出してしまっている現状だ。そんな状況ではいくらかつて世界を束ねたキグナスでも数年も保たずに滅びてしまう。
おれは白鳥の瞳に視線を合わせた。
戻ってきてほしいのなら、おまえの口から言え。
またおれと一緒にいたい、おれの力を貸してほしいってな。
絶対にこれまでの恨みを忘れはしないが、素直にそうすれば便所掃除として使ってやる代わりにキグナスをおれが建て直してやる。
おれは黙って、フレードからの言葉を待った。
やつは牧子からなにかを受け取った。
「梅人さん。これ今日発表するうちの新商品です」
「えっ?」
一瞬、世界が灰色と化した。
もちろん錯覚だ。
おれはマスクの上から目を擦ってから、やつの持っているプラスチックケースを凝視する。
「そんなに欲しいのなら、よかったら一個差し上げますけど」
「そ、そういことじゃねえよ。だ、誰が作ったんだ? 技術部顧問の福山か? いや都大の新人の萩庭か?」
違う。
あそこにはおれの手足になるのに優秀な人間は大勢いたが、誰ひとりとしてアイデアを出せる側の人材は置かなかったはずだ。いや本人の向き不向きより、そもそもアイテムを作れる知識を持っていたのはおれだけで……
やつはプラスチックケースをおれ投げつけた。
「土曜日の男爵という方の協力のおかげで。これが作れました」
「バロンサムディだと」
誰だそいつ?
(……いやどこかで聞いたことがあるような)
思い出そうとしても、土曜日の男爵という人物が誰だかは全くもって不明だった。
新商品をしまうと、フレードはおれへ冷たい声で言った。
「もうキグナスには、黒い翼はいらないんですよ」
「――てめえ!」
おれはフレードの襟元を両手で握りしめた。
さらに人の目が増えるが、そんなもの気にしている余裕なんてなかった。湧き上がった怒りを、おれの全てを奪ったこの純白の鳥へぶつける。
「おまえはいったいあの日、なにをしたんだ!?」
「あの日とは?」
「副社長のおまえが、おれを社長から陥落させた日だ! なんでみんな、てめえについたんだ!」
「それは……」
フレードが答える前に、おれは自分で導き出した結論を叫んだ。
「いくらで買収したんだ!?」
「……」
「おれとおまえ含めて、株は設立時のメンバーで大半を分けた。そしておれはその半数以上へ大金を配って裏切らせないようにしていた。なのにあの日、誰ひとりとしておれにつく人間はいなかった。言え。やつらがどれほどの金額で裏切ったか言ってくれ」
それ以上を渡せば、またおれは社長の座に返り咲くことができる。
体が当たる至近距離だと、フレードの目がどんな感情の色を示しているのか仮面越しでも分かった。
まるで悪魔でも見るかのようにおれを蔑んでいた。
「社長に触れるな! このハエが!」
隣にいた牧子から拳で叩かれた。
計算されたフォームから放たれた一撃に、おれは地面を転がっていく。黒い白鳥の汚れを払いながら言い返す。
「おまえこそ昔はおれの部下だったクセに。このコウモリ女が。立場ある人間に尻尾ふって媚び売りやがって」
「仕事に徹していただけで、あたしは一度も社長のようにおまえを認めたことなんてない!」
「おいあれ」「もしかしてフレード社長じゃ」
騒ぎが大きくなったことで、フレードに気付きはじめたものもいた。
瞬く間に広がっていく噂に、おれは閃いた。
「キグナスの社長が! いきなりおれを殴ってきやがった!」
「なんだって!?」
突然のスキャンダルに動揺する民衆。
こういうのは、一見、身綺麗なほど効く。確証がなくても、大きな感情が心の内にある疑惑を確信に変えていく。
誰もが、信じられない目でフレードを見つめていく。
さあ今こそキグナスの心証を貶しめろ。そうすればこれからアイテムの売買をするうえで有利になるぞ。行動の先に利益があるのならば、人は簡単にそれまでの関係なんて無視をして自分が得するように動く。
おれはおれを裏切ったやつらに天罰が下るのを待ち望んだ。
「そいつさ。さっきケバブ屋でキグナスの陰口叩いてたぞ」
民衆の誰かが、おれを指して言った。
それを皮切りに、自分もそれを見た、と言い出す人物が次々と出てきた。
「あいつキグナスのアンチか」
「だったらさっきの言葉も嘘で、キグナスの印象を下げようとしたんじゃねえの」
「キグナスがそんなことをするわけがない!」
「こいつ最低だ! やっちまえ!」
人々の矛先は、おれへ向けられた。
倒れているおれへ、棒などの長物をおれへ振り下ろしてくる。食べ物やゴミを投げられる。
噂が噂を呼び、おれはどんどんひどい悪党にされていってそれに比例するように暴力のひどさも増していく。
「梅人さん! 梅人さん!」
「社長、ここは危険です。安全なところへ避難しましょう」
痛い。痛すぎて逆にもう一回一回なにをやられているのか分からない。
なんで一日に二度も、こんなことされなきゃいけないんだ。しかもさっきより数が多すぎて、反撃の余地が最初からなかった。
「おいZだ! Zが出たぞ!」
「引っかかれたやつがいる! もう助からない! こんなやつ放っておいて逃げろ!」
蜘蛛の子を散らすようにみんな逃げていく。
Zも集団を追ったため、あれほどまで大勢の人がいた歩行者天国が空っぽで物静かになった。
独りで放ってかれたおれはダメージが大きすぎて立つこともできないので、寝たまま高層ビルよりもさらに高い夜空を見上げていた。
地球の外の星々が描きだした白鳥座が遠く遠くにあった。






