一章 ゾンビだらけの秋葉原と幼女 3
ふらつく足で、おれは電気街に来ていた。
今日は朝から不運なことが続いたので、ここで行われるらしいイベントで陰鬱な気分を吹き飛ばすつもりだった。よほど大規模なのか、秋葉原中の人々がほとんど来ているのかと思えるほど道路に人が溢れかえっていた。
中央通りの端で屋台が営業していた。
PC関連のジャンク品もあれば、飲食物も売られている。
おれは夕食としてケバブを買うことにした。
「今日はなんの肉?」
「シマウマだよ。上野のほうで獲られたやつさ」
「いいね。買った」
動物園を管理する人物がいなくなったことで、中にいた獣たちは野生化した。だから昔は日本では考えられなかった食材が売られたりしている。
肉が焼けるまで時間がかかるそうだが、竹さんにもらった金のいくらかを前金として払う。
薄い肉を幾層にも重ねてひとつの肉塊として見えるそれを回転させて熱を通していく。ヨーグルトやカレー粉を配合したタレが、スパイシーな香りとして食欲を湧かせる。油でテカテカになっている肉を店主のおばさんが様子見しながら焼き具合を確かめていた。
「あんた細いね。サービスするからいっぱい食べなよ」
「ありがとうございます」
アクリル製の飛沫飛散防止シート越しに積極的に話しかけてくるおばさんを、おれは愛想笑いで流していた。
「ところでそのマスクをしてるってことは、今日は祭りに来たってことだね」
「ええまあ」
「気合入ってるわね。お肉倍増してあげる」
「……もしかして今日ここで行われるイベントってキグナス関連ですか?」
どんどん肉が盛られている中で質問する。
雑踏の足音を耳にしながら、おれは違うという言葉がおばさんの口から出てくるのを願った。
「やーね。そうに決まってるじゃない」
だが、返ってきた答えはおれの期待に反したものだった。
わずかにでも上がっていた熱が冷めていくの感じた。
「そんな格好してるんだから分かってるに決まってるでしょ?」
「そうですね」
「今日はあのキグナスの社長がこの町を訪問しにくるんだよ」
店主はまるで憧れの芸能人かのようにキグナスの社長を語る。
「第五次世界感染以後に株式会社キグナスは設立され、アイテム(Z対策用品)の作成によって世界中の人々を救ったのさ。あんたもよく使ってるであろうZジェットもそうさ。あれがあるおかげでZが寄りつかなくなるんだよ。他にも自警団が使っている冷却鋸なんかもキグナスが最初に作ったんだよ」
「ええ」
もはや子供でも知っている常識を彼女は高らかに説明した。
ただ一点だけ話に違うところがあった。キグナス自体は世界感染の前にはもうあって、アイテムの売り上げによって今の大会社に急成長したのだ。
水をさしても仕方がないので、黙っておくが。
「でもねぇ。以前の社長がひどかったのよ」
興奮してキグナスのことを喋っていた店主だったが、唐突にトーンダウンした。
「お金のことしか考えない人でね。キグナスが救世主だったのをいいことに、その人は金で世界を支配しようとしたのよ。生きていくのに必要なものほど庶民の給料じゃ買えないくらい高値に設定して、自分のところの金貸しに借金させてまで無理やりにでも買わせていたの。優遇するのは賄賂を差し出すお金持ちばっか。金で全てが決まる世界を創っていたわ」
「……」
「だけど一年前にね、社長が代わったの。現社長は支配をやめて、会社の総勢力をあげて万人を平等に無償で助けているの。ボランティアのはずなのに、こうしてまた満足な生活が送れるまでしてもらって。あの人は、まさしく神様だわ」
「……だけど、もう少しで潰れますよ今のキグナスでは」
「はあ?」
思いもしなかった言葉を聞いて固まった店主へ、おれは独り言を呟くように話す。
「ここ一年で、キグナスがなにか新製品を出しましたか?」
「……」
「支給されたのは、全て既存の商品だったでしょ。キグナスが技術を独占していた頃ならともかく、制作方法まで公開をしたせいで、現在ではそこらの露店でも品質の変わらないものが安く売られている。善人気取りで自分の首まで絞めるようなことをするなんて低脳にも――」
「帰んな!」
おれが注文していた品を、店主は地面へ捨てた。
「この時代、食べ物を粗末にするのはよくないですよ?」
「たとえいつだって、あんたみたいなやつの糞になるくらいなら、害虫に食われたほうがマシさ! 二度と顔も見たくないね。さっさと店の前から消えてくれ!」
「……おれは客だぞ」
「信じる神だって選べる時代なんだ。受け入れる客も選ぶよ。でもそうだね、そこまでどうしてもっていうなら物々交換といこうじゃないか? 金以外でこの料理に値するものを、あんたは持っているのかい」
「うっ」
今、ポケットにあるのは金しかなかった。
たじろぐおれを見て、店主はしてやったりという顔になる。
「どうやら時代のことを分かってないのはあんたのほうみたいだね。キグナスが方針を変えたことで金の価値はどんどん落ちていって、庶民の間じゃ物々交換が流行ってるのさ。通貨制度なんてもう古い。信頼できない紙キレより、いざという時に頼りになる現品だよ。あんたみたいななにも生み出せない仕事やってる連中は、あたしらのお情けで商売にしてやってるだけさ。それを分からずにペラペラ調子に乗るんじゃないよ」
最後に怒鳴ったあと、店主は裏へ出ていった。
「ちょっと。おれの金」
店主を追おうとするが、店員に怖い顔をして止められた。
その屈強さに、副班長にリンチされた時のことが否が応でも記憶に蘇ってしまった。
おれは軒先へツバを吐き捨ててから、店主の言う通りに屋台から遠ざかる。
混雑の流れに合わせて、足を進める。
イラつきが、今のおれの頭の中の大部分を占めていた。
なぜこんなにも上手くいかない。そりゃおれが悪い部分もあったが、だけどもう少しいい目を見てもいいじゃないか。不幸があったんだから、その分、幸運な目にあう。それこそが平等ってものじゃないか。
「って、ここどこだ?」
知らない間に、駅前まで来ていた。おれの家は駅とは反対側だ。
どうやら思考に脳をさきすぎて、ほとんど周囲が見えていなかったみたいだ。急いで、戻ることにした。人の海を、泳ぐようにかき分けていく。イベント内容を知ったからには、もうここにいたくはない。
移動の途中、ガッ、と肩がぶつかった。
「すみません」
「いえ。こちらこそ」
お互いへ譲り合うように謝る。
どこでも見るようなやり取りにどこか、ホッ、と一息ついて気のぬけるおれだったが、相手と顔を合わせた途端に表情が強張った。
相手もそうなのか、ゴクリ、と生唾を呑みこんでいた。
ふたりして、しばらくそこに立ち止まった。
おれから先に足を下げようとすると、
「待ってください。社長」
機先を制したように、相手から声がかけられた。